第三講
見えないものの正体
見えないものの正体
LECTURE III
THE REALITY OF THE UNSEEN
THE REALITY OF THE UNSEEN
知覚対象 VS 抽象概念――抽象概念が信念におよぼす影響力――カントの神学的純粋理性――わたしたちは特殊感覚に与えられたもの以外に現実感をもつ――「現存感」の例――実在しないものの感触――神聖なるものが現存する感覚:その例――神秘体験:その例――その他の、神が現存する感覚の事例――理性にもとづかない体験の説得力――信念確立にさいする合理主義の劣等性――個々人の宗教的態度において、熱狂または厳粛さのどちらかが肝要
宗教の核心をできるだけわかりやすい一般用語で特徴づけなさいと求められれば、それは、見えない秩序があり、われわれの至上善は自己をその秩序と調和するように順応することにあるという信念によって成り立っているといえばよいでしょう。この信念および順応が魂における宗教的態度なのです。この時間では、このような態度、もしくはわたしたちの目に見えない対象に対する信仰のもつ、いくつかの心理学的特性にみなさんの注意を向けさせたいと願っています。宗教であれ、道徳、実務、あるいは感情であれ、わたしたちの態度はすべて、意識の“対象”、つまり現実であるか観念であるかを問わず、自分自身と同様に存在するとわたしたちが信じる事物にかかわっています。そのような対象は感覚上の存在かもしれず、あるいは単に思索上の存在かもしれません。どちらにしても、対象はわたしたちから反応を呼び起こしますし、よくいわれるように、多くの場合、思索上のものごとによる反応は、感覚上のものごとによる反応と同じように強い。むしろ、もっと強いかもしれません。侮辱を受けると、その場でよりも、後になってから思い出し、もっと強く怒るかもしれません。失態をさらせば、そのときより、後になって恥ずかしくなることがよくあるものですし、また一般的に、良識と道徳に則した高尚な生きかたのすべては、現実に存在する肉体的感覚のほうが、離れた場の事実に関する観念よりも、わたしたちの行為におよぼす影響力が弱いという事実にもとづいています。
たいがいの人たちが信仰する具体的な対象、崇拝する神がみは、ただ観念として彼らに知られています。たとえば、救世主の知覚しうるヴィジョンに出会うのは、非常に少数のキリスト教信徒たちに恵まれた特典であってきました。もっとも、この種の顕現は、記録に奇跡的な例外としてかなり残されていますので、後で注目してみるだけの価値はあります。したがって、人格神信仰が信徒たちの一般的な態度を決めるかぎり、キリスト信仰の力はすべて、総体的に単なる観念を手段として発揮されるのであり、そこでは個人の過去の経験がじかに規範として働いているわけではありません。
だが、宗教には、これら具体的な信仰対象の観念に加えて、同等の力をもつ抽象的な対象がいっぱいあります。神のさまざまな属性、すなわち神の聖性、神の義、神の恵み、神の絶対性、神の無限性、神の全知、神の三位一体〔*〕、贖罪のさいのさまざまな神秘、秘跡の儀式などは、キリスト教信者を高揚させる瞑想の豊潤な泉であってきました。[21] 後で検討しますが、あらゆる宗教の神秘主義の権威者たちは、決定的に知覚しうる姿のないことが、実りある祈り、あるいは高きにある聖なる真理の黙想の必須条件(sine qua non)であると力説しています。そのような黙想が、善を求める信者たちのその後の態度に非常に強力な影響を与えると期待されるのです(そして、これもまた後でみるように、この期待はたっぷりと応えられます)。
〔父(創造主)・子(キリスト)・聖霊の三位は、唯一の神が三つの姿で現れたものであり、もとは一体であるとする教理〕
[21] 例「わたしは最近、聖霊の人格性、およびその父なる神と子なる神との相違点を明かす聖句を瞑想していて、大きな慰めをえました。解明するためには探求が必要なテーマなのですが、いったん感得すると、神の満ちてあること、わたしたちの内なる御業、またわたしたちに対する御業について、単にわたしたちに働きかける聖霊を考えるだけよりも、なおいっそう真実で生き生きした理解を与えてくれます」Augustus Hare (1834‑1903 英国の作家) : Memorials, i. 244, Maria Hare to Lucy H. Hare.
イマヌエル・カント〔Immanuel Kant(1724-1804)ドイツ観念論哲学の祖〕は、神、天地創造の目的、魂、魂の自由、死後の生といった信念の対象について、風変わりな説をかかげました。こういうのは知の対象ではまったくないとするのが適当であろう、というのです。わたしたちの概念は常に知覚内容と連動していることが必要ですが、「魂」「神」「不死性」といった語は、いかなる個別の知覚内容も対象としていませんので、理論的にいって、なんの意味もないことばです。それでも、まったく奇妙なことに、わたしたちの行動のためには、決定的な意味があるのです。わたしたちは、まるで神が実在するかのようにして行動し、まるで自由であるかのように感じ、自然をまるで特別な計画があるかのように考え、自分がまるで不死であるかのように計画を立てることができ、そして、これらのことばがわたしたちの道徳生活にじっさいの違いをもたらすと知るのです。したがって、これら理解を超えた対象が実在すると考える、わたしたちの信念は、それらのものを思い描くことがまさしく許されている場合、カントのいう実用的な観点(praktischer Hinsicht)において、つまりわたしたちの行動にかかわる観点に立てば、それらがなにであるかについての知識と等しいものだとわかります。だからわたしたちには、カントが納得させてくれるように、どれひとつとして、いかなる概念をも形づくらないようなものごとの実在を信じて疑わない、不思議な精神現象があるのです。
このようにカントの説を思い起こしていただいた、わたしの意図は、カント哲学の格別に荒っぽいこの部分の正確さについて、なんらかの意見を述べることにあるのではなく、わたしたちの考察の対象としている人間性の特質を、誇張表現としてとても名高い例を用いて明確にしたいだけのことです。実在するという思いは、じっさいわたしたちの信念の対象にとても固く貼りつくものですので、いってみれば、信じるものが存在するという意識のために、わたしたちの生きかた全体が徹底的に一極化してしまうのですが、それでいて、的確にそれを叙述しようとしても、わたしたちの知性にとって、それが存在しているとは全然いえないのです。それは、鉄の棒が触覚や視覚をもたず、なんの表現手段もないのに、まるで磁力に感応する内面的な能力を与えられているかのように見えるようなものであり、また、そばで磁石をあちらこちらへと動かせば、さまざまに磁気が引き起こされ、あたかもいろいろな姿勢や向きが意識的に決められているかのように見えるようなものです。この鉄の棒は、自分をこれほど動かす強大な力がある作用について外部に説明することはできませんが、それでも、その作用が実在すること、そしてそれがみずからのありかたにとって重要であることを全身全霊で意識していることでしょう。
わたしたちがことばで説明する能力のない存在をありありと感じさせる、この力をもっているものは、カントのいわゆる純粋理性概念だけではありません。ありとあらゆる高次の抽象概念が、同種の名状しがたい訴求力を備えています。前回の講義で読みあげたエマソンの詩句を思い出してみましょう。わたしたちが知るとおりの具体的事物の宇宙全体は、このような超越主義作家のためだけでなく、わたしたちみなのために、より広く、より高次の抽象概念宇宙のなかに浮かび、その意義を示しているのです。時間や空間、エーテルがすべての事物に浸透しているように、(わたしたちの感じでは)抽象的で基本的な善、美、強さ、意味、正義は、あらゆるよいもの、強いもの、意味あるもの、正しいものに浸透しています。
このような概念や他の同じように抽象的なものが、わたしたちのあらゆる事実の背景となり、わたしたちが思い描くあらゆる可能性の源泉となっています。これらが、あらゆる特定の事物に、わたしたちのいう「特質」をもたらしています。わたしたちの知るすべての事物は、これらの抽象概念のひとつのもつ性格を分かちもつことによって、「なんらかのもの」となっています。抽象概念には形がなく、特徴がなく、実体がありませんので、直視できませんが、わたしたちはこれを手段として他のあらゆる事物を把握することになるものですから、これらの心的対象、これら形容詞や副詞、述語、分類や概念の項目を見失うようなことがあるだけで、現実世界に対処するにあたり、自分にはどうすることもできないと知って、びっくりすることになるでしょう。
このように抽象概念が、わたしたちのこころを疑問の余地なく決めることができるということは、人間性の本質の基本的な事実のひとつです。抽象概念がわたしたちを偏らせたり、惹きつけたりしますが、わたしたちのほうも、まさしく数多くの具体的事物であるかのように、抽象概念に向かったり、退いたり、求めたり、抱きしめたり、憎んだり、祝福したりします。抽象概念は実在、変転する知覚対象事物が空間領域に存在するのと同じほどリアルなもの、それらが宿る領域における実在なのです。
プラトン〔Platon(BC427-347)アテナイの哲学者〕は、この人類共通の感じかたを鮮明かつ印象的に擁護しましたので、それ以来ずっと、抽象的対象の実在を唱える学説は、プラトン学派のイデア論〔流転する物質界の背後にある理想的な雛形をイデアとし、それを真の存在とする説〕として知られるようになりました。たとえば、美の抽象概念は、プラトンにとって、完璧に明確な個別存在であり、地上の滅びの定めにあるあらゆる美に加えられたあるものとして、知性はこれに気づいています。プラトンの『饗宴』に、たびたび引用される一節があり、そこで彼は、「進みかたの真の順序は、地上の美を踏み段に用いて、あの他の美に達するためにその脚立を昇ることにあり、ひとつの姿からふたつ姿へと、ふたつの姿からあらゆる美しい姿へと、美しい姿から美しい行為へと、美しい行為から美しい概念へと、さらには美しい概念から絶対美の概念へと到達し、最終的に美のなんたるかを知るのである」[22]といっています。前回の講義で、エマソンのようなプラトン哲学を説く作家が、事物の抽象的な神々しさ、宇宙の道徳構造を、礼拝に値する事実として扱う考えかたに少し触れておきました。今日、倫理団体の名のもとに世界中に広まっている、神を奉じない例のさまざまな教会にも、抽象的な聖性、究極的な対象として信じる道徳律が見受けられます。多くの人間のこころに宿る“科学”はまさしく宗教の位置を占めています。このようなしだいで、科学者たちは“自然法則”を崇めるべき客観的事実として扱っています。ギリシャ神話解釈の頭脳明晰な一派は、ギリシャの神がみは、その起源を探ると、自然界を分割する抽象的な法則・秩序の広大な領域――天界、海洋界、地上界、その他の同類――の半ば比喩的な擬人化にすぎないとしています。同じように、現代でさえ、朝の微笑み、そよ風のキス、体に食いこむ寒さなどといいますが、別に自然現象が人間の顔をしていることを意味しているわけではありません。[23]
[22] Symposium, Jowett, 1871, i. 527.
[23] 例「自然は、どのような側面を見せていても、とても興味深いので、雨が降るとき、わたしには美しい女性がすすり泣いているように見える。彼女は、悩みが深まるほどに美しくなる」B. de St. Pierre
ギリシャの神がみの起源について、いまのところ意見を求めるまでもありません。ですが、ここに列挙した例のことごとくが次のような言いかたに似た結論に通じます。すなわち、人間の意識に、実在感覚、客観的に存在している感覚、現代心理学が存在する現実が独自の形で露わになると想定している特殊で異様な“知覚”のどんなものよりも深遠で一般的である「そこにあるなにか」とでもいってよさそうなものに対する知覚があるかのようです。もしそうなら、感覚がいつでもそうするように、この現実感は喚起されたとたん、わたしたちの態度や行為を引き起こすと考えてもよさそうです。ですが、他のいかなるものも、たとえば、いかなる観念も、同じように感覚を喚起するなら、知覚の対象が持っていて当然の、あの同じ実在に見える特権を保持しているはずです。宗教的な概念がこの実在感を触発できるものならば、批判されるようなことになっても、たとえ想像を絶するほど曖昧で馴染みのないものであっても、たとえカントが倫理神学の対象とした本性の点ではまったくの非・実体であるかもしれなくとも信じられることになるでしょう。
このような無差別の実在感が存在することを示す最も興味深い証拠は、幻覚体験にみつけることができます。幻覚が不完全なままであるというのは、よくあることです。幻覚に襲われた人が、室内に「だれかいる」と感じ、確かに位置がわかり、ある独特な形で向かい合い、言語を絶してリアルであり、多くの場合、唐突に現れて、唐突に消えます。それなのに、見えず、聞こえず、触らず、通常の“感覚”ではどんな形でも感知できないのです。現前することが特に宗教に関連するような対象に移るまえに、この場合の例を紹介しておきましょう。
わたしの親友のひとりは、わたしの知るなかで最高に鋭敏な知性の人に数えられますが、このようなことを何回か経験しています。その人は、わたしの問い合わせに応えて次のように書いて寄こしてくれました――
「これまでの数年間に何回か、わたしはいわゆる“ある存在の心象”を体験しています。多くの人たちがやはり『ある存在の心象』と呼んでいる別種のものがあり、わたしもこれまで非常に頻繁にこれを経験してきましたが、わたしの思うに、わたしの脳裏にある体験は、これとははっきり区別できるものです。わたしにとって、それら二組の体験の違いは、火元のはっきりしないほのかな熱気を感じるのと、通常の感覚がそっくり鋭敏なまま、大火災のまっただなかに立っていることとの違いほど大きいのです。
「最初の体験は、一八八四年の九月ごろでした。その前夜、大学の自室でベッドに入ったあと、腕をつかまれたと感じる鮮烈な幻触があり、そのために起き上がって、室内の侵入者を探しました。だが、いみじくも現存感覚といわれているものは、次の日の晩にありました。ベッドに入って、ろうそくを吹き消し、しばらく目覚めたまま、前夜の体験について考えていると、なにかが部屋に入ってきて、ベッドのすぐ間近にいると感じました。わずか一分間か二分間のできごとでした。それはいかなる通常の感覚でも感知されないのですが、それでも、それにかかわる凄惨で不快な“感じ”がありました。それは、わたしの存在の根源にあるなにかを、ふつうのいかなる知覚よりも深く掻き乱したのです。その感覚は、主として胸のあたり、とはいっても体内にとても大きく広がる猛烈な、命にかかわるような苦悶――それでも、その感覚は苦痛というよりむしろ嫌悪――といった質のものでした。その間ずっと、なにかがわたしのそばに存在し、その存在感は、わたしが知るかぎりの肉体をもつ生き物の存在よりも確かなものでした。それが出現したのと同じく、退去したのも意識しました。ほぼ瞬間的にドアを抜けていなくなり、“凄惨な感じ”は消えました。
「三日目の晩、横になってからも準備中の講義のあれこれで頭がいっぱいであり、さらに余念なく考えつづけていると、前夜、そこにいたものが(到来したときはわからなかったが)現実に存在し、“凄惨な感じ”がするのに気づきました。そこで、わたしは全精神を集中して、悪であるなら、立ち去れ、悪でないなら、自分がだれなのか、それともなになのかいってみろ、いえないなら、立ち去れ、どうしても追い払ってやるぞ、と説得に努めました。前夜のように、それは立ち去り、わたしの体はすみやかに普通の状態に回復しました。
「わたしの生涯で他にも二度、まったく同じ“凄惨な感じ”を体験しました。そのうちの一度は、たっぷり一五分間もつづきました。三つの例のすべてで、そこの外部空間になにかが立っているということの確かさは、普通の生きた人たちと身近に接しているときの普通の交わりの確かさよりも名状しがたく強烈でした。そのなにかはわたしのすぐ間近にいて、どのような普通の知覚よりも強烈でリアルに思えました。いうならば、そのなにかは、いわばわたしに似て、有限で、小さく、悲惨であると感じられましたが、なんらかの個性的な存在、または人格とは認められませんでした」
もちろん、このような体験は、宗教分野にはつながりません。それでも、場合によってはつながることもあります。いま紹介したのと同じ文通相手が、一再ならずの他の巡りあわせで、同じように強烈で唐突な現存感覚が出現したが、ただそのときは、その感じは上質の喜びに満ちていたとわたしに知らせてくれています――
「そこになにかあるという単なる心象だけではなく、そのものの支配的な幸福感と溶け合って、なにか名状しがたい善があるという驚くべき気づきがありました。曖昧でもなく、なんらかの詩、あるいは情景、あるいは花、音楽のもつ情緒的効果のようなものではなく、ある種の強大な人格が身近にいるという確かな知覚であり、それが立ち去ったあと、記憶はひとつの実在認知として残りました。他のすべては夢かもしれませんが、あれは夢ではありません」
おかしなことですが、わたしの友人は、この後者の体験を神学的に解釈せず、神の実在とは意味づけていません。だが、これを神格の存在の現われと解釈しても、ぜんぜん不自然ではないでしょう。神秘主義を扱う段階になれば、これについてさらに論じてみましょう。
こういう現象が奇異であり、みなさんが面食らうと悪いので、わたしたちが、明らかに自然な事実を扱っているのだということを示すためだけに、もっと短い、同じような話しを二つ、みなさんにあえて読んでお聞かせしましょう。一番目の事例は、『心霊現象研究協会〔*〕ジャーナル』からの引用であり――ここでは割愛しますが――実在感がたちまちのうちに明確な幻視に発展するものです。
〔Society for Psychical Research. 一八八二年に英国で、心霊現象や超常現象の真相を究明するための科学的研究を促進することを目的として設立された非営利団体〕
語り手は次のように話します――「わたしは二〇分かそこら読書していましたが、すっかり本に没頭し、心は完璧に平静であり、その間、友人たちのことはまったく念頭になかったのですが、一瞬の前触れもなく突然、わたしの全存在が緊張または活性状態の頂点にまで昂ぶったようであり、別の存在または実在が、室内どころか、わたしのすぐ間近にいると、体験のない人には想像しがたいほどの鮮烈さで気づきました。わたしは本を置いたのですが、すごく興奮していたわりには、とても落ち着いていて、どのような恐怖も感じていませんでした。姿勢を変えることもなく、まっすぐ火を見つめていると、なぜか、わたしの友人、A・H氏が、わたしの左肘のところ、だが背中のずっと後ろのほうで、わたしが背を預けていたアームチェアに隠れているのがわかりました。姿勢を変えずに眼を少し動かすと、片方の足の下の部分が見えて、その人がしばしば着用していたズボンの薄紺色の生地を認めましたが、その素材は半ば透けて見えるらしく、濃くたちこめるタバコの煙を思わせました」[24]――ここから、幻視がはじまります。
[24] Journal of the S. P. R., February, 1895, p. 26.
もうひとりの資料提供者は次のように書いています――
「夜、とても早くわたしは目を覚ましました……故意に起こされたように感じ、はじめ、だれかが家に押し入ったのだと思いました……そこでふたたび眠ろうとして、寝返りをうつと、間をおかず、部屋のなかになにかいる存在の意識を感じたのですが、おかしなことに、それは生きた人間のものではなく、霊的な存在の意識でした。笑われるかもしれませんが、わたしの身におこった事実を告げるだけです。霊的な存在の意識を感じたと率直に述べる他に、わたしの感じた知覚を表現できません……それと同時に、なにか奇妙で恐ろしいことが起ころうとしているというような、迷信めいた恐怖も感じました」[25]
[25] E. Gurney: Phantasms of the Living, i. 384.
ジュネーヴのフルールノア教授が、彼の友人であり、自動または無意識筆記の才能に恵まれた女性による、次のような証言をわたしに提供してくれました――
「自動筆記をするとき、これは潜在意識下の自我のせいではないといつも感じるのですが、それはわたしの体外にある異質な存在を常に感じるからです。ときには、その存在の特徴がくっきりしていて、正確な位置を指で差すことができるほどです。この存在の印象は表現不可能です。告白筆記の出所である人物により、その存在の強さや明瞭さはさまざまに違います。わたしの好きなだれかであれば、筆記がはじまるまえに、ただちにそのように感じます。わたしのこころがそれを知るようなのです」
以前のわたしの本で、わたしは目の見えない人が感じた存在の興味深い事例について詳しく論じました。その存在は、霜降り柄のスーツを着た白髭の男の姿をしていて、ドアの下の隙間から押し入って、床を横切り、ソファへと移動しました。この幻覚様の体験をした目の見えない人は、抜群に知的な報告者でした。彼には内的な視覚イメージがまったく欠けていて、光や色を理解することもできませんが、聴覚など、他の感覚はこの擬似知覚にかかわっていなかったと確信していました。これは、むしろ、実在感と空間的外部性を直接的に伴った抽象概念――つまり、完全に具体化され、外面化された心像――であったようです。
引用するにはつまらない他のもありますが、このような事例は、わたしたちの精神構造には、特定の感覚がもたらすものよりも拡散的で雑多な現存感覚があることを申しぶんなく証明しているようです。心理学者にとって、そのような感覚が宿る器官を探すのは――わたしたちの筋肉に活動のためにそれ自体を刺激している感触があるとすれば、筋肉感覚と結びつけるほどに自然なことはないのでしょうが――厄介な問題になるでしょう。このようにわたしたちに行動を促すもの、あるいは――わたしたちの感覚の最も一般的な作用――“鳥肌をたたせる”ものはなんであれすべて、たとえ抽象的な観念にすぎなくても、実在し、現存しているように見えるのかもしれません。だが、目下のところ、わたしたちの関心は、身体に占める位置ではなく、機能にあるので、このようなあやふやな憶測はわたしたちの関心事ではありません。
意識の肯定的な作用はすべてそうですが、現実感には、非現実感という形の否定的な片割れがあり、これに人は悩み、ときに不平を漏らしたりもします――
「天上界の異変のたわむれに宇宙を自転して巡る球体のうえに偶然に生まれてしまったという事実をつらつら考えるとき」と、アッカーマン夫人〔Louise-Victorine Ackermann(1813-90)フランスの詩人〕は語りました。「わたし自身と同じように短命で不可解な存在に自分は囲まれていて、すべてが紛れもない妄想を夢中になって追いかけていると気づくとき、わたしは夢のなかにいるという奇妙な感じを経験します。わたしには、まるで夢のなかで愛し、苦しみ、そしてやがて死ぬように思えます。わたしの末期のことばは『わたしは夢を見ていた』というものになるでしょう」[26]
[26] Pensees d’un Solitaire, p. 66. 〔『隠遁者の思い』〕
病的な欝のさい、この事物の非現実感がどれほどこころを蝕む苦痛になりうるか、また自殺にまでつながりかねないか、わたしたちは別の講義のときに検討することにします。
きわだって宗教的な体験領域において、(人数まではいえなくても)多くの人びとが、知性が真であると認める単なる概念の形ではなく、じかに理解される擬似感覚的な実在の形で、かれらの信仰の対象をもつのは、いまでは確かなことといえるでしょう。これら対象の実在感が変動するにつれ、信じる者の信仰も冷たい熱いのあいだで上下します。抽象的に説明するよりも、他の例をあげるほうが納得していただけるでしょうから、ただちにいくつか引用してみましょう。最初の例は、否定的なものであり、問題になっている感覚の喪失を嘆いています。次の文は、知り合いである科学的な男性がわたしに寄せてくれた、信仰生活についての回答から抜粋したものです。わたしにとって、これは、実在感が、世にいみじくもいう知的操作であるよりも、感覚に近いなにかであることを明確に示していると思われます――
「二〇歳から三〇歳のあいだ、わたしはしだいに不可知論者になり、不信心になりましたが、それでも、現象の背後にある絶対的実在に関して、ハーバート・スペンサー〔Herbert Spencer(1820-1903)英国の哲学者、社会学者〕が実にうまく叙述する例の『漠然とした意識』を失ってしまったとまではいえません。わたしは子どもじみた神へのお祈りをしなくなり、定められた作法で神に祈ったこともあいませんが、それでも、ごく最近の体験によって、わたしが神と関係していたことがわかり、これは実質的に祈りと同じものですので、わたしにとって、この実在はスペンサー哲学のいう純然たる不可知存在ではありません。悩みごとがあるといつでも、とりわけ家庭内や仕事で他の人たちともめたとき、あるいは落ちこんだり、心配ごとがあったりしたとき、この基本的な宇宙規模の神と自分が結んでいると感じていた関係に、わたしは支持を頼っていたのだと、いまわかるのです。格別な悩みごとがあると、神がわたしの側にいたとでも、わたしが神の側にいたとでも、お好きなようにいってもよいのですが、その支えとなる根源的な存在を感じると、わたしは強くなり、無限の活力を与えられました。じっさい、神は生きた正義、真実、強さの涸れることのない源泉であり、弱さを感じたとき、わたしは神に救いを無意識に求め、神はいつもわたしを抜けださせてくれました。後年になって、神との交感による力が離れ、わたしはあくまでもはっきりした喪失を思い知らされていますので、いま、わたしは神との個人的な関係を結んでいたのだとわかります。神に頼ると、神が見つからないということはなかったのです。やがて、時によっては神が見つかるといった時期が到来し、それが数年間つづき、さらにその後、神との接触が完全にかなわなくなりました。ベッドで横になっても、心配で寝つけなかった幾多の夜をわたしは思い出します。暗闇のなか、わたしは展転と寝返りをうち、祈りを唱え、いつも身近にいて、回路をつなぎ、救いを与えてくれていた、わたしの心のなかの、あのより高いこころの親しい感覚をこころで探し求めましたが、電流は流れませんでした。神はなく、空虚のみでした。なにも見つけられません。五〇歳になろうとしているいま、神と接触するわたしの力はわたしを完全に離れました。偉大な救いがわたしの人生から去ったと告白しなければなりません。生は奇妙にもしおれ、味気なくなりました。いま、わたしは、わたしの古い体験はたぶん正統派のいう祈りとまさしく同じものであり、神をその名で呼ばなかっただけであると理解できます。わたしのいう『神』は、実質的にスペンサーの不可知存在ではなかったのですが、わたし自身の直感的で個人的な神であったのであり、わたしはより高い共感を神に求めていたのですが、なぜかわたしは神を失ってしまったのです」
宗教者の伝記を開けば、信仰が活気に満ちている時期と困難な時期とが交互に到来していると書いてあるのはごく普通のことです。おそらくすべての宗教的な人は、より直接的な真実のヴィジョン、たぶん生きた神の存在の直接的な理解が圧倒して、もっと平凡な信仰の退屈さを克服する格別な危機の記憶をもっています。ジェームス・ラッセル・ローウェル〔James Russell Lowell(1819-91)米国のロマン派詩人、外交官〕の書状に、次のような短い体験録が記されています――
「先週の金曜日の夕刻、わたしは啓示を得ました。わたしがメアリーのお宅にいて、(前に述べたように、わたしがしばしばなんとなく気づいていた)霊の実在について、たまたまなにか話していると、プトナム氏が割って入り、わたしと霊的な事柄について議論になりました。わたしが話していると、雲をつかむような運命が奈落の底から現れるようにして、宇宙全体がわたしの前に立ちあがりました。わたしの内部と私のまわりに神の御霊をこれほどはっきりと感じたことはそれまでありませんでした。部屋全体が神で満たされたように思えました。わたしが正体を知らないなにかの存在のため、空気は前後に揺らいでいました。わたしは預言者の平静さと明晰さをもって話していました。この啓示がなんであったのか、わたしはあなたに語ることができません。神をまだじゅうぶん研究していません。だが、いつの日か、わたしは研究を終えるでしょう。そのとき、あなたは神について聞き、その壮大さを認めることになるでしょう」[27]
[27] Letters of Lowell , i. 75.
聖職者の手書き書簡――スターバックの手稿コレクションからの引用――に、もっと長文の、もっと発展した経験の報告があります――
「わたしの魂が、いってみるなら、無限なるものへと広がり、内界と外界ふたつの世界が瞬時に融合したあの夜、そして丘の頂上のほぼ正確な位置をわたしは憶えている。それは深みに向けた深い呼びかけだった――わたし自身の苦闘が内部に開いた深遠が、星ぼしのかなたに届く、測りしれない外部の深遠に応答されていた。わたしは、わたしを、世界のすべての美を、愛を、悲しみを、そして誘惑さえもお造りになった彼とともに、ひとり立っていた。わたしは彼を求めなかったが、わたしの霊が彼の霊と完全に同調していることを感じていた。まわりのものごとに対する通常の感覚は失せていた。さしあたって名状しがたい愉悦と歓喜の他はなにも残らなかった。その体験を完全に説明するのは不可能である。それはなにかの偉大なオーケストラの演奏にも似て、個この音がひとつのハーモニーに溶けこんで膨れあがり、聴くものは自分の魂が吹きあげられ、魂自体の興奮でほとんど爆発しそうになるのを意識するほか、なにもかも忘れていた。夜の完全な静けさは、もっと荘厳な沈黙の興奮で震えていた。暗闇は、見えないがためになおさら感じられる存在を支えていた。わたしがいるよりもむしろ彼がそこにいることをわたしはもはや疑いえなかった。じっさい、もしありうるとすれば、二者のうちでわたしのほうがより非現実的であると感じていた。
「そのとき、神への最も深い信頼、神についての最も正しい考えがわたしのうちに生まれた。そのとき以来、わたしはヴィジョンの山のうえに立ち、わたしの周囲に永遠なるものを感じている。だが、その後、まったく同じこころの感動は訪れていない。だからわたしは、ありうるとすればあのときこそ、神に面と向かって立ち、神の霊によって新たに生まれたのだと信じる。思い起こせば、思想の、また信念の唐突な変化があったわけではなく、若いころの粗雑な考えが、いわば一気に花開いただけだった。以前のものが破壊されたのではなく、急激に、またみごとに展開したのである。あのとき以来、わたしが耳にした、神霊の実在の根拠に関する議論のどれも、わたしの信仰を揺るがしえない。いったん神の御霊の臨在を感じたからには、久しくそれを失うことはなかった。彼の実在をこのうえなく心強く示すわたしの証しは、あの至高の体験の記憶にある、あのヴィジョンのときに、そして、書を読み、黙想して得た、神を見つけた人すべてに同じことが起こったという確信に深く根ざしている。わたしは、当然、それが秘教的と名指されるかもしれないことと承知している。とやかくいわれても、わたしはそれを弁護できるほどには哲学に通じていない。それについて書くうちに、わたしはことばでそれを覆ってしまい、あなたの思いにそれを明晰に伝えていないと感じている。だが、つたないままに、いまのわたしにできるかぎりの注意を払って、それについて書いてみた」
次のものは、特徴がさらに明確ですが、筆者がスイス人ですので、フランス語の原文から翻訳したものです。[28]
[28] フルールノア教授の許可を得て、その豊かな心理学資料コレクションから拝借。
「わたしは申しぶんなく健康だった。わたしたちの徒歩旅行は六日目となり、順調だった。一昨日には、シクトを発ち、ビュエを経てトレント〔北イタリアの都市〕に到っていたが、わたしは疲れや飢え、渇きも知らず、精神状態は同じように良好だった。フォルラで自宅から吉報を受け取っていた。わたしたちには優秀なガイドがついていて、これからたどる道程には不安の兆しさえ見えなかったので、わたしには、身辺にも遠方にも、まったく心配することはなかった。わたしの状況は、落ち着いた状態とでも呼ぶのが最もふさわしかった。まったく唐突に、わたしはわが身が上方に揚げられる感覚を経験し――わたしは、自分が意識したままに記しているのだが――神の実在を感じたのであり、まるで神の善と力とがわたしを完全に貫いたかのようだった。感動のときめきがあまりにも荒あらしく、わたしを待っていないで、先に行ってくれ、とようやく仲間たちにいえただけである。もはや立っておられず、石のうえに座りこみ、目からは涙があふれでた。わたしは、人生の旅路において、神がわたしに神を知るように教えたもうたこと、わたしの命を支え、わたしのごとき取るに足りない被造物、罪ある者に憐れみをかけたもうたことを神に感謝した。わたしの人生が神の御旨をおこなうことに全うされますようにと熱心に懇願した。その日その日、慎ましさと貧しさのうちに神の御旨をおこない、いつ日か、人目につく形で証し人となるように召されるかどうかの判断を全能の神に委ねなさい、と神がお答えになったとわたしは感じた。すると、ゆっくりエクスタシー〔人間が神と合一した忘我の境地〕がわたしのこころを離れた。わたしは、神が賜られた交わりから神が離れられたと察し、歩けるようになったが、内心の興奮に強くとらわれたままだったので、歩みはとてものろかった。おまけに、数分の間、邪魔されずに涙を流していたので、両目が腫れあがったままであり、旅の仲間たちに顔を見られたくなかった。そのときは長くつづいたように思えたが、エクスタシーは、四、五分間のできごとであったようだ。仲間たちはバリヌの四つ辻で一〇分間わたしを待っていたが、わたしの憶えているかぎりでは、約三〇分待たされたといっていたので、彼らに追いつくのに二五ないし三〇分かかったのかもしれない。あの印象はあまりにも深遠だったので、わたしはゆっくり坂を上りつつ、シナイ山上のモーセ〔出エジプト記19以降〕でさえ、あれ以上に親しく神と交感することがありえただろうか、と自問したほどだった。わたしのこのエクスタシーにおいて、神には、形も、色も、香りもなく、味もなかった、とここに付記しておくのが適当であろうとわたしは思う。さらに、神の臨在の感覚には、限定的な局在感がなかった。むしろ、超自然的な霊の臨在によって、わたしの人間性が変容させられたかのようだった。だが、この親密な交わりを表現するために、ことばを探せば探すほど、わたしたちのいかなる日常的なイメージを用いても、このできごとを描写するのは不可能だ、といよいよ強く感じるのである。根本的には、わたしの感じたことを描写するための最善の表現は次のとおりだろう。神は、目には見えなくとも臨在した。神は、わたしの五感のどれにもとらえられなかったが、わたしの意識が神を悟ったのである」
形容詞「神秘的」は、厳密にいえば、たいていの場合、短期的な状態を表すために用いられます。いま例にあげた二人の人物が描写するような歓喜のときは、もちろん神秘的な体験であり、これについては、のちほどの講義でさらに言及しなければならないでしょう。さて、ここで、明らかに生まれつき燃えるような敬神の素質をもつ精神が神秘的または半神秘的な体験をした記録の抜粋があります。わたしはこれをスターバックの資料集からお借りしました。筆者の女性は、生前、反キリスト教作家として有名人だった人物の娘さんです。彼女の回心体験の唐突さは、ある種の精神にとって、神の現存の感覚がいかに天性の資質であるかをよく示しています。彼女が語るには、彼女はキリスト教の教義をまったく無視する環境で育てられたが、ドイツに滞在したさい、キリスト教徒である友人らに説かれて、聖書を読み、祈っていると、ついには、救済の計画が光の流れのように彼女のうえにひらめいたのです。彼女は次のように書きます――
「わたしは、いまにいたるまで、宗教や神の命令といちゃつくなどということを理解できない。わたしを召される父なる神の号令を聞いたその瞬間、わたしのこころは感謝の気持ちで弾んだ。わたしは走り、わたしは両手を前に突きだし、わたしは『わたしのお父さま、ここ、わたしはここよ』と大声で叫んだ。おお、しあわせな子ども、わたしはなにをすべきなのでしょう? 『わたしを愛しなさい』とわたしの神は答えた。『愛するわ。愛するわ』とわたしは情熱的に叫んだ。『わたしのほうへ来なさい』とわたしの神は召された。『そうします』といって、わたしの心はあえいだ。わたしは足を止めてひとつでも質問をしただろうか? いや、ひとつも。わたしはじゅうぶん善良かと聞いたり、わたしなんてふさわしくないとためらったり、わたしの思うような神の教会を見つけたり……あるいは、わたしが満ち足りるまで待ったりとか、そのようなことはわたしには起こらなかった。満足! わたしは満ち足りていた。わたしはわたしの神とわたしの父なる神を見つけたのではなかったのか? 神はわたしを愛されなかったのか? 神はわたしを召されなかったのか? わたしが入っていく教会はなかったのか?……そのとき以来、わたしは祈りへの直接回答を得てきた――とても意味あること、ほとんど神と対話し、神の答えをいただいているようなものだ。神は実在するという思いは、一瞬たりともわたしから離れたことはない」
さらにもうひとつ事例があります。書いた人は二七歳の男性で、その経験はたぶんほぼ同じように独特なのでしょうが、描写にいくらか精彩が欠けます――
「わたしは、多くのおりに神との親密な交わりの時期を享受したと感じてきた。これらの出会いは、願ったり予期したりしなくとも到来し、通常はわたしの生活を囲み覆っている慣習が一時的に拭い去られたときにだけ成立するようだった……それは、かつて高山の頂から溝が刻まれ波打つ景観が水平線の円弧まで広がる海に達するのを見渡していたときのことだったし、また別のおり、同じ地点から、わたしの眼下に果てしなく広がる白雲のほか、なにも見えず、雲の風に吹かれる表面からは、わたしのいる山頂も含めて、いくつかの高い峰が碇を引きずるようにして突き出ていたときのことだった。このようなおり、わたしが感じたのは、わたし自身の主体性の一時的な消失であり、それにはわたしが人生に加えてきたものよりも深い意義を啓示する光が伴っていたことである。このことにこそ、わたしは、自分は神との交わりを享受してきたといっても正当化しうる根拠を見出す。このような存在の欠如は、もちろん混沌であろう。わたしにとって、その存在を欠いた人生は考えられない」
スターバック教授の手稿コレクションにある、次のような実例は、習慣的であり、いわば慢性的な感じの神の臨在がどんなものか、理解するのに役立つかもしれません。これは四九歳の男性からのものであり――たぶん何千人もの気取らないキリスト教徒がほぼ異口同音の説明を書くことでしょう――
「わたしにとって、神は、いかなる思想、事物、人物よりも実在感がある。わたしは神の存在を明確に感じ、わたしの体と心に書き込まれている神の律法と親しく調和して生きれば生きるほど、わたしは、陽光のなか、雨のなかに神を感じる。快い安息と混じりあった畏敬の念が、わたしの思いに最も近い表現である。祈りと拝礼では、わたしは友に対するように神に語りかけ、わたしたちの交わりは愉快なものである。再三、神はわたしに答え、言葉が明確に語られ、わたしの外的な耳がその口調を伝えたように思えることも多いが、たいがい強い精神的印象として伝えられる。通常、聖書の言葉であり、神の新しい考えかた、わたしに対する神の愛、わたしの安全に対する神の配慮が明かされる。学校問題、社会問題、金銭的困難などについて、わたしは何百もの例をあげることができる。神はわたしのもの、わたしは神のものということは、わたしを離れることがなく、それが変わらぬ喜びである。これがなければ、人生は、空白であり砂漠、寄る辺ない人跡未踏の荒野となるだろう」
さまざまな年齢や性別の書き手による実例をさらにいくつか追加してみましょう。やはり、スターバック教授のコレクションのものであり、その数は膨大になります。次にあげる最初の例は、二七歳男性のものです――
「わたしにとって、神はまったくの現実存在である。神に語りかけると、しばしば答が得られる。神に指示を仰ぐと、わたしが思っていたものとは異なる唐突な考えがこころに浮かぶ。一年あまり前の何週間か、わたしは極度の難局にあった。困難がわたしの面前に持ちあがった当初、わたしは茫然自失していたが、ほどなく(二、三時間後)『わたしの恵みはあなたに十分である』〔コリントの信徒への手紙二12・9〕という聖書の一句が耳にはっきり聞こえた。わたしの思いが困難に向かうたび、この引用句を聞くことができた。神の存在を疑ったり、わたしの意識から神を欠落させたりしたことはないとわたしは思う。神は頻繁にわたしの問題に非常に知覚できる形で介入し、いつでも、こまごまとした多くの指図をなさっているとわたしは感じている。だが、二度か三度、神はわたしの野心や計画とは非常に相反する道をわたしに指示したことがある」
もうひとつの記事は(決定的に子どもじみてはいますが、心理学的に価値が低いということはなく)、一七歳の少年が書いたものです――
「教会に行くとときどき、わたしは座って、礼拝に参加しますが、退出する前、神がわたしとともに、わたしのすぐそばにいて、わたしと一緒に詩篇を読んだり歌ったりしていると感じます・・・・・・するとまた、わたしは神のそばに座り、神に腕を回して、神にキスする、などとできるかのように感じます。祭壇で聖餐を受けるとき、わたしは神と一緒になるように努め、たいがい神の存在を感じます」
次に、無作為にいくつか続けてみましょう――
「神は物理的な大気のようにわたしを取り巻いている。神はわたし自身の息よりも身近である。文字どおり神のなかに、わたしは生き、動き、わたしの存在を維持している」――
「わたしが神ご自身の臨在のうちに立ち、神に話しかけているように思える時があります。祈りへの回答が、ときには直接的で圧倒的に神の実在と全能の啓示のうちに与えられます。神が遠く離れていると思えるときがありますが、それはいつもわたしの過ちのせいです」――
「わたしの頭上に舞う、強力であり、また同時に慰めとなる存在の感覚をわたしはもっています。時には、その力強い両腕がわたしを包みこんでいるようです」
こういうのが存在にまつわる人間の想像であり、こういうのが想像の産物の説得力なのです。想像を絶した存在が現実のものとされ、ほとんど幻覚と同じ強さで実在化されます。そのような存在がわたしたちの生きかたにかかわる態度を左右するわけですが、それは、恋人たちのそれぞれが、この世に恋の相手が生きているという不断の思いに取り付かれ、それによって生きかたにかかわる態度が左右されているのと同じぐらい決定的です。みなさん、よくご存知のように、恋する男たるものは、別のことに気を取られ、恋人の姿かたちを思っていないときでさえ、憧れの君はこの世界にいると思っているものです。恋する男は恋人を忘れられません。いついかなるときも恋人はあくまでも魅了します。
わたしはこのような実在感の確信させる力について語りましたが、この点に関してもう少し論じなければなりません。この実在感には、それを感じる当人にとって、知覚しうるものの直接体験と同じほどの納得させる力があり、また概してその説得力は単なる論理のみで証明する結果のそれよりもずっと強いのです。なるほど、まったくこれなしにすませられるかもしれません。おそらく、聴講のみなさんのうち、これをいささかも持たない人は一人や二人ではないでしょう。だが、実在を感じるなら、いやしくも強く感じるなら、みなさんはこれを真理の紛れもない知覚であり、一種の現実の啓示であるとみなさないわけにはいかず、なんと論難されようとも、ことばでは答えようがなくとも、信念を捨てることはできません。哲学の分野における神秘主義に反対する見解は、ときに合理主義として語られています。合理主義の立場では、わたしたちのあらゆる信念は最終的にそれ自体の根拠を見つけるべきであると主張します。合理主義にとって、そのような根拠は次の四つの要件で成り立たなければなりません。すなわち、(1)明確に説明できる抽象的原則、(2)知覚しうる明確な事実、(3)そのような事実にもとづく明確な仮説、そして(4)論理的に引き出せる明確な推論です。合理主義的体系のプラス面を見れば、あらゆる哲学上の果実だけでなく、自然科学も(ほかのよいものと同じく)その成果なので、これは確かにすばらしい知の傾向なのですが、定義できないものの漠然とした印象は、そこに受け容れられる余地がありません。
それでも、あるがままの人間の精神生活の全体、学習や科学とは別に人間の内部にあって、人間が内面的かつ個人的に営んでいる生きかたを見つめれば、合理主義で説明できる部分はかなり皮相的なものであるといわざるをえません。それは多弁であり、みなさんに証拠を要求し、理屈をこね、みなさんをことばで追い詰めますので、疑いなく威勢のいい部分です。それでもやはり、沈黙の洞察がその結論に反するなら、みなさんを信服させたり転向させたりできないでしょう。みなさんにいやしくも洞察があるとすれば、それは、合理主義が巣食う口数の多いレベルよりも深く、みなさんの本質のレベルから出てくるのです。みなさんの潜在意識的な生、みなさんの衝動、みなさんの信仰、みなさんの要求、みなさんの勘が、根拠を用意したのであり、いまやみなさんの意識はその根拠の結果の重みを感じているのです。また、どれほど巧妙なものであっても、その結果に反する理屈好きな合理主義のおしゃべりよりも、その結果のほうが真実でなければならないとみなさんの内部にあるなにものかが断固として知っているのです。合理主義が宗教賛成論を説く場合でも、反対論を説く場合でも、合理信仰論の基礎として、このように合理主義レベルが劣っていることはやはり明白です。自然界の理法に見る神の存在の証拠に関する、あの膨大な数の書物は、一世紀前、圧倒的な説得力を誇っていたようですが、今日では、わたしたちの世代が、その文献が論じた類いの神を信じるのをやめてしまったという単純な理由により、図書館でもっぱら埃をかぶっています。わたしたちがなぜ知っているかは、他人に対しても、わたしたち自身に対しても、ことばでは明らかにすることはまったくできませんが、神がどのような類いの存在であっても、わたしたちの祖父たちがあれほど満足を感じていた神の“栄光”を明らかにすることを意図した“仕掛け”の外的な発明者では二度とありえないことを、今日のわたしたちは知っています。神が存在するとすれば、彼はあの存在よりも宇宙的であり、悲劇的な人格であるとする、みなさんの宗旨については、ここにいるみなさんのうちのどなたにも完全には説明できないはずだとわたしは思います。
真相としては、形而上学および宗教の領域において、明瞭な理性は、現実に対する不明瞭な感覚が同じ結論に有利なように認識される場合にのみ、わたしたちに説得力があるのです。そのとき、ほんとうに、わたしたちの直感とわたしたちの理性とが一致協力し、仏教やカトリック哲学のような、世界を律する偉大な体系が育つのです。わたしたちの衝動的な信仰は、ここでは常に真理の原初的な根幹を設定するものであり、わたしたちの明瞭に言語化された哲学は、人目を引く定式への翻訳であるにすぎません。理にもとづかない直感的な確信は、わたしたちのうちにある深いものであり、理にもとづく論議は表面的な展示物にすぎません。直感が先導し、知性は後追いするにすぎません。わたしの引用例にならって、ある人が生きた神の存在を感じるなら、みなさんの批判的な論議がどれほど優れていようとも、その人の信仰を変えようとするのは無駄というものです。
だが、ご留意をお願いしたいのですが、宗教の領域において潜在意識的で非合理的なものがこのように首位に立つのがよいことであるとはわたしはまだいっていません。わたしは、そういうものが首位に立っていることを事実として単純に指摘するだけにしておきます。
信仰対象にまつわるわたしたちの現実感については、これぐらいにしておきます。ここで、この信仰対象が典型的に促す態度についてもうひとこと、簡潔に述べさせていただきます。
それが厳粛なものであることは、すでにわたしたちにわかっています。その最も顕著なものは、絶対的な自己放棄による極端例という結果を招きかねない類いの喜びであると考える理由も見ました。降伏の対象となるものの種類の感覚は、喜びの厳密な性格を決定するうえで重要な役割を果たしています。また、現象全体が複雑であり、単純な公式には収まりません。この主題に関する文献では、悲しみと喜びとが交互に強調されています。神がみの最初の創造主は恐怖であったという昔からの言い伝えは、宗教史のあらゆる時代をとおして、大いに補強されています。それでもなお、宗教史は喜びが演じる役割をさらに多く示してきました。時には、喜びが首位に置かれます。時には、第二位に恐怖からの解放のうれしさが置かれます。後者の状態は、より複雑であり、またより完全なものなのです。講義を進めるにつれて、要求される寛大な見解をもって宗教を見つめるなら、わたしたちには、悲しみと喜びとのどちらをも無視することを拒むだけの理由がどっさり見つかることになるとわたしは思います。可能なかぎり完璧なことばで述べれば、人間の宗教は、その人の存在の収縮の傾向と拡大の傾向との両方を伴っています。しかし、これらの傾向の量的配分や順序は、世界の時代により、思想の体系により、個人個人により、とても大きく異なっていますので、みなさんは、ことの本質として、不安や服従を主張してもよいし、平安や自由を主張してもよいのであって、どっちであっても実質的に真実の限界内にとどまっておられるのです。体質的に陰気な観察者と体質的に陽気な観察者とでは、対象を目の前にして相反する側面を強調せざるをえないのです。
体質的に陰気な宗教者は、彼の宗教的平安さえをも非常に抑制されたものとします。いまなお危険があたりの空中に漂っています。屈折と収縮は完全には抑えられていません。救済されたとしても、弾けるように笑いさざめいたり踊りまわったりして、枝で狙っている鷹をすっかり忘れてしまうのは、小雀や子どもの所業になります。身を低めるのです。むしろ、身を低めるのです。あなたは生ける神の手のうちにあるのですから。たとえば、『ヨブ記』では、人間の無力と神の全能がもっぱら著者の心の重荷になっていました。「高い天に対してなにができる。深い陰府についてなにを知る」〔ヨブ記11-8〕 この信念の真実には、ある種の人たちが感じとれる苦い味わいがあり、また彼らにとっては、これは宗教的な喜びにいたる道に程近いものなのです。
あの冷徹なまでに誠実な作家、『マーク・ラザフォード』の著者〔ウィリアム・ヘイル・ホワイトWilliam Hale White(1831-1913)英国の作家〕は次のようにいいます――
「ヨブ記において、神は、人間が彼の創造の尺度ではないことをわれわれに思い起こさせる。世界は巨大であり、人間の知力が把握できる計画や理論にもとづいて建造されているのではない。世界はどこもかしこも超越的である。これが、ヨブ記のあらゆる章句の趣旨であり、秘密がひとつあるとしたら、秘密なのだ。満足するにしろ不満足であるにしろ、他にはなにもない……神は偉大であり、われわれには神のはからいを知るよしもない。神はわれわれのもつものを取り上げるが、それでも、われわれが忍んでわれわれの魂を保つなら、影の谷を通りすぎ、ふたたび陽光のうちに出るかもしれない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない!……二五〇〇年を超える昔、神が旋風のなかから語ったからには、いま、われわれが語るべきことは他になにがあるのだろうか?」[29]
[29] Mark Rutherford’s Deliverance, London , 1885, pp. 196, 198.
それにひきかえ、陽気な観察者に目を転じると、重荷がすっかり取り除かれ、危険が忘れ去られなければ、救済は不完全であると感じられるということに気づきます。こういう観察者は、これまで述べてきたような陰気な精神にとって、宗教的平安を単なる動物的な喜びとはまったく違ったものにする厳粛さをことごとく無視すると思えるような定義をわたしたちに示します。ある作家たちの意見では、犠牲や降伏の気配がなくても、腰をかがめたり頭を下げたりしなくても、なんらかの態度は宗教的とされうるのです。いかなるものであれ「慣習化され定式化された賛美は、宗教と呼ばれるに値する」[30]とJ・I・シーリー教授〔John Robert Seeley(1834-95年)ケンブリッジ大学の歴史家。『英国膨張史』著者〕は言います。したがって、わたしたちの音楽、わたしたちの科学、わたしたちのいわゆる「文明」も、これらのものがいまでは組織化され、熱烈に信じられていますので、わたしたちの時代の純正な宗教をいよいよ形成しているのです。確かに、ホチキス銃などに訴えて、わたしたちの文明を“低級”な民族にもたらさなければならないとする、ためらいも合理もない考えかたは、剣によって宗教を広めんとする古のイスラム精神そのものを思い起こさせます。
[30] (わたしにすれば、あまりにも読まれていない)彼の著書、Natural Religion, 3d edition, Boston, 1886, pp. 91, 122からの引用。
前回の講義で、ハヴロック・エリス氏のウルトラ極端論、笑いは魂の解放を証しするので、いかなる類いの笑いも宗教行為と考えてもよいとする見解をみなさんに紹介しました。これを紹介したのは、その妥当性を否定するためでした。だが、いまや、この楽観的な思考様式全体をもっと慎重に扱わなければなりません。無造作に決めつけるには、あまりにも複雑なのです。そこで、次からの二回の講義のテーマを宗教的楽観主義とすることにします。
0 件のコメント:
コメントを投稿