2011年10月19日水曜日

和田不及アート展 2011・10・19

不及 aka 和田至紘 会津坂下町・光照寺















東本願寺真宗会館 広報誌『サンガ』2000年9月号
[三分間法話] 神国「日の丸」から、仏国「悲の丸」へ

日月を 越えて
はたらく 仏(ほとけ)かな

今や、「日の丸」と言えば国旗。国歌と言えば「君が代」。昨年の小渕内閣において、ほとんど論議されぬまま、あたふたと法制化されてしまったのであります。国は、無自覚、無反省のままに…。そして、ちょっぴり批判したつもりでさしたる抵抗もなく受け入れてしまった私どもの不甲斐なさも露呈されてしまいました。そして時は刻々と21世紀へと針を突き進みつづけております。

私は子供の頃から、日出づる国の象徴ともされ、自賛してきた美しい旗、日の丸に酔いしれてきた一人です。事あるごとに日の丸を高々と掲げ、そのはためきに感動してまいりました。ところが、十五年戦争と言われる全世界を巻きこんだ大戦によって誇るべき日の丸は筆舌につくしがたい、尊い「いのち」の痛ましい鮮血をもって染められてしまったのでした。

私の好きだった美しい日の丸をひきずりおろしてくれたきっかけとなったのは、1985年(昭和60年)中曽根首相(当時)の靖国神社公式参拝宣言からでした。彼は、「公式参拝せずして、誰が御国のために命を捧げましょうか」と、そして更に「わが国家・国民は過去の汚濁を捨て、常に栄光に向かって進むべきである」と演説したのです。一方、その同じ年、西ドイツの大統領ワイツゼッカー氏のドイツ国会での演説は「過去に眼を閉ざすものは、現在をも見失ってしまうだろう」と。更に「わがドイツ国民はヨーロッパの国々、とりわけポーランドをはじめとする近隣諸国に対しては加害者であることを決して忘れず、永遠に心に刻みつづけなければならない」と。ナチス民族主義政権下で、犠牲となった当のドイツ国民の言い知れぬ悲しみと痛みを共にしながらもドイツ国民の義務として決然と訴えたのです。万場、嵐のごとき拍手をもって感動の波が起こり、その波はうねりとなって、もれることなくわが日本にも押し寄せたのでした。当時、この演説を受けて土井たか子社会党党首(当時)が国会でわが国の今後の進むべき方向を糾(ただ)したのでした。聞き方にまわった自民党の竹下幹事長(当時)もまた心を揺さぶられ感動の拍手を送ったことは記憶に新しいことです。

さて、かくして「日の丸」は神の国の旗印として認識されつつも、同時に日本の内外より新たなる「人民の、人民による、人民の歌・旗を!」の声が湧きおこってきたのは必然でありました。

時は、瞬(またた)く間に20世紀末に近づいた昨1999年8月末のこと。何気なしに見ていたテレビ画面に突然釘づけにされたのです。それは中近東だけに観測されたという「皆既日食」の映像でした。真っ黒にぬりつぶされたかに見え、更にその影からは喘(あえ)いでいるかのごとき「コロナ」のゆらめきが強烈なインパクトをもって脳裡(のうり)に焼きつけられたのです。そして同時にそこから「日本の皆さん、ほんの瞬時だけでいいのです。静かに眼(め)を閉じて、心の眼(まなこ)を開けてごらんなさい。きっと、あなたたちにも、消し忘れ去ることのできない、悲しい過去の足跡が見えてくるでしょう。さ、勇気をもって、そしてこの現象(すがた)をあなたたちの象徴幟(しるしばた)になさい」そんな声が聞こえたのです。その瞬間私の中に仏国旗「悲の丸」が誕生したのでした。

2011年10月1日土曜日

サカキ ナナオ 『祈る』









サカキ ナナオ
2008年12月24日逝去
種として
ホモサピエンスは
ゴーマン

歴史として
20世紀は
ゴーマン

国として
日本は
ゴーマン

人間として
私は
ゴーマン

では 歩いて ゴミタメに 戻ろう











2011年9月27日火曜日

W.ジェームズ『人それぞれの信仰体験』まえがき・目次




凡例: [原注] 〔訳注〕 リンク: Preface Contents
人それぞれの信仰体験
人間性の研究
一九〇一年から〇二年にかけてエディンバラ大学で講じられた
自然のままの宗教に関するギフォード講義
ウィリアム・ジェームス

子としての感謝と愛をこめて
E・P・G〔*〕
Elizabeth Putnam Gibbens=ウィリアム・ジェームスの義母〕

まえがきPreface

わたしがエディンバラ大学における自然のままの宗教に関するギフォード講義〔*〕の講師に指名されるという栄誉に浴すということがなかったなら、本書が執筆されることはなかったはずである。かくしてわたしが担当することになった、それぞれ一〇回の講義からなる二課程それぞれの主題についてあれこれ考えた結果、第一課程は「人間の宗教欲求」に関する叙述的なもの、第二課程は「哲学による宗教欲求の充足」に関する形而上学的なものとするのが適当であろうとわたしには思われた。しかし、執筆を始めてみると、心理学的なことがらが思いのほか大きく(ふく)れあがってしまい、その結果、二番目のテーマは永久に先送りとなってしまい、いまや、人間の宗教気質に関する叙述が二〇回の講義を占めてしまった。第二〇講において、わたしはわたし自身の哲学的な結論を述べるというより、示唆しておいたので、読者がただちにこれを知りたいと思われるなら、本書五〇一から〇九頁、それに「あとがき」をお読みになるとよい。今後いつの日か、同じテーマをもっと明確な形で論じることができるようになることをわたしは願っている。
〔スコットランドの法律家アダム・ギフォード〔Adam Gifford1820-87)〕の遺志と基金により、スコットランドの諸大学が合同で主宰している自然神学についての連続講座〕
個別事例に幅広く親しんだほうが、どれほど深遠であっても抽象的である公式をものにするよりも賢くなれるというわたしの信念にもとづいて、わたしは講義に具体的な実例を数多く盛りこみ、それを宗教的な気質の極端な表現のなかから選んだ。そのため、読者のみなさんのなかには、半分もお読にならないうちに、わたしが講義の主題を戯画化(ぎがか)していると思われる向きもいらっしゃるかもしれない。しかし、我慢して最後までお読みになれば、このような好ましくないという印象は消え失せるであろう。なぜなら、最後のところで宗教衝動をほかの良識的な原則と結合させるので、それが誇張を矯正するのに役立つからであり、読者はそれぞれ思いのままに穏当な結論を引き出すこともできるようになるだろう。
講義執筆にあたり、スタンフォード大学のエドウィン・D・スターバックEdwin D. Starbuck1866-1947)〕には手稿資料の膨大(ぼうだい)なコレクションをわたしに譲渡(じょうと)してくださり、お会いしたことはないが、友人であることは確かなイースト・ノースフィールドEast Northfield:米マサチューセッツ州〕在住のヘンリー・W・ランキンHenry W. Rankinには貴重な資料をいただき、ジュネーブのシオドア・フルーノアTheodore Flournoy1854-1920)心理学者〕、オックスフォードのカニング・シラーCanning Schiller、わたしの同僚、ベンジャミン・ランドBenjamin Rand1827-83)医学者〕には記録文書をいただき、わたしの同僚、ディキンソン・S・ミラーDickinson S. Miller、友人たち、ニューヨークのトーマス・レン・ウォードThomas Wren Ward、近ごろクロクフCracowポーランド〕にご在住のヴィンセントリ・ルトスラウスキWincenty Lutosławski1863-1954)哲学者〕は、重要な提案と助言をお寄せくださったので、ここに感謝を申しあげたい。最後に、故トーマス・デヴィットソンThomas Davidson1840-1900)スコットランド出身の哲学者〕には、キーン渓谷Keene Valleyを望むグレンモアGlenmoreニューヨーク州〕において重ねた会話と蔵書を使わせていただいたことについて、わたしの受けた恩義は筆舌につくしがたい。
ハーヴァード大学にて
一九〇二年三月

目次CONTENTS

まえがき
はじめに: 講座のテーマは人類学ではなく、個人文書を対象とする――事実問題と価値問題――事実として、宗教者は神経症患者であることが多い――宗教性欲起源説に反論する――こころのあらゆる状態は、神経系に条件づけられている――こころの状態は、起源ではなく、その果実の価値によって検証されなければならない――価値の三基準、起源は基準として無価値――優秀な知性に精神病的気質がともなう場合の利点――とりわけ信仰生活にとっての利点 
宗教の単純な定義は無益――単一特定の「宗教感情」はありえない――制度的宗教と私的宗教――この講座では私的なものだけを扱う――この講座の目的にかなった宗教の定義――「神聖」という用語の定義――神聖なる存在とは、厳粛(げんしゅく)な反応を促すもの――明確な定義を提示するのは不可能――できるだけ極端な事例の研究が必要――宇宙を受け入れる二つの方法――宗教は哲学よりも熱烈――宗教の性格は厳粛な感情への熱望――不幸を克服する宗教の能力――そのような能力の生物学的観点からの必要性 
知覚対象 VS 抽象概念――抽象概念が信念におよぼす影響力――カントの神学的純粋理性――わたしたちは特殊感覚に与えられたもの以外に現実感をもつ――「現存感」の例――実在しないものの感触――神聖なるものが現存する感覚:その例――神秘体験:その例――その他の、神が現存する感覚の事例――理性にもとづかない体験の説得力――信念確立にさいする合理主義の劣等性――個々人の宗教的態度において、熱狂または厳粛さのどちらかが肝要
幸福が人間の主な関心事――“一度生まれ”人格と“二度生まれ”人格――ウォルト・ホイットマン――ギリシャ人の感覚の混じりあった性質――意図による健全なる精神――健全なる精神の合理性――リベラルなキリスト教がそれを示す――通俗科学が鼓舞する楽観主義――“精神療法”運動――その信条――事例――その悪に対する教義――そのルター派神学との類似――リラクセーションによる救済――その手法:暗示――瞑想――“黙想”――検証――宇宙に対するありうる適応の枠組みの多様性――付録:二件の精神療法事例
健全な精神と()い改め――健全な精神の哲学の基本的な多元論――病んだ精神状態、その二つのレベル――人それぞれに異なる苦痛(いき)――自然のものごとの不確かさ――すべての人生の失敗、またはむなしい成功――あらゆる純粋自然主義の悲観論――古代ギリシャ・ローマ世界観の絶望――病的な不幸――「アンヘドニア」〔快感脱失症〕――ぐちっぽい(うつ)――活力は純然たる贈り物――活力を失えば、物質世界の外観は変わる――トルストイ――バニヤン――アリーン――彼らの事例の救済には超自然的な宗教が必要――健全な精神状態と病的状態との反目――悪の問題は避けられない 
異種混交人格――人格は段階的に統合を達成する――分裂した自我の例――統合の達成は宗教的である必要がない――“逆回心”事例――その他の事例――段階的および突発的な統合――トルストイの回復――バニヤンの回復
スティーヴン・H・ブラッドリーの事例――人格変革の心理学――情緒の興奮は人格エネルギーの新たな中枢を生みだす――その回路の説明――スターバック、回心を通常の倫理的成熟に例える――リューバの考え――回心に縁のない人びと――二種類の回心――誘因の潜在意識的な成熟――自己放棄――その宗教史における重要性――事例 
突発的な回心の事例――突発性が必須条件なのか?――否、回心は心理学的特異性によって決まる――実証された超周縁的、または潜在的意識――「自動作用」――瞬時の回心は当人の活動的な潜在意識自我の保持に原因があるようだ――回心の価値はその経過にあるのではなく、果実にある――瞬時の回心の場合に果実が優れているということはない――コー教授の見解――結果としての聖別――当講座の心理学的説明は神の直接存在を排除しない――ハイアーパワーによる支配の感じ――情緒的な「信仰状態」の知的信念に対する関係――リューバによる引用――信仰状態の特徴=真実の感覚、世界が改まる――感覚の自動作用と運動器官の自動作用――回心の永続性
第一一・一二・一三講  聖性について
第一四・一五講  聖性の価値
第一六・一七講  神秘主義
第一八講  宗教哲学
第一九講  その他の特性
第二〇講  結論
*****
原書は著作権の保護期間が満了しているため、パブリック・ドメイン
©inoue toshio

2011年5月15日日曜日

異界を旅する友への手紙

ポン

久しぶりだね。ずいぶん前、新しいミレニアムを迎えるころのポンのことば「なにがあっても、驚くな」をふと思いだして、便りを書くことにした。

だけど、今度だけは心底から驚いた。その昔、スリーマイル・アイランド事故のときも、チェルノブイリ核災害のときも驚いたし、深刻にも受け止めていたが、どこか遠い土地のできごと、対岸の火事という気持ちもあった。だが、今回のフクシマ311原発震災は、当地・郡山市から東方わずか60km、マサイ、ボケたちの獏原人村のすぐ近くで勃発したのだ。これには、こころの底から驚いた。

奄美・枝手久闘争のさなか、徳之島MAT計画の発覚が、ポンやぼくたちの原発問題を学ぶきっかけになったが、いまになって改めてぼくは身近でリアルな放射能汚染や被曝地棄民政策との闘いの現場に身を置くことになった。

ここ郡山市福島市では学校生徒や保育園児たちが放射能被曝の危険にさらされ、放置されている。原子力安全委員会が責任を取らないまま、文部科学省が福島県教育委員会に通知した校庭・園庭活動における“暫定”許容基準20ミリシーベルト/年、すなわち3.86マイクロシーベルト/時、これは文部科学省管轄の放射線障害防止法が定める原子力発電所などでの「放射線管理区域」、関係者以外立ち入り禁止区域、事業者が作業員の被曝放射線量を管理することを義務づけられた区域の基準値0.6マイクロシーベルトの実に6倍超という無法・違法で恐ろしい代物! そして、学者たちやメディアが垂れ流す安全宣伝、手をこまねいて「風評被害」のみを心配する県知事とその官僚機構。

さて、奄美の清らかな海岸や野山で神話的現在を生きる感覚を養ったが、いままた、もっとダークではあるが神話的現在を生きる羽目になったようだ。ぼくの闘いは、孤立した若い母親たちに微力をささげること。たとえば、ぼくのAA仲間、ある女性が、子どもを保育園に行かせるのを怖がったが、両親には怪訝がられ、母親仲間からは笑われていた。ここにぼくの働き場所がある。そしてみずから学び、情報と知識を武器として原発複合勢力に挑むこと。仲間たちのネットワーク構築の一助になること。

フクシマ311震災現場がいつ終息するのか、先行きはまだ見えないように、ぼくたちの展望もまだ不透明だ。だが、あきらめずに挑みつづけてゆくこと、これだけが暗闇のなかに希望を求める道。

この闘いのためにTwitterIDを取得した。ポンのいる場所でもネットにつながるなら、覗いてみてほしいものだ。

Twitter ID: yuima21c

それでは、また。


(注)本稿は、『ポン(山田塊也)追悼掲示板』サイトに投稿したもの。

http://pon-iamhippie.bbs.fc2.com/

異界の

2011年5月9日月曜日

原爆の子 (11・05・08改訂版)

≪ 原爆の子 ≫




    



1 原子力発電 原爆の子 平和の孫ではありません

  それが何より証拠には やがて火をふく灰が出る 

2 チェルノブイリの死の灰は 今日も世界をまわります

  それが今夜のおかずにも まぎれこんでるアア怖い

3 フクシマ原発「想定外」 冷却機能が全滅で

  街も村も汚したよ 今日も汚染水の垂れ流し

4 やめてください「暫定値」 子どもの命が危ないよ

  親の務めさ なによりも 子どもの未来を守りましょう

5 きれいな野菜を食べたいな きれいな空気を吸いたいな

それにはなにより私たち 声をあげて求めましょう

6 やめてください原発を 平和な世界をつくりましょう

それにはなにより私たち 平和な生き方さがしましょう

(7)ごらんよ山の緑を 飲もうよ水の清らかさ

    空も野原も美しい 想えよ生きてる喜びを

(8)脱原発の私たち ステキなあなたと会えるのさ

    それが何よりすばらしい 共に楽しく生きていこう。

「オタマジャクシは カエルの子」の替え歌です。

作詞 : 会津・原発なしで暮らし隊 

  (1986初版 20110508改訂)

 流言飛語は止めましょう:【ほあんいんぜんいんあほ】

2011年5月5日木曜日

郡山市あて、放射線被害防護に関する意見

郡山市総合政策部 広聴広報課 御中
kocho@city.koriyama.fukushima.jp 

郡山市長はじめ郡山市職員のみなさまには、311東日本大震災および福島第一原子力発電所事故という未曾有の事態のなか、市民生活を守るために最善のご尽力をしていただいているものと察し、敬意を表明します。

さて当メール標題の件に関し――

福島県放射線健康リスク管理アドバイザー、山下俊一長崎大学大学院教授の二本松市における講演を聴講しましたが、その講演内容は;
「年間100ミリシーベルト以下のレベルであれば、健康にまったく影響をおよぼさない」
「年間20ミリシーベルト程度であれば、マスクの必要はない」
「遺伝子には修復作用がある」など、
放射線医学の知見を無視した、聞くに堪えないひどいものであり、
「完全に安全でないとしても、私はみなさんに安心していただくためにこうして話している」とおっしゃるとおり、放射線健康リスク管理アドバイザーというよりも、むしろ放射線健康「安全」「宣伝」アドバイザーと呼ぶにふさわしい代物でした。

ご承知のように、文部科学省による通知にもとづいて、学校校庭などで採用されている使用安全基準「1時間あたり3.8マイクロシーベルト(年間20ミリシーベルト)」の正当性が、原子力安全委員会などの中央政府機関でとりざたされているとおり、残念ながら山下俊一氏は放射線健康リスク管理アドバイザーとしてまったく不適格といわざるをえません。

よって、わたしは市民として、郡山市が福島県および内閣・文部科学省に「20ミリシーベルト/年」基準の見直しを迫るように求めるとともに、とりあえずの措置として、郡山市ウェブサイトのリンク;

【山下氏記者会見】環境放射能が人体に及ぼす影響等について<3月20日福島県発表>
http://www.city.koriyama.fukushima.jp/upload/1/2061_housynou-risk.pdf 

【山下氏など出演テレビ番組】福島県からのお知らせ 「放射線と健康リスク」(動画:福島中央テレビサイトへのリンク)
以上2点を早急に削除なさるように要望いたします。

なお、当意見に関する措置について、わたし宛てにご通知くださるようにお願いします。

2011年4月29日金曜日

緊急宣言20110429

緊急宣言

2011429

「全ての原発をハイロに!」

この集いに参加した、わたしたち一同は次のように宣言します。

1.メディア総動員の原子力発電所「安全」キャンペーンにもかかわらず、福島第一発電所は史上最大級レベル7の事故を起こしました。この人災を「想定外」の事故、天災だったという言い訳で許すことはできません。

2.政府は一般公衆の年間放射線被曝許容限度を1ミリシーベルトとする法的な基準をほごにし、避難基準を年間20ミリシーベルトに引き上げました。わたしたちは、ゆえなく許容限度を超える被曝を強いられることを黙認するわけにはいきません。

3.文部科学省は、1時間あたり放射線量3.8マイクロシーベルトを超えない学校や保育所などの校庭・園庭における生徒や児童の通常活動を認めると福島県に通知しました。この放射線量は、文部科学省主管の法令にもとづく放射線管理区域設置基準値0.6マイクロシーベルトの6倍を超えています。わたしたちは、子どもたちに異常な被曝を強いる文部科学省の違法な措置を見過ごすわけにはいきません。

4.郷土と健康を破壊する原子力発電所事故にもかかわらず、原子力発電所「必要」キャンペーンが進められています。2010年時点で、世界の自然エネルギー発電総量が原子力発電総量の世界合計を超えたことを知っている私たちは、だまされるわけにはいきません。

わたしたちは、子どもたちを、わたしたち自身を守ります。

わたしたちは、新しい世界を創るために行動します。

「全ての原発をハイロに!トーク&音楽」の集い参加者一同

原爆の子

≪ 原爆の子 ≫

1 原子力発電 原爆の子 平和の孫ではありません
  それが何より証拠には やがて火をふく灰が出る。 
2 出てきた死の灰世界中 グルグルまわって汚します
  空気も水も汚れます 雨降りゃ毛が抜け病気出る。
3 チェルノブイリの死の灰は 今日も世界をまわります
  それが今夜のおかずにも まぎれこんでるアア怖い。
4 プルトニウムの半減期 24100年
  安全になるまで100万年 遠い未来まで恐ろしい。
5 フクシマ原発「想定外」 冷却機能が全滅で
街も村も汚したよ 今日も汚染水の垂れ流し   
6 やめてください原発を 平和な世界をつくりましょう
  それにはなにより私たち 平和な生き方さがしましょう。
(7)ごらんよ山の緑を 飲もうよ水の清らかさ
   空も野原も美しい 想えよ生きてる喜びを。
(8)反原発の私たち ステキなあなたと会えるのさ
   それが何よりすばらしい 共に楽しく生きていこう。
♪.♪「オタマジャクシは カエルの子」♭の替え歌です。
作詞 : 会津・原発なしで暮らし隊 
(1986年初版)
 【流言飛語は止めましょう】たとえば → ほあんいんぜんいんあほ

2011年4月25日月曜日

放射線管理区域豆知識と福島県あて文部科学省通知

放射線管理区域 【出展:ウィキペディア】

放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律による管理区域

外部放射線に係る線量が文部科学大臣が定める線量を超え、空気中の放射性同位元素濃度が文部科学大臣が定める濃度を超えるおそれのある場所[1]

1]放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律施行規則第1条第1

管理区域の設定基準 [編集]

外部放射線に係る線量については、実効線量3月あたり1.3mSv

1.3Sv3ヶ月 = 約0.602マイクロシーベルト/時

管理区域における事業者の措置

  1. 事業者は、必要のある者以外の者を管理区域に立ち入らせてはならない。
  2. 事業者は、管理区域内の労働者の見やすい場所に、放射線測定器の装着に関する注意事項、放射性物質の取扱い上の注意事項、事故が発生した場合の応急の措置等放射線による労働者の健康障害の防止に必要な事項を掲示しなければならない。
  3. 事業者は、放射線装置室放射性物質取扱作業室、貯蔵施設又は保管廃棄施設について、遮へい壁、防護つい立てその他の遮へい物を設け、又は局所排気装置若しくは放射性物質のガス、蒸気若しくは粉じんの発散源を密閉する設備を設けて、労働者が常時立ち入る場所における外部放射線による実効線量と空気中の放射性物質による実効線量との合計を1週間につき1mSv以下にしなければならない。
  4. 管理区域内において放射線業務に従事する労働者(以下「放射線業務従事者」という)の受ける実効線量が5年間につき100mSvを超えず、かつ、1年間につき50mSvを超えないようにしなければならない。
  5. 放射線業務従事者、緊急作業に従事する労働者及び管理区域に一時的に立ち入る労働者の管理区域内において受ける外部被ばくによる線量及び内部被ばくによる線量を測定しなければならない。
  6. 女性の放射線業務従事者(妊娠する可能性がないと診断されたもの及び妊娠中の者を除く)の受ける実効線量については、3月間につき5mSvを超えないようにしなければならない。
  7. 妊娠と診断された女性の放射線業務従事者の受ける線量が、妊娠と診断されたときから出産までの間(以下「妊娠中」という)につき次の各号に掲げる線量の区分に応じて、それぞれ当該各号に定める値を超えないようにしなければならない。
    1. 内部被ばくによる実効線量については、1mSv
    2. 腹部表面に受ける等価線量については、2mSv

福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について

http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1305173.htm

標記の件について、福島県教育委員会等に発出しましたので、お知らせします。

23文科ス第134号

平成23年4月19日

福島県教育委員会
福島県知事
福島県内に附属学校を置く国立大学法人の長  殿
福島県内に小中高等学校を設置する学校設置会社を
所轄する構造改革特別区域法第12条第1項
の認定を受けた地方公共団体の長

文部科学省生涯学習政策局長 板東久美子
初等中等教育局長  山中伸一
     科学技術・学術政策局長 合田隆史
スポーツ・青少年局長  布村幸彦

また,児童生徒等の受ける線量を考慮する上で,16時間の屋内(木造),8時間の屋外活動の生活パターンを想定すると,20mSv/年に到達する空間線量率は,屋外38μSv/時間,屋内(木造)152μSv/時間である。したがって,これを下回る学校では,児童生徒等が平常どおりの活動によって受ける線量が20mSv/年を超えることはないと考えられる。さらに,学校での生活は校舎・園舎内で過ごす割合が相当を占めるため,学校の校庭・園庭において38μSv/時間以上を示した場合においても,校舎・園舎内での活動を中心とする生活を確保することなどにより,児童生徒等の受ける線量が20mSv/年を超えることはないと考えられる。

3.8μSv/時 = 

放射線管理区域設定基準0.6μSvの約6