2011年5月15日日曜日

異界を旅する友への手紙

ポン

久しぶりだね。ずいぶん前、新しいミレニアムを迎えるころのポンのことば「なにがあっても、驚くな」をふと思いだして、便りを書くことにした。

だけど、今度だけは心底から驚いた。その昔、スリーマイル・アイランド事故のときも、チェルノブイリ核災害のときも驚いたし、深刻にも受け止めていたが、どこか遠い土地のできごと、対岸の火事という気持ちもあった。だが、今回のフクシマ311原発震災は、当地・郡山市から東方わずか60km、マサイ、ボケたちの獏原人村のすぐ近くで勃発したのだ。これには、こころの底から驚いた。

奄美・枝手久闘争のさなか、徳之島MAT計画の発覚が、ポンやぼくたちの原発問題を学ぶきっかけになったが、いまになって改めてぼくは身近でリアルな放射能汚染や被曝地棄民政策との闘いの現場に身を置くことになった。

ここ郡山市福島市では学校生徒や保育園児たちが放射能被曝の危険にさらされ、放置されている。原子力安全委員会が責任を取らないまま、文部科学省が福島県教育委員会に通知した校庭・園庭活動における“暫定”許容基準20ミリシーベルト/年、すなわち3.86マイクロシーベルト/時、これは文部科学省管轄の放射線障害防止法が定める原子力発電所などでの「放射線管理区域」、関係者以外立ち入り禁止区域、事業者が作業員の被曝放射線量を管理することを義務づけられた区域の基準値0.6マイクロシーベルトの実に6倍超という無法・違法で恐ろしい代物! そして、学者たちやメディアが垂れ流す安全宣伝、手をこまねいて「風評被害」のみを心配する県知事とその官僚機構。

さて、奄美の清らかな海岸や野山で神話的現在を生きる感覚を養ったが、いままた、もっとダークではあるが神話的現在を生きる羽目になったようだ。ぼくの闘いは、孤立した若い母親たちに微力をささげること。たとえば、ぼくのAA仲間、ある女性が、子どもを保育園に行かせるのを怖がったが、両親には怪訝がられ、母親仲間からは笑われていた。ここにぼくの働き場所がある。そしてみずから学び、情報と知識を武器として原発複合勢力に挑むこと。仲間たちのネットワーク構築の一助になること。

フクシマ311震災現場がいつ終息するのか、先行きはまだ見えないように、ぼくたちの展望もまだ不透明だ。だが、あきらめずに挑みつづけてゆくこと、これだけが暗闇のなかに希望を求める道。

この闘いのためにTwitterIDを取得した。ポンのいる場所でもネットにつながるなら、覗いてみてほしいものだ。

Twitter ID: yuima21c

それでは、また。


(注)本稿は、『ポン(山田塊也)追悼掲示板』サイトに投稿したもの。

http://pon-iamhippie.bbs.fc2.com/

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