2018年4月18日水曜日

50年振り返る部族大会:井上利男(Damari)「ナナオとの三度の出会い」

50年振り返る部族大会
ナナオサカキ没後10周年記念
歌・踊り・詩・夢の祭典
2018330日(土)200pm700pm
本多公民館2階ホール 国分寺市本多1丁目7-1




東京・国分寺市の本多公民館で開かれた「50年振り返る部族大会 ナナオサカキ没後10周年記念」より。 ナナオの詩を縁のあった人たちが次々に朗読しナナオの思い出を語りました。これはその1部です。 順番は、キコリ、サワ、トシ+ジュン、アキ、セイカ、メイ、ダマリ 音響PA:どろんこ(高田清博) 照明:ツネヤン(沢村恒美) 撮影:千夏 編集:apa 主催:50年振り返る部族大会実行委員会



Nanao or Never: Nanao Sakaki Walks Earth A



ナナオとの三度の出会い
井上利男(Damari

30年ほど前、諏訪之瀬島で初めてナナオに会ったとき、わたしは正しい場所に来て、正しい人物に出会ったと感じた。

わたしは(詳しいことは尋問されたくもないが)若い日々のできごとにとても失望してドロップ・アウトし、バンヤン・アシュラムというヒッピー・コミューンが入植していた諏訪之瀬島の浜辺に流れ着いた。

黒潮の巨大な流れに立ちあがる燃える山、諏訪之瀬島は、噴煙を吐き、噴火するクレイター、ゴツゴツした広大な溶岩原、亜熱帯の森林、竹やぶの密生地、地味に乏しい肉牛放牧地、断崖が自然の護岸壁を形成する海岸線を備えた、とてもワイルドな世界だった。ナナオもまた、長いボサボサの髪の毛、口ひげとあごひげを生やした非常にワイルドな風貌だった。顔と体は暗褐色に日焼けしていた。ナナオは立派な姿勢で座り、立ち、歩き、豪快に笑い、真顔で見つめ、自由に、また心をこめて歌った。

わたしは街から来た頭が空っぽの新入りとして、野生の自然と野生の人格に出会って、度肝を抜かれ、ワイルドな人びとと野生地帯で生きることを、ひとつひとつ、一歩一歩、学ばなければならなかった。

時は流れ、5年たって、わたしはナナオと再会した。わたしはそのころ、諏訪之瀬島の南、奄美大島の湾岸にある小さな集落に設営された別のコミューンのメンバーだった。その新しいコミューン(無我利道場)は、湾内で計画されていた巨大石油備蓄・精錬基地の建設提案に抵抗する村民たちの団体に参加する考えで設立されていた。

ナナオは、コミューンが開催した祭りに参加するために訪れてきたが、コミューンの考え方は分かち合わなかった。彼はヒッピー仲間たちだけと交流し、島民たちに溶け込もうとせず、馬鹿視される羽目になった。ナナオは得意げにヨガのポーズを実演してみせたが、集落の人たちにあざ笑われるだけだった。夜には、ミミズクの鳴き声を大声でものまねして、集落のジジババたちを怖がらせた。ミミズクは死の使いだと信じられていたのである。

長い時を経た数年前、わたしは、太平洋の広大な海岸のすぐそばにある素敵なエスニック・カフェで催されたナナオ自身のポエトリー・リーディングで彼にまた会った。

ボサボサの毛髪とヒゲこそ白くなってはいたが、ナナオの風貌は依然として若かった。彼の朗読は堂々と威厳があり、カフェに満員の聴衆たちを魅了していた。

いまわたしは、偶然の一致がなにを意味しているのか知らないが、ナナオと初めて会ったのも、長い時を経て再会したのも、いつも海のそば(島、湾岸、太平洋岸)であったことに気づく。いずれにせよ、彼はスーパーマンではない。ナナオは、風変わりでキュートな人柄を備えた、一介のヴァガボンドなのだ。ナチュラリストであり、ウィルダーネス(野生)志向の人なのだ。そして、疑問の余地なく、愛するしかない人なのだ。

【付録】









長沢哲夫「ぼくらは地球を愛しているか
地球がぼくらを愛しているほどに」
この小さな土の上に
この小さな緑の中に
ぶらぶら行こう
思い おだやかに
わずかな物を手に
この小さな土の上に
この小さな緑の中に
ぶらぶら行こう
心静かに
心軽やかに
水も空気も地球のもの
この血も肉も地球のもの
この息 この心も地球のもの
気をつけろ
原発でさえ地球のもの
殺しまくるミサイルも
そっと息をひきとる鳥たちも
砂漠をわたるコガネ虫たちも
雪の下に眠るネズミたちも
どかどかと走りすぎていく車たちも
ほえまくる電車たちの黄色い眼も
高層ビルを埋めつくすコンピューターたちも
銀河系の渚をころがる
青い火のかたまりの
地球のもの
ぼくらは地球を愛しているか?
地球がぼくらを愛しているほどに
この小さな土の上に
この小さな緑の中に
ぶらぶら行こう
思いおだやかに
わずかな物を手に
この小さな土の上に
この小さな緑の中に
ぶらぶら行こう
心静かに
心軽やかに
この小さな土の上に
この小さな緑の中に




ラブレター(ナナオ サカキ)
  
  半径 1mの円があれば
  人は 座り 祈り 歌うよ

  半径 10mの小屋があれば
  雨のどか 夢まどか

  半径 100mの平地があれば
  人は 稲を植え 山羊を飼うよ

  半径 1kmの谷があれば
  薪と 水と 山菜と 紅天狗茸

  半径 10kmの森があれば
  狸 鷹 蝮 ルリタテハが来て遊ぶ

  半径 100km
  みすず刈る 信濃の国に 人住むとかや

  半径 1000km
  夏には歩く サンゴの海
  冬は 流氷のオホーツク

  半径 1万km
  地球のどこかを 歩いているよ

  半径 10万km
  流星の海を 歩いているよ

  半径 100万km
  菜の花や 月は東に 日は西に

  半径 100億km
  太陽系マンダラを 昨日のように通りすぎ

  半径 1万光年
  銀河系宇宙は 春の花 いまさかりなり

  半径 100万光年
  アンドロメダ星雲は 桜吹雪に溶けてゆく

  半径 100億光年
  時間と 空間と すべての思い 燃えつきるところ

       そこで また

       人は 座り 祈り 歌うよ

       人は 座り 祈り 歌うよ

                     1976 春

        (ナナオ・サカキ詩集『犬も歩けば』野草社刊)

【参考資料】


模索舎.store

増補改訂版:アイ・アム・ヒッピー~日本のヒッピー・ムーブメント’60-’90


プロローグ:ヒッピーとは何者か?
1.ヒッピー前史「新宿ビートニク」
2.ヒッピーコミューン運動「部族」
3.南の島のコミューン「無我利道場」
4.反日思想とインド放浪
5.まつろわぬ山の民からの逆襲

エピローグ:結び合う心・地球療法
[2013年10月/A5/363頁/¥2,500+200] 著=山田塊也 発行=森と出版


【関連記事】

#原子力発電_原爆の子2014415日火曜日


われわれは、知られざる新しい文明の野蛮人である
これは、一九六〇年ごろ、新宿のクラシック喫茶「風月堂」にたむろする若者たちにアレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダー、ジャック・ケロワックらのビートニック運動の思潮が伝わり、それがやがて日本のヒッピー・ムーブメントのさきがけとなった「部族」運動に結実したころ、彼らが好んで口にした一種のスローガンである。
国分寺「エメラルド色のそよ風族」、長野県富士見町「雷赤烏族」、トカラ列島諏訪之瀬島「ガジュマルの夢族」など、都会の片隅や人里離れた山地、絶海の孤島にコミューンを築いた彼らの運動は、学校や職場からのドロップ・アウトを推奨し、原子力発電開発、新幹線開通、東京オリンピックや大阪万博の開催などに象徴される高度経済成長時代の物質文明に対するアンチ・テーゼであり、徹底した「脱」体制ムーブメントだった。

右端に若き日の筆者 ↑   
 #原子力発電_原爆の子2016516日月曜日


ぼくは若いころ、出身地の神戸の小さな商社でタイプライターを相手に仕事していたことがある。ロックやフォークのLP盤とコンポーネント・オーディオが全盛の時代であり、ボーナスをはたいて、ヤマハのスピーカー2本を7万円で購入し、ご満悦だった。

その一週間後、一通のミニコミが舞い込んだ――「野生の聖地、スワノセを守れ!ヤマハ・ボイコット運動」。

吐火羅列島の諏訪之瀬島――環太平洋火山帯と黒潮が織りなす野生の領域――に、当時の和製ヒッピーたちがコミューンを営み、島に自生するガジュマルの英名に因んで、バンヤン・アシュラムと称していた。
闘うコミューン「無我利道場」同人誌『魚里人(イザトンチュー)』創刊号
(枝手久島・鈍の浜から焼内湾を隔てた対岸の平田・阿室の灯りを望む
キャラクターは河童に相当する
奄美のケンムン)
#原子力発電_原爆の子2016927日火曜日


きょうの酒井さんのお話を聞いていて、ずいぶん懐かしいなと思いました。向井孝さん、松下竜一さん、このお二人を懐かしいと言うと歳がばれるというものですけど、向井さんは、わたしが奄美大島の宇検(うけん)村というところで、石油基地反対運動をしていたときに出会っているんです。1973年、奄美の枝手久(えだてく)島という小さな島に、東亜燃料工業というエクソン系の石油会社が巨大石油備蓄基地を計画しました。枝手久島の小さな山を均して、その土を海面に埋め立てて石油基地を造るというものでした。

その反対運動にわたしたちが加わったとき、枝手久島現地に開墾小屋を造って、そこでサツマ芋を植えたり、漁業に参加したりするという運動をしていました。これも一種の直接行動ですね。そして、海面を埋め立てるために漁業権の放棄を漁協に迫るとなれば、漁協の協力が必要ですから、その工事を阻止するためには漁協の組合員になる必要があって、反対派が3分の1いれば漁業権放棄が成立しません。そういう闘い方をしていました。

枝手久島・鈍の浜にて、左端に山田塊也(2010年4月26日没)、右端に筆者(当時、30歳代前半)






2016年2月2日火曜日

[#歌のメッセージ]Don't Dig Here デイヴィッド・クロスビー「ユッカ・マウンテンを掘ってはならない」

 





この地を掘るな

作詞:ジェイムズ・レイモンド、ラス・クンケル、グラハム・ナッシュ
Written by James Raymond, Russ Kunkel And Graham Nash


君たちが穏やかな善意を抱いて来たように願っている
君たちに言いたいことがあるが、君の魂を救うためだ
この標識は警告なので、ご注意のほどを
大地を切り開けば、取り返しがつかなくなる
I hope you're coming in peace with good intentions
I've got something to say that might save your soul
This sign is a warning so pay attention
Open up the earth you could lose control

この土地は人を殺す代物でいっぱい
それがぼくたちかもしれないし、君たちかもしれない
This place is full of shit that kills
Maybe us and maybe you, it's true

塵芥のなかからダイアモンドを掘り出してもよい
必要なら、永久に掘っていてもかまわない
でも、この高くて明朗な山を掘るなら
恐ろしいことがどっさり
ここだけは掘ってはいけない
You can dig for diamonds in the dust
And you can dig forever if you must
But if you dig this mountain high and clear
There's much to fear
Just don't dig here

ぼくたちはわが国を強力な文化国だと思っていた
公権力は空高く旗をなびかせていた
ハゲワシみたいに腐肉のうえで饗宴だ
大地を横切って骨が山盛りだ
空を背景にして
We considered ourselves a powerful culture
The bully pulpit waved the flag on high
We feasted on the carrion like vultures
Across the land the bones were piling high
Against the sky

そしてぼくらは溢れんばかりに山に詰めこんだ
密封したので、ピンを抜いてはいけない
Then we filled the mountain to the brim
Sealed it in, just don't pull the pin

塵芥のなかからダイアモンドを掘り出してもよい
必要なら、永久に掘っていてもかまわない
でも、この高くて明朗な山を掘るなら
恐ろしいことがどっさり
ここだけは掘ってはいけない
You can dig for diamonds in the dust
And you can dig forever if you must
But if you dig this mountain high and clear
There's much to fear
Just don't dig here

塵芥のなかからダイアモンドを掘り出してもよい
必要なら、永久に掘っていてもかまわない
でも、この高くて明朗な山を掘るなら
恐ろしいことがどっさり
ここだけは掘ってはいけない
You can dig for diamonds in the dust
And you can dig forever if you must
But if you dig this mountain high and clear
In the atmosphere

Just don't dig here

2015年9月1日火曜日

英紙ミラー「幼いオオヤマネコを養う母猫~すでに2倍の体長」

The Daily Mirror

幼いオオヤマネコを養う母猫~すでに2倍の体長

2015年8月28日
ジャミー・スミス、ローラー・ハートレイ JAMIE SMITH ,LAURA HARTLEY

喉をゴロゴロ、完璧な絆。イエネコが養子のリンクスに寄り添う

生みの親に育児放棄されたリンクス(オオヤマネコ)の子猫は、喉をゴロゴロ鳴らす完璧な養い親――体長が半分のイエネコ――を見つけた。

2頭の猫族は、ロシアの(シベリア南部)ノヴォシビールスク動物園で特別な絆を築いている。

ここに紹介する、アレクサンダー・ルーキン(31歳)さん撮影の写真は、母猫とその新しい“子猫”の心温まる瞬間を捉えている。

すてきな猫族。猫の親子はロシアのノヴォシビールスク動物園暮らし

ルーキンさんはこう語った――「リンクスは3か月にわたり猫およびその子猫たちと暮らしてきました」

「動物学者は、その間にリンクスが大きく育ち、強大な動物になったと言っています。

「写真でおわかりのように、このリンクスは子猫たちと一緒に、母猫に育てられました」

この猫は、飼育係のひとりの飼い猫であり、自宅に子猫を残しており、リンクスの幼獣の世話をする「資格がある」と考えられている。

サイズの差。リンクスはまだ月齢数か月なのに、養い親猫の上にそびえたつ。

しかし、写真でわかるように、この標準サイズの猫は母猫よりも大きく育ち、この理由により、動物園の職員たちは2頭を分けなければならないと考えた。

だが、猫は体格の差をものともせず、母猫として立派にふるまい、養子をなめて清潔に保ち、寄り添ったり、両の前脚で抱いたりさえした。

このすばらしい親子はいまでは分かちがたい絆で結ばれており、転げ回ったり、互いに毛繕いしあったり、楽しい魅力を発散している。