2013年9月11日水曜日

チリ・クーデターの記憶:40年前の9月11日(TUPアーカイブスから再録)

支配者となった軍事評議会の公然たる目標は、「チリにおけるマルクス主義の根絶」であった。この目的遂行のために拘引者のリストが国内すべての軍隊に配布され、何千人もの人びとが投獄された。終日外出禁止令で家に閉じこめられたまま、7万5000人ものチリ人が逮捕されたのである。そしてそのうち1万5000人が処刑された。チリの人口を考えて、同様の措置がアメリカでとられたとするなら、逮捕者は180万、処刑されたのは36万という数字になる。(トマス・ハウザー著、古藤晃訳『ミッシング』より)
画像・テキスト出所:CHILI.73.9.11の真実
投稿日:20031012()
タイトル:  TUP速報190号 もうひとつの9・11事件

30年前の9月11日――チリで、アジェンデ社会主義政権がビノチェット将軍の流血クーデターで打倒されました。
南米チリの作家アリエル・ドルフマンが、祖国の暗黒時代を振り返り、対テロ戦争体制下のアメリカとその同盟諸国の国民に、同じ過ちを繰り返してはならないと警告します。
(TUP 井上 @奥会津から)
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『悲劇の教訓』
――もうひとつの9・11事件30周年を記念して
サルバドール・アジェンデ
Salvador Allende
1908.6.26日 -1973.9.11
アリエル・ドルフマン
米ネーション誌2003年9月30日号掲載



ここでは起こりえない。
30年前、チリのサンチャゴの街頭で、私たちがシュプレヒコールし、唱和していたのが、この言葉だった。
ここでは起こりえない。この国で、独裁はありえない――私たちの頭上に猛然と襲いかかろうとしていた歴史の暴風に向かって、私たちは声を張り上げた。
私たちのデモクラシーは堅固である。私たちの軍隊は国民主権に根ざしている。
私たちの民は自由を愛している。
だが、現実になってしまった。
アウグスト・ピノチェト
Augusto Pinochet
1915.11.25 - 2006.12.10
1973年9月11日だった。世界初の選挙による社会主義体制への平和的移行を試みていたサルバドール・アジェンデの立憲政府がチリ軍に打倒された。
あの日、空軍による大統領官邸爆撃の結果、独裁が始まり、17年間継続し、すでにデモクラシーが回復した今でも、私の国を悩ませ、蝕んでいる。
それにしても、あのクーデターが遺(のこ)したものは、苦痛と喪失だけではなく、残響する問いであり、今にいたる30年間、私はそれを心の中で繰り返し問い続けている――
議会が実効的に機能し、制度的寛容の長い伝統を誇り、自由な出版報道活動が栄え、司法権が独立し、さらに決定的なことに、国軍が文民統治に従っていたこの国で、残酷な政権に事欠かない南アメリカ大陸でも最悪の圧政を招いてしまったのは、どうしてだろうか?
わけても肝心な問いとして――生き生きとしたデモクラシーの相続人である、かくも多くのチリの男たちと女たちが、チリ国民の名において最悪の残虐行為が犯されていたというのに、見て見ぬふりをしたのは、なぜだろうか? 自分たちの荒みきった市街の地下室や屋根裏で、なにが行われているのか訊ねなかったのは、なぜだろうか?
クーデター後の焚書

拷問はなく、大量処刑はなく、夜の闇の中の蒸発もないと信じ込むことができたのは、なぜだろうか?
そして最後の、さらに恐ろしい問い――チリに限らず、私たちの今の時代の、危機に直面している世界の国々のすべての市民たちへの警告……見た目には揺るぎない民主主義を誇る国々でも、これからの時代、同じような状況に見舞われるのだろうか?
チリのかくも多くの国民が必要であるとして受け入れた自由の後退が、アメリカで、あるいはインド、ブラジルで、あるいはフランス、スペイン、イギリスで、あるいは日本で理不尽にも繰り返されるのだろうか?
ある国の30年も前の歴史状況を現在の別の国に乱暴に投影するのは、知的に危険な冒険であると、もちろん私にも分かっている。チリにおける私たちのデモクラシーの喪失を招いた環境は非常に特殊であり、現在の世界のどこを探しても、そっくり同じような状況はありえない。
それでも、相違点と隔たりをすべて考慮しても、チリの悲劇はひとつの顕著な警告を発していて、将来において同様な政治的惨事を避けるつもりなら、それに耳を傾けなければならない――
私の国の、ほんらい正常であり、品格正しい人間であったはずの多くの人たちが、みずからの自由が――そして、迫害され、苦しむ同胞たちの自由が、安全保障の名目で、テロへの闘いの名目で剽窃されるのを許したのである。このようにして、ピノチェット将軍と手下たちは軍事クーデターを正当化したのだ。
このようにして、彼らは多大な人権侵害への国民の支持を獲得したのだ。
クーデターの数日後、軍事評議会のメンバーたちが、アジェンデとその『共犯者たち』によって秘密裏に準備されていたゼータ()・プラン――血の粛清計画――が『露見』したと発表した。当然、陰謀の証拠は公表されなかった。
前大統領の支持者たちが、数十万もの単位で、陰謀の嫌疑で逮捕され、拷問され、国外追放され――あるいは、数千の規模で処刑され、または『蒸発』したが、その誰一人として、裁判の機会さえも与えられなかった。だが、恐怖というものは、ひとたび国民に浸透し、全能の政権の道具になると、理性をもってしても、たやすくは消せなくなる。人は、無防備だと感じ、被害者意識がこびりつき、いたる所に敵の姿を見て脅えるようになると、迫害者がいつ現れても仕方ないと思い、身を守る術とてまったくなくなる。
これが、私の国をドン底に落としたクーデター以来の30年間――とりわけ、あのもうひとつの恐ろしい9・11――死が空から襲いかかり、数千の罪のない市民たちが虐殺された2001年のあの日の後遺症に疼く今の時代に、チリが私たちに伝えてやまない教訓である。アメリカ国民が遭遇したあのテロ攻撃は、わが国チリのいわゆるゼータ・プランとは違って、フィクションではない。
辺鄙(へんぴ)な国チリのことであれば、どんな悲しみも過ちも、たいていの人は早々と忘れ去ることもできようが、奇しくも地球上で最大の強国を襲った現実の悲劇が、より切迫した恐怖にどう対処するかという問いを突きつけている。
ニューヨークとワシントンを襲った恐ろしい攻撃以降の2年間の流れをじっくり考えても、気落ちするばかりである。安全保障という侵すべからざる名のもとに、さらに、多様に姿を変え、あいまいな形に定義される、幕引きのない劇場型の対テロ戦争遂行の影で、アメリカ国内の無国籍在住者の権利は言うにおよばず、国民の公民権までもが危険なまでに制限されてきた。
目をアメリカ国外に転じれば、状況はなお悪く、民主主義国と独裁国を問わず世界のどこでも、対テロ戦争が自由の抑圧の口実に利用されている。アフガニスタンとイラクでは、アメリカによって『解放』され――かつて国の針路を誤った醜悪な専制政治から自由になった――と宣伝されていても、古い監獄が復活し、民間人が銃撃され、市民に責任を負わない官僚機構の夜と霧のかなたへと男たちが拉致され、占領軍による胸を潰す人権侵害の知らせが伝えられる。
長い歳月、チリが耐えてきたような警察国家に、アメリカとその同盟諸国が好き好んで移行しようとしていると、私は言いたいのではない――少なくとも今は……。だが、30年前にチリ国民が見舞われた悲劇の深い意味を、今日、世界の別の土地で、私たちがじっくり考えないとしたら、あの受難の教訓は無駄に終わってしまう。
私たちも考え、声を張り上げ、世界に向かって叫んだ――
ここでは起こりえない。
明日はわが身にテロが迫っていようとも、今は目をつむっていられる――それほど辺鄙でもないサンチャゴのあの街頭で、私たちも同じように考えていた。


アジェンデ最後の演説(日本語字幕付)

筆者近影
[原文] Lessons of a Catastrophe
    by Ariel Dorfman
THE NATION, Sept. 30. 2003
© 2003 Ariel Dorfman (TUP配信許諾済み)
[筆者紹介] アリエル・ドルフマン: チリの作家。
邦訳書『死と乙女』劇書房/構想社・発売、『ドナルド・ダックを読む』『ヌエル・センデロの最後の歌』現代企画室/ラテンアメリカ文学選集、『子どものメディアを読む』晶文社、『谷間の女たち』新樹社、『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなきもうひとつの9・11を凝視する』現代企画室。
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翻訳 井上 利男 / TUP