2012年1月17日火曜日

W.ジェームズ『人それぞれの信仰体験』 第1講:   宗教と神経病理





凡例: [原注] 〔訳注〕  リンク: 目次 原文サイト  




宗教と神経病理の関連について
LECTURE I(原文リンク)
RELIGION AND NEUROLOGY

はじめに: 講座のテーマは人類学ではなく、個人文書を対象とする――事実問題と価値問題――事実として、宗教者は神経症患者であることが多い――宗教性欲起源説に反論する――こころのあらゆる状態は、神経系に条件づけられている――こころの状態は、起源ではなく、その果実の価値によって検証されなければならない――価値の三基準、起源は基準として無価値――優秀な知性に精神病的気質がともなう場合の利点――とりわけ信仰生活にとっての利点

この演台のこちら側に立ち、学識ある聴衆のみなさんに向き合っていますと、いささかならず身が震えます。わたしどもアメリカ人には、書物でもそうですが、ご本人の肉声でヨーロッパの学者諸氏に教えを授かることが身についた経験なのです。わたしのハーヴァード大学では、スコットランド、イングランド、フランス、あるいはドイツといった国ぐにの科学界や文学界を代表するかたがたに海路はるばるお越しいただいたり、ご訪米のついでに講演をお願いしたりして、大なり小なり収穫をえないままに一冬とてすごすことはありません。ヨーロッパ人が語り、わたしたちが拝聴しているのが、ごく当然に思えるのです。ヨーロッパのみなさんが聴いて、わたしたちが語るといった逆の習慣は、わたしたちの身についていません。だから、最初の冒険者として、厚かましい行為も正当なのだと弁解したい気にもなります。エディンバラEdinburgh, スコットランドの中心都市〕のような、アメリカ人には神聖なイメージの土地となるとなおさらのことです。この大学の哲学講座の(ほま)れは、少年期のわたしの想像力に深い印象を残しました。当時、出版されたばかりのフレイザー教授Alexander Campbell Fraser1819-1914)哲学者〕の『哲学論集』が、わたしの初めて開いてみた哲学書であり、同書に収録されたサー・ウィリアム・ハミルトンSir William Hamilton1788-1856)形而上学者〕の教室の記事を読んで感じた畏敬の念をよくおぼえています。ハミルトンご本人の講義録は、わたしがみずから進んで学んだ最初の哲学書であり、その後、わたしはデュガルド・スチュワートDugald Stewart1753-1828)哲学者〕やトーマス・ブラウンThomas Brown1778-1820)形而上学者〕に夢中になりました。そのような若輩の尊敬心は、いまだ抜けきっていません。だから、つたないわたし自身が、当地でしばらく教職につくようにと、生れ落ちた未開の地からじっさいに招かれ、このような著名人たちの同僚に変身させられたと思うと、現実と知っていながらも、まるで夢のなかにいるようです。
 だが、この指名の栄誉をたまわったからには、辞退などはありえないと感じてまいりました。学問の仕事にも
(いさぎよ)さをみせる義務があり、わたしは、これ以上の弁解などせずにここに立ちます。ただ、ご当地やアバディーンAberdeen, スコットランド東部の港湾都市〕で思潮が西から東に流れはじめたいま、わたしはそれが続くことを望んでいるとだけいわせていただきます。歳月がすぎるにつれ、わたしの同胞たちが大挙して、米国で講義するスコットランド人の交換教授になって、スコットランドの大学で講義するように依頼されるようになることをわたしは願っています。わたしの同族たちが、あたかもひとつの民であるかのように、これらすべての高尚なことがらに加わること、また、わたしたちの英語言語にともなって醸成(じょうせい)される、固有の政治気質だけでなく、固有の哲学気質がますます世界に勢いを得て、影響力をもつようになることを願っています。



この講座を受け持つにあたり、わたしが取るべき態度についてですが、わたしは神学者ではなく、宗教史を修めた学者でも、人類学者でもありません。心理学が、わたしの特に精通している唯一の学問分野なのです。心理学者にとって、人間の宗教性向は、少なくとも人間の精神構造にかかわる他のどの事実とも同じほど興味深いはずです。したがって、心理学者であるわたしが宗教性向の記述研究にみなさんを(いざな)うのはごく自然なことでありましょう。


この探求が心理学的なものであるなら、そのテーマは、宗教制度ではなく、宗教感情や宗教衝動になるはずであり、わたしはその対象を、弁舌力と豊かな自意識をそなえた人間が信仰書や自伝の形で作成した文献に記録されている、そういうよく発達した主観的現象に限定しなければなりません。あるテーマの起源や初期の段階はいつでも興味ぶかいものですが、その意義の全体像を真剣に求めるなら、どんな場合でも、それが完全に展開した完璧な形に注目しなければなりません。もっとも深くわたしたちにかかわる文献は、宗教的な生きかたをもっとも首尾よく成就し、みずからの理念や動機をもっとも能弁に説明できる人間によるものということになります。このような人間は、もちろん、比較的に近代の著述家であったり、そうでなければ、宗教の模範となったような、もっと昔の人物であったりということになります。そこで、もっとも示唆に富むとわかる人間記録を探すのに、特別な博識の収蔵庫をあさる必要はありません――踏みならされた公道沿いに置かれています。わたしたちの課題の性格からごく自然に生じるこのような事情は、みなさんの講師の専門的な神学知識の不足にとって、みごとにも好都合なものになります。わたしの引用として、みなさんがすでに手に取ったことのある書物のなかから、個人的な告白の文章なり章句なりの引用を取り上げるかもしれませんが、だからといって、わたしの結論の値打ちを損なうことにはならないでしょう。将来、もっと大胆な准教授や研究者がここで講義し、聴講者にとって、わたしのものよりもおもしろく珍妙な余興となる文献を図書館の棚から発掘してくるということもありえるのは確かです。それでもわたしは、ずっと非凡な資料を用いたとしても、ことの本質にさらにもっと肉薄できるものかと疑うのです。

宗教性向とはなにか?という問い、宗教性向の哲学的意義とはなにか?という問い、これら二つは、論理の観点からいって、まったく別の系統の設問です。この事実を明確に認識することに失敗すれば、混乱を招くことになりますので、前にいった文書や資料に分け入る前に、わたしはこの点を少しばかり主張しておきたいと思います。

論理に関する最近の本では、どのようなことでも、探求の二つの系統を区別しています。第一に、その性質はなにか? それがどのように生起したのか? その構成、起源、経緯はどんなものか? そして第二に、それが生起したのなら、その重要性、意味や意義はどんなものか? 一方の問の答は、存在判断、あるいは命題として与えられます。他方の問の答は、価値命題、ドイツ人のいうWerthurtheilであり、よろしければ、精神判断と呼んでもいいものです。どちらの判断も、他方の判断からただちに推論されるものではありません。判断はさまざまな知性の先入見から生じるのであり、こころが判断を結びつけるのは、まずそれぞれの判断を個別におこなったのちだけであり、それからそれぞれをたがいに加えるのです。


 宗教のことがらでは、二系統の設問を見分けるのはことさらに容易です。すべての宗教現象には、それぞれ歴史があり、それぞれ自然祖形から派生したものがあります。今日、聖書の高等批判と呼ばれているものは、以前の教会であまりにも無視されていた存在論の観点からの聖書研究であるにすぎません。まさしくどのような経歴のもとで、聖なる筆記者たちは聖なる書にみずからのさまざまな貢献をおこなったのだろうか? そして、ことばを発したとき、まさしくどのようなものが何人かの彼らそれぞれの頭にあったのだろうか? これらは明らかに歴史事実に関する設問であり、これに答えても、さらなる問い、書物の成立の事情は明確になったが、そのようなものがわたしたちの人生の導きや啓示としてなんの役にたつのか?という問いをただちに解決することにはなるか、さっぱり見えないのです。この別の設問に答えるためには、啓示効果をもたらす価値を与えるものの特性となるものについて、わたしたちはある種の一般理論を頭のなかに持っていなければなりません。そして、この理論そのものが、まさしくわたしが精神判断と呼ぶものなのです。それをわたしたちの存在判断と併用すると、まさしくわたしたちは、聖書の真価に関して、もうひとつの精神判断を導き出せるでしょう。だから、わたしたちの啓示価値理論が、いかなる書も、啓示価値があるとすれば、執筆者の勝手気ままに書かれたものではなく、自動的に構成されたものでなければならず、なんらの科学的・歴史的錯誤(さくご)見せてはならず、いささかの地域的・個人的感情も表してはならないと決めつけるものであれば、たぶん聖書はわたしたちの手にかかって、みじめな扱いを受けていることでしょう。逆に、わたしたちの理論が、書物に錯誤や感情や作為があるとしても、それが、みずからの運命の危機に苦闘した偉大な魂をもった人びとの内的経験のまことの記録であるなら、その書物はじゅうぶん啓示でありうると認めるものなら、判断はもっと好意的なものになります。存在事実だけでは、価値を決定するのに不じゅうぶんなのです。したがって、最良の高等批判の達人たちが存在問題を精神問題と混同するようなことは決してありません。目の前の事実に関する結論は同じでも、啓示としての聖書の価値については、それぞれの価値基盤にもとづく精神判断が異なるので、あるものはある見解をとり、ほかのものは別の見解をとるのです。
 いまだに前述の区別を活用しないで、そのため、これからの講義で信仰体験現象を考察するさいに依拠しなければならない完全に存在論的な観点に最初はいささかびっくりなさる宗教的なかたがた――おそらく、いまご出席のみなさんの一部もそうでしょう――が大勢いらっしゃるので、わたしは二種類の判断について全般的な所見を述べておきます。わたしが、その現象を単なる個人史の珍妙な事実であるかのように生物学的・心理学的に扱えば、みなさんのうちの何人かは、それは崇高なテーマを台無しにするものだとお考えになるかもしれませんし、さらには、わたしの意図がじゅうぶん表明されるまで、わたしが人生の宗教的側面を意図的に損なおうとしているのではと疑いさえするかもしれません。

もちろん、そのような結末はわたしの意図とは断じて無縁です。みなさんの側にそのような偏見が生じるなら、わたしの言及しなければならない多くのことに関して、当然の効果のはなはだしい妨げになりますので、わたしは、この点について、ことばをもう少し費やしておくことにします。

宗教的な生きかただけを脇目もふらずに追求している場合、事実として、当人が変人奇人になる傾向があること、これには疑いをいれる余地がありません。いまわたしは、仏教であれ、キリスト教であれ、あるいはイスラム教であれ、自国の伝統的なしきたりに従う、みなさんご存知の並の宗教信者のことをいっているのではありません。このような信者の宗教は、当人のために他者によって作られ、伝統としてその人に伝えられ、模倣によって形式に固められ、習慣として保たれています。このような受け売り宗教を研究しても、ほとんど無益でしょう。むしろ、このような推奨された感情や模倣された行為の中核全体の原型となった独自の体験を探求しなければなりません。このような体験が見つかるのは、信仰が、鈍感な習癖ではなく、むしろ鋭敏な熱気として存在している個人のなかだけです。だが、そのような個人は宗教系の“天才”であり、伝記の書に銘記されるに足る価値のある果実をもたらしたほかの天才たちと同じく、そのような宗教天才は、多くの場合、神経不安定の症候を示してきました。宗教の指導者たちは、ことによるとほかの類の天才たちよりすらもしばしば異常心理発作に襲われていました。例外なく、その人たちは(たか)ぶった情動感受性の生きものでした。しばしばその人たちは調和のない内面生活を送り、経歴のある時期には(うつ)病をかこってきました。ほどほどを知らず、強迫観念や固定観念に取りつかれがちでした。しきりに忘我状態におちいり、声を聞き、幻を見て、通常は病的と分類される、あらゆる種類の特性を示してきました。しかも、彼らの経歴のこのような病的側面が、しばしば彼らの宗教的権威と影響力の獲得に役立ったのです。


具体的な事例をお望みなら、ジョージ・フォックスGeorge Fox1624-91)〕という人のものほど適切なのはありません。彼が創始したクエーカーQuakerは通称。正式名称は信仰友会(ゆうかい)Religious Society of Friendsの信仰は、いくら賞賛してもしすぎにはなりません。紛いものが横行する時代にあって、クエーカーは、霊的内面性に根ざした誠実な信仰であり、イングランドにかつてなかったほど、原初の福音にもとづく真実に立ち返るものでした。今日のキリスト教の各教派がリベラルな方向に進んでいるとすれば、基本的に、ずいぶん前にフォックスと初期のクエーカー信徒が身に付けていた立場に立ち返ろうとしているにすぎないのです。精神の聡明(そうめい)さと器量において、フォックスの心は不健全だったとは、一瞬たりとも誰にもいえません。彼にじかに対面した者は、オリバー・クロムウェルOliver Cromwell1599-1658)イングランド共和国の初代護国卿〕にはじまり、州長官、獄吏にいたるまで、全員が彼の卓越した力を認めたようです。それでも、神経の素質の観点からいえば、彼は、第一級の人格障害、つまり精神病者でした。彼の日記は、次のような類の記事であふれています――
「わたしが何人かの友だちと連れ合って歩いていたとき、頭を上げてみると、(とん)がり屋根の塔が三つ見えて、わたしの命は一撃を加えられた。わたしは、あれはなんという街だ?と友らにたずねた。リッチフィールドLichfield, ロンドン北方二〇〇キロメートルの町〕だ、と彼らは答えた。たちどころに主のみことばがわたしに(くだ)り、あなたはあの町へ行かなくてはならないと告げた。向かっていた家に近づくと、わたしは、自分がどこに行こうとしているのか何もいわないまま、友人たちがその家に入るように願った。彼らがいなくなったとたん、わたしは歩み去り、目を頼りに生垣と溝を越えて進み、リッチフィールドの手前一マイル足らずのところで広い野原に出たが、そこでは羊飼いたちが羊番をしていた。するとわたしは、靴を脱ぐようにと主に命じられた。冬だったので、わたしは立ちつくしたが、主のみことばは、わたしのうちで火のようだった。そこでわたしは靴を脱ぎ、それを羊飼いたちに預けた。かわいそうに、羊飼いたちは身震いし、驚いていた。さらにわたしは一マイルほど歩き、市内に入ったとたん、みことばがふたたびわたしに届き、『血にまみれたリッチフィールドの町よ、災いあれ!』と叫ぶようにと告げた。そこでわたしは、血にまみれたリッチフィールドの町よ、災いあれ!と大声でわめきながら、街路をあちこち動きまわった。市の日に当たっていたので、市場に入り、何か所か行ったり来たりし、立ち止まっては、前と同じように、血にまみれたリッチフィールドの町よ、災いあれ!とわめきつづけた。わたしに手をかけるものはいなかった。叫びながら進んでいくと、わたしには、街路に血の流れが見え、市場はさながら血の池だった。わたしに降ったみことばを宣告し、すっきりしたと感じたとき、わたしは平安のうちに町を出た。羊飼いたちのところへ戻り、金をいくらか払って、靴を返してもらった。だが、主の火がわたしの足と体全体を包んでいたので、靴を改めて()く気にどうしてもならず、履くべきかどうか、立ち往生していたが、やがて、主にかまっていないで、靴を履くのは勝手であると感じた。そこで、足を洗ったあと、靴を履いた。そのご、あの町を大声で弾劾し、血にまみれた町!と呼ばわった理由を知るために、わたしは深い考察にふけった。ある時期、議会が大臣を立て、国王が別の大臣を立てて、両者の間の戦乱により、あの町でおびただしい血が流されたが、襲撃を受けたほかの場所に比べて多いわけではなかった。だが、後にわたしは、ディオクレティアヌス帝Diocletianus244-311)ローマ帝国東方皇帝〕の時代に、千人のキリスト教徒がリッチフィールドで殉教したと知るようになった。だから、わたしは、靴も履かず、殉教者たちの血の流れを進み、市場の殉教者の血の池に入って、千年前に流され、街路に冷たく(よど)む、彼ら殉教者たちの血の追憶をかきたてることになったのだ。だから、血の感覚がわたしに降り、わたしは主のみことばに従ったのである」
いやしくも宗教の存在条件を研究するからには、当人のこのような病理学的側面を無視するわけにはいきません。そのような側面に、非宗教的な人間に現れたものとまさに同様に病理として叙述し、病名をつけなければなりません。感性や愛着にかかわる対象が、ほかのものと同様、知性にいじくられるのを目にすると、わたしたちが直感的に尻込みするのは事実です。対象に対して知性が最初にすることは、ほかのものと一緒くたにして分類することです。だが、わたしたちにとって限りなく重要であり、わたしたちの信仰心を開眼させる対象は、唯一無比sui generis〔ラテン語〕のもの、かけがえのないものであると思わせもするのです。かには、断りもなく無造作に甲殻類に分類されたと聞けば、私的ないきどお
りをみなぎらせて、「わたしはそんなものではない。わたしはわたし自身、ほかでもないわたし 自身なのだ」と吐きすてるようにいうでしょう。



知性が次にするのは、ものごとが生じる原因を解明することです。スピノザBaruch De Spinoza1632-77)オランダの合理主義的汎神論哲学者〕は「わたしは、人間の行為や欲求を、あたかも直線、平面、立体の問題であるかのように分析するつもりである」といっています。また別のおりにも、三角形の三角の総和が二直角に等しいのが自然の帰結であるのと同じ必然性で、わたしたちの情動の帰結もその本性に由来するので、自然の事物を見るのと同じ目で人間の情念とその特性を考察すると述べています。ムッシュー・テーヌHippolyte Adolphe Taine1828-1893)はフランスの哲学者・文学史家〕も同じように、彼の著した英国文学史Histoire de la littérature anglaise, 1863の序論に、「事実が精神的なものであっても物理的なものであっても、問題ではない。事実には常にそれぞれの原因がある。消化、筋肉運動、体温に原因があるのとまったく同じように、野心、勇気、誠実さには原因がある。悪徳や美徳は、硫酸や砂糖と同じような産物である」と書きました。ありとあらゆるものの存在条件を示すことに熱中している、そのような知性による宣言を読むとき、わたしたちとしては――そのように書いた当人たちがじっさいにどこまで実行できるのかという観点からして、そのような計画のばかげた尊大さに感じる当然のじれったさはまったく別にしても――わたしたちの生命の最も深い源泉が脅かされ、否定されていると感じます。そのような血も涙もない同化は、わたしたちの魂の肝心な秘密を暴きだすおそれがあり、まるでその起源の説明に成功すると、同時にその意義をも説明しつくすような鼻息であり、まるでムッシュー・テーヌのいわゆる使える食品雑貨類ほどの値打ちしかないとでもいわんばかりである、とわたしたちは思います。
低次元の起源を明らかにすれば、霊的価値は解明されるという、この想定の一番ありふれた表現は、非情緒的な人がもっと情緒的な知人についてしばしば語る評言に見かけます。アルフレッドが不死を頑固に信じるのは、気性が感情的だからだ。ファニーの度を越えた誠実さは、神経過敏のせいにすぎない。宇宙に対するウィリアムの憂愁(ゆうしゅう)は――たぶん、肝臓の機能不全だろうが――消化不良のためだ。エリザが教会で歓喜するのは、ヒステリー体質の一症状である。ピーターは、もっと屋外で運動すれば、魂について悩まなくなるだろう、うんぬんです。同じ類の理由づけのもっと極端に走った例は、このごろある種の物書きのあいだでごくふつうに流行(はや)っているもので、宗教情動を性生活との関連を示すことによって攻撃するのです。回心は思春期や青年期の危機です。聖人の断食修行や宣教師の献身は、血迷った父性的・母性的な自己犠牲本能の事例にすぎません。自然な生活に飢えているヒステリーの修道女にとって、キリストは、この世の愛欲対象の想像上の身代わりにほかなりません。そのほかさまざま、似たようなものです。1


[1] 同時代の空気に漂う観念の多くもそうだが、このような考えかたは、断定的な一般論として明言するとなると尻込みし、部分的に、皮肉として表現されるだけである。思うに、このような宗教をゆがんだ性衝動とする解釈ほどに教訓にならない観念はめったにない。粗雑にもカトリック側がしばしば口にする、あの有名なあざけり話、宗教改革を理解するには、ルターが修道女を相手に結婚願望を抱いたのがその起源fons et origoだったことを思いだすのが一番だ、というのが思いおこされる――その影響は、なじられた源よりも限りなく広く波及し、しかも、その性格からして、たいてい逆方向に働く。宗教現象を幅広く集めてみると、なかには紛れもない色欲にからむもの――たとえば、多神教のセックス神像や色情儀礼、何人かのキリスト教神秘主義者に見られる救い主との一体化のエクスタシー感覚――があるのはほんとうである。では、同じようにして、宗教を消化機能の不全と呼んだり、みずからの論点を、バッカス〔Bacchus, ローマ神話の酒神〕やケレス〔Ceres, 豊作の女神〕によって、また聖体拝領にまつわるほかの聖人らのエクスタシー感覚によって証明したりしないのは、なぜだろうか? 宗教用語は、わたしたちの生活のなかに見つかる貧弱なシンボルをまとうものであり、心が強迫的に表現を求めると、いつも人間の全身が意味ある評言を提供するのである。宗教文献のなかでは、飲み食いから引かれたことばが、たぶん性生活から引かれたものと同じほどありふれている。わたしたちは義に「飢え、渇く」。わたしたちは「主が甘美な味わいと知る」。わたしたちは「彼を善なりと味わい、見る」。「旧・新約聖書の乳房(ちぶさ)からあふれるアメリカの乳児のための霊乳」というのが、かつて有名だった『ニュー・イングランド・プライマー』〔New England Primer, 一六九〇年に出版されたアメリカ植民地最初の教科書〕のサブタイトルであり、キリスト教信仰文献は、まったくもってミルクのなかに漂っているが、それは母親ではなく、腹ペコの赤ん坊の立場で考案されている。

 だから、例えば、聖フランシスコ・サレジオ〔François de Sales1567-1622)ジュネーヴの司教〕は「平安の祈り」を次のように描写する。「この状態の魂は、穏やかに胸にすがる嬰児(みどりご)にも似て、母親は両腕に抱かれて安らかなわが子を愛撫し、唇が動かなくとも、口に母乳を滴らせる。そのようにあり……われらが主は、われらの願いが、天なる主がわれらの口に注ぎたもう乳を吸って満ち足りることを、またわれら、乳が主より来たることを知らずとも、その甘美さを味わうことを望みたもう」。また、次のようにも書く。「授乳する母の胸にすがりつき、ひとつとなる嬰児を思ってもみよ。時おり、乳を吸う喜びにハッとして、いっそう強く身を寄せるのを見るであろう。それにしても、祈りのあいだ、神に結びついた心は、しばしば、いっそう強く聖なる甘美さに迫ろうとする動きのさなか、いっそう結びつきを強めようと試みる」Chemin de la Perfection, ch. xxxi.; Amour de Dieu, vii. ch. i.

じっさい、宗教を呼吸機能不全と解釈しても、ほとんど通用する。聖書は、次のような呼吸困難の用語で満ちている。「耳を閉ざさず、この声を聞き〔旧約聖書・哀歌3-56〕/心は(うめ)き、うなり声をあげるだけです〔詩篇38-10〕/心は動転し、力はわたしを見捨て〔同38-11〕/夜のあいだ、骨はわたしのうなり声で燃えています/涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める〔同42-2〕」。『人間のうちなる神の息吹』Gods Breath in Manとは、最も名高いアメリカ人神秘主義者〔トマス・レイク・ハリス Thomas Lake Harris1823-1906)〕の主著のタイトルであり、ある非キリスト教の国ぐにでは、吸気と呼気を整えることが宗教修行全体の基礎とされてさえいる。

このような説は、セックス起源説に好意的に聞こえる論法のおおかたと同じぐらいすてきだ。すると、後者の擁護者らは、自分たちの主だった論拠はほかに類を見ないというだろう。彼らにいわせれば、二大宗教現象、つまり憂愁と回心は、基本的に青春期の現象であり、したがって性生活の発達と同時に生起する。これに対しても、反論は容易である。主張されているような同時進行が無条件に正しい事実だとしても(実はそうでないが)、これは性生活だけの話ではなく、青春期に目覚める、もっと高次の精神生活の全般にいえることである。力学、物理学、化学、論理学、哲学、社会学に対する関心は、詩や宗教への興味と同じく、青春時代に芽生えるので、こういうのもまた性衝動の倒錯したものであるという説を立ててもいいだろう――じっさいには、ばかげた話だ。さらにいえば、同時進行論で決まりというのなら、宗教的に一段と優秀par excellenceな年齢層は、性生活の嵐が過ぎ去った老年期であるようだという事実をどうするのだろうか?

あるがままの事実として宗教を解釈するには、結局、宗教意識の中身をそっくりそのまま注目しなければならない。その瞬間、そのあらかたは、性意識の中身とはまったく縁がないことがわかる。両者の中身は、対象、気分、関与する行動衝動、これらすべてにおいて異なる。いかなるおおまかな同一視も不可能そのものである。もっとも多くの場合、まったくの敵視と明暗不一致が目につく。ここでセックス起源説の擁護者が、これは自分たちの主張にとってはたいしたことない、血液の化学構成に対する生殖器官の寄与がなければ、脳には宗教活動を続けるための栄養が供給されないのだというなら、この最終陳述が正しかろうがなかろうが、どちらにしても、教えとして無益なことこのうえない。宗教の意味、あるいは価値を解釈するにあたり、これからいかなる結論も得られないのである。そういう意味では、宗教生活が、性器官に依存するのとまったく同様、脾臓(ひぞう)膵臓(すいぞう)腎臓(じんぞう)にも依存していることになり、理論全体が論点を失って、精神は、どうしてなのか身体に依存するという、あいまいな一般論に紛れこんでしまう

自分にとって不愉快である精神状態を劣ったものとしてけなす、この方法はたいがい、もちろん、わたしたちにお馴染(なじ)みのものです。この人の精神状態は無理をしているとみなす場合、その人を批評するのに、ある程度、わたしたちはみなこの手を使います。だが、自分の気高い魂の飛翔(ひしょう)を、他人が体質の発現に“ほかならない”と評するような場合、自分の身体特性がどうであれ、わたしたちとしては、自分の精神状態には、生きた真実の発露(はつろ)としての実質的な価値があるとわかっていますので、憤慨(ふんがい)し、傷つきます。ですから、こういう医学唯物論には口を(つつし)んでいただきたいと思うのです。


 医学唯物論は、わたしたちが考察の対象としている、あまりにも単純な思考システムを表す名称として、実にピッタリであるようです。医学唯物論は聖パウロSaint Paul?-65?)ユダヤ名「サウロ」。ローマ帝国宣教者〕を片付けるのに、彼がダマスカスに向かう途上で見た幻視〔新約・使徒言行録9を後頭皮質の出力障害のせいであるとして、(てん)(かん)患者呼ばわりしています。聖テレサTeresa de Cepeda y Ahumada1515-82)スペインの修道女・神秘家、修道院改革に尽力〕はヒステリー女、アッシジの聖フランチェスコSaint Francis of Assisi 1181?-1226)小さき兄弟会(フランチェスコ会)創設者〕は遺伝性の変質者で終わりです。ジョージ・フォックスは時代の偽りに不満を抱き、霊的な誠実さを切望しましたが、医学唯物論はこれを結腸障害の症候と受け止めます。カーライルThomas Carlyle1795-1881)スコットランド生まれの思想家・歴史家〕による悲惨の肉感的描写は、胃・十二指腸カタルのせいであると説明されます。医学唯物論にいわせれば、このようなこころの緊張過多は、ことの根底を探ると、すべて単なる体質(ほとんどは自家中毒)の問題であり、さまざまな分泌腺の不調のせいなのであって、やがて生理学がこれを明らかにするというわけです。こうして、医学唯物論はこのような人物全員の霊的権威を首尾よく掘り崩しおおせたと考えるのです。[2]


[2] 医学唯物論による理屈の第一級資料として、記事 "les varietes du Type devot," by Dr. Binet-Sangle, in the Revue de l’Hypnotisme, xiv. 161を参照のこと。

 わたしたちとしては、可能なかぎり大きな視野で問題を見つめてみましょう。現代心理学は、こころと体とには確かな相関関係が働いていると気づき、精神状態の体調に対する依存は徹底的・全的であるに違いないということを便利な仮説として想定しています。この前提に立てば、医学唯物論の主張することは、細部のひとつひとつはともかく、全般的にはもちろん正しいはずです。聖パウロは、(てん)(かん)発作でなかったにしても、癲癇様症状を示したことがあった。ジョージ・フォックスは遺伝性の変質者だった。カーライルは、どの臓器かはともかく、なんらかの器官による自家中毒に疑いなくかかっていた。そのほか、うんぬんというわけです。だが、いまみなさんにお聞きしますが、こころの来歴にまつわる事実に対する存在論的な説明が、その霊的意義をあれこれ決めることができるものでしょうか? いま言及したばかりの心理学の一般論的な公準〔証明されてはいないが、原理として認められている命題〕によれば、わたしたちのこころの状態が高いものであっても低いものであっても、健全であっても病的であっても、なんらかの身体作用をその条件としないものは、なにひとつないことになります。科学の諸理論は、まさに宗教的な情動と同じく、身体条件しだいです。事実を深く知りさえすれば、筋金入りの無神論者のことばは、自分の魂を案じるメソジスト〔信仰覚醒を唱えるプロテスタント〕の確信に満ちたことばと同じく、“肝臓”が決めているのが疑問の余地なくわかるようになるはずです。肝臓を通る血液がこのように変質すれば、メソジストができあがり、あのように変質すれば、無神論型のこころの一丁あがりというわけです。わたしたちの歓喜やわたしたちのドライさ、わたしたちの(あこが)れや熱望、わたしたちの疑念や信念のすべてがそうです。宗教的なものであれ、非宗教的なものであれ、すべて同じように臓器由来のものなのです。


 ですから、霊的価値全般を決定要因となる生理変化に関連づける、ある種の理論を前もって構築しておかないかぎり、宗教的な精神状態には一段と(まさ)った霊的価値があるという主張に反論するために、その臓器起源説を持ちだすのは、まったく非論理的・恣意(しい)的なことです。でなければ、わたしたちの思想や感情のどれもみな、わたしたちの科学理論でさえ、わたしたちの信心でさえ、その持ち主のその時点の身体状態に例外なく由来していることになりますから、真理の開示としての価値を保てなくなるでしょう。


 いうまでもなく、じっさいには医学唯物論はこれほど徹底して懐疑的な結論を出していません。あるこころの状態がほかよりも内面的にすぐれ、より多くの真実を明かしているのは確かですし、およそ純朴な人間であればだれにでも納得できることですが、医学唯物論にしても、この点ではただ単に常識的な精神判断を働かせているのです。医学唯物論は、みずからお気に入りのこのような状態を認知するにしても、その根拠となるような精神状態の発生に関する生理学理論を持ちあわせてはいません。また、お気に召さない状態を劣ったものと決めつける試みにしても、とりとめなく神経や肝臓に関連づけたり、身体疾患を思わせる名称に結びつけたり、まるで非論理的・無節操なのです。


 わたしたちとしては、ことの全体を公平に扱い、自分自身について、事実について、きっぱり率直になりましょう。あるこころの状態がほかよりもすぐれているとわたしたちが考える場合、その身体的な由来について知っていることが、その理由になっているのでしょうか? 否です! まったく別の二つの理由からです。じかに喜びを感じるか、あるいは人生の善果がもたらされると信じるか、どちらかです。「熱に浮かされた妄想」といまいましげに口にするとき、確かに発熱そのものがマイナス評価の根拠になっているのではありません――話しは逆だと知るべきであり、真実が芽を出し、育つには、華氏一〇三度か一〇四度〔摂氏三九度ほど〕のほうが平熱の華氏九七度か九八度〔摂氏三六度ほど〕よりも好都合な体温なのです。妄想が不愉快であることそれ自体か、覚めたときの批評に耐えられないことか、どちらかなのです。健康がもたらす思想を賞賛するとき、健康に特有な化学代謝はわたしたちの判断を決めるのになんの関係もありません。そういう代謝作用について、じっさい、わたしたちにはほとんどなにもわかっていないのです。優秀の合格印をおす根拠は、思想に含まれる内的な幸福の性格であり、あるいは、わたしたちの持つほかの見解と矛盾せず、わたしたちの欲求にとって有益であるからであり、だからこそわたしたちは真実として合格の評価をするのです。


 さて、基準にしても、どちらかといえば内面的なものと外面的なものとは、いつでも両立しているわけではありません。こころが幸福であることと有益であることとが常に一致するものでもないのです。一番“よい”と直感されることが、ほかの経験による判断に照らして、常に一番“正しい”とは限りません。酔っぱらったときのフィリップとしらふのときのフィリップの違いが、これを実証する典型的な例になります。単に“いい気分”だけで決まるなら、酔いは最高にまっとうな人間体験です。しかし、酩酊(めいてい)が見せるものは、そのときの満足がどれほど強烈であろうとも、時間的に持続することを許さない状況のもとに置かれています。これら二つの基準が一致していないことの帰結は、いまもなお、わたしたちの霊的判断の数多くを圧倒する不確実さです。情緒的で神秘的な体験をする瞬間があって――これについて、のちほど当講座でたっぷり聞くことになるでしょうが――それが到来するときには、内面的な権威と啓発のとほうもない感覚をともないます。だが、その瞬間が訪れるのは稀なことであり、だれにでも訪れるものでもありません。また、事後の人生は、その瞬間と関係を持つことがなかったり、あるいはその瞬間を確かなものにしないで、むしろそれに矛盾しがちになったりもします。このような事例では、その瞬間の声に従う人がいれば、平凡な結末に導かれるのを好む人もいます。だからこそ、人間という存在の霊的判断のこれほど多くが、残念な不調和のままに終わるのです。この不調和については、この講座が終了するまでにわたしたちは肝に深く銘じることになるでしょう。



しかしながら、これは単なる医学検査では決して解消されることのない不調和なのです。医学検査にあくまでもしがみつくのが不可能であることを示す好例を、近ごろの著作者らが公表している、天才の病理学的原因に関する理論に見ることができます。モロー博士Jacques-Joseph Moreau1804-84)フランスの精神科医〕は「天才は、神経障害系統樹から分かれる多くの枝のひとつにすぎない」といいました。ロンブローゾ博士〔Cesare Lombroso1835-1909)イタリアの精神科医、犯罪人類学の創始者〕は「天才は、(てん)(かん)に似た遺伝性退化症状であり、徳性障害と同類である」といいます。「人間の生きかたが、にわかにまばゆい脚光を浴び、実りの多い研究の主題になるほどの記録を残すとき、どんな場合でも、その人は必ず病的な範疇(はんちゅう)に落ちこむ……概して、天才が偉大であればあるほど、不健全さも(ふく)れあがることは注目に値する」[3]と、ニスベット氏John Ferguson Nisbet1851-99)ロンドン・タイムズ劇評者〕は書いています。
[3] J. F. Nisbet: The Insanity of Genius, 3d ed., London, 1893, pp. xvi., xxiv.
 
 さて、こういう著者らは、天才の業績が病気の成果であることを首尾よく明らかにして悦にいったからには、その果実の価値に異を唱えるために一貫して邁進(まいしん)しているのでしょうか? 存在条件に依拠する新たな学説から新たな霊的判断を推論しているのでしょうか? これから先ずっと、わたしたちが天才の作品をありがたがるのをあからさまに禁じたうえ、精神病者は新たな真理の解明者でありえないと公言するのでしょうか?


否です! 天才たちの直感的な精神的素質は、ここにいう彼らにとってあまりにも強烈であり、医学唯物論が、単に論理一貫性を愛するという理由のみにより、喜んで引きだす推論に抗して、屈するようなものではありません。実のところ、この一門のとある信奉者が躍起になって、天才たちの作品(つまり、その彼自身が楽しみかたを知らない、しかも数多(あまた)ある、そのような現代美術作品)の価値を(じっ)()ひとからげに見下そうとしました。[4] だが、たいがいの場合、名作はビクともしません。それに、医学陣営の攻撃は、標的をだれもが本質的に異様であると認めるような世俗の産物に限定しているか、あるいはもっぱら宗教的な態度を表明するものに向けられています。しかもそれは、粗探し屋が信仰表白を内面的・精神的根拠によって嫌っているので、もともと断罪しているからです。


[4] マックス・ノルダウ〔Max Simon Nordau1849-1923)ハンガリー出身の内科医、シオニズム運動指導者〕、『退廃論』〔*〕と題する大著において。

Die Entartung; 1892. 同書において、ノルダウは反ユダヤ主義に対する攻撃の一環として、ロンブローゾの疑似科学を根拠とする退廃芸術論を展開したが、皮肉にも、のちにその論理をナチスが継承〕

自然科学とか工業技術の分野であれば、執筆者の神経症気質を暴いて、その見解に難癖つけてやろうと思う人などいるはずがありません。この分野では、著者の神経学的なタイプがどうであれ、その持論は論理によって、また実験によって検証されます。これは、宗教的な見解の場合でも違わないはずです。その価値を確かめられるのは、直接、その見解そのものに下される精神判断だけであり、これは一義的には、わたしたち自身の直感にもとづく判断ということになります。二義的には、経験によって確認できることですが、わたしたちの道徳上の要請との関係、そしてわたしたちが真実であると考えるほかのこととの関係にもとづく判断ということです。


有効な基準は、要するに直感的な明白性、哲学的な合理性、倫理的な有益性、これで全部です。聖テレサは、申しぶんなく温和な雌牛の神経系をもっていたのかもしれませんが、それとは関係ないこれらの基準にもとづく神学テストが(みじ)めな結果に終わるなら、そういう神経系が彼女の神学を救うわけではありません。逆に、彼女の神学がこれら別種の試験に合格するなら、彼女が下界にいたとき、どれほどヒステリーであったとしても、どれほど神経のバランスを崩していたとしても、なんの問題にもならないでしょう。



 ことの根っこを見れば、みなさんもお気づきのように、真理を探求するさい、わたしたちの導きとしなければならないと常に経験哲学が唱えてきた、あの一般原則にわたしたちは連れ戻されたのです。教条哲学は、わたしたちの未来志向を免除しかねない真理検証法を探してきました。ある種の単純明快な標識――それに注目しさえすれば、即座・万全に、現在から未来永劫(えいごう)に、わたしたちはあらゆる過ちから守られていることができるようになる――そのようなものが、哲学通の教条主義者の甘美な夢であってきました。この観点から見て、さまざまな真理の起源がたがいに区別しうるものでありさえすれば、その起源こそがこの種の立派な基準になるのは明白であり、教条主義の考えかたの歴史を見ても、ことの起源が常に好都合な試金石になってきたことがわかります。直感的な洞察をいわれとする起源、司教の権威をいわれとする起源、幻視、幻聴、あるいは説明のつかない印象によるものといった、超自然的な啓示をいわれとする起源、預言や前兆として表明される、高位の霊による憑依(ひょうい)をいわれとする起源、いわゆる口寄せをいわれとする起源――これらの起源は、宗教の歴史に次から次へと登場した考えかたの真理性を担保する信任保証であってきました。だから、医学唯物論者たちはぞろぞろと遅れてやってきた教条主義者にすぎず、信任するためではなく破壊するために起源という基準を用いて、お手並み鮮やかに自分たちの先輩連中に逆ねじをくわしているのです。


 病理起源説を唱える彼らが手腕を振るえるのは、相手方が超自然的な起源を持ちだし、しかも起源論法のほかなにも議論されていない場合に限られます。だが、起源論法だけを単独で用いるようなことをすれば、あまりにも明らかに能がない話しであり、そのようなことはめったにありません。モーズリー博士Henry Maudsley1835-1918)英国の先駆的な精神科医〕は、起源を根拠とする超自然信仰に対する論難者として、おそらく最も才覚にたけた人です。それでも彼は次のように書かざるをえません――



 「自然には完成した精神のみを用いて働きをなす義務があると信じるに足る、いかなる権利がわれわれにあるのだろうか? 自然のほうは、ひとつひとつの目的のためには不完全な精神のほうが適切な道具であると思っているかもしれない。なされた仕事と、仕事をなした担い手の資質、肝心なのはこれだけだ。それ以外の性格の質において、担い手が非常に劣っている――たとえじっさいに、偽善者、姦夫、奇人、あるいは精神異常者である――としても、宇宙的な観点から見れば、たいした問題ではない……かくして、われわれは、確実性の古くからの最後のよりどころ――つまり、人間の、あるいは人間のなかの、学識あり、訓練された適格者の共通認知――に立ち帰るのである」[5]

[5] H. Maudsley: Natural Causes and Supernatural Seemings, 1886, pp. 256, 257.
 
 言い換えれば、信念に対するモーズリー博士の最終検証項目は、その起源ではなく、それが効果を全体におよぼす様相なのです。これはわたしたちが掲げる経験主義にもとづく基準ですが、この基準は、もっとも強硬な超自然的起源の主唱者らもやはり結局は用いることを余儀なくされたものなのです。幻視やお告げのなかには、いつもあまりにも明らかにくだらないものもあったり、トランス〔通常の意識を失った状態〕痙攣(けいれん)発作にしても、あまりにも無益なものがあったりしてそうしたさいの行為や品性は意義あるものと認められず、神聖さには届いていません。キリスト教神秘主義の歴史では、本ものの神聖な奇跡であるような神託や体験と、悪魔が邪まな意図をもってそれらしく見せることが可能であり、信仰者を二重の意味で地獄の子にするような別ものとを、いかにして判別するのかという問題は、常に解決が困難なものであり、最高の良心の導師がもつ智恵と経験のすべてを用いることを必要としてきました。結局、わたしたちの経験主義にもとづく基準が望ましいということにならなければならなくなったのです。根ではなく、あなたがたは、その実で彼らを見分ける〔マルコによる福音書7-16というわけですね。ジョナサン・エドワーズJonathan Edwards1703-58)米国のカルヴァン主義神学者・会衆派牧師、先住民宣教者〕の著書Treatise on Religious Affectionsは、このテーマを念入りに論じた労作です。ある人の徳性の根源は、わたしたちにはうかがい知りえません。いかなる外観も、恩寵(おんちょう)無謬(むびゅう)な証明にはなりません。わたしたちの行いこそが、わたしたち自身にとってさえ、自分が正真正銘のキリスト教徒であることのただひとつ確実な(あか)なのです。



エドワーズはこう書いています――
 「わたしたち自身をいま審判するにあたり、わたしたちが最後の日に至高なる審判者の前に立つとき、彼が主として用いるであろう、あの証拠を確かに採用するべきである……いかなる信仰告白者にあっても、キリスト教徒としての行いが最も決定的な証拠でないとする存在のような神霊の恩寵はひとつもない……わたしたちの経験が行いとして実り多いものである程度が、わたしたちの経験が霊的で神聖であることの程度を示している」


 カトリックの著作者たちも同じように断言しています。幻視、あるいは天啓、あるいはほかの天の恵みと明らかに思われるものが後に残す善良な気質こそは、それらが誘惑者〔悪魔〕の策略でありえないと確実にわからせてくれる唯一のしるしなのです。聖テレサは次のようにいいます――



 「眠りがどっちつかずでは、頭に英気が宿るどころか、かえって消耗するものですが、同じように、あれこれ空想を紡ぐだけでは、魂が衰退する結果に終わるだけです。魂は、栄養やエネルギーの代わりに、倦怠(けんたい)感や嫌気という報いを受けるだけです。ところが、れっきとした天のヴィジョンは、えもいわれぬ霊的な富とめざましい体力更新という結果で報いてくれます。君のヴィジョンは、人間の敵の仕業(しわざ)の空想の(たわむ)れであるとしきりになじった人たちに対して、わたしはこのような理由を申したてました……わたしは、神の御手がわたしに残した宝石――わたしの現在の気質――をその人たちに示しました。わたしを知っていた人はみな、わたしが変わったのを見ました。わたしの聴罪司祭は事実の証人になってくれました。この向上は、あらゆる点ではっきりわかり、決して隠されることなく、すべての人の目に鮮明だったのです。わたし自身としては、これらの幻視のどれもこれも、あの富でわたしを豊かにしてくれたとはっきりわかりましたので、もしもこれが悪魔の創作であるとしますと、わたしを滅ぼし、地獄に導くために、わたしの短所を根絶やしにし、代わりに豪胆な勇気やほかの長所でわたしを満たすなどという、悪魔自身の利益にとても反するような方便を用いることができたなどと信じるのは不可能なことでした」[6]

[6] Autobiography, ch. xxviii.

 
 わたしは、補足的な説明に必要以上に長ながと手間取ったのではないか、もっと簡潔なことばで、病理学的な授業予定を発表したときにみなさんの何人かが抱かれた困惑を解消できたのではないかと恐れいっています。ともかく、もうこれで、宗教生活をひとえにその結果だけで判断するという心構えがみなさんにできたはずですし、これ以上、病気起源説のお化けがみなさんの信仰心を侮辱(ぶじょく)するようなことはないと保証します。


 それでも、結果が宗教現象に対する最終的な精神的評価の根拠であるとすれば、宗教現象の前提条件に関する存在論的な研究にこれほど多くの時間を費やして、われわれをビクつかせるのはいったいどうしてなのか?とみなさんは質問なさるかもしれません。病理学問題はただ捨ておいてもよいのではないか?
 二通りにお答えします。第一に、手に負えない好奇心は否応(いやおう)なく人を(さそ)うからであり、第二にいっておきますが、ものごとの意義を理解するさい、その極端な形や異常な形、同じようなものや代わりになるもの、他分野のごく近い類縁、これらを考察すれば、常によりよい結果に導かれるからです。やみくもに劣等な同族をあげつらって、(じっ)()ひとからげの糾弾(きゅうだん)で葬り去ろうというわけではなく、むしろ対照比較することによって、それと同時に、そのものごとが特にどのような堕落の危険にさらされているのかを学ぶことによって、そのものがもつ真価をより正確に確かめたいというわけです。


 精神異常という条件には、精神生活の特殊な因子を分離し、それがごく普通の環境によって浮き彫りにされるのを実況検分することを可能にするという、このような利点があります。身体の解剖でメスや顕微鏡が果たす役割を、異常という条件が精神の解剖で担っているのです。ものごとを正しく理解するためには、その外面の環境とその内面との両方を見ることが必要ですし、また、その変異の全範囲を網羅した知識を必要とします。この意味で、心理学者にとっては、幻覚の研究が正常な知覚を理解するための手掛かりになり、妄想の研究が認識を正しく理解するための手掛かりになってきました。病的な衝動や命令的な概念作用、いわゆる“固定観念”は健常者の意思に関する心理学に洪水のように知見をもたらしました。また、強迫観念や妄想は、信念の正常な機能に関する心理学のために同じ役割を演じてきました。


 すでに述べたことですが、天才の気性も同じように、精神病理現象の部類に入れる試みによって解明されてきました。(数多くある精神病理を指す症状のうち、いくつかあげれば)境界性精神障害、偏屈症、異常気質、精神平衡失調、精神病質人格障害などには、ある種の異常性や障害が見られ、それがある個人のなかで優秀な知性と結びついた場合、その人の気質がそれほど精神病質でない場合に比べて、名をあげ、時代を動かす可能性が高くなります。たいていの精神病者は知性が薄弱で、優秀な知性はたいがい正常な神経系に恵まれていますので、もちろん、偏執そのものと優秀な知性との間に特殊な親和性があるわけではありません。[7] だが、精神病気質は、それと対になる知性はともかくとして、多くの場合、情熱と興奮しやすい性格を伴っています。偏屈な人には、常軌を逸した情緒的な感受性があります。彼は固定観念や強迫観念に傾きがちです。想念が、そのまま信念となり、即、行動に移されがちです。新しい着想がひらめくと、すぐ公表したり、あるいはどうにかして“片をつけたり”しないことにこころが休まりません。一般的な人なら、やっかいな問題に直面すると、「さて、これをどう考えたものか?」というでしょう。だが“偏屈”なこころのなかでは、「どうしなければならないか?」というのが、ありがちな問いの定型なのです。かの高潔な女性、アニー・ベサント女史Annie Wood Besant1847-1933)英国出身の神智学者・社会改革論者〕の自伝から、次のようなことばを読んでみましょう――「いかなる大義であれ、多くの人たちが成就を願うが、そのために献身したいと思う人は非常に少なく、それを支持するためにすべてを賭ける人となれば、さらに少ない。『だれかがやるべきだが、どうしてわたしなのだ?』というのが、腰の引けた善人のお決まり文句である。『だれかがやるべきだが、どうしてわたしではだめなのだ?』というのが、危険の多い義務に張り切って直面しようとする、真摯(しんし)な人類の(しもべ)の叫びなのだ。この二つのことばの間に、徳性進化の全世紀が横たわっている」。実にそうです! それにまた、この二つのことばのあいだには、怠惰な一般人と精神病的な人間とのそれぞれ異なった運命も横たわっているのです。だから、同一人のなかに優秀な知性と精神病気質とが融合していれば、人名事典にのるほどの能力ある天才の本性を決めるための最高の条件が得られます――人間の機能の構成や組み合わせは無限にあるので、両者の融合はしばしばあるはずです。そのような人間は単なる知的な評論家や知識人では終わりません。その人たちの思想がその人たち自身に取り()、よくも悪くも、その思想が友人たちや時代に押し付けられるのです。そういう人たちこそは、ロンブローゾ、ニスベッド、そのほかの諸氏が自分たちの逆説を擁護するために統計に頼るとき、勘定に入れられた人たちなのです。


[7] 優秀な知性は、ベイン教授〔Alexander Bain1818-1903)スコットランドの哲学・教育者〕が実にみごとに説明なさったように、ほかのなによりも、大いに発達した類似による連想の能力に宿るようである。

 さて、宗教現象に話題を移し、これは後ほど検討することですが、すべての完成された宗教的な進化に不可欠な瞬間を決める(うつ)を取りあげてみます。成就した信仰の(たまもの)、至福を考えてみましょう。あらゆる宗教神秘主義が伝える、真理洞察のトランスに似た状態を考えてみましょう。[8] これらはそれぞれすべて、より広い範囲で見た人間体験の特殊例なのです。宗教的な欝は、宗教として、いかなる特性を有していても、やはり欝です。宗教的な至福は、幸福です。宗教的なトランスは、トランスです。ものごとは、ほかのものと同類とされたり、起源を暴かれたりしたとたんに吹っ飛んでしまうという、ばかげた考えを手放した瞬間、価値を判断するさい、経験から得た結果と内面的な質を擁護することに同意した瞬間――宗教的な欝と至福、あるいは宗教的なトランスを、できるかぎり誠実に、さまざまな別種の欝、幸福、トランスと比較するほうが、全体的な体系のなかに占めるそれらの位置を考察することを拒否し、全面的に自然の秩序の圏外にあると考えるよりも、はるかにずっとそれらの際立った意義を確認できるはずですが、だれがこれを見ようともしないのでしょうか?


 この講座が進むとともに、以上のような仮説が確証されると願いたいものです。これほど多くの宗教現象の精神病に関して、そのような現象は最も貴重な人間体験であると天から認証されたとしても、少しも驚いたり当惑したりすることはないでしょう。ひとつの有機体が、その持ち主に全範囲におよぶ真理をもたらせるということはありえません。人間で、なんらかの形で弱くないのはほとんどいませんし、病気にさえかかっています。そして意外にも、弱さそのものがわたしたちを助けるのです。精神病理気質に感受性が宿り、それが道徳理解の必須条件sine qua non=ラテン語〕なのです。わたしたちには、激しさと強調癖があり、それらが倫理を実践する力の源になります。また、わたしたちには、根本原理と神秘主義を愛する心があり、その愛がわたしたちの関心を感覚世界の表面を超えたかなたに誘います。だから、この気質が人間を、永久に筋肉もりもり、胸を打ち鳴らし、肉体にひとつとして病気の組織がないことを天に感謝しているような、自己満足している、例の屈強なペリシテ人型神経系の持ち主からは間違いなく永遠に隠された、宗教的真理の領域、宇宙の隅々へと案内することよりも自然なことはありえましょうか?
[古代の前十三世紀ごろ、パレスチナに住みつき、好戦的で、イスラエルの民を悩ませた民族]


[8] Psychological Review, ii. 287 (1895)所収、天才狂気説を批判する論文を参照のこと。

 人間界より高い領域から発信される霊感のようなものがあるとすれば、神経症気質が必須の受信能力の主要な条件をもたらすことがじゅうぶん考えられます。これだけいえば、もう宗教と神経病理気質の問題はもうじゅうぶんでしょう。



 さまざまな宗教現象をよりよく理解するために欠かせない比較に用いられる、病的なものであれ健全なものであれ、付随的現象の集まりは、教育学用語で「類化〔新教材を既得の知識に照らして解釈・習得する作用〕集合」といわれるもので、これによってわたしたちは宗教現象を理解するのです。わたしが夢想できる、この講座のただひとつの目新しさは、この類化集合の幅広さなのです。わたしは、いつもの大学講座よりも幅広い文脈で信仰体験を論じることができるかもしれません。



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© 2012, Toshio Inoue



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