2016年2月2日火曜日

[#歌のメッセージ]Don't Dig Here デイヴィッド・クロスビー「ユッカ・マウンテンを掘ってはならない」

 





この地を掘るな

作詞:ジェイムズ・レイモンド、ラス・クンケル、グラハム・ナッシュ
Written by James Raymond, Russ Kunkel And Graham Nash


君たちが穏やかな善意を抱いて来たように願っている
君たちに言いたいことがあるが、君の魂を救うためだ
この標識は警告なので、ご注意のほどを
大地を切り開けば、取り返しがつかなくなる
I hope you're coming in peace with good intentions
I've got something to say that might save your soul
This sign is a warning so pay attention
Open up the earth you could lose control

この土地は人を殺す代物でいっぱい
それがぼくたちかもしれないし、君たちかもしれない
This place is full of shit that kills
Maybe us and maybe you, it's true

塵芥のなかからダイアモンドを掘り出してもよい
必要なら、永久に掘っていてもかまわない
でも、この高くて明朗な山を掘るなら
恐ろしいことがどっさり
ここだけは掘ってはいけない
You can dig for diamonds in the dust
And you can dig forever if you must
But if you dig this mountain high and clear
There's much to fear
Just don't dig here

ぼくたちはわが国を強力な文化国だと思っていた
公権力は空高く旗をなびかせていた
ハゲワシみたいに腐肉のうえで饗宴だ
大地を横切って骨が山盛りだ
空を背景にして
We considered ourselves a powerful culture
The bully pulpit waved the flag on high
We feasted on the carrion like vultures
Across the land the bones were piling high
Against the sky

そしてぼくらは溢れんばかりに山に詰めこんだ
密封したので、ピンを抜いてはいけない
Then we filled the mountain to the brim
Sealed it in, just don't pull the pin

塵芥のなかからダイアモンドを掘り出してもよい
必要なら、永久に掘っていてもかまわない
でも、この高くて明朗な山を掘るなら
恐ろしいことがどっさり
ここだけは掘ってはいけない
You can dig for diamonds in the dust
And you can dig forever if you must
But if you dig this mountain high and clear
There's much to fear
Just don't dig here

塵芥のなかからダイアモンドを掘り出してもよい
必要なら、永久に掘っていてもかまわない
でも、この高くて明朗な山を掘るなら
恐ろしいことがどっさり
ここだけは掘ってはいけない
You can dig for diamonds in the dust
And you can dig forever if you must
But if you dig this mountain high and clear
In the atmosphere

Just don't dig here

2015年9月1日火曜日

英紙ミラー「幼いオオヤマネコを養う母猫~すでに2倍の体長」

The Daily Mirror

幼いオオヤマネコを養う母猫~すでに2倍の体長

2015年8月28日
ジャミー・スミス、ローラー・ハートレイ JAMIE SMITH ,LAURA HARTLEY

喉をゴロゴロ、完璧な絆。イエネコが養子のリンクスに寄り添う

生みの親に育児放棄されたリンクス(オオヤマネコ)の子猫は、喉をゴロゴロ鳴らす完璧な養い親――体長が半分のイエネコ――を見つけた。

2頭の猫族は、ロシアの(シベリア南部)ノヴォシビールスク動物園で特別な絆を築いている。

ここに紹介する、アレクサンダー・ルーキン(31歳)さん撮影の写真は、母猫とその新しい“子猫”の心温まる瞬間を捉えている。

すてきな猫族。猫の親子はロシアのノヴォシビールスク動物園暮らし

ルーキンさんはこう語った――「リンクスは3か月にわたり猫およびその子猫たちと暮らしてきました」

「動物学者は、その間にリンクスが大きく育ち、強大な動物になったと言っています。

「写真でおわかりのように、このリンクスは子猫たちと一緒に、母猫に育てられました」

この猫は、飼育係のひとりの飼い猫であり、自宅に子猫を残しており、リンクスの幼獣の世話をする「資格がある」と考えられている。

サイズの差。リンクスはまだ月齢数か月なのに、養い親猫の上にそびえたつ。

しかし、写真でわかるように、この標準サイズの猫は母猫よりも大きく育ち、この理由により、動物園の職員たちは2頭を分けなければならないと考えた。

だが、猫は体格の差をものともせず、母猫として立派にふるまい、養子をなめて清潔に保ち、寄り添ったり、両の前脚で抱いたりさえした。

このすばらしい親子はいまでは分かちがたい絆で結ばれており、転げ回ったり、互いに毛繕いしあったり、楽しい魅力を発散している。

2015年7月12日日曜日

音楽ビデオ「#ガザ、心開いて…」 #Gaza Open Your Heart

Stop the War coalition

「ガザ、心開いて…」

「革命の担い手」、「反戦音楽」サイト投稿:201578
Revolution Makers 08 July 2015. Posted in Music Against War

歌詞

ガザ、心開いて
今夜、ぼくらの夢を
天高く星空へ連れてって
涙をぬぐって、尻込みしないで

くどくどは言わない
大事なのは、暮らしている人たち
大事なのは、生まれ、夢を抱き、だが嫉妬した少年
少年は暖かい心の女を夢見る
嫌な顔せずに、街で愛を告げてくれるはず
でも、身を寄せようとすると、女は叫ぶ
「あっち行って、聖像破壊者!」
ぼくの国では、愛がゆがんでいる
他に選びようもない
ぼくは、路地を潤すはずの愛のことばを掻き集めようと息をつく
人びとが自宅に住めますように
愛すれば愛するほど、いつまでも愛を守るために生きるだろう
そして、愛の物語を書こうとするぼくたちを分断する
あの壁を許しはしない

ガザ! お願いだ!
天のように心開いて
ぼくの人生が無駄にならないように
ぼくの夢を実現できるように
ぼくたちみなの国がぼくの夢なんだ

ガザ、心開いて
今夜、ぼくらの夢を
天高く星空へ連れてって
涙をぬぐって、尻込みしないで

ガザ、心開いて
今夜、ぼくらの夢を
天高く星空へ連れてって
涙をぬぐって、尻込みしないで

心開いて
心に秘めた悲しみはたくさんだ
厄介事をこじらせたくない
生きる時を無駄にしたと嘆きたくない
ガザの建設を夢見て
ぼくの夢を受け止めてと願うだけ
チャンスを与えておくれ
なんとしてもガザに希望を与えたい
ぼくの野心はささやかだ
叶えても、罪じゃないはず
罪は、実現できるのに夢を殺すこと
たくさんだ。ぼくは決めた
もう長く共に暮らしてきた
ぼくの夢は微塵に砕けた
ぼくは飛ぶことを夢見なければならないので出ていく
だが、忘れはしないと約束する
神さまに守ってくださいとお願いする
たくさんだ。ぼくは決めた

ガザ、心開いて
今夜、ぼくらの夢を
天高く星空へ連れてって
涙をぬぐって、尻込みしないで

2015年7月4日土曜日

Hakai Magazine:アミ・キングドン「中村万次郎~漂流民がサムライに」




Hakai Magazine 沿岸域の科学と社会

単純な出漁が世界を股にかける冒険旅行に。画像:ローゼンバック博物館&図書館提供。

中村万次郎:
漂流者がサムライに

米国に居住した最初の日本人
万次郎の途方もない旅は船乗りの伝説

アミ・キングドン Ami Kingdon
2015629

マサチューセッツ州フェアーヘヴンの町(人口16,000)は1987104日、思いも寄らないお二人のお客さま、日本の昭仁皇太子(現天皇)と美智子妃をお迎えした。このアメリカの捕鯨と漁業の小さな港町を日本の皇族が訪問したのは、なぜだろう? 日本とフェアーヘヴンとの考えられないような関係を築いたできごとは、146年前にはじまっていた。

18411月のこと、万次郎という名の若い漁民が兄たち3人および隣人たちとともに漁船に乗り組み、日本から船出した。だが、船はあいにくなことに嵐に襲われ、火山島である鳥島で難破した。漁民たちは日本から約600キロ南で座礁し、その後の絶望的な5か月間、生き延びるために、雨水を飲み、貝類を食べ、アホウドリを捕らえてすごした。万次郎はほんの14歳だった。

万事窮すと思えたころ、ウィリアム・ホイットフィールド船長が指揮するアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランドが現れた。奇蹟の救助と思えたはずだが、万次郎たちはアメリカ人を怖がっていた。日本は2世紀にわたり鎖国しており、野蛮な異国人の話が盛んに言い伝えられていた。異国人の入国は許されず、出国を試みる者があれば、将軍の布告による死の危険を冒すことになった。漂流民は否応もなく、異国の船に収容された。

捕鯨船はホノルルに向かっており、針路を変えて、漁民たちを敵意のある故国に返すわけにはいかなかった。万次郎は東に向かう航海の途上、英語を習いはじめ、船上の作業を学んだ。ホイットフィールド船長はこころに感じるものがあり、フェアーヘヴンの自宅に来て、教育を続けてはどうかと万次郎に提案した。万次郎は受けいれた。他の者たちはハワイに残り、働きながら、日本に帰還する機会を見つけることに希望をつないでいた。

万次郎はフェアーヘヴンで、英語の会話と読み書き、数学、桶づくり、航海術を学んだ。ホイットフィールド夫妻は万次郎を友人たちに紹介し、被保護者を守り、教会区が万次郎を差別しようものなら、教会を変えさえした。

だが、万次郎は日本と漁の仲間たちを決して忘れていなかった。彼は1846年、太平洋に出帆する捕鯨船の仕事を見つけ、ハワイにいる仲間たちを訪問して、彼らがその後、日本帰還のための入国許可を得ようとしてきた――そして、失敗つづきだった――ことを知った。彼はもう一度やってみようと決心した。幸運なことに、カリフォルニアのゴールド・ラッシュが富と路銀に必要な金を手短に稼ぐ機会を与えていた。万次郎は1849年、ハワイからカリフォルニアに向かい、手っ取り早い――70日間の――探鉱で、600ドルを稼いだ。彼は資金をふところにハワイに戻り、小さな船を購入して、彼と二人の漁民の航海装備を整えて出帆し(他の一人はすでに亡くなっており、もう一人はハワイ残留を決めた)、やがて船は日本の海岸に接近した。

彼らの計画第一局面は成功。三人の男たちはボートを下ろし、密かに上陸した。だが、日本本土を踏んだとたん、彼らは捕縛され、尋問され、取り調べが厳しいことも多かった。万次郎は日本への帰還から1年以上もたって、海で行方不明になってから10年後、ついに故郷の家族の元へ戻ることを許された。

その一方、大きな変化が日本を席巻しており、万次郎の冒険は負債から資産に変わった。日本の統治者たちが国法の孤立政策を改め、外国人に国境を開放したとき、彼は米国に滞在したおかげで、日本の開国のさいに有能な翻訳者になった。万次郎は日本最初のアメリカ派遣代表団に随行した。彼はまたサムライになった――その後、将軍は彼に苗字を許した(彼は故郷の村の名から中村姓を名乗った)。

1987年の皇太子の訪問は、フェアーヘヴンと日本の太平洋を隔てた関係を讃えたものになったが、その種は万次郎とホイットフィールド船長の友情によって撒かれたものであり、すべて途方もない冒険の賜である。

スケッチは万次郎が描いたものであり、署名は、彼のアメリカ名、ジョン・マン(John Mung)。捕鯨船ジョン・ハウランドが描かれており、万次郎が日本帰還後、彼の冒険を将軍に物語ったときに作成されたイラスト本に掲載されている。画像:ローゼンバック博物館&図書館提供。

Geographic Region: East AsiaNorth America
Oceanographic Region: Pacific Ocean
Scientific Fields: AnthropologyGeography

【クレジット】
Ami Kingdon, “Manjiro Nakahama: From Castaway to Samurai,” Hakai Magazine, June 29, 2015, accessed July 3, 2015, http://bit.ly/1BPpjes.
Hakai Magazine:アミ・キングドン「中村万次郎~漂流民がサムライに」#Be_Sober_Now! 201574
http://besobernow.blogspot.jp/2015/07/hakai-magazine.html.