2015年9月1日火曜日

英紙ミラー「幼いオオヤマネコを養う母猫~すでに2倍の体長」

The Daily Mirror

幼いオオヤマネコを養う母猫~すでに2倍の体長

2015年8月28日
ジャミー・スミス、ローラー・ハートレイ JAMIE SMITH ,LAURA HARTLEY

喉をゴロゴロ、完璧な絆。イエネコが養子のリンクスに寄り添う

生みの親に育児放棄されたリンクス(オオヤマネコ)の子猫は、喉をゴロゴロ鳴らす完璧な養い親――体長が半分のイエネコ――を見つけた。

2頭の猫族は、ロシアの(シベリア南部)ノヴォシビールスク動物園で特別な絆を築いている。

ここに紹介する、アレクサンダー・ルーキン(31歳)さん撮影の写真は、母猫とその新しい“子猫”の心温まる瞬間を捉えている。

すてきな猫族。猫の親子はロシアのノヴォシビールスク動物園暮らし

ルーキンさんはこう語った――「リンクスは3か月にわたり猫およびその子猫たちと暮らしてきました」

「動物学者は、その間にリンクスが大きく育ち、強大な動物になったと言っています。

「写真でおわかりのように、このリンクスは子猫たちと一緒に、母猫に育てられました」

この猫は、飼育係のひとりの飼い猫であり、自宅に子猫を残しており、リンクスの幼獣の世話をする「資格がある」と考えられている。

サイズの差。リンクスはまだ月齢数か月なのに、養い親猫の上にそびえたつ。

しかし、写真でわかるように、この標準サイズの猫は母猫よりも大きく育ち、この理由により、動物園の職員たちは2頭を分けなければならないと考えた。

だが、猫は体格の差をものともせず、母猫として立派にふるまい、養子をなめて清潔に保ち、寄り添ったり、両の前脚で抱いたりさえした。

このすばらしい親子はいまでは分かちがたい絆で結ばれており、転げ回ったり、互いに毛繕いしあったり、楽しい魅力を発散している。

2015年7月12日日曜日

音楽ビデオ「#ガザ、心開いて…」 #Gaza Open Your Heart

Stop the War coalition

「ガザ、心開いて…」

「革命の担い手」、「反戦音楽」サイト投稿:201578
Revolution Makers 08 July 2015. Posted in Music Against War

歌詞

ガザ、心開いて
今夜、ぼくらの夢を
天高く星空へ連れてって
涙をぬぐって、尻込みしないで

くどくどは言わない
大事なのは、暮らしている人たち
大事なのは、生まれ、夢を抱き、だが嫉妬した少年
少年は暖かい心の女を夢見る
嫌な顔せずに、街で愛を告げてくれるはず
でも、身を寄せようとすると、女は叫ぶ
「あっち行って、聖像破壊者!」
ぼくの国では、愛がゆがんでいる
他に選びようもない
ぼくは、路地を潤すはずの愛のことばを掻き集めようと息をつく
人びとが自宅に住めますように
愛すれば愛するほど、いつまでも愛を守るために生きるだろう
そして、愛の物語を書こうとするぼくたちを分断する
あの壁を許しはしない

ガザ! お願いだ!
天のように心開いて
ぼくの人生が無駄にならないように
ぼくの夢を実現できるように
ぼくたちみなの国がぼくの夢なんだ

ガザ、心開いて
今夜、ぼくらの夢を
天高く星空へ連れてって
涙をぬぐって、尻込みしないで

ガザ、心開いて
今夜、ぼくらの夢を
天高く星空へ連れてって
涙をぬぐって、尻込みしないで

心開いて
心に秘めた悲しみはたくさんだ
厄介事をこじらせたくない
生きる時を無駄にしたと嘆きたくない
ガザの建設を夢見て
ぼくの夢を受け止めてと願うだけ
チャンスを与えておくれ
なんとしてもガザに希望を与えたい
ぼくの野心はささやかだ
叶えても、罪じゃないはず
罪は、実現できるのに夢を殺すこと
たくさんだ。ぼくは決めた
もう長く共に暮らしてきた
ぼくの夢は微塵に砕けた
ぼくは飛ぶことを夢見なければならないので出ていく
だが、忘れはしないと約束する
神さまに守ってくださいとお願いする
たくさんだ。ぼくは決めた

ガザ、心開いて
今夜、ぼくらの夢を
天高く星空へ連れてって
涙をぬぐって、尻込みしないで

2015年7月4日土曜日

Hakai Magazine:アミ・キングドン「中村万次郎~漂流民がサムライに」




Hakai Magazine 沿岸域の科学と社会

単純な出漁が世界を股にかける冒険旅行に。画像:ローゼンバック博物館&図書館提供。

中村万次郎:
漂流者がサムライに

米国に居住した最初の日本人
万次郎の途方もない旅は船乗りの伝説

アミ・キングドン Ami Kingdon
2015629

マサチューセッツ州フェアーヘヴンの町(人口16,000)は1987104日、思いも寄らないお二人のお客さま、日本の昭仁皇太子(現天皇)と美智子妃をお迎えした。このアメリカの捕鯨と漁業の小さな港町を日本の皇族が訪問したのは、なぜだろう? 日本とフェアーヘヴンとの考えられないような関係を築いたできごとは、146年前にはじまっていた。

18411月のこと、万次郎という名の若い漁民が兄たち3人および隣人たちとともに漁船に乗り組み、日本から船出した。だが、船はあいにくなことに嵐に襲われ、火山島である鳥島で難破した。漁民たちは日本から約600キロ南で座礁し、その後の絶望的な5か月間、生き延びるために、雨水を飲み、貝類を食べ、アホウドリを捕らえてすごした。万次郎はほんの14歳だった。

万事窮すと思えたころ、ウィリアム・ホイットフィールド船長が指揮するアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランドが現れた。奇蹟の救助と思えたはずだが、万次郎たちはアメリカ人を怖がっていた。日本は2世紀にわたり鎖国しており、野蛮な異国人の話が盛んに言い伝えられていた。異国人の入国は許されず、出国を試みる者があれば、将軍の布告による死の危険を冒すことになった。漂流民は否応もなく、異国の船に収容された。

捕鯨船はホノルルに向かっており、針路を変えて、漁民たちを敵意のある故国に返すわけにはいかなかった。万次郎は東に向かう航海の途上、英語を習いはじめ、船上の作業を学んだ。ホイットフィールド船長はこころに感じるものがあり、フェアーヘヴンの自宅に来て、教育を続けてはどうかと万次郎に提案した。万次郎は受けいれた。他の者たちはハワイに残り、働きながら、日本に帰還する機会を見つけることに希望をつないでいた。

万次郎はフェアーヘヴンで、英語の会話と読み書き、数学、桶づくり、航海術を学んだ。ホイットフィールド夫妻は万次郎を友人たちに紹介し、被保護者を守り、教会区が万次郎を差別しようものなら、教会を変えさえした。

だが、万次郎は日本と漁の仲間たちを決して忘れていなかった。彼は1846年、太平洋に出帆する捕鯨船の仕事を見つけ、ハワイにいる仲間たちを訪問して、彼らがその後、日本帰還のための入国許可を得ようとしてきた――そして、失敗つづきだった――ことを知った。彼はもう一度やってみようと決心した。幸運なことに、カリフォルニアのゴールド・ラッシュが富と路銀に必要な金を手短に稼ぐ機会を与えていた。万次郎は1849年、ハワイからカリフォルニアに向かい、手っ取り早い――70日間の――探鉱で、600ドルを稼いだ。彼は資金をふところにハワイに戻り、小さな船を購入して、彼と二人の漁民の航海装備を整えて出帆し(他の一人はすでに亡くなっており、もう一人はハワイ残留を決めた)、やがて船は日本の海岸に接近した。

彼らの計画第一局面は成功。三人の男たちはボートを下ろし、密かに上陸した。だが、日本本土を踏んだとたん、彼らは捕縛され、尋問され、取り調べが厳しいことも多かった。万次郎は日本への帰還から1年以上もたって、海で行方不明になってから10年後、ついに故郷の家族の元へ戻ることを許された。

その一方、大きな変化が日本を席巻しており、万次郎の冒険は負債から資産に変わった。日本の統治者たちが国法の孤立政策を改め、外国人に国境を開放したとき、彼は米国に滞在したおかげで、日本の開国のさいに有能な翻訳者になった。万次郎は日本最初のアメリカ派遣代表団に随行した。彼はまたサムライになった――その後、将軍は彼に苗字を許した(彼は故郷の村の名から中村姓を名乗った)。

1987年の皇太子の訪問は、フェアーヘヴンと日本の太平洋を隔てた関係を讃えたものになったが、その種は万次郎とホイットフィールド船長の友情によって撒かれたものであり、すべて途方もない冒険の賜である。

スケッチは万次郎が描いたものであり、署名は、彼のアメリカ名、ジョン・マン(John Mung)。捕鯨船ジョン・ハウランドが描かれており、万次郎が日本帰還後、彼の冒険を将軍に物語ったときに作成されたイラスト本に掲載されている。画像:ローゼンバック博物館&図書館提供。

Geographic Region: East AsiaNorth America
Oceanographic Region: Pacific Ocean
Scientific Fields: AnthropologyGeography

【クレジット】
Ami Kingdon, “Manjiro Nakahama: From Castaway to Samurai,” Hakai Magazine, June 29, 2015, accessed July 3, 2015, http://bit.ly/1BPpjes.
Hakai Magazine:アミ・キングドン「中村万次郎~漂流民がサムライに」#Be_Sober_Now! 201574
http://besobernow.blogspot.jp/2015/07/hakai-magazine.html.


2015年5月27日水曜日

世界平和を祈願するヴァンクーヴァーの灌仏会(仏教祭り)


世界平和を祈願するヴァンクーヴァーの仏教祭り
カーリト・パブロ Carlito Pablo 2015526

BC仏教祭りの創始者、センドク・リンポチェ
 
The UBC Thunderbird Arena in Vancouver, Canada
20を超える仏教徒宗団が土曜日(530日)、第1回ブリティッシュ・コロンビア仏教祭りに集い、世界平和を祈願する。

UBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)ダグ・ミッチェル・サンダーバード・スポーツ・センターで開催される、この一日がかりの催しは、数千人の参加が見込まれ、後に仏陀となったシッダルタ・ゴータマの生誕を祝うことになっている。

ブッダの誕生日にともなう儀式のひとつが仏像の湯浴みであり、祝典を創始したヴァンクーヴァーのセンドク僧院のセンドク・リンポチェによれば、この儀式には特別な意味がある。

「わたしたちが仏陀の湯浴みに集うとき…精神を非常に集中させて儀式をおこなわなければならず、仏陀にお湯を注ぐことによって、内面を見詰め、自己を浄めはじめる意味があり、これによって大きな平和に満ちたエネルギーが体のなかに、生身の存在のなかにじっさいに生じるのです」と、リンポチェは通訳を介した電話でストレイト紙に語った。「数千人の人びとがそのようなエネルギーを持ち寄って集うのを想像することができますか? それによって、非常に多大な平和のエネルギーが生まれ、じっさいにわたしたち自身から他の人びとにそのエネルギーを伝えて、拡散することができるのです」。

催し物は食品や物品の販売、文化展と実演、歩く瞑想に加えて、仏陀の生誕地、ネパールで勃発した無惨な20154月地震の被災者の窮状にも光を当てる。

Follow Carlito Pablo on Twitter: 
@carlitopablo


2015年3月12日木曜日

チャプリンの『独裁者』スピーチ


チャプリンの『独裁者』スピーチ



申しわけありませんが、わたしは皇帝になりたくない。その柄ではない。わたしは他人を支配したり征服したりしたいと思いません。わたしは――できることなら――ユダヤ人、異教徒、黒人、白人、だれであっても助けたい。わたしたちはみな、たがいに助けあいたいのです。人間とは、そういうものです。わたしたちは――たがいの惨めさではなく――おたがいの幸福によって生きたいのです。わたしたちはたがいに憎みあったり、軽蔑しあったりしたくありません。この世界には、だれにとっても余地があります。よい土地は豊かであり、万民に与えます。生きる道とは、自由で美しいのですが、わたしたちは道を見失いました。
貪欲が人間の魂を汚染し、世界を憎しみのバリケードで囲いこみ、わたしたちを軍隊の行進で悲惨と流血に追いやりました。わたしたちはスピードを発達させましたが、わが身をうちに閉じこめました。機械は豊かさを与えますが、わたしたちを欲望のうちに置き去りにしました。わたしたちの知識はわが身をシニカルにしました。わたしたちの賢明さは、頑なで不親切。機械より、人間性が必要です。賢さより、親切さと優しさが必要です。これらがなければ、人生は粗暴になり、すべて失われる……
!/images/photos/0000/0874/Great_Dictator_Pub_140-6_normal.jpg! 航空機とラジオはわたしたちの距離を縮めました。発明の本質が人間の善良さを求めて――普遍的な兄弟愛を求めて――わたしたち全員の結束を求めて叫びます。いまでさえ、わたしの声は世界何百万もの人びと――何百万もの絶望している男たち、女たち、幼い子どもたち――人間に拷問を犯させ、無辜の民を幽閉する体制の犠牲者たちに届いています。
わたしの声を聞く人に、わたしは――絶望するな、と――呼びかけます。わたしたちの頭上にある悲惨さは、つかの間の貪欲――人類の進歩する方途を恐れる人間の敵意――に他なりません。人間の憎しみは消え失せ、独裁者は死に、独裁者が人民から奪取した権力は、人民に返却されるでしょう。人間が死ぬかぎり、自由は不滅です……
兵士諸君! けだもの――みなさんを軽蔑し――みなさんを奴隷にし――みなさんの命を編成し――みなさんに指図し――なにを考え、どのように感じろと命令する――人間に身を捧げてはいけない! みなさんを訓練する――兵糧を配給する――人間は、みなさんを砲弾の餌食にします。彼ら不自然な人間――機械精神と機械心臓を備えた機械人間――に身を捧げてはならない! みなさんは畜牛ではない! みなさんは人間なのだ! みなさんのこころに、人類愛が備わっている! みなさんは憎まない! 兵士諸君! 奴隷になるために戦ってはならない! 自由のために戦うのだ!
ルカによる福音書17章に「神の国はあなたがたの間にある」と書かれています――ひとりの人間や人間の集団ではなく、すべての人間のあいだにある! みなさん、人民に権力――機械を創造する力――が備わっています。幸福を生みだす権力! みなさん、人民には、この人生を自由で美しいものにし、この人生をすばらしい冒険にする力が備わっています。
では――デモクラシーの名において――権力を行使しましょう――われら全員、結束しましょう。新しい世界――人間が働く機会を得る道理ある世界――若者に未来、年配者に安全を保障する世界のために戦いましょう。これらのことがらの約束によって、けだものは権力の座に登りつめました。だが、独裁者は嘘をつく! 約束を守らない! 金輪際、守らない!

独裁者はわが身を自由にするが、人民を奴隷にする! さあ、約束を実現するために戦いましょう! 世界を解放し――国境の障壁を取り払い――貪欲を排除し、憎悪と不寛容を捨て去りましょう。道理のある世界、科学と進歩がすべての人びとを幸福に導く世界のために戦いましょう。兵士のみなさん! デモクラシーの名において、結束しましょう!

2015年2月14日土曜日

デイリービースト誌【海外評論】アパルトヘイトを推奨する曽野綾子氏の産経新聞コラム


デイリービースト THE DAILY BEAST

2015212
日本のアパルトヘイト導入を願う新聞コラムニスト
大手保守派新聞のコラムに移民労働者を増やす必要があると書き、1970年代の南アフリカを手本にあげる。
【東京】日本屈指の大手新聞が、今週初めの祭日「建国記念日」の機会にアパルトヘイトを擁護する著名作家のコラムを掲載した。日本は外国人労働者を入国させて人口減少問題を解決すべきだが、本国人とは分離して住まわせなければならないと彼女は書いた。
コラム筆者、曽野綾子氏は日本でよく知られた小説家にして、安倍晋三首相の親しい助言者でもあるが、その首相はナチス共鳴者や人種主義者らを閣僚に指名して国の内外で批判されている。
曽野氏は内閣府の教育再生実行会議の委員でもあり、その会議で妊娠した女性は退職すべきであるという発想を奨励した。
安部首相の胡散臭いお友だちのひとりにすぎないという人もいるかもしれないが、首相が注目する人物であることには疑う余地がない。
記事は211日付け産経新聞に掲載された。産経は、(印刷版)発行数160万部で、日本4番手の大手日刊紙と考えられている。
コラムの見出しは、「労働力不足と移民『適度な距離』保ち受け入れよ」となっている。
コラムは冒頭でISISを例に、他人種の文化や心情を理解することの困難さをあげている。それに続けて、人口構成に占める若年人口が減少しつづけており、日本は、労働力を、とりわけ増大しつづける老齢者人口の介護の担い手を必要としていると指摘する。筆者は、外国人労働者に老齢者介護を担ってもらうのに、厳しい特別訓練の必要がないのであり、労働移民を認めねばならないと提言する。
ここまでは、取りあえずいいだろう。
「大手紙がこのような戯言(たわごと)を掲載するようなら
この国の人種主義者を勢いづけます」

だが、曽野氏はつづけて、「移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にすることは至難の業だ」と付け加える。
筆者は、もう2030年も前に南アフリカ共和国の「実情」を知って以来、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになったと指摘する。
彼女は主張を裏付けるために、「人種差別の廃止以来、黒人が住むようになったヨハネスブルグのマンション」の例をあげる。つづけて「黒人は基本的に大家族主義だ」と説明し、黒人がどんどん家族を呼び寄せてマンションを乗っ取り、設備を台無しにして、最後には白人がすべて逃げ出したという。
曽野氏は、このできごとの正確な場所と時をうかがわせるヒントを与えなかった。この逸話を検証するためのマンション名と具体的事実の一切が明かされていない。それでも彼女は、断定的な口振りで、「爾来、私は言っている。『人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい』」と結んでいる。
デイリービースト誌は事実確認のために、作品掲載紙の産経を通じて著者に、また内閣官房、内閣広報室に接触を試みた。返答はなんら得られず、産経は連絡先情報の提供も質問状の伝達も拒否した。
曽野氏は論争に縁のない人士ではない。女性は子どもを持ちしだいに退職すべきという主張や彼女の出産休暇反対論は、安部首相が大いに自慢する「ウィミノミクス」、すなわち男女共同参画政策と衝突するようである。
それにしても、曽野氏のアパルトヘイト同調コラムは、お気軽な人種主義が体制によって許されているように見受ける日本においてさえ、かなりの異論を招いた。
この記事を取りあげたツィッターまとめサイト[「曽野綾子さんの産経新聞コラムがゲスすぎて大炎上」]は、休日であるにもかかわらず、コラム掲載日に110,000閲覧数を記録した。コメントは基本的に、次に貼っておくツィートの趣旨に沿った否定的なものだった…

 本誌は産経に対して、同社サイトが公に掲載している「新聞倫理綱領」に、新聞制作のあらゆる側面において「人権に最高の敬意を払い、報道を誤ったときはすみやかに訂正し、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講ずる」と指摘し、コラムについて質問した。
産経はデイリービーストにこう答えた――「曽野綾子さんのコラムは連載記事であり、ご本人のご意見として、そのまま掲載いたしました。この件に関して、さまざまな意見があるのは当然のことです」
産経新聞は、日本で指折りの保守系新聞であり、安倍政権と緊密に足並みを揃えていると伝えられている。同紙は日本における国家主義メディアの最前線に位置し、国家による戦争犯罪の歴史を歪曲したり、過小評価したりしている。
産経新聞社史の初期の社長のひとりは、その回顧録に、第二次世界大戦中、女性たちを軍部の性奴隷として徴募したことに自分自身が関与したと書いた。同紙は、その報道のすべてから回顧を削除しているようだ。
同紙は昨年、20113月の地震と津波の背後にユダヤ人たちがいて、ホロコーストはイスラエル国を創設するためのでっち上げだったと主張する書籍類の反ユダヤ人広告の掲載を謝罪した。
日本紙の多くと同じく、社論(新聞社編集部の公的な見解)と記者たちの立派な仕事は必ずしも一致しない。産経の報道陣は311災害と核メルトダウンのあと、非常に充実し、強力な調査報道をいくつかものにした。だが、管理部門と記者たちには、異なった優先順位があるようだ。
このコラムに、Contemporary Japan[『現代日本』]の著者、ジェフ・キングストンはさほど驚かなかった。「これは、(日本の)神話とフィクションが絡み合った栄光と恥の過去を祝う日、建国記念日に掲載されました」と、彼はデイリービーストに語った。
産経はこのアパルトヘイト賛辞を掲載したことによって、もたもや「国家の過激派に突出した論拠を提供しました」と、キングストン氏はいい、密室で曽野綾子氏が安部首相にどのような助言をしているのだろうか、他にも彼女はどのような時計の針を逆戻りさせているのだろうかと考えて初めて、世人は身が縮む思いをすると付け加えた。「安部首相は日本の移民受け入れ枠拡大を繰り返し求めてきましたが、移民労働者たちには、もうひとつの考えを抱く恰好な理由ができました」と、彼はいう。
そのとおり、懸念を示す人がすでにいる。
日本に来て、通信分野で働く30歳の南アフリカ人女性はコラムを見せられ、頭を振り、「わたしはすでに職場で微妙な人種主義とたっぷりやりやっています。大手紙がこのような戯言を掲載するようなら、この国の人種主義者を勢いづけます。わたしにはすでに十分です。たぶん、わたしたちの全員が出国し、日本が勝手に独自の外国人嫌悪・認知症で堕落するがまま放置しておくべきなのでしょう。日本の性差別が人種主義と同じほどひどいなら――絶望のようですので――女性が出産を望まないのも不思議ではありません」と語った。
日本は、首相と大手紙のひとつが揃って、人種差別が自分たちの身近に働く個々の人たちを巻き込んでいるときでさえ、人種主義を糾弾する必要があるとまったく感じていない実に悲しい時期にある。人種主義が票になり、新聞が売れるからだろうか? 同じ見解だからなのだろうか? たぶん、少しは両方の理由なのだろう。だが、日本が存続するために、外国人労働力を導入する必要があるなら、国が取り組まなければならない問題であり――ゲットーを築いても、答えにならない。