凡例:[原注]〔訳注〕 リンク:目次
健全な精神と悔い改め――健全な精神の哲学の基本的な多元論――病んだ精神状態、その二つのレベル――人それぞれに異なる苦痛閾――自然のものごとの不確かさ――すべての人生の失敗、またはむなしい成功――あらゆる純粋自然主義の悲観論――古代ギリシャ・ローマ世界観の絶望――病的な不幸――「アンヘドニア」〔快感脱失症〕――ぐちっぽい欝――活力は純然たる贈り物――活力を失えば、物質世界の外観は変わる――トルストイ――バニヤン――アリーン――彼らの事例の救済には超自然的な宗教が必要――健全な精神状態と病的状態との反目――悪の問題は避けられない
わたしたちは前回の講義で、健全な精神の気質、つまり後を引く苦痛を受け容れることが生まれつきできない気質、ものごとを楽観的に見る傾向が結晶水〔塩類などの結晶中に含まれる水〕のようになって人間の性格を決めている気質について考察しました。わたしたちは、この気質が、善、すなわちこの世の生きかたの善さえもが合理的な人間が参与すべき基本的な事柄であるとみなされる特異なタイプの信仰の基盤になっている様子を見ました。この信仰は、宇宙の邪悪な面をこころに抱いたり重視したりすることを意識的に拒否したり、遠慮深謀によって無視したり、またときには、その存在を全否定さえしたりすることによって、邪悪な面に片を付けるように命じます。悪は病気なのです。病気を苦にすること自体が余分な形の病気であり、これが元の病状に加わるだけです。悔いや自責の念といった、善の従僕の性として現れる感情ですら、こころの萎える病的な衝動にすぎないのかもしれません。最良の悔いとは、思い切って義のために行動し、自分が罪に関与していたことを忘れることです。
スピノザ〔Baruch de Spinoza(1632-77)オランダの合理主義哲学者〕哲学の核心には、この類いの健全な精神状態が織りこまれていて、その哲学にまつわる魅惑のひとつの鍵になっています。スピノザによれば、理性が先導する人間は、善がその人におよぼす影響にあらゆる面で導かれています。悪の知識は“不適切”な知識であり、奴隷根性だけにふさわしいのです。だから、スピノザは悔いを厳しく断罪します。人が過ちを犯す場合について、彼はこういいます――
「おそらく人は良心の呵責や悔恨が自分を正しい道に連れ戻してくれると期待し、だから、こういう情動はよいものであると(だれしもがそう結論するように)判断するのだろう。だが、問題を詳しく検討してみると、こういうのはよいものどころか、反対に有害で邪悪な激情である。なぜなら、良心の苦しみや呵責にかかわるよりも、理性と真理愛に頼るほうが、いつでも順調な生きかたができることが明白だからである。これらは有害であり、独特な種類の悲哀を生みだすので邪悪である」
続けて、彼はこういいます――
「わたしは、悲哀をわたしたちの生きかたから努めて遠ざけるべきであることをすでに証明し、明示した。良心の不安や呵責はこの種の感情であるので、だからこそ、わたしたちはこのような精神状態を避け、遠ざけるように全力をつくさねばならない」[66]
[66] Tract on God,
Man, and Happiness, Book ii. ch. x.
キリスト教組織の内部では、罪の懺悔がもともと重大な宗教行為になっておりますが、健全な精神状態が常に前面に出て、懺悔に穏やかな表現を与えています。そのような健全な精神のキリスト教徒によれば、懺悔とは、犯した罪にうめいたり身もだえしたりすることではなく、罪から逃れることなのです。カトリックの告解と赦しのしきたりには、健全な精神状態を第一とするための組織的な手段といってもよい側面があります。これによって人の罪科帳が定期的に清算・監査され、その人は古い債務が記されていない真っ白な帳面でやりなおせるのです。カトリック教徒ならだれでも、浄罪の業を授かると、どれほど清く、すがすがしく、自由に感じるか語ってくれることでしょう。マルティン・ルター〔Martin Luther(1483-1546)宗教改革者〕は、ここに論じてきたような本来の意味では、あらゆる点で健全な精神のタイプに属しませんし、司祭による免罪を否定しました。それでも、この懺悔の問題に関して、主として彼の神概念の広大さのおかげで、なんらかの非常に健全な精神にもとづく理念を掲げていました。
「わたしが修道士〔聖アウグスチノ修道会〕だったころ、肉の欲を感じたときには、すなわちだれか兄弟に対して、肉欲、怒り、憎しみ、あるいは妬みといった邪悪な心の動きを感じた場合、いつも自分は完全に打ち捨てられているのだと考えた」
ルターは続けてこういいます――
「わたしの良心をなだめるためにさまざまな方法を試してみたが、どうにもならなかった。情欲とわたしの肉の欲はいつも戻ってきたからであり、そのためにわたしは心休まらず、『おまえはあれこれの罪を犯した。おまえは、妬みに、わがままに、その他同じような罪にまみれている。だから聖職の世界に入ってもむだなのだ。いっさいのおまえの善行は無益なのだ』という思いに絶えず苦しめられていた。だが、当時のわたしがパウロの『肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。霊と肉とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです』〔ガラテアの信徒への手紙5・17〕ということばを正しく理解していたなら、あれほど惨めに自分を苦しめなかったはずだし、いまのわたしが普通にしているように、『マルティンよ、おまえは肉をまとっているのだから、完全に罪から免れているわけにはいかない。だから、そこに戦いを感じることになるのだ』と考え、みずからにそういい聞かせたことであろう。わたしは、シュタウピッツ〔Johann von Staupitz(1460-1524)ルターの聴罪司祭〕が『わたしは、もっとよい人間になりますと神に千回以上も誓った。今後、そのような誓いはやめよう。いまは、そんなことはできないと経験で学んでいるからだ。だから、キリストに免じて、神がわたしを義とし、恩寵をたまわらなければ、わたしの誓いやわたしの善行をいくら積んでも、神のみ前に立てないだろう』とよくいっていたのを思い出す。(シュタウピッツの)このことばは真実であるだけでなく、信心深く神聖な絶望である。救われたい者はみな、口とこころを用いてこの告白をなさねばならない。なぜなら、信心の人びとはみずからの義に信を置かないからである。彼らは、キリストに、彼らの罪のためにみずからの命を捧げた仲介者を見ている。さらに、彼らは、彼らの肉に宿る罪の遺物は、彼らの負債になるのではなく、無条件に免除されることを知っている。それにもかかわらず、一方で、彼らは、肉欲をかなえることのないように、肉に対して霊的に戦うのである。肉が荒れ狂い、反逆していると感じ、彼ら自身が時には無力にして罪に沈むと感じても、彼らはくじけないし、彼らの状態と命の本質は、そして召命にしたがってなされた働きは神の不興を買うとは考えもしない。彼らは信仰によってみずからを高めるだけなのである」[67]
[67] Commentary on Galatians, Philadelphia , 1891, pp. 510-514.(要約)
イエズス会〔1〕修道士らが、宗教の天才にしてキエティスム〔2〕の開祖、モリノス〔Miguel de Molinos (1628–97)スペインの聖職者〕をひどく忌み嫌って糾弾した異端説のひとつが、悔い改めに関する健全な精神にもとづく次のような彼の見解でした――
〔1.一五三四年、聖イグナチオ・デ・ロヨラによって創立されたカトリック修道会〕
〔2.Quietism=静寂主義。完徳と平安とは自我意志を無にして静かに神を念じることによって獲得されると教える、一七世紀末の極端な神秘主義的信仰復興思想・運動〕
〔2.Quietism=静寂主義。完徳と平安とは自我意志を無にして静かに神を念じることによって獲得されると教える、一七世紀末の極端な神秘主義的信仰復興思想・運動〕
「なんじが過ちに陥ったとき、どんなことであれ、なんじ自身を苦しめたり責めたりしてはならない。過ちは、原罪が染みついた、われらが頼りない天性の結果であるからである。なんじがなんらかの過ちに陥ったとたん、公衆の敵は、なんじが錯誤のうちに歩み、したがって神とその寵愛を失っていると信じこませ、これによって、なんじの惨めさをあげつらって、それを途方もないものに仕立て、なんじに神の恩寵に対する不信感をおこさせる。失敗をあまりにもしばしば繰り返すうちに、毎日、なんじの魂はよくなるのではなく、悪くなっていくとなんじの頭に叩きこむ。おお、祝福された魂、なんじの目を開くのだ。なんじの惨めさを知り、慈悲深き神を信頼して、これら魔性の暗示に対して門戸を閉ざすのだ。他人と競争しているさい、先頭を走っているさなかに転ぶと、地面に転がったまま、すすり泣いて、転がったことについてあれこれ考え苦しんでいるとすれば、単なる愚か者ではなかろうか? すばやく立ち上がって、競争を続けるならば、転ばなかったのと同じようなものなので、おい君、ぐずぐずしていないで、立ち上がって、ふたたびコースを走るのだ(と人はいうだろう)。一回であろうが千回であろうが、倒れるなら、なんじに授けたわが救済策、すなわち神の慈悲に対する愛に満ちた信頼を用いるべきである。これらは、なんじが戦い、臆病や空虚な考えを征服するための武器なのだ。これはなんじが用いるべき手段なのだ――時間を無駄にせず、なんじ自身を乱さず、不善を刈りいれてはならない」[68]
さて、このような健全な精神の考えかたを、悪を意図的に最小化する道とみなすことにしますと、これとは対照的に正反対の考えかた、わたしたちの生きかたの悪の側面がその本質そのものであり、わたしたちがそれを肝に銘じるならば、世界の意味がわたしたちの胸に染みこむという確信にもとづく、いうなれば悪を最大化する道があります。いまや、わたしたちは状況に対する、このもっと陰気な見かたに向きあわねばなりません。だが、前回の講義を健全なこころの人生観に関する一般哲学的な考察で締めくくりましたので、この重たい課題に取りかかるまえに、この時点で、もうひとつの哲学的考察をしておきたいと思います。みなさんもしばしの遅れをご容赦くださることでしょう。
悪がわたしたちの本性の本質的な要素であり、わたしたちの生きかたを解釈するための鍵であると認めると、わたしたちはいつでも宗教哲学のお荷物になるとわかっていた難題を背負いこむことになります。有神論は、それが宇宙に関する系統的な哲学となるとき、神を完全無欠の存在以下のものとすることを常に嫌ってきました。すなわち、哲学的有神論は汎神論や一元論となって、世界を絶対的事実の一単位と考える傾向を示してきました。そして、これは大衆的または実際的な有神論とは矛盾しており、後者の場合、多神論はいいすぎだとしても、これまでずっとあからさまに多かれ少なかれ多元論であってきましたし、神聖な原理が至高なままであり、他の原理を従属的なものであると信じることが許されさえすれば、宇宙が多くの独自原理で構成されていても一向にかまわなかったのです。後者の場合、神は悪の存在に対して責任があるわけでは必ずしもありません。悪が最終的に克服されない場合に責任があるだけです。だが、一元論や汎神論の見地に立てば、悪は、他の万物と同じく神を起源とするはずです。そして、難題とは、神が絶対的な善であるなら、このようなことがどうしてありうるのかということです。世界を矛盾のない事実の一単位とみなす、あらゆる形態の哲学において、わたしたちはこの難題に直面します。このような単位は個体であり、そのなかの最悪部分は最善部分と同じように不可欠であるはずですし、個体を個体とするために必要であるはずです。というのも、個体のなかのどの部分であっても、それが消滅したり変わったりしてしまえば、それはもはやその個体ではなくなってしまいます。絶対的観念論の哲学は、今日のスコットランドでもアメリカでも、とても精力的に説かれておりますが、往時のイエズス会神学とまったく同じように、この難問に苦しまなければなりません。この謎からの理論的な抜け道はまったくないといってしまってはいいすぎですが、支障のない、つまり安易な抜け道はなく、このさい、パラドックスからの唯一明白な脱出策は、一元論の前提から全面的に逃げ出して、世界は、単一の事実ではなく、高次元と低次元の事物や原理の集合体または寄せ集めとして、その起源から多元的な形で存在してきたものと認めることであるといえば、完全に公正なことでしょう。そうなれば、悪は不可欠である必要がないからです。悪は、他の部分と共存するべき合理的または絶対的な権利を有しない別個の部分であるかもしれず、またそうであってきたかもしれず、ついにはそれが除去されると望んでもおそらくかまわないのです。
さて、これまで述べてきたような健全な精神状態の福音は、この多元的な見かたに決然たる一票を投じます。一元論の哲学者は、ヘーゲル〔Georg Wilhelm Friedrich Hegel(1770-1831)ドイツ観念論を代表する哲学者〕がいったように、現実に存在する万物は理にかなっていて、悪は弁証的に不可欠な要素として迎えられ、保たれ、聖別されなければならず、真理の究極的な体系において与えられた機能をもつと述べることを多少なりとも余儀なくされていますが、健全な精神状態はこの類いの発言をいっさい拒みます。[69] 健全な精神がいうには、悪はまったく不合理なものであり、どのような真理の究極的な体系においても迎えられたり、保たれたり、聖別されたりしてはならないのです。主にとって悪は嫌悪すべきものに他ならず、縁のない非実在であり、無用の要素であって、投げ捨てられ、無視されるべきものであり、できれば、その記憶すらも消し去られ、忘れ去られるべきものなのです。理想は、現実総体と共通の広がりをもつものからは程遠く、現実から抽出されたものであるにすぎず、この病的で劣等な排泄物めいた代物とのあらゆる接触を免れていることを特色としています。
[69] 多くの精神療法作家らの一元論口調にもかかわらず、わたしはこういっておく。そういう話しぶりは病気に対する彼らの態度とじっさい矛盾しているし、彼らが接するより高い存在との合一体験には論理の必然として関連していないことを容易に示せるからである。すなわち、より高い存在は、事物の絶対的な総体である必要はなく、宗教体験の活力にとって、それが部分であっても、最も理想的な部分でありさえすればまったくかまわないのである。
ここに、みごとにも、またまっとうにも示されている、おもしろい観念があって、それは、他の要素と連動して理のある全体を構成しない宇宙の要素があって、これら他の要素が構成する、どのような体系の立場から見ても、とても不条理であり、不慮のもの――いうなれば、まさしく「汚らわしいもの」――であって、場違いであるという考えです。みなさんには、この観念をお忘れにならないようにお願いしておきます。というのも、たいがいの哲学者たちは、これを忘れていたり、あまりにも久しく口にするのを潔いとしなかったりするのですが、それにもかかわらず、結局、これには真実の一片があるとみずから認めなければならなくなるとわたしは信じるのです。だから、精神療法の福音は、今一度、品位と重要さをもつものとして、わたしたちの前に現れるのです。わたしたちは、それが生粋の宗教であって、病気を治すために想像力に訴えるだけの単なるばかげたものではないことを見てきました。その実験による検証手段は、あらゆる科学の手段と違わないことを見てきました。そして、わたしたちは、いまここに、精神療法が世界の形而上〔*〕構造の完全に明確な概念の擁護者であると知りました。このことに免じて、このように長ながとみなさんの注意にこのことを押しつけてきたことで、みなさんは気を悪くなさらないものと思います。
〔metaphysical時間・空間の感性形式をとる感覚的現象として存在することなく、それ自身超自然的な、ただ理性的思惟によってとらえられるとされる存在〕
では、この考えかたにしばしの別れをきっぱり告げて、悪の意識の重荷をさっさと投げ捨てることができず、生まれながらに悪の存在に苦しむように運命づけられた、そういう人びとに向き合うことにしましょう。健全な精神状態にも浅いレベルのものと深いレベルのものがあって、単なる動物のような幸福と、生まれ変わり精神的に改まった類いの幸福とがあることをわたしたちは見ましたが、それとまさに同じように、病的な精神にも異なったレベルのものがあり、あるものは他のものよりもずいぶんと厄介なものなのです。悪がものごととの単なる不適合、環境への生きかたの間違った対応であるにすぎない、そのような人びとがいます。自我かものごとのどちらか、あるいは両方とも修正するだけで、両者は適合し、婚姻の鐘がふたたび鳴って、すべてメデタシとなるかもしれないので、このような悪は、少なくとも原理的には、通常の水準で改めることができます。だが、悪が、単に外部の特定のものごとに対する主体の関係ではなく、もっと根深く全般的なもの、当人の根本的な気質に根ざす過ちや欠陥であり、環境を改めたり内的な自我を表面的につくろったりしても治せず、超自然的な救済を必要とする、そのような人びともいます。全般的にみて、ラテン系民族は、悪が複数の病や罪であり、具体的に治すことができるものとする、前者の見かたに傾いています。その一方、ゲルマン系民族は、罪とは、独特のものであり、大文字で表記された、わたしたちの生まれつきの主観に消しがたく染みついていて、いかなる表面的で断片的な手術を施しても治らないものと考えがちです。[70] このような比較にはいつでも例外が付きものですが、疑いなく、北方系宗教の基調は深く悲観的な信仰に傾いていて、このような感じかたは、極端であるだけに、わたしたちの研究にとって、教えられることがはるかに多いことになるでしょう。
[70] J. Milsand:
Luther et le Serf-Arbitre, 1884, passimを参照のこと。
近ごろの心理学は、ひとつのこころの状態が別の状態に転移する臨界点という象徴的な意味を表す用語「閾」を多用するようになりました。ですから、わたしたちは一般的にある人の意識の閾について語り、その人の注意を引き起こすに足る騒音や圧力、その他の外部刺激の量を表すのです。ある一定量の騒音のなかで閾の高い人は眠っているでしょうが、閾の低い人はたちまち目が覚めてしまいます。同じように、いかなる感覚の場合でも、わずかな違いに敏感な人がいますが、それを「差異閾」が低いといいます――その人のこころは閾をたやすく越えて、その差異を意識に取りこむのです。まったく同じように、「苦痛閾」「恐怖閾」「悲惨閾」といいますし、このような閾を一部の人たちの意識はすぐに越えますし、他の人たちの閾は高くて、意識が到達することはめったにありません。快活で健全な精神の人は、いつも悲惨境界線の陽のあたる側に生きていて、元気のない、ふさぎこんだ人は、その境界線の反対側、暗闇と不安に包まれて生きています。シャンペンの一本か二本をボトル・キープして人生をスタートしたと見受けるような人もいれば、苦痛閾のすぐそばに生まれあわせたために、ほんのささいな刺激が加わるだけで、宿命的に閾を越えてします人もいます。
苦痛閾の一方の側で生きていたことが多かった人は、他方の側でいつも生きていた人のとは異なった種類の宗教が必要であると思えないでしょうか? だから、当然にも異なったタイプの必要性にそれぞれ対応する異なったタイプの宗教の相関関係という、この論題が持ちあがり、これを解明しおえるまで重要な問題となることでしょう。だが、一般論としてこれを真正面から取り上げる前に、健全な精神の人たちに対比していうならば、病んだ魂が、その人たちの牢獄の秘密、特異な意識のありかたについていわざるをえなかったことに聞き入るという辛い仕事にわたしたちは集中しなければなりません。では覚悟を決めて、一度生まれとその青空のように楽天的な福音に背を向けることにしましょう。外面的な状況はどうであれ、「宇宙に万歳!――天に神あり、世界はすべてよし」と単純に叫ぶのはよしにしましょう。むしろ、哀れや苦痛や恐怖、人間の無力さに対する感慨が、もっと深みのある光景を開かないものかどうか、状況の意味に対するもっと複雑な手掛かりをわたしたちの手にもたらさないものかどうか見てみることにしましょう。
そもそも、この世の成功体験のような不確かなものが、どうしてしっかりした拠り所になることができるのでしょうか? 鎖の全体はその最も弱い環よりも強くなれず、結局、人生は鎖なのです。最も健全で、最も富み栄えた生活ぶりであっても、どれほど多くの病気、危険、災難の鎖の輪が組み込まれているのでしょうか? 疑いもなく、古の詩人が言ったように、すべての喜びの泉の底から、なにか苦いもの、吐き気の感触、喜びの唐突な喪失、憂愁の匂い、弔いの鐘を鳴らすものが湧きあがってきます。はかないものであっても、深い領域からやってくる感覚を伝え、しばしばぞっとするような存在感を示すからです。ピアノの弱音器が落ちると弦の音がやむように、その感触は暮らしのざわめきを消してしまいます。
もちろん、音楽はふたたび鳴りはじめることができます――繰り返し、繰り返し――間を置いて。だが同時に、健全な精神の意識は、癒せない不安定感に取り残されます。それは割れのある鈴なのです。お情けで、たまさか鳴っているのです。
これら頭を冷やすような合い間を自分で体験したことがないような完璧に健全な精神の持ち主のことを考えてみるとしても、彼が自省的な人間であるならば、全体を見て、自分の運と他の人たちの運を比べてみるはずです。そうすることによって、自分が逃げおおせたのは幸運に恵まれたのにすぎず、本質的な違いはないとみるはずです。彼はまったく違った運に生まれ合わせてもよかったのです。そうであれば、なんとうつろな安心! 「ありがたい。今生では、うまく逃れたぞ」というのがせいぜいであれば、なんというものごとのありようなのでしょう。幸運ははかない虚構ではないのでしょうか? 喜びは、悪党がしめしめとほくそ笑むのとたいして変わらない、とても程度の低い上機嫌ではないでしょうか? だが、世人のうらやむような最も幸運な人を取り上げても、十中九割がたは、意識の内奥で失敗を感じています。その人の達成基準の理想が達成そのものよりもはるかな高みに置かれているか、あるいは、その人が世間の知りえない理想を抱えていて、内心ではそれに焦がれていると気づいているか、どちらかなのです。
ゲーテ〔Johann Wolfgang
von Goethe(1749-1832)ドイツの文豪〕ほどの功なり名を遂げた楽天家が次のような自己表白をしえたとすれば、彼ほどの成功者でない人たちはどうなのでしょうか? ゲーテは一八二四年にこう書いています――
「わが人生行路に対してなにもいわないことにしよう。だが、心底では苦痛と重荷以外のなにものでもなかったし、七五年にわたるわが人生全体を通して、正真正銘の幸福期は四週間となかったとわたしは証言することができる。人生は、絶えず繰り返して持ち上げなければならない、永遠に転落する岩であるにすぎない」
「わが人生行路に対してなにもいわないことにしよう。だが、心底では苦痛と重荷以外のなにものでもなかったし、七五年にわたるわが人生全体を通して、正真正銘の幸福期は四週間となかったとわたしは証言することができる。人生は、絶えず繰り返して持ち上げなければならない、永遠に転落する岩であるにすぎない」
「わたしは生きることにすっかりうんざりしている。主よ、ただちに来たりて、わたしをこの世から連れ去りたまえ、とわたしは祈る。主よ、来たまえ。なかんずく、最後の審判をなしたまえ。わたしはわが首を差しだそう。雷が砕けるだろう。そして、わたしは安らぐのだ」
そして、そのとき白瑪瑙の首飾りを手にしていたので、こう付言します――
「おお、主よ、審判がすみやかになされますように。それが明日のことであるなら、今日、この首飾りを食べてしまいましょう」
ある日、選挙侯未亡人がルターと食事をともにしていたとき、彼女は、先生には、これから四〇年は生きていただきたいですわ、といいます。それに対して、彼はこう応えました――
「奥方さま、さらに四〇年も生きながらえるぐらいなら、わたしは天国に行くチャンスを諦めますよ」
失敗、また失敗! この烙印を世界は節目ごとにわたしたちに捺します。わたしたちは、失態、悪事、機会の喪失とともに、職業における力量不足の記録とともに、失敗をばらまいています。世界は、なんというのっぴきならない有罪をいいたてて、わたしたちを抹消することでしょう! 安易な罰金や単なる謝罪、あるいは形式的な罪滅ぼしでは世界は納得せず、それどころか、えぐり取られた一ポンドの肉〔シェイクスピア『ヴェニスの商人』〕はすべて血にまみれています。人間の知るなかで最も油断のならない苦しみは、このような結果にともなう不快極まりない屈辱に結びついています。
そして、こういうものが人間体験の要にあります。どこにでもある、永遠のなりゆきが、明らかに人生の不可欠な部分になっています。ロバート・ルイス・スティーヴンソン〔Robert Louis Stevenson(1850-94)『宝島』『ジーキル博士とハイド氏』〕は、「人間の運命には、目をつむっても否定できないひとつの要素が現実にある。われわれは、他のことならなんでもできるようになっているが、成功するようにはなっていない。失敗が、割り振られた運命なのだ」[71]と書いています。このように、わたしたちの本性が失敗に根ざしているなら、神学者らが失敗を本質ととらえ、それがもたらす屈辱の個人的体験を通してのみ、人生の意味に関する深い感覚がえられると考えるとしても、なんの不思議があるでしょうか?[72]
[71] 彼は、持ち前の健康な精神状態を発揮して、こう付け加える――「われわれの本分は、上機嫌に失敗しつづけることにある」
[72] 多くの人びとの神は、彼らの失敗に世間がくだす容赦ない断罪に対する控訴審とたいして違わない。わたしたち自身の意識には、わたしたちの罪や過失が語りつくされたあとに残る価値の残りかすがある――罪や過失を認め、悔いる、わたしたちの能力は、少なくとも潜在的には(in posse)、よりよい自我の芽生えではある。だが、世界がかかわるのは、現実としての(in actu)わたしたちであり、潜在的な(in posse)わたしたちではない。隠れた萌芽は、外側からはうかがいしれず、世界がそれを相手にすることはない。だから、わたしたちは、わたしたちの悪を知るが、わたしたちのうちにあるこの善をも知っていて、公正でもある全知者に救いを求める。わたしたちは、神によってのみ、最後の審判を仰げるので、悔い改めをもって、神の憐れみにわが身を投げ出す。だから、この種の人生体験から神を求めるこころが決定的に生じるのである。
[72] 多くの人びとの神は、彼らの失敗に世間がくだす容赦ない断罪に対する控訴審とたいして違わない。わたしたち自身の意識には、わたしたちの罪や過失が語りつくされたあとに残る価値の残りかすがある――罪や過失を認め、悔いる、わたしたちの能力は、少なくとも潜在的には(in posse)、よりよい自我の芽生えではある。だが、世界がかかわるのは、現実としての(in actu)わたしたちであり、潜在的な(in posse)わたしたちではない。隠れた萌芽は、外側からはうかがいしれず、世界がそれを相手にすることはない。だから、わたしたちは、わたしたちの悪を知るが、わたしたちのうちにあるこの善をも知っていて、公正でもある全知者に救いを求める。わたしたちは、神によってのみ、最後の審判を仰げるので、悔い改めをもって、神の憐れみにわが身を投げ出す。だから、この種の人生体験から神を求めるこころが決定的に生じるのである。
だが、これは世界の病の第一段階であるにすぎません。人間の感受性をもう少し鋭くすれば、人間をもう少し悲惨閾の向こうへ押しやれば、うまくいった瞬間そのものがもつ善の性質がとたんに損なわれ、無に帰します。あらゆる平常の価値が消失します。富に羽が生えます。名声はあっという間にはかなくなります。愛はまやかしです。若さと健康と快楽は消えうせます。結末がいつも塵芥や失望でおわるものごとが、わたしたちの魂が求める価値になりうるでしょうか? あらゆるものの背後には、普遍的な死という巨大な亡霊が、すべてを呑みこむ暗黒が潜んでいます――
「太陽の下、人は労苦するが、すべての労苦も何になろう。わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物になんらまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る……死者はもうなにひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく、彼らの名は忘れられる。その愛も憎しみも、情熱も、すでに消えうせ、太陽の下に起こることのどれひとつにも、もうなんのかかわりもない……光は快く、太陽を見るのは楽しい。長生きし、喜びに満ちているときにも、暗い日々も多くあろうことを忘れないように。なにが来ようとすべて空しい」
〔旧約聖書『コレヘトの言葉』1-3, 1-14, 3-19~20, 9-5~6, 11-7~8〕
要するに、生とその否定とは、分かちがたく混ぜられているのです。しかし、生が善であれば、その否定は悪になるはずです。それでも、このふたつは等しく実存の基本的な事実です。だから、あらゆるあたりまえの幸福は矛盾をはらんでいます。そのまわりを墓場の気が包んでいます。
ものごとのこのような状態に浸りこみ、そのような思いが引き起こし、喜びを破壊する失意にさらされているこころに対して、健全な精神が与えられる慰めは、「たわごとを言っていないで、戸外へ出かけよう!」、あるいは「おい君、元気を出せよ! くよくよしなければ、すぐに万事うまくいくさ!」といってあげることだけです。ところが、冗談ぬきで、そのようなぶしつけな荒っぽいことばが理のある答になっているのでしょうか? 宗教的価値を、単に普通の善をつかんだ束の間の機会に能天気にも満足することとするのは、粗忽さと軽薄さの神聖視に他なりません。そのような癒しで解消するには、わたしたちの悩みはあまりにも根深いのです。わたしたちが死にうる、いつでも病気でありうるという事実が、わたしたちを困惑させています。いまとりあえずわたしたちが生きていて、元気であるという事実は、この困惑とは無関係です。わたしたちは、死と関連のない生、病気にならない健康、消えることのない善、普通の善のかなたに飛翔する現実の善を必要としています。
すべては、魂が不調和に対してどれほど敏感になるかにかかっています。この種の意識をもつわたしの友人が、「わたしの悩みは、ありきたりの幸福や善きことを過度に信じることだ。これは移ろうものであり、なにもわたしを慰めることはできない。無常でありうるということに、わたしは仰天し、当惑している」と申しました。そして、わたしたちのたいがいもそうなのです。動物的な熱しやすさや本能がちょっとおさまるだけでも、動物的な頑強さをちょっと失うだけでも、ちょっと敏感になって、弱ったり、苦痛閾が下がったりしても、わたしたちは塞ぎこんだ形而上哲学者になることでしょう。生きてある誇りも、世界の光輝もしぼんでしまうでしょう。結局、これは熱い若年と陳腐な老年の永続的な軋轢に他なりません。老年には、決め台詞があります。つまり、生に向けた純粋に自然主義的な眼差しは、はじめは熱狂を帯びていても、確実に悲しげなものに終わるのです。
この悲しみは、あらゆる単なる独断論的、不可知論的、あるいは自然主義的な哲学理論の核心にあります。血色のよい健全な精神が、いまの瞬間を生きて、無視したり忘れたりする奇妙な能力を駆使して最善をつくしても、邪まな背景は現実に存在し、それを考えないわけにはいかず、祝宴のさなかに髑髏がニヤリと歯をむくのです。個人の日常生活において、目下の事実にまつわって、ふさいだり喜んだりするのが、それに関連してはいても、非現実的な計画や希望に左右されているのは周知のことです。事実に意味を与え、枠をはめることによって、事実の価値のあらかたが決まるのです。事実が無益であるとわかれば、現にそこにあると認めはしても、その輝きは失われ、鍍金がはがれてしまいます。老人が潜行性の内科疾患で病んでいても、最初は通常どおりに笑ったり、ワインを痛飲したりするかもしれませんが、医者が病気を告知したので、すでに自分の運命を知っているのです。知識が笑いや酒の楽しみを一掃してしまいます。笑いや酒は死の道連れになり、苦痛はその兄弟になって、満足は単なる平々凡々に変質します。
いまというときの輝きは、常に、それに伴う可能性という背景からの借り物です。わたしたちの日常体験を永遠の道徳秩序で包みこむとします。わたしたちの苦しみに不滅の意味を与えるとします。天が地に微笑みかけ、神がみが訪れるとします。信仰と希望とが、人間の呼吸する大気であるとします――そうすれば、人間の日びは喜びあふれるものになるでしょう。期待に躍動し、はるかな価値に感動するでしょう。反対に、身を固める寒気と陰気、わたしたちの時代の純正自然主義や通俗科学進化論にとって、最終的に目に見えるものである、あらゆる永遠の意味の欠如で取り囲んでしまうと、感動はとたんにしぼみ、あるいはむしろ不安な身震いに変わってしまいます。
現代の宇宙論思潮が助長する自然主義によれば、人類は、逃げ道のない絶壁に囲まれた凍結湖のうえに居住し、しかも、少しずつ氷が溶けていて、最後の薄氷が消えてしまう避けることのできない日が迫っていて、情けなくもおぼれてしまうのが人類の運命であると知っている人間集団に似ています。スケートが楽しければ楽しいほど、日中の太陽が暖かければ暖かいほど、輝けば輝くほど、夜間の焚き火が赤く燃えれば燃えるほど、状況全体の意味が思いやられ、悲しみが痛烈に胸に迫るのです。
文芸作品のうえで、古代ギリシャ人は、わたしたちにとって、常に変わらず、自然の宗教がかもしだす健全な精神の喜びの模範とされています。じっさい、ギリシャ人には喜びがふんだんにありました――太陽が照らすたいがいのものを賛美するホメーロスの熱狂の弁はとどまることがありません。それでも、ホメーロスでさえ、内省的な文言には喜びがなく[73]、ギリシャ人にしても、宇宙に思いをはせ、究極を考えたとたんに紛れもない厭世主義の持ち主になったのです。[74] 神がみの嫉妬、過分な幸福の報い、すべてを巻きこむ死、運命の暗い不透明さ、本源的で不可解な残酷さといったものがギリシャ人の想像の背後にある固定観念になっていました。彼らの多神教のすてきな喜ばしさは、近代の詩情に彩られた虚構であるにすぎません。彼らは、ほどなく当講座で紹介することになるムスリム、仏教徒、キリスト教徒、ムハンマド信者といった自然発生的ではない宗教をもっている二度生まれの人びとが、いくつかの神秘主義信条と放棄から得ている喜びとは価値の質において比較しうるような喜びを知ってはいません。
[73] たとえば、Iliad XVII. 446「だから、この地上に生息し、はびこるあらゆるもののうちで、人間よりも惨めなものはどこにもいない」
[74] たとえば、Theognis, 425-428〔テオグニス=紀元前六世紀、ギリシャの詩人〕「あらゆるものにとっての最善は、生まれもせず、太陽の輝きも目にしないことである。次善は、できるだけ早く冥府の門をくぐることである」。Oedipus in Colonus, 1225〔ソポクレスの悲劇『コロノスのオイディプス』〕にある、ほとんど同じような次の台詞も参照のこと――この悲劇は厭世的な文言で満ちている。「わたしは裸で地上に来たりて、裸で地下に行く――だから、わが眼前にむきだしの最期を見ているのに、なぜに無駄な骨折りをするのか?」――「どうしてわたしは来たったのか? なぜにわたしはいるのか? なにゆえにわたしは来たったのか? この世を去るためだ。なにひとつ知らないわたしが、なにを学べるのか? とるに足らぬものとしてわたしは来た。ふたたびわたしはかつてのわたしになる。無であり、無意味であることが、すべて死すべき人類の定めなのだ」――「われらはすべて気ままに屠殺される豚の群れのごとく大事にされ、太らされる」
ギリシャの厭世観と東洋や近代の厭世観との違いは、ギリシャ人が、愁いの気分が理想化され、より高い形態の感性に結実するということを発見しなかった点にある。彼らの精神は基本的にいまだにあまりにも男性的であり、厭世観が洗練されたり、彼らの古典文芸に長ながと居ついたりすることはなかった。彼らは、全体が哀調で奏でられた人生を軽蔑し、そのようなものは適当な涙の底に沈んでおれと要求したであろう。この世がつづくかぎり、世界の苦しみと欠陥が末永く重要視されるという発見は、古典時代のギリシャ人が達成した段階よりも複雑であり、また(いうなれば)もっと女性的な民族にふさわしかった。それでもなお、彼らギリシャ人たちの世界観は暗く厭世的であった。
[74] たとえば、Theognis, 425-428〔テオグニス=紀元前六世紀、ギリシャの詩人〕「あらゆるものにとっての最善は、生まれもせず、太陽の輝きも目にしないことである。次善は、できるだけ早く冥府の門をくぐることである」。Oedipus in Colonus, 1225〔ソポクレスの悲劇『コロノスのオイディプス』〕にある、ほとんど同じような次の台詞も参照のこと――この悲劇は厭世的な文言で満ちている。「わたしは裸で地上に来たりて、裸で地下に行く――だから、わが眼前にむきだしの最期を見ているのに、なぜに無駄な骨折りをするのか?」――「どうしてわたしは来たったのか? なぜにわたしはいるのか? なにゆえにわたしは来たったのか? この世を去るためだ。なにひとつ知らないわたしが、なにを学べるのか? とるに足らぬものとしてわたしは来た。ふたたびわたしはかつてのわたしになる。無であり、無意味であることが、すべて死すべき人類の定めなのだ」――「われらはすべて気ままに屠殺される豚の群れのごとく大事にされ、太らされる」
ギリシャの厭世観と東洋や近代の厭世観との違いは、ギリシャ人が、愁いの気分が理想化され、より高い形態の感性に結実するということを発見しなかった点にある。彼らの精神は基本的にいまだにあまりにも男性的であり、厭世観が洗練されたり、彼らの古典文芸に長ながと居ついたりすることはなかった。彼らは、全体が哀調で奏でられた人生を軽蔑し、そのようなものは適当な涙の底に沈んでおれと要求したであろう。この世がつづくかぎり、世界の苦しみと欠陥が末永く重要視されるという発見は、古典時代のギリシャ人が達成した段階よりも複雑であり、また(いうなれば)もっと女性的な民族にふさわしかった。それでもなお、彼らギリシャ人たちの世界観は暗く厭世的であった。
ストア哲学の無感覚とエピクロス派の諦観とは、ギリシャ精神がこの方向でなした進歩の最前線でした。エピクロス学徒はこういいました――「幸福を求めず、むしろ不幸から逃れよ。強烈な幸福は常に苦痛につながっている。だから、安全な岸辺に沿って進み、深みの歓喜に惹きつけられてはならない。少ししか期待せず、低きを目指すことによって、失望を避けよ。そしてなによりも、イライラしてはならない」。ストア哲学者はこう言いました――「人生が人間に贈ることのできる純然たる善は、ただひとつその人自身の魂の自由占有権である。他のすべての善はまやかしである」。これらの哲学はいずれも、それぞれの程度に応じて自然の賜物に絶望したすえの哲学なのです。惜しげなく湧きいずる喜びを信じて疑わない自己放棄は、エピクロス派とストア哲学のいずれにも完全に欠落しています。それぞれがもくろんでいるのは、塵と灰に帰結する精神状態からの救済の方法なのです。まだしもエピクロス派は耽溺の抑制と欲望の沈静化の結果を期待します。ストア哲学者はなんの結果も望まず、ありのままの善を完全にあきらめます。これら諦念の形のいずれにも気高さがあります。両学派は、人間の感覚的幸福に対する原始的な酩酊が必ずくぐりぬければならない酔い覚め過程の明確な段階を表すものです。一方では、熱い血が冷たくなって、他方では完全に冷たくなります。わたしは、両学派について、単なる歴史の事跡であるかのように過去形で語ってきましたが、ストア哲学とエピクロス主義とは、いつの時代にあってもよくある態度であり、世界の病んだ魂の進化において到達する特定の決定的な段階を表しているのでしょう。[75] これらは、わたしたちの言う一度生まれの時期のたどりつく結論を表しており、二度生まれの宗教なら、無邪気な自然人と呼ぶはずのものの最高度の到達点を示しています。エピクロス主義は、せいぜい最大限のお世辞でもって宗教といえるものですが、自然人の高尚さを示しており、ストア哲学は自然人の道徳的な意思を表明しています。これらふたつは、世界を調和のない矛盾のままに放置し、より高い調和を追究しておりません。超自然的に回心させられたキリスト教徒が享受したり、東洋の汎神論者が没頭したりするような複雑な無我の境地に比較すれば、平静を得るためのそれらの受け止めかたはご都合主義的であり、粗野といっていいほどに単純です。
[75] たとえば、わたしがこのページを執筆している、その当日に、ハイデルベルクに住むわたしの世故にたけた旧友から、いくつかの警句が郵便で届いたが、それらはエピクロス主義の当代風表現として格好のものになっているかもしれない――「万人は『幸福』ということばからなにか特別なことを想起する。それは弱い精神のみが追求する幻影なのだ。賢人は、もっと慎ましいが、明確なことば、知足をもってよしとする。教育の主たる目的は、われわれを足ることを知らない生活から救いだすことである。健康は、足ることを知るための好条件ではあるが、決して不可欠なものではない。女の情と愛は自然の利器であり、自然が凡人に仕掛けて、労働を強いるための罠である。だが、賢人は常にみずから選んだ働きをよしとするだろう」
しかしながら、いまの時点で、わたしがこのような態度のいずれをも最終的に批判するといってはいないことに、どうかご注意ください。わたしはただそれらの種別について説明しているだけです。
二度生まれの人びとが報告する熱狂的な類いの幸福にいたる最も確実な道は、歴史的事実として、わたしたちがこれまでに考察したどれよりも極端なペシミズムを経由しております。わたしたちは、どれほど自然の善から輝きと魅力とが剥奪されるものかを知りました。しかし、不幸の底突きというものがあり、それはたいしたものであり、そこでは自然の善はまったく忘れられ、それが存在するという心象は精神領域からすべて消えうせています。このペシミズムの極限まで行き着くためには、人生の観察や死についての内省を超えたものが必要です。人間が本人として病理学的な欝の餌食にならねばなりません。健全な精神の熱狂家は首尾よく悪の存在じたいを無視しますが、欝の当人は、本人の意はどうであれ、ありとあらゆる善の存在を無視することをよぎなくされます。彼にとって、もはや善にはいささかの現実感もないのです。神経組織がまったく正常である場合、精神的苦痛にこれほどまでに傷ついたり、襲われたりすることはめったにありません。最も厳しいむごさの運命に外的世界で見舞われようとも、本人が健全であれば、そのようになるのは稀なことです。ここで気づくのですが、初回の講義で、わたしは神経組織についてとても詳しく述べておきましたが、その話題が現在の講義内容に鳴り物いりで再登場し、今後の講義においても、多くの機会に重要な役割を担うことになります。欝の体験は、まず第一に、絶対的に私的で個人的なことですので、個人文献を用いるのが役に立ちます。それらの声に聴き入るのは、ほんとうに苦痛なことですし、それを公の場で扱うのは無作法なことといってもほぼ間違いではないでしょう。それでも、それらは私たちの道筋の真正面に転がっているのです。いやしくも真剣に宗教の心理学に触れようとするなら、わたしたちはしきたりを忘れる意思をもち、口先だけで嘘っぱちの公的な会話の表面の下に潜りこまなければなりません。
病理学的な欝は、多くの種類に分類できます。時には、それは、単なる受動的なつまらなさとやるせなさ、気落ち、失意、味わいと熱意と活力の欠如にすぎません。リボー教授はこのような状態を指すアンヘドニア〔anhedonia=快感脱失症〕という名称を提案しました。教授はこのように書きます――
「アナルジジア〔analgesia=痛感脱失症〕と対になる新しい用語を造語するとして、アンヘドニアとでも称するこの状態は、非常に少ししか研究されてこなかったが、存在はする。ある女の子が肝臓病にかかり、そのため、しばらくの間、彼女の気質が変化した。もはや彼女は父と母に対する愛情を感じなかった。自分の人形で遊びはしただろうが、そのままごと遊びにいささかの楽しみを感じることも不可能だった。以前には彼女を笑いころげさせたことであっても、もはやおもしろがらせることはまったくできなくなった。エスキロル〔Jean-Étienne Dominique Esquirol(1772-1840)フランスの精神科医〕は、やはり肝臓病の患者だった非常に知的な治安判事の症例を観察した。判事の内心では、すべての感情が消えうせたようだった。性的倒錯も暴力も見せなかったが、感情反応がまったく欠如していた。習慣にしたがって、劇場に行ったとしても、なんの喜びも得られなかった。彼の家、彼の故郷、彼の妻、家を離れた彼の子どもたちのことを考えても、彼がいうには、ユークリッド幾何学の定理ほどにもこころが動かなかった」[76]
[76] Ribot:
Psychologie des sentiments, p. 54.
船酔いが長引くと、たいがいの人は一時的なアンヘドニアの状態になります。地上のものであれ、天上のものであれ、すべての善は不快に思われ、背を向けたくなるだけです。カトリック哲学者、グラトリ神父〔Auguste Joseph Alphonse Gratry(1805-72)フランスの神学者〕は、その自伝体の回想録に、このような状態の一時的な症例が、知的でもあり高徳でもある実に気高い人格の宗教的な進化と結びついた例を明確に叙述しています。若き日のグラトリは、工芸学校に在学していたころ、精神的孤立と過度の勉学が祟って、神経衰弱の状態になったのですが、彼はその症状を次のように的確に描いています――
「わたしはとてつもない全般的な恐怖に駆られ、パンテオン〔パリの霊廟〕が工芸学校に崩れ落ちるとか、学校が炎に包まれているとか、セーヌ河が地下墳墓に流れこんでいるとか、パリが洪水に呑みこまれようとしていると考えて、夜中にギクッと目覚めていた。また、このような考えが頭から去っても、一日中とぎれなく、癒しがたく耐えがたい孤独感にさいなまれ、絶望の縁にあった。じっさい、わたしは神に拒絶されたのだ、と考えた。道に迷い、呪われたのだ! わたしは地獄の苦しみのようなものを感じた。その以前には、地獄のことなど考えもしなかった。わたしの精神がその方面に向けられたことはなかった。談論や沈思黙考を通しても、そのような印象をもったことはなかった。地獄を気に留めていなかった。いまや突如として、わたしは地獄の苦しみを多少なりとも身に受けたのだ。
「だが、おそらくさらに恐ろしかったのは、天国の意味がわたしからすっかり奪われてしまったことである。もはやこの種のことはなにも思い描けなくなった。わたしにとって、天国は行く価値がないように思えた。それはまるで真空のようだった。架空の極楽、地上よりも非現実的な影たちの住み処。そこに住むことになんの喜びも、なんの楽しみも考えられなかった。幸福、喜び、輝き、優しさ、愛――これらのことばはすべて意味を失った。疑いなく、これらのことばを語ることもできたであろうが、それらになにか感じたり、なにか理解したり、なにか望んだり、あるいはそれらが存在すると信じたりすることはできなくなっていた。あったのは、わたしのとてつもない慰めようのない悲嘆! 幸福や理想の存在を感知することも考えることもできなかった。裸の岩にのしかかる抽象的な天空。それが、わたしの永遠に現前する住み処だった」[77]
[77] A. Gratry: Souvenirs de ma jeunesse, 1880, pp. 119-121(要約)。
一部の人びとは、不治のアンヘドニアにかかったり、あるいは少なくとも通常の生きる気力を喪失したりする。自殺に関する年次会報に、これにまつわる次のような事例があった。
年齢一九歳、無学の家内使用人が服毒し、自殺の動機を記す手紙を二通遺した。彼女の両親あてには、次のように書かれていた――
「ある人たちには、命はたぶん甘美なものなのでしょうが、わたしには命よりも甘美なものがよく、それは死なのです。だから、愛するお父さん、お母さん、永遠にさようなら。これはだれのせいでもなく、これまでの四、五年のあいだ、実現を待ちこがれていた、わたし自身の強い願いだったのです。わたしは、いつの日か、これを実現する機会があるといつも希望を抱いていましたが、いま、その機会が訪れたのです……これをこれほど長く遅らせていたのは不思議ですが、おそらく少しばかり元気を出して、こういう考えを頭から追い出すべきだと考えていたのでしょう」。
兄にあてて、彼女はこう書いていた――
「わたしの最愛のお兄さま、永遠にさようなら。この手紙が届くころには、わたしは永遠に旅立っているでしょう。愛するお兄さま、わたしがしようとしていることは、許されるものではないことはわかっています……わたしは生きることにうんざりしたので、死ぬつもりです……ある人たちにとって、命は甘美でしょうが、わたしには死がもっと甘美なのです」
S. A. K. Strahan: Suicide and Insanity, 2d edition,London , 1894, p. 131.
年齢一九歳、無学の家内使用人が服毒し、自殺の動機を記す手紙を二通遺した。彼女の両親あてには、次のように書かれていた――
「ある人たちには、命はたぶん甘美なものなのでしょうが、わたしには命よりも甘美なものがよく、それは死なのです。だから、愛するお父さん、お母さん、永遠にさようなら。これはだれのせいでもなく、これまでの四、五年のあいだ、実現を待ちこがれていた、わたし自身の強い願いだったのです。わたしは、いつの日か、これを実現する機会があるといつも希望を抱いていましたが、いま、その機会が訪れたのです……これをこれほど長く遅らせていたのは不思議ですが、おそらく少しばかり元気を出して、こういう考えを頭から追い出すべきだと考えていたのでしょう」。
兄にあてて、彼女はこう書いていた――
「わたしの最愛のお兄さま、永遠にさようなら。この手紙が届くころには、わたしは永遠に旅立っているでしょう。愛するお兄さま、わたしがしようとしていることは、許されるものではないことはわかっています……わたしは生きることにうんざりしたので、死ぬつもりです……ある人たちにとって、命は甘美でしょうが、わたしには死がもっと甘美なのです」
S. A. K. Strahan: Suicide and Insanity, 2d edition,
喜び感覚の不全という意味の欝については、これくらいにしておきましょう。それよりもっと悪性の型の欝は、明確で進行性の苦悩、つまり、健全な生命にはまったく未知である一種の精神的神経症です。このような苦悩はさまざまな性格を帯び、ときには嫌悪の質が優勢となります。いらだちや怒りの質を帯びることもあります。また、自己不信や自己嫌悪となることもあります。疑い、不安、動揺、恐怖の形をとることもあります。患者は反抗したり屈服したりします。自分を責めるかもしれませんし、外部の力を責めるかもしれません。なぜ自分が苦しまなければならないのかという空論的な謎で悩まないかもしれませんし、さいなまれるかもしれません。たいがいの事例ではさまざまな要素が混ざりあっていますので、このような分類をあまり重視すべきではありません。さらにいえば、宗教領域の経験となんらかの関連がある事例はわりと少ないのです。たとえば、怒りの事例は関連しないのが普通です。わたしの手が触れた欝の最初の事例をそのまま読みあげてみましょう。フランスの精神病院の患者からの手紙です――
「わたしはこの病院で、身体的にも道徳的にもひどく苦しんでいます。発熱と不眠(ここに閉じこめられてから、眠れなくなり、少し寝入ることはあっても、悪夢で目覚めてしまい、怖い夢、恐ろしい情景、稲光、雷鳴、その他もろもろのために飛び起きてしまいますので)、恐怖、それもすさまじい恐怖がわたしを抑圧し、休みなく捕らえ、放してくれません。いったい、これのどこに正義があるのでしょう! この過酷さに値するなにをわたしがしたのでしょう? どのような形で、この恐怖はわたしを踏みつぶすのでしょう? だれかわたしの人生からわたしを救ってくれるなら、どれほど感謝することでしょう! 食べて飲み、夜通し眠れず、たえまなく苦しむ――こんなのが、母から受け継いだ素敵な遺産とは! どうしても理解できないのは、この力の濫用です。あらゆるものに限度があり、程度があります。だが、神は程度も限度も知りません。わたしは神といいます。だが、なぜでしょう? わたしがこれまで知っていたのは、ひとえに悪魔だけでした。けっきょく、わたしは悪魔も怖いですが、同じように神が怖くて、だから、あてどなく日を過ごし、ひたすら自殺だけを考え、しかも、ここで実行する勇気も手段も持ちあわせていないのです。あなたがこれをお読みになれば、わたしの精神の異常はたやすく読みとれるでしょう。文体も考えかたもほんとうに支離滅裂です――自分でもよくわかっています。だが、わたしは精神異常か、精神薄弱になるしかないのです。このなりゆきで、だれに哀れみを乞うというのでしょう? わたしを金縛りで締めつめる見えない敵に対して、わたしは手も足も出ません。敵を見たとしても、あるいは敵が見えたとしても、戦う手立てがましになるはずもありません。ああ、敵がわたしを殺すなら、悪魔よ、連れてきてくれ! 死、死、それだけが望み! だが、もうやめましょう。あなたに向かってくどくどとたわごとを書きました。わたしはたわごとといいますが、知力も思想も残されておらず、他に書きようがないからです。ああ、神よ! 生まれたのは、なんという不運! きのこのように生まれて、疑いなく朝から夕べまでの命。大学での哲学履修年次に、わたしは厭世主義者たちと苦さを反芻しましたが、あのころのわたしはいかに真実で正しかったことか! そうです。じっさい、人生には、喜びよりも苦痛のほうが多い――人生は、墓場までつづく長い苦悩なのです。わたしのこの恐ろしい惨めさが、このことばにつくせない恐怖とあいまって、五〇年、百年、どれほどの年月ともだれにもわからないほどつづくと肝に銘じて、わたしがどれほど浮き浮きするか、考えてもみてください!」[78]
[78] Roubinovitch
et Toulouse : La
Melancolie, 1897, p. 170, 要約。
この手紙は、ふたつのことを教えてくれます。第一に、この哀れな人の意識全体が悪の感覚ですっぽり占められていますので、彼には世界に善が存在するという感覚が完全に失われていることが見てとれます。彼の注意力は善を排除し、善を認めることができません。太陽は彼の天国を離れています。第二に、自分の惨めさに不満たらたらの気分のため、こころが宗教的な方向に向かうのが阻まれているありさまが見受けられます。じっさい、不満なこころは反宗教に向かう傾向があります。また、わたしが知るかぎり、そのようなこころが宗教システムの構築にどのような役割も果たしたことがありません。
宗教的な欝は、もっと柔らかな気分に宿らなければなりません。トルストイ〔Lev
Nikolajevich Tolstoj(1828-1910)〕は、彼の本『懺悔』において、彼を独自の宗教的結論に導いた欝の発作について、すばらしい説明をわたしたちに残してくれました。その結論は、いくつかの点で風変わりです。だが、その欝には、ふたつの性格があって、そのためにこの本はわたしたちの目的にとって格好の文書になっています。第一に、これはアンヘドニアのまぎれもない事例、生きることの価値に対する意欲の全面的な自然消滅の事例になっています。第二に、この結果として世界が変質し、見知らぬ側面をさらけだしたため、トルストイの知性が刺激され、耐えない苦しみと心労をもよおす疑いの心と哲学的な救いを求める奮闘が強いられました。わたしはトルストイの文をかなり長く引用するつもりです。だがその前に、これら二点のそれぞれについて、一般的な論評を加えておきましょう。
まず一般論として、わたしたちの知的判断と価値観について。
人が違えば、同じ事実がまったく異なった感覚をもたらし、同じ人でも、時が違えば、やはりまったく異なった感覚をもたらしますので、事実が相反する感情的な意見と矛盾しなくてもおかしくないことはよく知られています。また、外部の事実と、それがたまたまもたらす感情とのあいだには合理的に推論しうる関連はありません。これらの感情の源泉は、全面的にもうひとつの存在領域、つまり主体の動物的および霊的な存在領域にあります。できるものなら、いまみなさんの世界がみなさんに吹きこんでいる感情をいきなりすべて剥奪されたみなさん自身を思い描き、好悪の感情や、希望的あるいは悲観的な意見を抜きにして、ただそれ自体としてあるがままに存在している世界を想像してみてください。みなさんがそのような否定と死の条件を理解するのは、ほとんど不可能でしょう。そうなれば、宇宙の部分のどれひとつとして他よりも重要であることはなくなってしまいます。宇宙のものごとやできごとのすべてが、意義や性格、表れ、あるいは遠近法を失ってしまいます。わたしたちのそれぞれの世界が、どのような価値、利害、あるいは意味を授かっているとしても、それらは見る人のこころの賜物なのです。愛の情熱は、この事実の最もおなじみで極端な実例です。愛の情熱は、湧くときに湧きます。湧かなければ、どのように道理をつくしても、無理強いできません。それでも、あたかも日の出がモンブランの山容を死体のような灰色からバラ色の喜ばしい姿に変えるように、愛の情熱は愛される人間の価値をすっかり変えてしまいます。それは、恋する人の世界全体を新しい調べに浸し、その人の人生の新たな一章を開きます。それが恐怖であっても、義憤や嫉妬、野心や崇拝であっても、同じことです。そういうものが生じると、人生は一変します。それらのものが生じるか否かは、たいがいの場合、非論理的な条件、多くの場合、体調面での条件にかかっています。これらの激情が世界にもたらすカッカした利害関係が、世界に与えるわたしたちの贈り物であるのと同じく、激情自体が贈り物――時には低い源泉から、時には高い源泉から、わたしたちが授かる贈り物――なのです。だが、たいがいの場合、非論理的であり、わたしたちの手には負えないものなのです。死にかけたおじいさんが、若く元気だったころの彼に世界がゾクゾクワクワクさせたロマンスやミステリー、大事の切迫について、自分自身に理を説いて聞かせるなどということが、どうしてできるでしょうか? 肉のものであれ、霊のものであれ、賜物なのです。そして、霊は思いのままに吹くのです。回廊の照明器具からどのように変色する光を注がれても、舞台装置が区別なく受けとめるように、世界の材料はあらゆる贈り物に差別なくその表面を受け身でさらします。
ところで、わたしたちの各人にとって現実に存在している世界、つまり個人の実際的な世界は、物質的な事実と感情にもとづく事実とが区分けできずに交じりあった複合世界になっています。この入り組んだ合成体のどちらかの要素を取り去ったり、ゆがめたりすると、病的とされる類いの経験が生じます。
トルストイのケースでは、人生になんらかの意味があるという感覚が一時的にすっかり引っ込んでしまいました。その結果、現実の表情が一変しました。わたしたちが回心体験または宗教的再生という現象について学ぶさいに、自我に変化が生じると、目にする自然の姿が変わるのがそれほど稀ではないと知ることになります。地上が新たになると、上空に新しい天が輝くようです。鬱の患者の場合でも、同じような変化があるのが通例です。ただ、方向が逆ですが。この場合、世界は、疎遠でよそよそしく、悪意を含む異様な姿に見えます。世界の色彩は失せ、息吹きは冷たく、世界とにらみ合う目には、思索の色がありません。「わたしはまるで別の世紀に生きているようだ」と一人の精神病院患者が言います――「わたしは雲を通してあらゆるものを見ている。ものごとはあるがままのものではなく、わたしは変えられている」ともう一人が言います――「わたしは見るし、わたしは触るが、ものごとはわたしに近づかない。厚い帳がいっさいのものの色彩と外観を変えている」と三人目が言います――「人びとは影のように動き、音は遠い世界から聞こえてくるようだ」――「わたしにはもはやいかなる過去もない。人びとがとてもよそよそしく見える。まるでわたしにはどのような現実も見えていないかのよう、わたしが劇場にいるかのようだ。人びとはまるで役者であるかのよう、すべてのものはまるで舞台装置であるかのようだ。わたしにはもはやわたし自身が見つからない。わたしは歩くけど、どうして? すべてのものがわたしの目の前で漂っているが、なんの印象も残さない」――「わたしは偽りの涙を流し、現実味のない手をもっている。わたしが見るものは、現実のものではない」――こういうのが、鬱の自我がみずからの変性状態を言い表すとき、自然に唇にのぼることばです。[79]
さて、このようなことで、深刻このうえない驚きのとりこになる人がいます。よそよそしく思えるのはまちがっている。現実でないなんて、ありえない。謎が隠されていて、超自然的な解決があるにちがいない。自然界に二つの顔があって、気の抜けないものなら、どんな世界、どんなものが現実なのか? 苦しむ人は、切迫した訝りと疑問でいっぱいになり、躍起になって論理をいじくり、事態と正しい折り合いをつけようと必死の努力をしているうちに、しばしば自分にとって満足のいく宗教的解決となるものに導かれます。
トルストイは、五〇歳ぐらいのころ、「いかに生きるべきか」、あるいはなにをすべきか、まるでわからないかのような惑いの時期、彼の言う抑止期が始まったと語ります。それが、わたしたちの営みが自然にもたらす興奮や関心が消えうせる時期であることは明らかです。人生は魅惑に満ちていましたが、いまや平板な興ざめ、いや興ざめどころか、死んだものになりました。いつも意味が自明であったものごとが、意味のないものになりました。「なぜだ?」「次はどうなるのか?」という問が、ますますしきりに取りつくようになりました。最初のうち、このような問に答があるはず、時間を割きさえすれば、たやすく答を見つけることができると思えました。だが、問がいよいよ切迫したものになると、それは病人が最初に感じる不安のようなものであると気づきました。たいして気にかけていなかったものが、絶え間ない苦しみに転じると、一時的な不安だと思っていたものが、自分にとって世界で一番ゆゆしいこと、つまり自分の死を意味すると悟るのです。
「なぜだ?」「なにゆえだ?」「なんのためだ?」という問いには応答がありませんでした。トルストイはいいます――
「わたしの内にあって、いつもわたしの命を支えてきたなにかが壊れ、すがるべきものがなにも残っていなくて、わたしの命は停止したのも同然だとわたしは感じた。目に見えない力が、なんとかして、わたしの存在を始末するようにとせきたてた。わたしを命から引き離す力は、どのような単なる願いよりも圧倒的、強力、総体的だったので、わたしが自殺を願っていたといっては正確ではない。それは、わたしの昔ながらの生きる熱意に似た力だったが、ただ逆の方向にわたしをせきたてただけである。それは、命から脱出したいという、わたしの全存在をかけた熱意だった。
「なにしろ、幸せで健康だった男、そのころのわたしが、夜ごとひとりで寝にいく部屋の垂木で首を吊らないようにロープを隠すしまつ。銃で自分に決着をつけるという、あまりにも安直な誘惑に屈しかねないので、もはや狩にも出かけないしまつ。
「自分がなにを望んでいるのか、わからなかった。生きることが恐ろしかった。生から離れよと突き動かされた。しかもそれにもかかわらず、わたしは生になにかを望んでいた。
「こうしたこと全体は、わたしの外面的な境遇に限っていえば。どう見ても幸福であるはずの時期に起こったのだ。わたしには、愛し愛される良妻がいた。かわいい子どもたちがいたし、わたしの側であくせくしなくても殖えていく大した財産があった。かつてないほど親戚や知人たちに尊敬されていた。知人でない人たちからも賞賛をたっぷりいただいていた。ありていにいって、わたしの名がすでに知れ渡っていると信じることができた。しかも、わたしは狂ってもいなかったし、病気でもなかった。それどころか、同年代ではめったにお目にかかれないほどの身体的・精神的頑強さを持ちあわせていた。百姓に負けないほど立派に刈り取りすることができたし、八時間ぶっとおしで頭脳労働をすることができて、なんの悪影響も覚えなかった。
「それでいて、わたしの生活のどのような行いにも、筋の通った意味を与えることができなかった。しかも、自分がこのことをそもそもの最初から理解していないことにわたしは驚いた。わたしは、だれかがわたしに不愉快でばかげた悪ふざけをしているかのような精神状態だった。人生に夢中になり、酔いしれてさえいれば、人は生きておられる。だが、酔いがさめてくると、人生はたわけたまやかしであると見ないわけにはいかなくなる。人生に関して、このうえない真実は、それ自体に滑稽だったりばかげていたりすることはなにもないということである。人生は、明快単純に残酷で愚劣なのだ。
「旅人が砂漠で野獣にたまげるという東洋の寓話はとても古いものだ。
「旅人は、獰猛な獣からわが身を守ろうとして、空井戸に跳びこんだ。ところが、井戸の底で竜が旅人をむさぶり食おうと口を開けているのが見えた。不幸な男は、獣の餌食になるので井戸から出ることはできず、竜にむさぼり食われるので底に飛び降りることもできず、井戸のひび割れから伸びている潅木の枝にしがみついた。手が疲れて、彼は、間もなく運命に屈するに違いないと思った。それでも、しがみついていたが、二匹のねずみ、白いのと黒いのとが、しがみついているその潅木のまわりをグルグル回り、根っこをかじっているのが目に付いた。
「それを見た旅人は、死は避けられないと悟った。このようなありさまでぶら下がっていながらも、彼は身のまわりを見渡し、潅木の葉の上に数滴の蜜がついているのを見つけた。彼は舌を伸ばして、大喜びで蜜をなめつくした。
「このように、わたしは命の大枝にしがみつきながら、逃れられない死神の竜が今にもわたしを引き裂こうとしているのを知っていて、しかも、なぜわたしが犠牲になるのか、てんでわかっていない。わたしは、かつて慰めになった蜜を吸おうとする。だが、もはや蜜は喜びにならず、夜も昼も黒ねずみと白ねずみがわたしのしがみついている枝をかじっている。わたしの目に入るのはただひとつ、逃れられない竜とねずみだけ――目をそらすこともできない。
「これは寓話ではなく、だれにもわかる平明単純な真実である。今日、わたしのしていることの結果は、なんになるのだろう? 明日、わたしがすることの結果は? わたしの全生涯の結果は、どうなるのだろう? なぜわたしは生きるのか? なぜわたしは行為しなければならないのか? 人生には、わたしを待つ死が無にしたり破壊したりしない目的がなにかあるのだろうか?
「これらの問いは世界で最も単純である。頑是ない子どもから老賢人にいたるまで、こうした問がすべての人間の魂のうちにある。これらの問に答がなければ、わたしが経験したように、生きつづけることはできない。
「わたしは、『だが、たぶんわたしが見落としたり理解しそこねたりしたなにかがあるのかもしれない。この絶望状態が人類にとって自然であるはずはない』としばしば自分に言い聞かせた。わたしは、説明を求めて、人類の獲得した知識のあらゆる部門を探した。空っぽの好奇心からではなく、わたしは、骨折り、時間をかけて問いかけをつづけた。わたしは、怠惰な気持ちからではなく、刻苦奮励して、夜昼かまわず探求した。自分を失い、自分を救おうとしている男のように、わたしは探求した――そして、なにも見つからなかった。それどころか、わたしは、諸学科に答を求めたわたしの先人たちにもやはりなにも見つからなかったと確信した。それだけでなく、先人たちは、わたしを絶望に導いたこと――人生の無意味なくだらなさ――そのものこそが、人間に到達可能な唯一の争えない知識であると認識したのだとわたしは確信したのである」
この要点を証明するために、トルストイは、仏陀、ソロモン〔旧約聖書列王記上3〕、ショーペンハウアー〔Arthur Schopenhauer(1788-1860)ドイツの哲学者〕を引用します。また、彼は、彼自身の階級と社会の人間が状況に対処するために慣習的に採用している方法は四つしかないと気づきます。竜やねずみを見ることなく、蜜を吸う単なる動物的な無知――「知ってしまったからには、このような方法からわたしが学べるものはなにもない」と彼は言っています。あるいは、寿命のあるかぎり、できるだけむさぼっておこうとする内省的な享楽主義――これは、第一のものより意図的な類の麻痺状態であるにすぎません。あるいは、いさぎよく自殺。それとも、ねずみと竜を見ながら、いくじなく悲しげに命の潅木にしがみついていること。
当然ながら、自殺が論理にもとづく知性の命じるまっとうななりゆきでした。トルストイはこう言います――
「しかし、わたしの知性が働いていた一方で、わたしのなかの別のなにかも働いていて、わたしにその行為を禁じていた――命の意識とでも呼んでみようか、それは、別の方向にわたしの心の向きを定め、わたしの絶望状態からわたしを引きずり出すように強いる力のようなものだった……その年の初めから終わりまで、ロープを使おうか、それとも銃を使おうかと、決着をつける方法をひっきりなしに自問していたが、その間じゅう、わたしの思いや視点が動きまわるのと同時に、わたしの心は別の思い焦がれる感情に消耗していた。わたしには、これを神への渇きとしか名づけようがない。この神への渇望は、わたしの思いの動きとは無縁のもの――じっさい、その動きとは正反対のもの――であり、わたしのこころから生じていた。それは恐怖感に似ていて、わたしをこれらすべての異質なもののど真ん中にあって孤児になり隔離されたような気持ちにさせた。そして、この恐怖感は、だれかの力添えが得られるという希望でやわらげられていた」[80]
[80] この引用の出所はフランス語訳"Zonia"。抜粋にあたり、勝手ながら一節の位置を変えた。
神の概念に始まり、トルストイの回復にいたる経過は、感情的であると同時に知的なものでもあるのですが、これについては、今回の講義ではなにも語らず、後の時間のために残しておきます。いまわたしたちが関心を向けなければならないただひとつのことは、ありきたりの生活に対するトルストイの絶対的な幻滅という現象であり、彼のように力強く才能に満ちた人間であっても、慣習的な価値のなにもかもがこれほどゾッとするような茶番になりうるという事実です。
幻滅がこれほど徹底していれば、原状回復(restitutio ad integrum)はめったにありえません。木の実を味わったからには、エデンの幸福は再来しないのです。幸福が再来するとしても――時にその形は非常に強烈であっても、強烈な形では再来しない場合が非常に多いのですが――その再来した幸福は、単純な不幸知らずではなく、かけ離れて複雑ななにかであって、その要素のひとつとして自然の悪を含んでいるのですが、それが超自然の善に飲み込まれると気づいているので、自然の悪をつまずきの石とも恐怖の種とも見ないのです。その過程は、贖罪であり、単なる自然な健康の回復ではなく、受難者は、救われるとすると、自分には第二の誕生と思えるもの、以前に享受していたものよりも深い種類の意識によって救われるのです。
ジョン・バニヤン〔John Bunyan(1628~1688)英国王政復古期の清教徒作家。代表作『天路歴程』〕の自伝の文中に、どこか異なったタイプの宗教的な欝が記述されています。トルストイの頭を占めていたものは、人生全般の目的と意味が彼を悩ましていたので、おおむね客観的なものでした。だが、哀れなバニヤンの悩みは、彼個人の自我の状態をめぐるものでした。彼は、精神病気質の典型例であり、病的な程度までに良心が敏感で、疑心や恐怖、固定観念に取りつかれ、発動型かつ感覚型の言語自動症の犠牲者でした。対象となったのはたいがい聖書の引用句であり、それらが、時に呪いの、時に好意のことばとなって、まるで声であるかのようになかば幻覚の形で聞こえてきて、彼のこころに留まり、こころはバドミントンの羽根のようにことばの間で打ち交わされたのです。これに加えて、ひどく鬱積した自己卑下と絶望がありました。
「いな、わたしはいまやますます悪くなるばかり、わたしはいまやこれまでになく回心から遠く離れている、とわたしは考えた。ただちにわたしが火あぶりの刑に処せられるとしても、キリストがわたしを愛するとは信じられなかっただろう。ああ、わたしはキリストの声を聞くことも、キリストを見ることも、キリストを感じることも、キリストのことどもを味わうこともできなかった。ときに、神の人びとにわたしの状態を話したが、彼らがそれを聞くと、わたしを哀れみ、約束を語った。だが、約束を信じたり頼りにしたりするようにわたしに言い聞かせるぐらいなら、指を伸ばして太陽に触れるようにといってもよかった。(それなのに)その間、罪作りな行いに対して、そのときほど感じやすいことはなかった。まさにわたしの良心は痛み、ことあるごとにうずいたので、わら一本ほどの大きさの棒切れや枝木でも拾う気がしなかった。失言するのではないかと恐れて、ことばをどのように発していいのか、わからなかった。ああ、あのころのわたしは、なすこということすべてに、どれほど用心深かったことか! 身動きするだけで動揺する泥沼のうえにいるようだった。神とキリストお二方から、また聖霊から、よきことの一切からそこに置き去りにされたのだ。
「だが、わたしに由来し、内部に巣食う堕落、それがわたしの厄病であり、わたしの災難だった。その理由により、わたしの目に映るわたしは蟇蛙よりも忌まわしかった。神の目にも同じだろうとわたしは考えた。水が泉から湧きだすように、罪と腐敗とがおのずからわたしの心から湧きだすだろう、とわたしはいった。だれとでもこころを交換してもよかった。内部に巣食う邪悪さと精神の堕落に関して、わたしに匹敵しうるものは悪魔自身に他ならないと考えた。そうだ、わたしは神に見捨てられた、と考えた。長期間、数年間にもわたってわたしはこうだったのだ。
「もはや、わたしは神がわたしを人間に造ったのが残念だった。獣類、鳥類、魚類、そのほか、こうした類いに罰当たりな性はないので、わたしはその境遇を祝福した。彼らは神の怒りに触れることはない。死後に地獄の業火に送られることもない。だから、わたしが彼らのうちのいずれかの境遇にあったなら、わたしは喜んだことだろう。もはやわたしは犬や蟇蛙の境涯を祝福した。そうとも、わたしは喜んで犬や馬の境遇を身に受けただろう。わたしのように、永遠につづく地獄や罪業の重みのもとに腐敗する魂をもっていないとわかっていたからだ。いや、わたしはこれを知り、これを感じ、こなごなに砕かれていたというのに、わたしの悲しみをなおも重くしたのは、わたしの救いを求めた事実が全霊をあげても見つけられなかったことだ。どうかするとわたしの心は極端に頑なだった。涙一滴につき千ポンドの金をくれたとしても、一滴も流せなかったし、時には涙を流したいというかすかな願いさえ抱けなかった。
「わたしは、わたし自身にとって、重荷でもあり、恐怖の種だった。人生に疲れるのはどういうことか、当時ほどに知っていたことはなかったが、それでも死ぬのが怖かった。わたしがわたし以外のものであったなら、どれほどうれしかっただろう! 人間以外のものであったなら何であれ! また、わたし自身のもの以外のどんな境遇であっても!」[81]
哀れな我慢の人バニヤンは、トルストイと同じく、ふたたび光を見ることになるのですが、彼の物語のその部分については、後日に先送りしなければなりません。また後日の講義では、百年前にノヴァスコシア〔カナダ南東部の州〕で活動した敬虔な伝道福音者ヘンリー・アリン〔Henry Alline(1748-84)米ロードアイランド出身の巡回説教師〕の経験の結末についても語ることにします。彼は、その始まりになった宗教的な欝の絶頂を次のように鮮明に語っています。その型は、バニヤンのものと違っていません。
「目にするものすべてが、わたしにとって重荷であるようだった。わたしのせいで、大地は呪われているようだった。すべての樹、植物、岩、丘、谷は喪服をまとい、呪いの重荷にうめいているようであり、わたしの周りすべてのものがわたしの破滅を共謀しているようだった。わたしの罪は表ざたになっているようだった。だから、わたしの会う人すべてがわたしの罪を知っているとわたしは考え、時には、人びとが知っていると思った多くのことをすんでのことで認めようとした。そうなのだ、時には、だれもがわたしを地上最悪に罰当たりな卑劣漢と名指しているようにわたしに思えた。もはや、地上の万物はむなしくうつろであるという感覚が非常に強かったので、全世界をあげてもわたしを幸福にできない、いや、天地創造の全宇宙をあげてもできないとわたしは考えた。朝目覚めると、最初に考えたのは、ああ、わたしの哀れな魂よ、わたしはなにをしようか、どこへ行こうか?ということだった。寝床につくとき、たぶん朝になるまでに地獄に行っているだろうといった。何度も羨望のまなざしで獣を見て、獣の立場になりたい、失うべき魂がなければよいのに、と心底から願った。頭上を飛ぶ鳥を見ると、ああ、わたしの危険と苦悩から飛び去りたい!と内心しばしば思った。わたしが獣や鳥の立場にいたら、どんなに幸せだっただろう」[82]
[82] The Life and Journal of the Rev. Mr. Henry Alline,
心穏やかな獣に対する羨望は、このタイプの悲しみに広く共通する感情であるようです。
最悪の類いの欝は、パニックのような恐怖の形をとるものです。ここに申し分のない実例がありますが、これを印刷するのを許可していただいたことで、わたしは患者さんに感謝しなければなりません。原文はフランス語であり、患者さんが書かれた時点で、ご当人は明らかに悪質な精神不安定状態にいましたが、その点を別にすれば、その申し立ては極端な単純さという長所を備えています。自由に訳してみます。
「わたしの将来見通しについて、哲学的に悲観し、すっかり意気消沈していた、このような状態にあったころの夕刻、薄明りのなかの衣装室にあるはずのなにかの品物を取りにわたしは入っていきました。そこで突然、なんの前触れもなく、まるで暗闇のなかから現れたかのように、わたし自身の存在にまつわるひどい恐怖がわたしに降りかかりました。それと同時に、わたしが精神病院で見かけた癲癇患者の姿、緑がかった肌色、黒い髪の若者で完全な白痴、日がな一日、ベンチのひとつに、あるいはむしろ壁に立てかけた棚のひとつに座り、立て膝に顎をのせて、彼のもつ唯一の衣服である粗末な灰色シャツを引っ張って全身をおおった姿、そのイメージがわたしの心に浮かびました。彼は、彫刻のエジプト猫かペルーのミイラのようにそこに座り、黒い目のほかにはなにも動きはなく、まったく人間らしからぬようすでした。このイメージとわたしの恐怖とが一種の合成種に溶けこみました。潜在的にあの姿がわたしなのだ、とわたしは感じました。運命の刻限が彼に満ちたようにわたしに満ちれば、わたしの所有するなにものもわたしをあの運命から守れない。彼にはそれほどの恐ろしさがあり、わたしには彼との違いはほんの一瞬で消えうせるものという感覚があったので、それまでわたしの胸のなかで確固としていたものがすっかり崩れ去り、全身が震えるほどの恐怖に襲われました。このことがあってから、わたしにとって宇宙はまったく変わってしまいました。朝になるたび、目覚めると、すさまじい恐怖と、それまで知ったことがなく感じたこともない不安感とがみぞおちに居座っていました。[83] それは黙示に似ていました。当時の感覚は消え去りましたが、そのとき以来、あの経験のおかげでわたしは他の人たちの病的感覚に共感できるようになりました。それはしだいに消えていったのですが、何か月間か、わたしは暗いところへひとりでは行くことができませんでした。
[83] バニヤンと比較してみよう。「とてつもなくおののいているわたしがいて、時には、あの最もひどく許しがたい罪を犯してしまった人びとに下されるはずの恐ろしい神の審判を考えて、何日ものあいだ、わたしの体そのものが、わたしのこころと同じく、震えよろめくほどだった。わたしはまた、このわたしの恐怖のため、時には格別に、わたしの肋骨がばらばらに砕けたかのような胃のつかえと熱を感じていた……このようにわたしは、のしかかる重荷のもとで息を切らせ、のたくり、縮みあがっていたのだ。この重荷がわたしを圧迫するので、休息していても安静にしていても、居ても立ってもおられず、進退きわまっていた」
「いつもわたしはひとりぼっちにされるのを恐れました。生活の表面のしたにひそむ、あの不安の奈落に気づきもせず、どうして他の人たちは生きていけるのだろう、どうしてわたしは生きていられたのか、とわたしがいぶかっていたのを思いだします。特にわたしの母はとても朗らかな人であり。彼女が危険に気づいていないのが、わたしにとってまったくの謎であり、だから、わたしの精神状態を明かして、母をわずらわすようなことをしないように、わたしがじゅうぶん気をつけていたことは、あなたにご理解いただけるでしょう。わたしの欝体験には宗教的な含みがあるとわたしは常に考えてきました」
この便りをくれた方に、末尾の文がどういう意味なのか、もっと詳しく説明してもらえないかと依頼してみますと、次のように書いてよこしていただけました――
「この恐怖はとても心を侵す強力なものでしたので、『いにしえの神は難を避ける場所……』〔申命記33-27〕『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい……』〔マタイによる福音書11-28〕『わたしは復活であり、命である……』〔ヨハネによる福音書11-25〕といった聖句にすがりつかっていなければ、わたしはほんとうに狂っていただろうと思うからです」[84]
[84] Henry James: Society the Redeemed Form of Man,
これ以上の実例は不要です。これまでに見た事例でじゅうぶんです。そのひとつは移ろうものごとのむなしさを、もうひとつは罪悪感を教えてくれますし、残りのひとつは宇宙の恐怖を描写しています。……三つのありようのどれをとっても、人間本来の楽観主義や自己満足は塵芥に等しいものになるということです。
事実にかかわる問題に関しては、三つの事例のどれをとっても、なんらの知的錯乱も妄想も見受けられません。だが、わたしたちが、幻覚や妄想をともなう、ほんものの精神異常性欝病の章を開くはめになるとすれば、それはさらにひどい顛末――犠牲者のまわりで宇宙全体が凝り固まって、圧倒的な恐怖の素材となり、始めも終わりもなく彼を包囲するという絶対的で徹底的な絶望――ということになるでしょう。悪に関する概念や知的認識ではなく、血も凍り、心臓も止まるような陰惨きわまる悪の感覚がわが身を閉じこめて、その現存のさなかに他の思いや感覚は一瞬たりともありえないのです。このような救済の必要がある場合、わたしたちにありきたりの上品な楽観主義や、知性とか道徳にもとづく慰めは、どれほど場違いに縁遠いものに思えることでしょう! ここに宗教問題の真の核心があります。救いを! 救いを! このような犠牲者の耳に真実として響くようなことをいわないかぎり、どのような預言者も確かなお告げを伝えたとは言い張れないのです。それにしても、救いが効験あらたかであるためには、訴えと同じほど強烈な形でもたらされなければなりません。だから、これが、血と奇跡と超自然的な効験を備えた、復興主義的で浮かれあがった、がさつな宗教がおよそ尽きることのない理由であるようなのです。ある気質には、とにかく必要なのです。
ここにいたって、健全な心の人びとの人生観とこのような悪の体験を本質的なものとする人生観とのあいだに自然に生じる反目がどれほど大きいか、見てとることができます。後者の見方、いうならば病んだこころの人生観にとって、純粋で単純である健全な精神状態は、話にならない鈍感で浅はかなものに思えます。ひるがえって、健全な精神の人生観にとって、病んだ魂の人生観は臆病で不健全なものに思えます。光を浴びて生きるのではなく、鼠の穴にもぐりこむのです。恐怖をでっちあげ、あらゆる類いの不健全な苦悩にこころを奪われた、彼ら怒りの子ども、または第二の誕生を渇望する者たちには、公序良俗に反するといってもいいようなところがあります。宗教的な不寛容や絞首と火あぶりが今日の法秩序に再来するとしますと、過去はどうであったかはいざ知らず、現代では、二派のうちの健全な精紳のほうが寛容度の低い党派になることには、ほぼ疑いの余地がないでしょう。
わたしたちはみずからの中立的な観察者の立場をまだ捨てていないわけですが、この対立について、なにをいえばよいのでしょうか。病的な精神状態のほうがより広範な体験領域を探索し、またその調査は重なりあうものであるとわたしたちはいうに違いないとわたしには思われます。悪から目をそらし、ただ善の光のなかだけで生きるという行動様式は、うまくいっている限り、ご立派なものです。多くのみなさんに効験あらたかでしょう。わたしたちのたいがいが思っているよりもずっと一般的にうまくいくでしょう。それが功を奏している領域の範囲内では、これが宗教的な解答であるとしても、それに異を唱えることもありません。だが、欝が現れたとたんに、それはあえなく破綻してしまいます。たとえ欝の自我にまったくとらわれていないとしても、健全な精神状態が認めるのをきっぱりと拒む悪の事実が現実の正真正銘な部分なので、健全な精神状態は哲学的信条としては不適切であることには疑いの余地がありません。悪の事実は、けっきょく、人生の意義を解明するための最良の鍵、またおそらく真理の最深層に向かってわたしたちの目を開くものであるのかもしれないのです。
正常な人生にも、精神異常者の欝を支配しているものと同じように悪い時期、根本的な悪がのさばり、ゆるぎない主導権を握る時期があります。精神異常者の恐怖の幻覚は、すべて日常的な事実を素材として感受されています。わたしたちの文明は荒廃のうえに築かれており、あらゆる個人の存在は、救いのない苦悶に満ちた、孤独な痙攣のうちに立ち消えてしまいます。みなさんがそんなのはいやだとおっしゃるなら、ご自分がそのときにいたるまでお待ちになればよろしい! わたしたちの想像力で地質時代の肉食性爬行動物を信じることは困難です――まるで単なる博物館標本みたいです。だが、博物館の頭蓋骨の歯のどれにしても、太古の時代、長年のあいだ日常的に、運のつきた生ける餌食の絶望にもがく肉体にがっしり食いこんだということのないものは一本もないのです。今日のわたしたちを取り巻く世界にしても、空間的な規模は小さくても、その餌食のものと同じように手ごわい形の恐怖が満ちています。わたしたちの家やわたしたちの庭のただなかで、悪魔のような猫があえぐ鼠をもてあそび、狂ったように羽ばたく小鳥をくわえています。いまこの瞬間に生きるワニやガラガラヘビやニシキヘビは、私たちと同じように現実的な命の器なのです。その忌まわしい生存は、だらだらと続く日がな一日のあらゆるときを満たしています。その類いや他の野生動物が命ある餌食を捕まえるたびごとに、あおられた鬱病患者の感じるような痛烈な恐怖が見られますが、それがその場における文字どおりに正常な反応なのです。[85]
[85] 例。「夜一一時ごろだった……が、わたしはまだ人びとと一緒にぶらついていた……突然、わたしたちの道の左手、藪のなかで物音が聞こえた。わたしたちみながギョッとしたそのとたん、トラがジャングルから飛び出し、一行の先頭にいた人に襲いかかり、一瞬のうちにその人を運び去った。獣の突撃、口のなかで哀れな犠牲者の骨の砕ける音、苦悶のうちに『あ、あーあ!』と叫ぶ末路の声、思わず全員がもらす同じ叫び、このすべてが三秒のあいだのできごとだった。われに返るまで、なにが起こったか、わからなかったが、気づいてみると、わたしと同行者たちは森の主権者たるわれらの敵がむさぼり食うのを待っているかのように地面に横たわっていた。わたしの筆力では、あの瞬間のすさまじい恐怖を書き表すことはかなわない。わたしたちの手足はこわばり、話す能力は失せ、心臓は荒っぽくドキドキし、だれもが『あ、あーあ!』と同じ声を低くもらすばかりだった。このありさまで、わたしたちは四つん這いで少しばかり後ずさりし、その後の三〇分間ばかり、命あってのものかわとアラブ馬のような速さで走って、幸いにも小さな村落に行き着いた……この後、わたしたちの全員が発熱し、それに震えも加わって、そのみじめな体たらくが朝まで続いた」
Autobiography of Lutullah a Mohammedan Gentleman, Leipzig, 1857, p. 112.
事物の絶対的な全体との宗教的な調和は不可能であるというのが、現実であるのかもしれません。ある種の悪は、じっさい、より高い形態の善を補完しています。だが、どのような善の体系にも組み込まれないほどに極端な形態の悪がある、また、そのような悪に対しては、黙従または無視のみが現実的な算段であるというのが実情であるのかもしれません。後日、わたしたちはこの論点に直面するはずです。しかし、当面の問題として、また単なる講義過程と手順の問題として哲学的推論を述べておきますと、悪の事実は善の事実と同じく自然の純然たる部分であるので、悪の事実にはなんらかの合理的な意味があるということ、またご承知のように、悲しみや苦痛、また死になんらの建設的・能動的な関心を払えない体系的な健全な精神は、少なくともこれらの要素を視野に入れようとする体系に比べて、外見的に不完全であるということになるはずです。
したがって、最も完成された宗教は、厭世主義の要素が最も発達したものであるようです。このうち、もちろん仏教が、またキリスト教がわたしたちに一番よく知られています。両者は基本的に解放の宗教です。人は、真の命に生まれる前に、偽りの命を死ななければなりません。わたしの次回の講義で、この第二の誕生にまつわる心理学的な条件をいくつか論じてみようと思います。うれしいことに、これからは、これまで長ながと論じてきた主題よりも楽しい主題に取り組むことになります。