2013年10月13日日曜日

詩と歌の想像力…『ザマナイ~時代よ!』…なにがセミパラチンスク核実験場を閉鎖に追い込んだのか…

公開日: 2012/04/07
旧ソヴィエト支配下のカザフスタンにおいて、日本の四国ほどもある核実験場で、40­間に亘り500回近い核実験が秘密裏に行われてきた。チェルノブイリを遥かに凌ぐ大量­の放射性物質が環境に放出され、120万人とも言われる周辺住民が被曝し、苦しむこと­となった。

癌、白血病、心臓病...他にも様々な病気や障害児出生率の増加、若年での死亡率の増­加、そして自殺率の増加。

ペレストロイカを機にカザフスタン全土で200万人が抗議運動に参加。「ザマナイ」は­この運動と共に歌われ、多くの人々に勇気を与えた。
1989年、セミパラチンスク核実験場を閉鎖させることに成功したが、周辺住民の苦し­みは今日も続いている。

人類は、核と共存することはできない。

世界中のヒバクシャを撮り続ける森住卓、渾身のフォトリポートを是非お読みください。
  
「新版 セミパラチンスク 草原の民・核の爪痕」 高文研
出版社HP http://www.koubunken.co.jp/0475/0470....
森住卓HP http://www.morizumi-pj.com/

ザマナイ~時代よ!~3か国語版CD
カザフ語歌唱    Roza Rymbaeva
日本語・英語歌唱 TOMOKO
発行元 ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan
http://blog.goo.ne.jp/song_of_eternit...


CD通信販売》
★郵便振替 口座番号 0136060273
 加入者名 ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
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ザマナイ~時代よ!~
【訳詞】高橋朋子
【作曲】T.Muhamad Janov
1.  健やかな子らは なぜ消えた
風になびく髪は なぜ消えた
心ないしうちよ ザマナイ
ザマナイ ザマナイ
清き故郷はなぜ消えた

哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわが心よ
2.  父祖の眠る地を壊して
豊かな大地を汚して
罰として苦しみ続けよと?
ザマナイ ザマナイ
ひとの誇りよ 今いずこ

哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわが心よ
3.  泉に毒を流すものよ
愛しき子らを奪うものよ
何故ふるさとを貶めるのか
ザマナイ ザマナイ
恥じてこの身が地に埋まる

哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわが心よ

哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわがふるさとよ

  
レベッカ・ソルニット
暗闇のなかの希望~非暴力からはじまる新しい時代
11.直接行動の間接性について
…… P.107~ ……
みずからの行動が招く結果のすべてを、だれも知りようもなく、歴史は、驚くべきなりゆきで世界を変えてしまったささやかな行為で満ちている。1980年代末期、ネバダ核実験場――重大なのに、忘れられた歴史が今も進行している、まさにその現場――に結集した数千人の活動家たちのなかに、わたしはいた。この場所で、アメリカ合衆国および大英帝国が、1,000発以上の核兵器を爆発させ、環境と健康とに深刻な被害をばらまいたのである(そして、ブッシュ政権が、批准を差し控えていた核実験全面禁止条約を完全に踏みにじって、実験を再開したがっている)。その日、アメリカ史上最大のものに数えられる市民的不服従行動が実行に移され、侵入者として一日に数千人規模で逮捕される目的をもって、わたしたちは実験サイトに徒歩で入りこんだ。そこでもやはり平和行進と同じように、歩いて入ることが政治行動の一形態になり、街頭の政治討論、パソコン作業や電話連絡、資金のやりくりなど、雑務をこなした後にくる、直接行動の喜びをともなうものになった。逮捕された群衆のなかに、クェーカー教徒、仏教徒、ショショーニ族先住民、モルモン教徒、多神教徒、アナーキスト、退役軍人、自然科学者たちがいた。

 カザフの詩人オルザス・スレイメノフ(Olzhas Suleimenov)がわたしたちのネバダ行動から霊感を得て、1989227日、カザフ・テレビの生番組で、詩を朗読するかわりに、カザフスタン共和国セミパラチンスクのソ連核実験場の閉鎖を要求する宣言文を読みあげ、集会を開こうではないかと呼びかけた。翌日、作家同盟に5,000のカザフ人たちが結集し、やがて核実験場を閉鎖することになる運動を組織した。彼らは「ネバダ=セミパラチンスク反核運動(Nevada Semipalatinsk Movement)」を名乗り、わたしたちと提携して行動した。この際の“わたしたち”は、西部ショショーニ族先住民(the Western Shoshone)を含んでいた。ショショーニはわたしたちの行動を支持するようになったのだが、わたしたちとアメリカ合州国政府は彼らの土地にいると指摘してもいたのであり、カザフの人たちは彼ら先住民を同胞であると感じていた。(核実験場での行動が“マンネリ”化していると決めつけた人が最近いたけれど、わたしたちが昔ながらのやりかたで市民的不服従を繰り返しながらも、“わたしたち”は、北は、西部ショショーニ防衛プロジェクト、南は、反核運動の活動家たちと地元先住の五部族が核廃棄物投棄計画を阻止したワード渓谷にまで広がる、新しい環境の公正をめざす政治の基礎を据えたのである)

 やがて、ソ連のセミパラチンスク核実験場は閉鎖された。触媒の役目を果たしたのはスレイメノフであり、ネバダで行動していたわたしたちは、スレイメノフの霊感の役目を果たしたのだが、彼が声をあげる基礎になったものは、詩を愛する国における彼の詩だった。ホルヘ・ルイス・ボルヘスによる素敵な寓話がある。13世紀末のこと、神が檻のなかのヒョウに告げた――「汝はこの獄のなかで生涯を過ごし、死んでいくが、それは、我が知る人間が汝を何回か見かけ、忘れず、汝の姿と表象を、世界の体系のなかに正しい位置を占める詩に留めるためである。汝は虜囚の身をかこっていても、その詩に言葉を与えることになる」  その詩は『神曲』であり、ヒョウを見かける人間はダンテだった。スレイメノフが詩作をつづけたのは、ことによると、ある日、テレビ・カメラの前に立ち、詩の代わりに宣言を読み上げるためだったのかもしれない。さらに言えば、アルンダティ・ロイが魅惑的な小説を執筆し、国際的なスター作家になったのも、おそらく、彼女が立ち上がって、ダムと企業、政治腐敗と地域破壊とに反対するとき、人びとが気づくようになるためだったのだろう。あるいはたぶん、スレイメノフ、ロイたちが地球の破壊に反対したのは、この世界で詩もまた生き残れるようになるためだったのだ。2年前、わたしの友人が、わたしの作品を評して、直接行動に終始せず、結末は叙情性に焦点を絞るべきだと強い調子で書いてきたので、わたしは返事を出した――「不可視のもの、言葉で表せないもの、売り買いできないもの、人の手に負えないもの、地域的なもの、詩的なもの、規格外れのものを守るためでないとしたら、企業のグローバル化に抵抗する目的は、なんなのでしょうか?  だから、そのようなものは、実践され、賞賛され、学ばれる必要があるのです。それも、今すぐに!」  そのようなものが、おのずからレジスタンスの形態になると、わたしは書き加えてもよかった。実践において、両者はかならずしも別のものではない。核実験に反対するためにネバダに通った歳月のあいだ、わたしが体験したのは、砂漠でのキャンプ生活、灯火の美しさと景観の壮麗さ、友情と発見とにまつわるものでもあった。わたしがその場に与ええたよりも、はるかに多くのものを、その場がわたしに与えてくれていた。たいていレジスタンスは義務として表現されるが、それは楽しみ、教育、啓示でもありうるのだ。

 ネバダ=セミパラチンスク反核運動の誕生の翌年には、ネバダ核実験場のすぐそばで開かれていた平和キャンプに、すでにセミパラチンスクからも何人かが参加するようになっていた。キャンプで開かれたネバダと軍隊をテーマにしたワークショップに顔を出してみると、参加者はわたし一人だった。主宰者の男性は見るからにガッカリしながらも、たった一人の参加者のために、いさぎよく勉強会を挙行してくれた。晴れわたった空の下、奥深い砂漠の岩と砂ぼこりとクレオソート香の茂みのまんなかに座り、ネバダ反核運動の偉大な世話人ボブ・ファルカーソン(Bob Fulkerson)は、ネバダ州内の軍用地は全米のそれの20パーセントを占めているが、核実験の被害は州内にとどまるものではないと教えれくれ、その影響がおよぶ、はるか離れた土地への旅にわたしを誘ってくれた。今でも彼はわたしの大切な友人であり、現在は、その二、三年後に彼が創設した同種のものでは州内でもっとも強力な環境・労働・人権団体を糾合した連合組織「ネバダ進歩的先導同盟(PLAN=the Progressive Leadership Alliance of Nevada)」の事務局長を務めている。

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