☆戦争と抵抗の2年間を振り返って……★
ブッシュ政権がイラクを侵略し、また世界規模の反戦運動が発足してから、早いもので2年を超える月日が経過しました。TUP速報にしばしば登場するトム・ディスパッチの編集者、トム・エンゲルハートが2年間の回顧に代えて、イラク戦争勃発前後に速報した記事のベスト精選集を特集しています。本稿は、そのうちの一編、やはりTUPの常連、レベッカ・ソルニットの巻です。
本編ソルニット稿は、TUP速報96号「暗い時代の希望を語る」(03年5月)を一部改訳したものですが、エンゲルハート氏もいうように、いま読みかえしても新鮮であるとわたしは感じます。
井上、2005年5月記す
凡例:(原注)[訳注]
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2003年回顧精選: レベッカ・ソルニット、希望を語る
トム・ディスパッチ 2005年6月14日
The Best of Tomdispatch: Rebecca Solnit
Posted by Rebecca Solnit at 10:12AM, June 14, 2005.
トム・ディスパッチ 2005年6月14日
The Best of Tomdispatch: Rebecca Solnit
Posted by Rebecca Solnit at 10:12AM, June 14, 2005.
まえがき「ソルニットとの出会い」
――トム・エンゲルハート
――トム・エンゲルハート
2003年5月。これはネオコン集団やブッシュ政権にとって最良の瞬間、たいがいのわたしたち一般人にとって最悪の時期に重なる。戦争がはじまる前に立ちあがったという点で前例のない反戦行動の季節に世界の民衆数千万人がわが国によるイラクへの突撃的な侵略に反対して行進し、抗議したが、今になってわたしたちが知るように(当時ですら、わたしたちの多くが推測していたように)――遅くとも――2002年7月には、開戦の決定は石碑に刻んだかのように至上命題になっていた。2003年5月中旬には、戦争の全面終結が宣言された。反戦運動参加者たちは小道具を片付け、絶望の足取り重く家路についた。ちょうどその時、「予期せぬ未知の人」(当時、わたしが記したことば)――暗闇のなかの希望の語り部!――がトム・ディスパッチに舞いこんだ。薮から棒に、レベッカ・ソルニットはわたしに本稿「希望の行為」[レベッカ・ソルニット、暗い時代の希望を語る]――おそらく彼女自身を対象としていただろうし、間違いなく彼ら絶望し身の回りを片づけた人たちを対象とした、さらに究極的に、わたしたちに降りかかった意気消沈と悪運の雰囲気を対象とした論評――を送ってきた。わたしは彼女の論考を2003年5月19日に掲載したが、わたしが落ち込むとき、その記事はその時からずっと元気づけてくれている。
わたしたちを待ち受けていたものは――なんだか楽しい――運命そのもの、あるいは予測を超えて展開する生命、予期せぬ驚きを紡ぐことばだった。ソルニットが彼女の論を発展させ、それを小さいが効能が確かな本にまとめ、『暗闇のなかの希望』と改題して出版すると、同書はさまざまな言語に翻訳され、世界中にゆっくりと出回りはじめた――あなたがこれまで何日も、何週も、何か月も、何年間もトム・ディスパッチを読んでいながら、まだ『暗闇のなかの希望』が手元にないなら、それはちょっとどうかと思う。わたしがソルニット稿を掲載したあの5月、わたしは次のような紹介文を書いた(もし、わたしとソルニットが電子式に出会ったいきさつを少しは詳しくお知りになりたいなら、このリンクをクリック)
「あなたにも思いあたるだろうが、誰かが前触れもなく人生に入りこんでくることがある。そのように、時として原稿が書籍編集者に舞いこんでくる。時に、どこからか声が読者に聞こえてくる。
「最近、そのようなことがわたしの身に起こった。それは、希望についての論稿に包まれて届いたレベッカ・ソルニットの声だった。希望とその帰結について、といってもいいだろう。そこには、わたしがいいたかった(が、どういう訳か、いえなかった)ことがすべて語られているように思えた――あるいはむしろ、わたしたち皆が聞く必要を感じていたが、聞かなかったことばがすべて込められていた。
「ソルニットは『直接行動は、ちょっと角の店まで買物に……といった類ではない。暗闇への跳躍なのだ』と書く。まさにそうだ。そして、歴史は『天候のように移ろい、チェッカーには似ていない。チェッカーの勝負には終りがある。天候が終わるなんてありえない』と彼女は続ける。ゲームが終われば、ことは簡単だ、と付け加えていたとしてもおかしくない。得点を計算し、勝ち負けを決め、チェス盤を片づけ、別の用事に移る。現在のような歴史の境目にあって、得点を計算し、片づけ、家に帰ってしまえば、悲惨な間違いをしでかしていることになる。
「アメリカの第2次イラク戦争の影響が残っているのに、たくさんの反戦運動がこういう間違いをやってしまった。わたしは彼らを責めない。その人たちすべてが行進したのだ。あれほどの反対表明があった。それでも戦争だ――それに現在の世論調査結果を見たまえ! それに引き換え、ソルニットのこの一編が、華麗な筆致はさておいても、これほど立派なのは、ゲームでもしているかのように勝敗を数え上げるのは止めよう、とわたしたちに望んでいる点にある。彼女は、わたしたちのたった今の時代の、わたしたちの世界の暗さを認めること、だが同時に、勝敗が問題なのではなく、勝敗は知りようもないと理解することをわたしたちに願っている。そんなのはこれまで知りようもなかったし、現実として分かりようもない。さらに彼女がわたしたちに望んでいるのは、賭けてみること、暗闇の中へと跳躍してみること、つまり希望に賭けることなのだ。そのように望むしかないのは、はっきりいって、わたしたちは自らの行動の結果を知ることができないからであり、彼女はその勘所をとびっきり優雅に示している」
すみからすみまでアメリカ的なメディア著名人録に希望の専門家としてからめとられる運命に抵抗するソルニットは、その後を回顧して、次のように書く――
『暗闇のなかの希望』がトム・ディスパッチに掲載されたときに、わたしはインターネットのウィルス性の魔力に開眼しました。作品がそれ自体の生命を得て、Eメールで回覧され、数多くのサイトに転載され、反体制派の週刊誌に海賊版が現れ、ある活動家によってパンフレットに印刷され、ばらまかれました。トム・ディスパッチ、コモン・ドリーム、ツルース・アウト、Zネット、オルターネット、ナルコ・ニュースなどなどのオンラインで、わたしのニュースをたくさん読みましたが、この媒体が、そこに書く人にとってどれほど強力になりうるのか、わたしはさっぱりわかっていませんでした。わたしはこのメディアの力への改宗者(そしてトム・ディスパッチの常連)になりました。
「ほどなくわたしは知らないうちに希望の公認スポークスパーソンにもなってしまっていると気づき、その時から、この主題に関して、ヌクヌクした境遇の報道関係者に対して話が合わないと公言してきたのです。敗北主義を後生大事にするため、新しい独創的な方法を案出する彼らの才覚は相変わらず旺盛であり、彼らが押しつける希望なんて、毎度、宝くじに当たれと望むのとちっとも変わりません。彼らは、ブッシュとブレアが再選された、イラクの戦争は続くなどといいたて、確実で速やかな勝利だけが、そのために生きるに値し、敗北はすべて最終的なものであるといわんばかりに、君たちは降参したほうがいいとおっしゃります。損失が憂鬱を招くだけであり、飢え、隷属、あるいは暴力的な死を意味しない人たちにとって、米国や英国ででくわす降参や絶望は一種の贅沢品ではないかしらと、今にしてわたしはいぶかるのです。
「希望の力強い代弁者は、切実に希望を求める人たち――サパティスタを代表して語るマルコス副指令、この春、タコベル社に対して大勝利を獲得した農業労働移民の集団であるイモカリー労働者連合がそうですし、わたしが話しかけた労働者夜間学校生徒の集団にいたカンボジア女性は、希望について、次のようにわたしに語りました――『なぜなら、希望がなければ、わたしは闘わなかったでしょうし、闘いがなければ、わたしはクメール・ルージュ体制のなかで生きてはいなかったでしょう』
うそ偽りなく、本稿はいつまでも新鮮だ。まだあなたがお読みでないなら、お見逃しなく。すでにお読みなら、再読して、かつて思いも寄らなかったことを思い描いてほしい――わたしたち皆のために驚きが用意されている。トム
希望の行為
世界を舞台に帝国に挑む
――レベッカ・ソルニット
世界を舞台に帝国に挑む
――レベッカ・ソルニット
わたしたちが望むもの
近代戦としては史上初の過酷な戦争――数10万人規模の殺戮、毒ガス、塹壕を埋め戻されることのない墓穴として生き、死んでいく男たち、戦車、有刺鉄線、機関銃、航空機――第一次世界大戦に突入して6か月たった1915年1月18日、ヴァージニア・ウルフは「未来は暗いが、がいして暗いことが未来として一番いいのではないかと考える」と日記に書いた。彼女はうかがいしれないという意味で暗いといったのであり、恐ろしいという意味ではなかったようだ。わたしたちは、これをしばしば取り違える。未来は想像しがたいので、人びとは世界の終わりが迫っていると思う。20年前、ソ連が消滅し、インターネットが出現した世界を、だれが想像しただろう? わたしたちは、願いごとが実現するという意味合いを込めて、「望むもの」について話すが、考え方を切り替えて、どうして望むのかといってもいいはず。わたしたちは原理にもとづいて望み、戦術的、戦略的に望み、未来が暗いので望む。希望を持つほうが生きかたとして力強く楽しいので、わたしたちは望む。絶望は、次に何が起きるかわかっていると決めつける。 だが20年前、カナダ政府が北方の広大な土地を先住民族に返還したり、獄中のネルソン・マンデラが、自由になった南アフリカの大統領に就任したりすると誰が想像できただろう?
21年前のこの6月、100万の人びとが核凍結を要求してニューヨークのセントラルパークに集まった。彼らは要求を実現できなかった。その運動には、2、3年のうちに目標を達成し、いつもの生活に戻れると信じる人びとがいっぱいいた。多くは失望し、あるいは燃えつきて家に帰ってしまった。だが10年もたたないうちに、ヨーロッパの反核兵器運動と、それがソ連最後の第一書記ミハイル・ゴルバチョフに与えた影響のおかげで、本格的な核兵器削減が交渉された。その後、この課題は政治予定表から抜けおち、せっかくの成果が多く失われた。アメリカは包括的核実験禁止条約を断じて批准しなかったし、ブッシュ政権は1991年に中断された本格的核実験の復活と新世代核兵器の開発、核備蓄の増強を計画し、たぶん、かつては禁断だった場面での核兵器の使用さえ目論んでいる。
いつも家に帰るのが早すぎる。いつも成果を計算するのが早すぎる。母乳や乳歯から検出される放射性物質の死の灰を撒き散らしていた地上核実験の終結を実現した1963年の大勝利に寄与したアメリカ初の大規模な反核兵器運動「女性のためのストライキ運動(WSP=Women’s_Strike_for_Peace)」のメンバーの手記をわたしは読んだことがある。その女性は、ある朝、抗議行動としてケネディ大統領が執務するホワイトハウスの前で雨のなかに立っていて、ばかばかしい、なんてくだらないことをやっているのだろうと思ったという。何年もたってから、彼女は、核兵器問題の活動家たちのなかで最も著名だった人物、ベンジャミン・スポック博士[世界的ロングセラーの育児書を著した小児科医]が、女性たちの小さなグループがホワイトハウス前の抗議行動で雨にうたれて立っているのを見かけたのが、自分にとってのターニング・ポイントになったと語るのを聞いた。その人たちがそれほど熱心になっているのなら、自分もこの問題につてもっと考慮しなければならないだろうと博士は思ったのだ。
終わりのない変化
多くの活動家たちが、すべての活動には逆方向で等価の力が即座に働く反作用があると期待し、これがなければ失敗と考える。結局、多くの場合、活動とは反作用なのだ。ブッシュがイラク侵略を決意すると、同じ週の末、わたしたち1000万ないし3000万の人びとが七つの大陸で行進する地球規模の平和運動を立ちあげる。だが、歴史はうねりと共通の夢とで成形されるのであり、ひとつひとつの行為、ひとつひとつの瞬間は、その表われにすぎない。歴史は、等価の原因・結果よりも複雑な景観なのだ。政治は、目に見える行為のためだけでなく、集団的想像力の深層における広範な変動のためにも、変革が生起する場としての表層である。もちろん表層、深層の両方が欠かせないが。時には大きな原因から小さな結果しか生まれないかもしれないけれど、たまには小さな原因が大きな結果を生む。
何年か前、科学者たちが、気象の初期条件が同じなら、天候の経時変化は同じパターンをたどると思いこんで、長期天気予報の手法を開発しようと目論んだ。結局、初期条件がほぼ完全に同じでも、検知さえできず、おそらくデータとしても想定できない微少な要因が、完全に異なった天候の原因になると判明した。最終結論は、ある大陸で蝶が羽ばたけば、別の大陸の天気を変えてしまうという有名なたとえで落ち着いた。
歴史は天候のように移ろうのであって、チェッカーには似ていない。チェッカーの勝負には終りがある。天候が終わるなんてありえない。だから、なにごとも不変のまま保つ(save)なんて、ありえない。保つこと(saving)とは不適当ないいかただ。イエスは救う(save)し、銀行は蓄える(save)。イエス・キリストと銀行とは、この世の移ろいから大切なものを別の場所に移し、保管する。わたしたちはクジラの絶滅を防いだかもしれないが、クジラを救う(save)ことなんて、やってはいない。クジラが絶滅しないかぎり、いつまでも絶滅を防ぐ努力を続けるしかない。保つこととは、シミや汚れが損なわない場所にしまっておくことを想定しており、こういう形の救済思想があるから、アメリカ人は危機を片付け、家に帰って、別の危機がはびこるままにしておくのが上手なのだろう。課題は滅多なことでは勝手に退散してくれない。たいていの国はクジラの絶滅危惧種の捕獲禁止に賛成するだろうが、別の次元でクジラの海が危うくなっている。殺虫剤DDTは米本国で禁制品になったが、第三世界に輸出され、農薬大手モンサント社は別の悪事[農作物の遺伝子組み替え]に手を出している。
世界はよくなる。悪くもなる。これに対応するのに求められる時間はまさしくあなたの生涯の長さに等しく、運が良ければ、その長さを知ることはない。
未来は暗い。夜みたい。公算や見込みはあるが、保証はない。
アダム・ホークシルドが指摘するように、英国のクェーカー教徒たちが世界史上初めて奴隷制度の問題に取り組んでから、ヨーロッパとアメリカで奴隷制廃止が実現するまで三・四半世紀かかっている。かつての不可能事が振り返ってみると必然になってしまったわけだが、草創期の廃止運動に献身した人たちのうち、生き長らえて、その結果を目撃できた者がいたとしても数えるほどだった。意図せぬなりゆきが期待を生むのか、奴隷制廃止運動は、最初の女性の権利運動に飛び火して広く燃え上がらせ、やがてアメリカ女性の選挙権が確立したが、それまでに同じほど長い時間がかかっているし、さらにその後83年かけて、はるかに多くのことを達成してきたが、決してまだ終わっていない。行動は、ちょっと角の店まで買物に……といった類ではない。暗闇へのジャンプなのだ。
作家は行為の結果はめったなことでは直接的には現れないと分かっている。本を書く。種子を蒔く。種子はネズミに食われたり、腐ったりするかもしれない。カリフォルニアのある種の種子は、山火事に遭って初めて発芽するので、何10年も休眠状態のままだ。シャロン・サルツバーグは、著書『信仰』において、仏教僧ウ・パンディタの教えを書物にまとめたいきさつを詳述し、その仕事を“小乗(ささやかな善行)の範疇”と規定している。ずっと後になって、著者は、その本とそこに書かれた瞑想法とが、ビルマ独裁政権による自宅監禁にあって孤立させられていた民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チーにとって、「あのきわめて困難な歳月、精神を支える大国柱になった」と知った。エミリー・ディキンソン、ウォルト・ホイットマン、ヴァルター・ベンヤミン、アーサー・ランボオは、ヘンリー・デーヴィッド・ソローと同様、亡くなってからずっと後になって、同時代のベストセラー作家たちが忘れられ、墓が草むしてから、最大の影響力をおよぼすようになった。ソローの影響を受けたガンジーの非暴力はインドで重要だったが、アメリカ南部においても同じほど重要であり、さらにマーティン・ルーサー・キングによる非暴力の最新現代版が醸しだしたものは、世界の市民的不服従運動に影響を与えてきた。ガンジーとキングは、暗殺後数10年たった今でもわたしたちとともにある。
4月7日未明、カリフォルニア州オークランドの港に数百名の平和運動活動家たちが現れて、イラク向け武器の積出しを請け負う事業所のゲートを封鎖した。港湾荷役労働者組合はピケ破りをしないと約束していた。暴動鎮圧装備で固めた警官隊が到着し、正当性もなく警告もなしに木製弾と豆袋(お手玉)弾を活動家たちめがけて撃ちはじめた。報道関係者3名、港湾労働者9名、活動家50名が負傷した。わたしは、若い男たち数名の背中に――背後から撃たれて――血がにじんだグループフルーツ半分大のミミズ腫れを目撃したし、華奢な体つきのヨーガ教師の顎〈あご〉に卵大の腫れ。このように語れば、暴力の勝利。だが、その暴力が港湾組合労働者を刺激し、反戦運動活動家たちとの協調関係を固めさせ、地域問題と世界問題との相互関連性を浮き彫りにしたのである。五月一二日、わたしたちは、非暴力手段で、ふたたびピケを張った。今回は、港湾労働者たちがピケ参加者たちと連動して行動し――だれの記憶に照らしても前代未聞――複数の船会社が抗議運動に対峙せず、業務停止を選んだ。このように語れば、物語はさらに進展しつづけ、わたしたちがさらに強くなったことになる。もうひとつ3つめの語り口がある。ピケは多数のトレーラーを立ち往生させた。いらだちを隠さないドライバーもいた。この戦争は人道目的であると信じて疑わないドライバーもいた。ドライバーたちの一部――とりわけ、輝く朝日を浴びて立っていた南アジア系の人たち――は、わたしたちのことをたいしたものだと考えていた。ピケが破られた後、ひとりの移民ドライバーが連帯のクラクションを鳴らし、路肩にトレーラーを寄せ、車の装飾にピースマークがほしいと頼みにきた。わたしは進み出て、クロムメッキのラジエーターグリルにゴム紐で留められるようにピースマークに穴を開けてあげた。わたしたちはことばを交わし、握手して、彼はキャビンに乗り込んだ。彼はゲートで追い返された――反戦トラック野郎の配送は門前払い。次に彼を見かけたとき、警官隊の背後で独り縁石に腰掛け、愉快で恐いもの知らずの様子だった。この職を賭けた男の自発的な勇気の結末が最後にどうなるか、だれが知りえよう?
新世代平和運動の勝利
反戦行動とブッシュ政権との間に、ごくあたりまえの因果関係を期待するのは失望のお膳立てをするようなものだった。だが、ひょっとすると……? わたしたちは知りようもなさそうだが、それでもブッシュ政権がバグダードに対する『衝撃と畏怖』集中爆撃案を退けたのは、世界世論と社会不安という代償があまりにも高くつくと、わたしたちがはっきりさせたからであるようだ。何100万人のわたしたちが、数1000人の、ことによると数10万人の生命を救ったのかもしれない。
●2月15日の世界平和行動を伝える報道は過小評価も甚だしかった。スペイン、バルセロナ100万人行進は素敵だったが、ノースカロライナ州チャペルヒルで数千人規模のデモがあり、ニューメキシコ州ラスベガスという小さな町で150人の人びとが夜を徹して平和の祈り集会を開き、ボリビアからタイにいたるもっと小さな町や村で住民たちが反戦の意志を表明した、とわたしは聞いている。
●活動分子は、社会集団を代表しない外れ者の群にすぎないといわれることが多かったが、昨年の秋、メディアでなにかが変わった。それからは、反戦活動家たちは顔触れも多彩であり、正統な代表集団であるとたいていの場で受け入れられるようになった――わたしたちの主導性と長期的展望にとって、分水嶺的な勝利。
●発言したことがなく、街頭行進をしたことも、グループに加わったことも、政治家に手紙を書いたことも、運動にカンパしたこともなかった多数の人びとが動きはじめ、数え切れない人びとがかつてなく政治に目覚めた。つまりなにあろう、情熱の巨大な地下水脈が満ちて、変化の大河に溢れ出ようとしている。新しいネットワーク、共同体、ウェブサイト、メーリングリスト、収監者連帯グループ、連合が台頭した。
●国内でテロの脅威を叩き込み、海外でテロを招くのがオチであるような、いわゆる対テロ戦争の名のもとに、わたしたちは、お隣りさん、おたがい、よそ者(特に、中東出身者、アラブ系、イスラム教徒)を怖れ、監視したうえ、みずからを施錠して私生活に閉じこもるように奨励されている。ありとあらゆるよそ者たちと一緒にわたしたちの希望と抵抗をおおっぴらに生き方で現わすことによって、わたしたちは恐怖の教理問答を克服し、たがいに信頼した。イラクの人びとに寄せる関心を行動で示しつつ、わたしたちは平和を愛する人びとのありとあらゆる違いに橋を架ける共同体を構築した。
●わたしたちは指導者のいない地球規模の運動を実現した。有能な代弁者、理論家、オルガナイザーたちは多くいたが、みずからの命運を指導者に委ねてしまえば、あなたの強さ、清廉さ、創造力は、彼――あるいは時には彼女――と同程度のものに限定されるだけである。口コミやインターネットを介し、それに教会や組合、直接行動同志グループなどの多様な集まりを通し、自己組織化できる数100万の民衆以上に民主的でありうるのは、いったいどんな存在だろうか? もちろん、これまでの20年の間に指導者のいない行動や運動が組織されてはきたが、これほど壮大な規模になったことはない。かつてアフリカの作家ローレンス・ヴァン・デル・ポストが、だれもが追随者であることを止める時代になったので、偉大な指導者は新たに出現しないといった。たぶん、わたしたちは追随するのを止めたのだ。
●わたしたちは、ベトナム反戦運動の不名誉な失敗に学び、首尾よく二分法思考をふりはらった。サダム・フセインを認めることなく、イラクに対する戦争に反対することができた。戦場にいる兵士たちを思いやりながら、戦争に反対することができた。敵の敵は味方、悪の対抗者は善という罠、あるいは元首と国民との、将軍と兵隊との混同視といった罠に、アメリカの対外政策が繰り返しひっかかり、旧世代の急進主義者がひっかかったが、わたしたちのほとんどはひっかからなかった。 わたしたちはアメリカに反対したのであり、イラクに味方したのではなかった。戦争に反対したのだ。また、わたしたちの多くは、すべての戦争に、すべての大量破壊兵器に――わが国のものにも――反対であり、あらゆる場所のあらゆる暴力に反対だった。わたしたちはただの反戦運動ではない。平和運動なのだ。
●主流の情報筋は理由を語らず、おそらく知りもしないだろうが、平和・反グローバル化運動が問題を提起した声は、今では本流になっている。ブッシュ政権と癒着した戦争利権企業、ベクテル、ハリバートン、シェブロン、ロッキード・マーティンなどが活動家たちの槍玉にあげられた。戦術は、実効的な事業所の封鎖行動ではなく、企業活動の実態を公衆の疑惑の目に晒すことだった。直接行動が直接的に功を奏することは稀だが、今ではメディアがかつてなく厳しく企業を詮索している。先日、ヘンリー・ワックスマン下院議員がハリバートン社のテロ国家との繋がりを公に問いただした。イラク石油生産を統轄管理する70億ドル相当の契約を、チェイニー副大統領が現職に就任するまで率いていたハリバートン社に与えた政権の密室決定をメディアがくわしく取り上げている。こうしたことが飛躍的な前進なのだ。
もうひとつの歴史を見せる天使
アメリカの歴史は弁証法で動いている。アメリカ史の最善のできごとは最悪の状況から導きだされた。奴隷廃止論者とアンダーグラウンド・レイルロード[地下鉄道=南北戦争以前、自由州やカナダへの奴隷の脱出を助けた秘密組織]、フェミニスト運動と公民権運動、環境運動と人権運動、これらすべては脅威と非道を契機として成立した。現在も最悪の事態がどっさり進行中である。しかしわたしたちには、反作用ではなく自主的創造としての進歩的な行動主義が、いたるところの善意の人びとが課題を設定する行動主義が必要だ。戦争が突き動かした熱情をかきたて、次の戦争の防止するために、また爆弾だけでなく、あらゆる形の暴力に対処するためにそれを注がなければならない。現在の悪に対処するだけにとどまらず、未来の可能性を引きよせる運動が必要である。わたしたちには希望の変革が必要なのだ。そのためには、変化がどのように機能するのか、わたしたちの側の勝利をどのように数えるのかを理解しなければならない。
かつてネバダ州の環境・反核非営利団体「シチズン・アラート(市民警報)」の理事を務めていたとき、わたしは資金を募るための文書を映画『素晴らしき哉、人生!』の題材を下敷きにして書いた。このフランク・キャプラ監督の映画は、天使クラレンスが自殺志願者ジョージ・ベイリーを諭すために、ジョージが隣人たちのために最善を尽くさなかったとしたら、街がどんなありさまになっていたかを見せるといった筋書きであり、急進主義的な歴史観の見本になっている。ありえたかもしれない歴史を見せる天使は、じっさいに起こった現実ではなく、起こらなかった現実を示すのであり、これは最も評価しがたい現実なのだ。シチズン・アラートの勝利の多くは、ネバダの大気、水系、大地、そして住民に起こらなかったことである。シチズン・アラートに限らず運動全般として、その成果の歴史の根幹は、踏みにじられなかった職業、検閲されなかった思想、実行されなかった暴力や威嚇、犯行にいたらなかった不正行為、毒されず、堰き止めされなかった河川、落とされなかった爆弾、漏出しなかった放射能、撒き散らされなかった毒性物質、破壊されなかった原生自然、再開発されなかった田園地帯、絞り取られなかった資源、根絶されなかった動植物種なのだ。
ベルリンの壁が築かれたあの夏、女性や有色人種を自由で平等な市民権から分けへだてしてきた社会的慣習の多くに、是正策はおろか用語すらなく、同性愛は病気と診断されて、犯罪と見なされ、エコシステムは概念さえないのと同然で、絶滅や汚染を気にかけるのは、ごく少数の人たちだけであり、「化学の力で生活向上」と謳うキャッチフレーズがブラック・ユーモアに聞こえず、アメリカとソ連とが核のハルマゲドンを招来する一触即発警報体制でにらみあい、文化にかかわる大問題の大半は、まだ問われてもいなかった国にわたしは誕生した。もっと多くの降雨林、もっと多くの野生生物棲息域、もっと多くのオゾン層、もっと多くの動植物種が存在する世界だった。だが当時、それらを保護する人たちはほとんどいなかった。エコロジカルな想像力が生まれ、文化的に共有化されたのは、たかだかこの2、30年のできごとであり、人類の多様性と人間の権利に関する理解が広まり深まったのも、その間のことだった。
世界は悪くなっている。良くもなっている。そして、未来は暗いままだ。
誰も自分たちの行動の結果は分からないし、歴史は、ビックリするようななりゆきで世界を変えることになった小さな行為で満ちている。米英両国が1000発以上の核爆弾を爆発させ、環境と健康にひどい影響をもたらしながら、忘れられた歴史が今も進行している(そして、ブッシュ政権が、批准されなかった核実験全面禁止条約を踏みにじって、実験の再開を目論んでいる)ネバダ核実験場の現地で、わたしは結集した活動家たち数1000人の一員だった。わたしたちは核実験場を閉鎖できなかったが、カザフの詩人オルザス・スレイメノフがわたしたちの行動に鼓舞されて、1989年2月27日、カザフ・テレビに生出演し、詩ではなく――カザフスタン共和国セミパラチンスクにあったソ連核実験場の閉鎖を要求する――宣言文を読み上げ、集会の開催を呼びかけた。翌日、5000人のカザフ人たちが作家同盟に結集し、実験場の閉鎖をめざす運動を組織した。彼らは自分たちの運動を「ネバダ=セミパラチンスク反核運動」と名づけた。
ソ連の核実験場はじっさいに閉鎖された。スレイメノフは触媒であり、ネバダでのわたしたちが彼の刺激になったにしても、彼の拠りどころになったものは、詩を愛する民族社会にあって詩を綴ることだった。ことによるとスレイメノフが詩を書いたのはすべて、ある日、テレビ・カメラの前に立ち、詩の代わりに宣言を発表するためだったのかもしれない。さらに、アルンダティ・ロイが著した魅惑的な小説が作家をスターの座に押し上げたのも、ことによると彼女が立ち上がって、多国籍企業の利益に奉仕するダム建設と地域社会の破壊に反対を表明したとき、人びとが気づくためだったのだろう。あるいはまた、作家たちが地球を荒廃させる行為に反対したのは、ことによると詩――最も広い意味での詩――そのものが、この世界で生き残るためだったのだろう。
サム・ハミルが、ブッシュ政権による「衝撃と畏怖」作戦の宣言の直後、大統領夫人ローラ・ブッシュの「詩とアメリカの声」シンポジウムに招聘されたが、謝絶し、怒りの手紙をネットに流すと、アメリカの詩人たちの自発的な反戦運動が発足した。ハミルのEメール受信ボックスが満杯になったので、反戦詩人サイトを開設すると、今日までに1万1000人の詩人が投稿した。ハミルは押しも押されぬ反戦スポークスパーソンになり、彼のウェブサイト「反戦詩人たち」(http://www.poetsagainstthewar.org)は平和運動を組織する道具になった。
左ではなく、前へ
むっつり顔の伝統左翼は明るい兆しを見ても、暗雲を探すのに熱心なことが多い。今年一月、イリノイ州のライアン知事が一六七件の死刑宣告を破棄した時、わたしたちなら、フットボール優勝チームのように頭からシャンペンかけあうはずなのに、一部左翼評論家たちは、重箱の隅を突ついて細かいことをあげつらった。わたしたちにとって、喜びはひとつの武器であり、勝利なのだ。自分では動かない人たちは、デモなのに楽しそうだ、世界の一大事を背負っているはずなのに、おもしろがっているといって、時おりわたしたちに文句をつけるが、わたしたちが疎外され、孤立し、無力を知り、悩みばかりのとき、大勢で街頭に出るのは、勝利を求めるからだけではない。行動自体が勝利なのだ。
それにしても、この新しい喜びを知る運動と、昔ながらの顔役たちとのギャップは広がるばかりである。彼らの不機嫌のたいがいは、始めるときから簡単に見切りをつけ、せっかくの勝利の公算の足を引っ張るような前提に立ち、全面勝利でなければ、すべて失敗といい張る完全主義者の不機嫌なのだ。ここは地上なのだ。ここが天国になることはない。いつでも残虐行為は、いつでも暴力は、いつでも破壊はあるだろう。今、とてつもない荒廃がある。あなたがこの文章を読んでいる間にも、何エーカーもの降雨林が消滅し、生物種が絶滅し、女たちはレイプされ、男たちは撃たれ、途方もなく多くの子どもたちがたやすく予防できるはずの病因で死んでしまうだろう。わたしたちに、すべての時点のすべての荒廃をきれいさっぱり解消することなんてできはしない。しかし、荒廃を減らし、非合法化し、その起源と前提条件を掘り崩すことはできる。これが勝利なのだ。
2001年9月11日を経て、わたしたちのほぼ全員が覚えた感覚は、悲嘆や恐怖だけでなく、飛躍的に高揚した理想主義と受容性、問い、学ぶ姿勢、たがいの繋がりを知る一体感、馴染みなく、安全でなく、容易でなくても、もっと多くの何かのために自分の人生を生きたいという欲求だった。現政権にとって、この欲求に比肩しうる脅威は他になく、これを抑えるために彼らは手段を選ばなかった。
それでも、あの欲求はすぐそこにある。これは、まだ名づけられてもいない巨大な新しい運動、右に対抗する左ではなく、おそらくはお上に対する下々の、大きな者に対する小さな者の、統合に対する地方と分権の多様な運動の背後にある力なのだ。古い定義を投げ捨てることができるなら、どこに新しい連帯が広がっているか認識できるだろう。このような――中小農民、工場労働者、環境主義者、貧者、先住民族、義の人、預言者の――連合は、企業利益や制度的暴力の諸勢力に対する抜群に強大な力になるだろう。左翼と右翼は、フランス革命後の国民議会で、急進派と保守派が議場の左右に別れて座っていた時代の用語である。今、わたしたちは、そのような議席配分はいうまでもなく、左右対決の世界にいるのではない。わたしたちは、破滅も、毒も、遺産も、全員にとって全面的に新しいものである世界に生きているのだ。反グローバル化運動の活動家たちは「もうひとつの世界は可能だ」といっているが、もうひとつの世界は可能なだけではない。必然なのだ。もうひとつの世界の造形に、わたしたちは参画しなければならない。
わたしは希望に満ちている。あの暗い未来に何が起こるか分からないのもその理由だが、ここに生あるかぎり、わたしたちの道義に従って生きるからでもある。希望、恐怖の対極、それに賭けよう。世界が救命艇であると想像してみよう。企業や現政権が舟底を叩き割っていて、水が漏れる勢いは、わたしたちが水を掻いだしたり、穴を塞いだりするのと同じぐらい(あるいはもっと)速いとしよう。それでも、穴をあける人がいれば、水を掻いだす人もいるのだと気づくことが、また過去形で嘆き節を唱えるよりも、現在形で物語を記すことが大切なのだ。そうすることが、このボートを浮かばせる努力の一端。ボートが沈没すれば、わたしたち皆が溺れてしまうのだから、どうして水を掻いださないでいられよう? ボートを漕がないでいられよう? 無謀きわまるブッシュ政権は、これまで長くアメリカ歴代政権が尻込みしてきたことをやらかしているようだ。昔からの秩序がぶっ壊され、やりたい放題のこの世界。
サパティスタのスポークスパーソン、マルコス副司令もことばを継ぐ――「権力が記す歴史は、わたしたちが敗者だと教えた……権力が教えたことをわたしたちは信じなかった。彼らが従順と衆愚を教えた時、わたしたちは教室を抜け出した。わたしたちは現代性の授業に落第したのである。……反乱という共通の弟子であることによって、わたしたちは出会い、仲間になった。想像力、創造性、そして明日によって、わたしたちは仲間となっている。過去に、わたしたちは敗北だけを見つめてきたのではなく、正義を求める願い、よりよい存在になる夢を見つけた。懐疑主義などは大資本の衣紋掛けにぶら下げ、わたしたちは発見したのだ。わたしたちが信じることができる、信じる価値がある、信じなければならないのは、わたしたち自身である。……みなさん、健やかでありますように。そして希望と同じく、花も手塩にかけて栽培するということをお忘れなく」
花は暗闇で育つ。「わたしは信じる」とソローはいった。「森を、草原を、トウモロコシが育つ夜の闇を」
[筆者]レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)は(本稿が執筆の端緒になった)『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』の著者。他に、アメリカ西部作家奨励賞受賞作 River of Shadows - Eadweard Muybridge and the Technological Wild West[仮題『影なす河――エドワード・マイブリッジと西部技術フロンティア』]など、著作多数。もちろんサンフランシスコ在住。最新刊『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』
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「彼女が天使の(あるいは悪魔の?)ことばで書いた、その作品は美しく、絶望の時代における希望の、不思議に満ちたささやかな来歴を明かしていた……チェス盤上の動きではなく、天候の移り変わりに似て、不可思議で、予測もできないソルニット式宇宙」
暗闇のなかの希望 [著]レベッカ・ソルニット
[掲載]2005年04月24日 [評者]増田れい子
[掲載]2005年04月24日 [評者]増田れい子
終わりの見えないイラク戦、行方の知れぬグローバリゼーションの波。深い闇におおわれたようないまという時代に、それでも光を探り新風を起こす知識人のひとり、著者(61年生まれ。米国カリフォルニア在住)はそんな位置にいる。
本書執筆の動機は03年春の世界規模の平和行動(同2月15日には南極基地、イヌイット領土の住民を含む3000万人ともいわれる人々が参加)のあとの絶望を見つめることにあった。しかし著者は絶望の誘惑をかわし平和行動の真価に迫る。そこには特定の指導者を必要としない自立した、非暴力で戦争に反対する新しい市民パワーが出現していた。希望は萌え出た。
核兵器の重圧、頻発する戦争や不況、過酷さを増す時代の中で市民は変化をとげている。著者は「花は暗闇で育つ」と記す。ネバダ核実験場閉鎖運動、ホームレス支援、座禅と多彩に行動する日常から紡ぎ出されるその思索と表現は、五月の薫風に似て新鮮。
[原文]The Best of TomDispatch: Acts of Hope
Challenging Empire on the World Stage
By Rebecca Solnit
TomDispatch, posted June 14, 2005
© 2005 Rebecca Solnit 翻訳・配信許諾済み
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[翻訳]© 2005 Toshio Inoue
Challenging Empire on the World Stage
By Rebecca Solnit
TomDispatch, posted June 14, 2005
© 2005 Rebecca Solnit 翻訳・配信許諾済み
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[翻訳]© 2005 Toshio Inoue
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