凡例:[原注]〔訳注〕 リンク:目次
CONVERSION
スティーヴン・H・ブラッドリーの事例――人格変革の心理学――情緒の興奮は人格エネルギーの新たな中枢を生みだす――その回路の説明――スターバック、回心を通常の倫理的成熟に例える――リューバの考え――回心に縁のない人びと――二種類の回心――誘因の潜在意識的な成熟――自己放棄――その宗教史における重要性――事例
回心する、生まれ変わる、恩寵を授かる、信仰を体験する、安心を得る、というのは、これまで分裂していて、意識として不正で劣っている、不幸であると感じていた自我が、宗教的な実体をより確かに把握した結果、意識として統一され、正当である、優れている、幸福であると感じるようになる、段階的または突発的な過程を意味する、さまざまな表現です。このような徳性の変革を達成するために、直接的な神の業が必要であると信じているにしろ信じていないにしろ、少なくともこれが回心の意味するものを表す一般的なことばです。
この過程の綿密な研究に立ち入る前に、わたしたちの定義理解を具体的な例によって生き生きしたものにしておきましょう。スティーヴン・H・ブラッドリーという無学な男の風変わりな事例であり、その体験はアメリカの希少なパンフレット[98]に収録されています。
[98] スティーヴン・H・ブラッドリーStephen H. Bradleyの五歳から二四歳までの人生の点描であり、一八二九年十一月二日夜の聖霊の力の注目すべき体験を含む。Madison , Connecticut , 1830.
この事例を選んだのは、このような内的な変化において、性格の可能性がわたしたちにその存在について予備知識の持ち合わせがないような一連の層または殻を成して配置されているかのように、思いもよらない深みがもうひとつの深みの下に見つかることをこれが示しているからです。
ブラッドリーは、自分が齢一四歳のときすでに完全に回心していたと考えていました。
「誓っていいますが、わたしは、部屋のなかに救い主が人間の姿で一秒間ばかり出現し、両手を広げ、わたしに『来なさい』といったのを見たと思いました。次の日、わたしは喜びで身震いしました。するとすぐに、たいへんな喜びのあまり、わたしは死にたいといいました。わかっていたのですが、わたしの思いのなかにはこの世が占める場所がなく、わたしには毎日が安息日のように神聖であると思えました。人類すべて、わたしが感じたように感じてほしいと熱望しました。人類すべて、神さまをこよなく愛してほしいと願ったのです。以前には、わたしは非常に利己的でひとりよがりでした。だが、このときは、人類すべての幸福を願い、わたしの最悪の敵を心から許す気持ちになり、神さまの手のなかの道具、ひとつの魂の回心のための道具になれるなら、どんな人のあざけりや冷笑にも喜んで我慢し、神さまのためにどんな目にあってもよいと感じました」
九年後の一八二九年、ブラッドリー氏は近隣で開始された宗教復興のことを聞きつけました。彼はこういいます――
「ミーティングに出ているとき、大勢の若い改心者がわたしのところへやってきて、あなたは信仰を持っているかと聞くのですが、たいていの場合、わたしは、持っていればいいと思うと答えていました。その人たちはこの受け答えに納得しなかったようです。彼らは自分たちが信仰を持っているとわかっていると申しました。クリスチャンであると公言してから時間がずいぶんたっていたので、もはや自分は信仰を持っていないかもしれないとわたしは心中で考え、わたしのために祈って欲しいと彼らにお願いし、彼らの祈りがわたしのために聞き届けられることを望みました。
「ある安息日、学校にメソジスト Methodistの話を聴きにいきました。彼は最後の審判の日の前触れについて語りました。彼はそれまで聞いたことがないような厳かで恐ろしい様子でそれを説きました。まるでその日の光景が出現したかのようであり、わたしのこころの全能力がすっかり目覚めてしまい、こころのなかではなにも感じていないのに、フェリックスのように座っていたベンチのうえで思わず知らず震えていました。次の日の夕べ、もう一度、彼の話を聴きにいきました。彼は黙示録にある『わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た』〔ヨハネの黙示録20-12〕という句を話の主題にしていました。彼は、鈍感なこころをも溶かすかのような流儀で、その日の恐怖を説き聞かせました。説教が終わると、ある老紳士がわたしに顔を向けて『これこそ説教というものですな』といいました。わたしは同感でしたが、それでもその人のいうことにはこころが動かされず、信仰を味わうこともなかったのですが、その人は味わっていたのだと信じています。
「さて、その同じ夜、わたしに起こった聖霊の力の体験についてお話しすることにしましょう。どんな人であれ、これ以前にだれかがわたしの体験したように聖霊の力を体験することができると語っていたならば、わたしはそれを信じることができず、その人は嘘を吐いているのだと考えたはずです。集会のあと、わたしはまっすぐ家に向かい、帰宅したとき、なんのために自分はこれほどおもしろくないのだろうといぶかりました。家に着いてまもなく、わたしが寝床についたとき、宗教のあれこれなどはどうでもいいやと感じていたのですが、五分ばかりもするとわたしの体は聖霊によって動かされました。それは次のような具合に始まりました――
「まず、わたしの心臓がまったく唐突に非常に速く打っているのを感じはじめ、おそらくなにか具合が悪くなるのだろうと思いましたが、それでも苦痛は感じなかったので、心配はしませんでした。わたしの心臓の鼓動はますます速くなり、わたしに対するその効果により、これは聖霊であると確信するようになりました。わたしは、きわめて幸福で謙虚な気持ちになり、それにそれまで感じたことがないような、取るに足りないという感覚といったら。大声を出すのをとても止められず、大声あげて、主よ、わたしはこの幸福に値しませんとか、そのような類のことをいいましたが、その間、(感じでは空気に似た)ものが、どんな飲み物よりも実体的な形で、わたしの口と心へと流れこみ、わたしの判断では五分間ばかり、それが続いたのですが、どうやらそれがあのような心臓の動悸の原因であったようです。それはわたしの魂をすっかり支配し、そのさなか、わたしには与えられた分だけでももう収めきれないようなので、これ以上の幸福を与えないでくださいと神に願ったのは確かなことです。わたしの心臓は破裂するかのようでしたが、わたしが神の愛と恩寵とでいいようもなく満たされるまで止まることはなかった。このような動きのさなか、ひとつの考え、これはなにを意味するのか?というのがわたしの心に浮かび、すると直ちに、まるでそれに答えるかのように、わたしの記憶が極度に鮮明になり、新約聖書がわたしの前に置かれ、ロマ書〔ローマの信徒への手紙〕の第八章が開かれているかのようになり、ローソクの灯がわたしのために掲げられたかのように明るくなり、この章の第二六節と二七節を読むと、『霊も、弱いわたしたちをことばに表せないうめきをもって助けてくださいます』と書いてありました。苦痛はまったくありませんでしたが、わたしの心臓の鼓動が激しかったあいだ、そのせいでわたしは痛みに苦しむ人のようにずっと呻いているしかなかったので、別室のベッドにいた弟が出てきて、ドアを開け、歯が痛いのかと聞きました。わたしは弟に、いや、寝ていていいよと答えました。わたしは眠るつもりがなく、とても幸せで、その幸福を失うのを恐れていました。内心でこう考えていたのです――
『意欲に満ちたわたしの魂は
このような情景のなかに留まる』
〔メソジスト賛美歌集一八八九年版956〕
このような情景のなかに留まる』
〔メソジスト賛美歌集一八八九年版956〕
「心臓の鼓動が収まったのち、わたしの魂が聖霊で満たされているかのように感じながら、横になったまま思い返して、たぶん天使たちがわたしのベッドのまわりの空中を漂っているのだろうと考えました。わたしはまさに天使たちと会話したがっていると思い、ついに口を切って、『おお、あなたがた、愛の天使! あなたがたがわたしたちの幸福のこれほどたっぷり思いやっていて、わたしたちが自分たちの幸福をほとんど思いやらないのは、なぜでしょうか?』といいました。このあと、わたしはようやく寝つきました。朝、目覚めたとき、最初に考えたのは、わたしの幸福はどうなったのだろう?というものでした。すると、ある程度の幸福を心に感じ、もっとほしいと願うと、考えたとたんにもっと与えられました。次に服を着ようと起きあがると、驚いたことに、辛うじて立っていられるだけでした。まるで地上の小さな天国にいるようでした。わたしの魂は高められ、死がまるで眠ることであるかのように、死の恐怖を克服していると感じられました。人のために尽力するために、罪人に悔い改めよと告げるために、生きるのにやぶさかではありませんが、神さまの御心にかなうなら、わたしの肉体から解放され、キリストと共に生きたいという、籠の鳥が抱くような願いをもちました。わたしは、まるですべての友人をなくした人のように厳粛な気持ちを抱え、まず聖書を調べてみるまでは、両親に知られてはならないと内心で思いながら、わたしは階段を降りました。本棚に直行し、聖書を開いて、ロマ書第八章を調べると、その一節一節がまるで語りかけるかのようであり、それが神さまのことばであることを証しているかのようであり、わたしの思いがそのことばの意味と一致しているかのようでした。そこで、わたしは両親にそのことについて話し、また、その声がわたしのものに聞こえなかったので、わたしが話すとき、その声はわたし自身のものではないと思うといいました。わたしの話し声はわたしのうちなる聖霊の完全な支配下にあるようでした。わたしが話したことばはわたし自身のものですので、それはわたしのものではないというのではありません。聖霊降臨祭の日の使徒たちと同じように、わたしは感化されたのだとわたしは考えました(人を感化する権限を持つことと、使徒たちの働きをおこなうことは別ですが)。朝食のあと、わたしは出歩き、以前にはお金をいただいてもできなかったでしょうが、近所の人たちと宗教について話しあい、以前には人前で祈ったことがないのに、求めに応じて隣人たちとともに祈りました。
「いま、わたしは真実を語ることによって義務を果たしたと感じていますし、神さまの祝福により、読む人にこれがいくらか役に立つことを願っています。神さまは、わたしたちのこころに、少なくともわたしのこころに聖霊を遣わせて、約束を実現なさったのです。もはや、わたしは世界の理神論者〔神の存在を認めるが、その人格性を否定する理知的宗教論者〕や無神論者がキリストへのわたしの信仰を揺るがすようなことはさせません」
ブラッドリー氏とその回心については、これでじゅうぶんです。その後の彼の人生におよんだ効験については、情報がありません。回心過程の構成要素に関する詳細な調査に取りかかることにします。
心理学専門書のどれでもよいですが、連想に関する章を開いてみますと、人間の認識、意図、目標は、たがいにかなり独立した内面的な群やシステムを形成していると書いてあるでしょう。人間が追い求める「意図」のそれぞれは、それに関連する特定の種類の興奮を喚起し、その意図の下位にある連想観念として特定の認識群を集めます。意図や興奮が明確であれば、個々の認識群の共通性は小さくなります。ある群が現存し、関心を占めているなら、他の群に関連する認識はすべて精神領域から排除されます。アメリカ合衆国の大統領が、パドルや猟銃、それに釣竿を抱えて、野山のキャンプ休暇に出かけるとき、彼は認識体系を頂上から底辺へと転換します。大統領としての懸念事項は背景にすっかり隠れてしまいます。公人としての習癖は、自然の申し子の習癖に置き換えられて、精力的な執政官としてのみ彼を知る人たちがキャンピング姿の彼を見ても、「同じ人物であると気づく」ことはないでしょう。
かりに彼が戻らず、政治的利害に振りまわされる憂き目に遭うことはないとしますと、彼はあらゆる点で永久に変身した人間になるでしょう。ひとつの意図からもうひとつの意図に移るといった、通常のわたしたちの特性変化は、一方から他方への逆方向にとても素早く引き継がれるので、一般に変身と呼ばれることはありません。ですが、ひとつの意図がとても安定したものになり、個人の生活からかつての競争相手を決定的に締め出すことになれば、いつもわたしたちはその現象を「変身」と呼びますし、おそらく不思議に思うことでしょう。
このような入れ替わりは、自我が分裂する形のなかで最も完璧なものです。もっと不完全な形は、二つまたはそれ以上の意図群が同時に並存している場合であり、そのうちのひとつが実質的に優先権を握り、他のものは実現不可能な願いであるにすぎず、実質的になんにもなりません。前回の講義において、聖アウグスティヌスは純粋な生活を切望しましたが、これがあの折の例になっていました。大統領は公職の最高位にありますが、その彼が、これはすべて空虚なのではないか、樵暮らしのほうが健全な運命ではないのだろうかとあれこれ思うのも、もうひとつの例です。このような束の間の熱望は、単なる夢、気まぐれであるにすぎません。これらは精神の周辺部に存在するのであり、人間の真の自我、人間のエネルギーの中心はまったく違ったシステムで活動に専念しています。生きているあいだに、わたしたちの関心は常に移り変わって、その結果、わたしたちの認識システムの位置も、意識の中心部から周辺部へと、周辺部から中心部へと変化します。例えば、わたしの若かりし日のある夜、この大学の四つの講座を創設するというギフォード卿の遺言について伝えるボストンの新聞の記事を、わたしの父が声を出して読んでいたのをわたしは憶えています。当時、わたしは哲学の教師になるとは考えてもいなかったものですから、それを聴いていても、まるで惑星である火星に関連する記事のように、わたし自身の生活からは程遠いものでした。しかし、わたしはここにいて、ギフォード講座制度をわたしの自我そのものの重要部分としており、当面のあいだ、わたし自身が首尾よくこの制度に献身するために、わたしは全精力を傾けています。わたしの魂は、かつては格別に非現実的だった対象であったものに、いましっかりと植えつけられ、それを魂の適正な自生地、中心地として、その場からしゃべっているのです。
わたしが「魂」というとき、お好みなら別ですが、存在論的な意味にとる必要はありません。というのも、このような事柄において、存在論的な用語を使うのが当然なのですが、それでも仏教徒やヒューム〔David Hume(1711-76)エディンバラ出身の経験論哲学者・歴史学者・政治思想家〕主義者は、お気に入りの現象論的な用語でこの事実を完璧に叙述できるからです。彼らにとって、魂は意識の諸領域に連なるものであるにすぎません。だが、それぞれの領域に部分、つまり下位領域が見受けられ、これは局所的なものであり、興奮を収めていますので、まるで中心からのように、目的が取り出されるようなのです。この部分を話すとき、わたしたちは思わず知らずに、それを他から区別する遠近法のことば、「ここの」、「この」、「いま」、「わたしの」とか「わたしに」といったことばを使います。そして、わたしたちは、他の部分を「そこの」、「そのとき」、「あの」、「彼の」または「汝の」、「それ」、「わたしでない」といった位置に置きます。しかし、「ここ」は「そこ」に変わりえますし、「そこ」が「ここ」になり、「わたしのもの」だったものと「わたしのではないもの」だったものとが位置を変えます。
このような変化をもたらすものは、情緒的興奮の変わりようです。たったいま熱くてきわめて重要なことが、明日には冷たいものになります。ほかの部分がわたしたちの目に映るのは、あたかも領域のうちの熱い部分から見るようであり、これら熱い部分から個人的な欲求や決断が噴出するのです。つまり、それらはわたしたちの活力に満ちたエネルギーの中心であり、一方の冷たい部分はその冷たさに比例してわたしたちを無関心、消極的にします。
このような用語が厳密に正確かどうかは、当面、重要ではありません。わたしがそれによって示そうとしている事実を、みなさんがご自分の経験によって認められるなら、それでじゅうぶんに正確なのです。
さて、情緒的関心が大きくぐらつくことがありますし、ホット・スポットはまるで燃えあがった紙の上を走る炎のように速く移動することがあります。すると前回の講義でさんざん話題にした、揺れ動き分裂した自我を目にすることになります。あるいは、興奮と熱の中心、目的の母胎である観点が、特定の体系のうちに恒久的に宿るかもしれません。この変化が宗教的なものである場合、とりわけそれが危機による場合、あるいは唐突な場合、わたしたちはそれを回心と呼びます。
これから先、人間の意識のホット・スポットを語るさい、その人が一心になり、活動のよすがとする観念群をその人の個人エネルギーの習慣的中心と呼ぶことにしましょう。ある人のなんらかの観念のセットが、その人のエネルギーの中心になるかどうかは、大きな違いをもたらします。また、その人がもつ観念のセットがどのようなものであれ、それがその人の中心になるか、それとも周縁のものにとどまるかは、大きな違いをもたらします。ある人が「回心した」ということは、このいいかたでいえば、宗教的な観念が、以前にはその人の意識の周縁部にあったのだが、いまや中心部を占めるようになったこと、また宗教的な目的がその人のエネルギーの習慣的中心になったことを意味しています。
さて、人間の精神システムにおいてどのように興奮が移動するのか、また周縁的であった目的がある特定の瞬間になぜ中心になるのか心理学に問うなら、心理学としては、できごとを一般論として叙述できるが、特定の事例について関与している個別の力のすべてを正確に説明することはできないと答えるしかありません。外部の観察者となりゆきを体験している当人のどちらにしても、どのように特定の体験がその人のエネルギーの中心を決定的に変えることができるのか、あるいはなぜあまりにしばしば時節到来を待たねばならないのか完全には説明できません。わたしたちは思いを抱き、行為をなし、それを繰り返していますが、ある日、思いのほんとうの意味が初めて全身に鳴り響き、あるいは行為が突如として道徳的に不可能なものに変わってしまいます。わたしたちにわかっているのは、不毛の感覚、不毛の観念、冷たい信念があり、熱く生きたものがあるということだけです。わたしたちのうちでひとつのものが熱くなり、活性化すると、すべてのものがその周りで再結晶化せざるをえません。わたしたちは、熱と活気は、長く淀んでいたが活発になった観念の「動力効果」にすぎないというかもしれません。だが、このような突然の動力効果はどうしてなのか? 結局、このようないいかたにしても、それ自体が逃げ口上にすぎません。そこで、わたしたちの説明はとてもあいまいで一般的なものになり、この現象全体の強烈な個別性がなおいっそうのこと思い知らされるのです。
とどのつまり、わたしたちは力学的平衡という手垢にまみれた象徴に頼ってしまうことになります。心は思念の体系であり、思念のそれぞれが興奮を引き起こし、また衝動的および抑制的な傾向を帯びて、たがいにたがいを抑制したり増強したりしています。思念の集積は経験の流れのうちに引き算または足し算によって変化しますし、性向は人間が齢を重ねるとともに変化します。精神システムは、まさしく建物と同じように、この割れ目が広がるような変質のために傷つき、弱まりながら、それでも当面はまったくの習慣的な反応によって真っ直ぐ立っているのかもしれません。しかし、新しい知覚、突然の情緒的衝撃、あるいは気質の変化をさらけだすようなできごとのために、骨組み全体が倒壊してしまいます。再編成の中心に達する新しい想念がそこに固定されるようなので、重心がもっと安定した姿勢へと沈みこみ、新たな骨組みが恒久的なものになります。
形成済みの観念や習慣の連合は、普通の場合、そのような平衡変化のさいの遅滞要因となります。新しい情報は、どのように獲得されたものであっても、変化を加速する役割を担います。わたしたちの素質や性癖のゆるやかな変異が、「想像を絶する時間の働き」のもと、とてつもない影響をもたらします。しかも、これらの影響のすべては、潜在意識的または半無意識的に作用するのかもしれません[99]。潜在意識的な生活――これについて、程なくもっと全般的に語らなければなりません――が大いに発達し、動機が習慣的に沈黙のうちに熟する、そのような被験者を想定してみますと、彼の事例は、完全な説明をすることができないものであり、被験者と観察者の双方にとって、驚異の要素が見受けられるかもしれないものになります。感情的なできごと、とりわけ激烈なものが精神再編を促進するうえで極めて有力な要因になります。愛、嫉妬、罪、恐れ、自責、あるいは怒りが人を捕らえるさいの突発的で爆発的なありさまは、だれもが知るところです[100]。希望、幸福、安心、決意といった、回心の特徴を示す感情もまた同じように爆発性のものです。爆発的に生じた感情が物事をそのままに残すことは滅多にあるものではありません。
[99] ジュフロアがその一例である――「わたしの知性が滑り落ちたのはこの斜面であり、知性は少しずつ最初の信仰から遠ざかっていった。だがこの嘆かわしい転向は、わたしの意識の明るい光のなかで進行したのではなかった。あまりものためらい、あまりもの指針、宗教的な愛着のため、わたしにとって転向は恐ろしく、そのせいで、ことのなりゆきを自認しているとはとてもいえたものではなかった。ことは、わたしの関知しない無意識の作用によって沈黙のうちに進んだのである。わたしは現実にクリスチャンであることをやめて久しかったが、それでも、わたしの志向に無知なまま、自分がクリスチャンであることを疑えば、身震いしたはずだし、堕落を非難されると、中傷であると考えた」。これに、すでに173頁に引用したジャフロアによる逆回心の弁明に続くのである。
[100] 例をあげる必要もないが、愛については、176頁の注、恐れについては、161頁、自責については、人殺しを犯したオセロ、怒りについては、コーディリアの最初の物言いを聞いたリア王、決意については、175ページ(J・フォスターの事例)を参照のこと。罪悪感が突如として爆発する病的な症例をあげてみよう――「ある夜、わたしがベッドに入ると金縛りにあったが、それはスウェデンボルグがみずからの体験を記述したものさながらでありながら、彼の場合、神聖感を伴っていたのに対し、わたしの場合は罪悪の感覚があった。あの夜、一晩中、わたしは硬直の影響下にあり、その発端からわたしは神に祟られていると感じていた。わたしは、生涯、義務の行為をなにひとつなしたことがなく――記憶をたどれるかぎり、神と人に対する罪ばかりで――人間の形をした野良猫だった」
カリフォルニアのスターバック教授は、最近の著作『宗教心理学』において、福音主義集団のなかで育てられた若者たちに起こる月並みな“回心”が、あらゆる部類の人間の青春期における常態である、あの広大な霊的生活への発達に、その表れにおいて密接に類似していることを統計的研究に基づいて示しました。年齢は同じであり、たいがい十四歳から十七歳に収まりました。徴候は同じであり……不完全と未完成の感覚、思い悩み、抑鬱、病的な内省、罪意識、将来不安、不信の苦しみの類がありました。結果は同じでした――展望の拡大に合わせて心身機能が調整されると、自己信頼が大きく育ち、幸せな安堵感と客観性が生じました。信仰復活論者の例はさておき、のびのびとした宗教的な目覚めにおいて、また青春期の常態である疾風怒濤や成熟期において、まるで復活論者の回心と同じように、突然なことで当人を驚愕させる神秘体験が見受けられることがあります。事実、類似は完璧です。これら通常の若者の回心に関するスターバックの結論は、唯一理にかなったものであるようなのです。
回心は、その本質において、児童期の小さな領域から成熟期の広大な知的・霊的生活に移行するさいに付随する正常な青春期の現象なのです。
スターバックは、「神学は青春の傾向を捉え、それを拠り所とする。神学は、青春期の成長の本質とは、個人を子ども時代から脱しさせ、成熟と個人的な洞察を備えた新しい生命へと移すことであると見る。それゆえ、神学は正常な傾向を強化する手段を保持している。神学は疾風怒濤の期間を短縮する」といいます。「罪の信念」による回心現象は、この研究者の統計によれば、やはり統計を取っていた青春期の疾風怒濤現象の約五分の一の期間しか継続しませんが、はるかに強烈です。たとえば、身体上の付随現象、睡眠や食欲の喪失がもっと頻繁に起こります。「本質的な差異は、回心が個人を決定的な危機に追い込む期間を強烈にし、短縮することにある」[101]
ここでスターバック博士の念頭にある回心は、もちろん、主として、助言、訴え、実例にもとづき、予め定められた型を忠実に守る非常に平凡な人たちのそれです。彼らが好む独特の形態は、示唆や模倣の産物です [102] 。別の信仰、別の国で、彼らが成長の危機を経験していたなら、変化の本質は(概して不可避的なものなので)同じでしょうが、その姿は違ったものになるでしょう。たとえば、カトリックの国ぐに、それにわたしたちの聖公会諸宗派の場合、信仰復興を奨励する諸宗派にお決まりのような罪の心配や確信とは無縁です。これら厳格に教会を重視する組織においては、儀式が信頼されているので、個人の私的な救済の受け容れは、力説されたり、追求されたりする必要がそれほどないのです。
[102] このことをジョナサン・エドワーズ〔Jonathan
Edwards(1703-58)米国の説教者・神学者〕が理解した以上に理解できるものはいない。普通人の回心話しに対して、必ず彼が説く考慮を加えなければならない。
「多くの人たちが意識していないとしても、通念によって受け容れられ確定されたルールには、各自の経験の過程に対する概念を形成するにあたって非常に大きな影響力がある。わたしには人びとの行いを観察する機会が数多くあったので、このことに対して彼らがどのようにふるまうか、非常によくわかっている。彼らの経験は最初には混乱したカオスであるように思える場合が非常に多いが、次の段階で、要求されている特定の行動に非常によく似た部分が選ばれる。すると、それらが彼らの思いに定着し、時に応じて話題になり、ついには、彼らの見解においてますます鮮明になり、看過されている他の部分はますます不鮮明になる。かくして、彼らの経験したことは、無意識のうちに濾過され、すでに彼らの心中に確立されていた枠組みにぴったり収まるように仕立てられる。聖職者たちにしても、方法の独自性と明瞭さを主張する人びとに対応しなければならないので、やはりそうするのが自然ということになる」Treatise on Religious Affections.
だが、すべての模倣的な現象には、かつてその原型があったはずであり、これから先、わたしたちとしては、より直接的で原型的な形の経験にできるだけ迫るようにしたいと思います。それらは、時たま起こる成人の事例に見つかる見込みがあるようです。
リューバ教授は、回心の心理学に関する貴重な論文[103]において、宗教生活の神学的な側面をほぼ完全に倫理的側面に従属するものとしています。彼は、宗教感覚を「専門用語を用いるなら、和合の平安に対する憧憬を伴う、全体性の欠如、不完全性、罪の感覚」と定義しています。彼は、「“宗教”ということばは、罪の意識とそれからの解放から派生する欲求や情動の集合をますます意味するようになっている」といい、酩酊から霊的高慢までに広範にわたる罪の例を数多くあげ、罪の意識が人にまとわりつき、病んだ肉体やあらゆる形の身体的不幸の苦痛と同じく切実に救済を求めさせるものであることを示しています。
[103] Studies in the Psychology of Religious Phenomena(http://www.jstor.org/stable/1411387), American Journal of Psychology, vii. 309 (1896).
疑いなく、この考え方は計りしれない多数の事例を説明することができます。その好例として使えるものに、S・H・ハドレー氏の事例があり、彼は回心を体験したあと、ニューヨークにおいて常習飲酒者の活動的で有能な救済者になりました。彼の体験とは、次のようなものです――
「ある火曜日の晩、わたしは、ホームレスで友のいない、死にそうな酒飲みとしてハーレムの酒場で座っていました。一杯の酒を手に入れるために、なにもかも質に入れたり売り払ったりしていました。酔いつぶれないことには、眠ることもままなりませんでした。何日も食っていなくて、先立つ四日間の晩、夜中から朝まで震顫譫妄、つまり震えで苦しんでいました。よく『俺は浮浪人になるものか。追い詰められるものか。いよいよ年貢の納め時になったら、時いたれば、川底に家を見つけてやる』といっていました。だが、神の思し召しにより、その時いたったとき、川までの道のりの四分の一も歩けませんでした。わたしが座りこんで考えていると、なにかの偉大で強力な存在を感じるように思えました。そのとき、それがなんなのかわかりませんでした。後になって、それが、罪人の友、イエスであったと知りました。わたしはカウンターへと歩み寄って、それを拳で殴り、グラスをカチャカチャと鳴らしました。傍らに立って飲んでいた人たちが侮蔑するような好奇の目で見ていました。路上で死ぬようなことがあっても、俺は二度と飲まないとわたしはいいました。朝になるまでに本当にそうなると感じていました。なにかが『お前がこの約束を守りたいなら、行って、自分を閉じ込めるのだ』といいました。そこで、わたしは最寄りの警察署へ行って、自分を閉じこめてもらいました。
「わたしは狭い独房に留置されていましたが、わたしとともにありとあらゆる隙間にすべての悪魔が入りこんでいるように思えました。同居していたのは、それだけではありません。いいえ、神を称えよ。酒場でわたしを訪れたあの敬愛する霊が実存し、わたしに祈りなさいといったのです。わたしは祈りました。偉大な救いはなにも感じませんでしたが、わたしはひたすらに祈りつづけました。独房を出られるようになるやいなや、治安裁判所に連行され、独房逆送を宣告されました。ついに釈放され、わたしの兄弟の家に赴き、そこであらゆる手当てを受けました。ベッドで横たわっているとき、戒めの霊はわたしから決して離れず、次の安息日の朝、わたしが起床したとき、その日がわたしの運命を決定すると感じ、夕闇が迫るころ、ジェリー・マウリーの伝道所に行こうという考えが浮かびました。行きました。そこでわたしは飲んだくれと落ちこぼれの伝道者――あの神の人、ジェリー・マウリー――を見ました。彼は立ち上がり、深い沈黙のさなか、彼の体験を語りました。この人には誠意があり、それが信念を伝えていて、わたしは自分が『神さまは俺を救えるのだろうか?』と自問しているのに気づきました。わたしは、二五人から三〇人ほどの人びと、そのそれぞれが酒から救われた人びとの証言を聞き、自分は救われるか、あるいはその場で死ぬかであると意を決しました。招きを受けて、わたしは飲んだくれの聴衆とともに跪きました。ジェリーが最初の祈りをおこないました。次にマウリー夫人がわたしたちのために熱烈に祈りました。ああ、わたしの貧しい魂を引きさらおうと、なんという争いが進行していたのか! 喜ばしい声が『来なさい』とささやき、悪霊が『気をつけろ』といっていました。わたしは一瞬だけためらい、そして次に、胸潰れながら、『イエスさま、わたしを救っていただけますか?』といいました。人間のことばでは、わたしはあの瞬間をいい尽くせません。その瞬間にいたるまで、わたしの魂はいい表せない憂鬱な気分に満たされていましたが、真昼の太陽のとても楽しげな陽光がわたしの心に射しこみました。わたしは自分が自由な人間であると感じました。ああ、安全、自由、イエスを頼りとする、ありがたい感覚! キリストがそのまったき輝きと力とともにわたしの生命に入ってこられたと感じました。実に、古いものごとは過ぎ去り、全てが新しくなったのです。
「あの瞬間からいまにいたるまで、わたしは一杯のウィスキーも欲しがったことがありませんし、いくら金を積まれても、飲むつもりはありません。わたしは、あの夜、飲酒欲求を取り除いてくださったら、一生、あなたのために働きますと神に約束しました。神が神の役割を果たしましたので、わたしは自分の務めを果たそうとしてきたのです」[104]
[104] ハドレー氏の記事は要約。他の大量飲酒者の回心例については、彼のパンフレットRescue Mission Work, published at the Old Jerry M’Auley
Water Street Mission,
New York Cityを参照。リューバ教授の論文の付録にも、おもしろい事例集が収録されている。
より高みにある支え手に対する絶対的な必要に始まり、支え手に助けていただいたという感覚で終わる、このような経験には、教理神学がほとんど不在であるとリューバ博士は正しい見解を述べております。彼は、他の飲んだくれの回心事例を紹介していますが、それらは純粋に倫理的であり、記録にはいかなる神学的信念も示されていません。たとえば、ジョン・B・ゴフの事例は、リューバ博士がいうに無神論者の回心です――神もイエスも出てきません[105]。だが、知性の調整をほとんどあるいはまったく伴わない、このタイプの復活が重要であるにも関わらず、この筆者はそれをあまりにも限定的なものとしています。それは、バニヤンやアリンを例とする主観中心的な形の病的な欝に相当します。だが、この講座の第七講において、客観的な形の欝もまた存在することを見ましたが、その場合、宇宙の、また理由はともあれ生の合理的な意味が欠如し、それが人にのしかかる重荷になっています――みなさんはトルストイの事例を憶えておられるでしょう[106]。このように、回心には明瞭に異なった要素があるのであり、それらの個別な生との関係は識別される値打ちがあるのです。[107]
[105] レストランのウエイターがゴフの一時的な“救い主”役を務めた。救世軍の創立者、ブース将軍は、落伍者を救うための肝要な第一歩は、彼らが浮くか沈むかの問題について、善意の人がじゅうぶんな関心を寄せてくれていると感じさせることにあると考えている。
[106] J・S・ミル〔John Stuart Mill(1806-73)イギリスの哲学者・経済学者〕は無感動にはじまる欝の危機――生命の無用感――に落ち込み、モルマンテル回想録(こりゃまた意外!)とワーズワース詩を読んで回復したと記しているが、これはもうひとつの知的で一般形而上学的な事例である。Mill's Autobiography, New York , 1873, pp. 141, 148.を参照のこと。
たとえば、一部の人たちは、決して回心することがなく、どのような環境のもとにあっても回心するとはおよそ考えられません。宗教的な観念は彼らの霊的エネルギーの中心になりえないのです。彼らは優秀な人間であるかもしれず、実務的に神の僕であるかもしれませんが、神の国の子ではないのです。彼らは、見えないものを想像することができず、あるいは信仰のことばでいえば、生涯にわたる“味気なさ”と“水気なさ”の輩なのです。このような信仰不全は、ある場合、知性がじゃましているのでしょう。たとえば、かつての時代であれば自由に宗教的な傾向に身を任せていたものを、今日では例によって凍りついてしまった、とても多くの善良な魂のうちで、抑圧的な世界に関する信念、悲観的で唯物論的な信念のために、宗教感覚が自然に拡張する傾向が抑えられているのです。あるいは、不可知論が信心を弱く恥ずかしいものとして拒絶し、今日、わたしたちの非常に多くが萎縮してしまって、自分の衝動を用いるのを恐れているのです。多くの人の場合、このような抑制は克服されません。最期の日まで彼らは信じるのを拒み、人間的なエネルギーが宗教中枢に達することはなく、宗教心は未来永劫に不活発なままなのです。
他の人たちの場合、問題はもっと深刻です。宗教の側面で無感覚である、その範疇の感性が欠けている人たちがいます。血の気のない人間がいくら望んだとしても、血の気の多い気質の人たちが享受する奔放な“動物精気”〔デカルト「松果腺からの動物精気が神経を動かし感情が生じる」による〕を見つけることがどうしてもできないのとちょうど同じように、霊的に不毛な性質の人が他人の信心に感心し、羨んだとしても、気質的に信心の資格がある人たちが享受する熱意と平安を達成することがどうしてもできません。だが、これがすべて、やがて一時的な抑制の問題であったということになるかもしれません。人生の晩年に差し掛かったとしても、なんらかの解凍、なんらかの解放が実現するかもしれませんし、なんらかの雷光が不毛なことこの上ない胸を改めて撃ち、人間の頑なな心が柔らかくなって、宗教感覚に溶けこむかもしれません。そのような事例が、他のなによりも突然の回心が奇跡であるという考えを示唆しています。このような例があるかぎり、わたしたちは自分たちが修復できないほどに凝り固まった部類を相手にしていると思ってはなりません。
さて、人間の心的事象には二種の形態があって、それらが回心プロセスにおける際立った違い、スターバック教授が注目をうながした違いをもたらします。忘れてしまった名前を思い出すのはどんなものか、みなさんはご存知です。普通の場合、名前に関係がある場所、人物、事物に思いをめぐらし、苦労して記憶を呼び戻そうとします。ですが、時にこの努力は失敗します。その時、懸命になればなるほど、望みが心細くなるように思え、まるで名前が詰まってしまい、押せば押すほど、引こんでしまうかのようです。そういうとき、しばしば逆の試みが成功します。苦労をまったく放棄するのです。まったく違うことを考えていると、三〇分もすれば、エマソンのいう、呼び戻そうとしていなかったかのように思いがけず、忘れていた名前がひょっこり心中に浮かび上がってきます。苦労によって、なんらかの隠されたプロセスがみなさんの内部で動きはじめ、努力をやめてから、そのプロセスが動きつづけ、まるで自然発生的であるかのように結果を生じさせるのです。スターバック博士がいうには、ある種の音楽教師は、やるべきことをはっきり指摘したあと、うまくいかない場合、「やろうとしないでください。そうすれば、ひとりでにできるようになります」と生徒にいうそうです。[108]
[108] Psychology of Religion, p. 117.
だから、精神的な結果を達成するためには、意識的で自発的な道と、非自発的で無意識的な道とがあります。回心の歴史において、両方の道の例が示されていますので、スターバッグがそれぞれ意思によるタイプと自己放棄によるタイプと呼ぶ二類型があることになります。
意思によるタイプの場合、普通、再生に向かう変化は段階的なものであり、倫理的・霊的な習癖の新しい組み合わせをひとつひとつ積みあげていくことにあります。しかし、ここには常に臨界点なるものがあって、そのとき前進運動がずっと速くなるように見えます。この心理学的事実はスターバック博士によって例証豊かに解明されています。いかなる実用的な達成においても、わたしたちの修養は身体の成長と同じように明らかに突発や発進によって前進するのです。
「アスリートは……回心者が宗教の醍醐味に目覚めるのとまさしく同じように、時に突如として目覚めてゲームの妙味を理解し、心から楽しむようになる。スポーツ活動を続けていれば――重要な競技大会でわれを忘れるとき――こつぜんとしてゲームそのものが彼を通じて競技をしている境地がやってくるかもしれない。同じように、音楽家は突如として芸術テクニックの喜びが完全に脱落する境地に達し、インスピレーションのある瞬間に、彼自身、音楽が流れる楽器になるかもしれない。筆者は、たまたま二人の既婚者から話しを聞いたことがあるが、彼らの二人とも、結婚生活は当初からすばらしいものであったのに、婚姻生活が至福に満ちたものであることに気づいたのは、結婚後一年、またはそれ以上たってからだった。われわれが研究しているこれらの人たちの宗教体験もこのようなものである」[109]
[109] Psychology of Religion, p. 385. Compare, also, pp. 137-144 and 262.
わたしたちはまもなく、潜在意識下で成熟していたプロセスが、やがて突如として意識される結果になることの顕著な事例についてもっと聞くことになるでしょう。サー・ウィリアム・ハミルトンおよびエディンバラのレイコック教授は、この類の効果に注意を促した最初の人びとに数えられます。ですが、わたしが間違っていなければ、カーペンター博士が初めて「無意識的思考」という用語を導入し、それ以後、これが説明のために多用される慣用句になっています。この事実は、当時、彼が知りえたよりももっと広範にわたしたちに知られており、「無意識的」という形容詞は、多くの場合、ほぼ確実に誤った言い方なので、「潜在意識的」や「サブリミナル〔識閾下の〕」といったもっと漠然とした用語に置き換えたほうがよいのです。
意思によるタイプの回心について、例をあげるのは簡単でしょう[110]が、自己放棄によるタイプのものには、潜在意識的な効果がもっとふんだんにあり、びっくりするようなものであることが多いので、これに比べて概して面白みがありません。ですから、わたしは後者のものへと急ぎたいですし、いずれにしてもこれら二つのタイプに根本的な違いはありませんので、なおさらのことです。最大限の意欲をもって築き上げる類いの再生でさえ、部分的な自己放棄が割り込む筋道があります。また大部分の事例において、意思が死力を尽くして熱望される完全な統合の間近に迫ったとき、まさしく最後の一歩は他の諸力に委ねられなければならず、意思の働きによる介在なしに達成されねばならないようです。いい換えれば、そのとき、自己放棄が絶対不可欠になるのです。「個人の意思を手放さなければならない。多くの場合、人が抵抗をやめ、あるいは行きたいと思う方向へ向かう努力をやめるまで、救済は頑なに実現を拒む」と、スターバック博士はいいます。
[110] たとえば、C・G・フィニーは、意思の要素を強調して次のように書く――「ちょうどこの時点で、福音による救済の問題全体が、当時のわたしにとって最も不思議な形でわたしの心に展開した。そのときわたしは、わたしの生涯で最も明瞭にキリストによる贖罪の事実と真情とを見たのだと思う。わたしには、福音による救済とは、受けるべきものの提示であるように思え、わたしの側で自分自身が得心するために必要なのは、わたしの罪を手放し、キリストを受け容れることだけだった。少しのあいだ、この明確な啓示がわたしの心の前に現れていたあと、『今日ただいま君はそれを受け容れるか?』と問われたようだった。『はい、今日、わたしは受け容れます。そうしなければ、わたしはその試みのうちに死んでしまうでしょう』と答えた」 その後、彼は森のなかへ赴き、そこで彼の苦闘を書きとめた。彼は祈ることができず、心はプライドで頑なになった。「そのとき、森を出る前に、わたしはわたしの心を神に捧げる約束をしたことで自分自身を叱責した。やってみる段になって、わたしにはできないとわかった……わたしの内的な魂は尻込みし、わたしの心が神に向かうということもなかった。わたしの心を神に捧げるか、あるいはそれを試みながら死んでしまうという、わたしの約束のなんという軽率さ、この思いがわたしを圧迫していた。わたしには、それがわたしの魂を閉ざしているかのようだった。しかも、わたしは誓いを破ろうとしていた。わたしは大変な意気消沈と落胆とに見舞われ、ほとんど両足で立っておれないほど弱っていると感じた。ちょうどこの瞬間、わたしはだれかが近づいているのが聞こえるとふたたび思い、そのとおりかどうか見ようとして、目を開いた。だが、まさしくそこに、わたしの心のプライドのありさまが、道に立ちふさがる大きな障害として、はっきりわたしに啓示されていた。神の前で跪くわたしを人に見られるのを恥と思っているわたしの弱さに対する自覚、これが圧倒して、わたしはありったけの声を張り上げ、地上の人間の全員と地獄の悪霊の全員が自分を取り囲んだとしても、この場を離れるものかとわめいた。『なんだ!』とわたしはいった。『わたしのような堕落した罪人が跪き、偉大で聖なる神にわたしの罪を告白しているのに、だれか人に、またわたし自身のような罪人に、跪いて、怒りの神と和解しようと努めているのを見つかるのを恥じるとは』 罪はすさまじく、無限であるように思われた。罪のため、わたしは神の前に崩れ落ちた」 Memoirs, pp. 14-16要録。
スターバックに書簡を寄せたひとりは、「わたしは諦めないといいましたが、わたしの意思が挫かれたとき、すべてが終わりました」と書いています。「わたしは単純に『主よ、わたしはできるだけのことをしました。すべてのことをあなたに委ねます』とだけいったのですが、ただちに大いなる平安がわたしに訪れました」ともうひとりが書きました。「すべて自分でやってみようとするのをやめて、イエスに従おうとしたとたんに、わたしも救われるかもしれないという思いが湧きました。どうしたことか、わたしの重荷が取り除かれました」ともうひとり。「悪戦苦闘しましたが、わたしはついに抵抗をやめ、自分自身を手放しました。わたしは自分の分を果たしたのであり、神には神のお計らいがあるという思いがじわじわと浮かびました」[111]ともうひとり。ジョン・ネルソンは、破滅を逃れるための心細い闘いに疲れ果て、『主よ、破滅であれ、救済であれ、思し召しのままに!』とわめきました[112]。その瞬間、彼の魂は平安で満たされました。
[111] Starbuck: Op. cit., pp. 91, 114.
[112] The Journal of Mr. John Nelson,London , no date, p. 24.抄録。
[112] The Journal of Mr. John Nelson,
スターバック博士は、最後の瞬間の自己放棄がそれほど不可欠である理由について、興味深い、そして――そもそも図式的な概念が真実であるといいうるとするなら――わたしには真実と思える説明を提示しています。まず手始めに、回心を志向する人の心には二つのものがあります。第一に、現在の欠陥や過ち、逃れたいと切に願う“罪”があります。第二に、ぜひとも到達したいと焦がれる建設的な理想があります。さて、わたしたちの大多数にとって、現在の過ちはわたしたちが目指すことのできる建設的な理想の心象よりもはるかに明確な意識の断片になっています。まったく、たいがいの場合“罪”はほとんど余地を残さず注意をひとり占めしますので、回心とは「道義に向かって奮闘することよりも、むしろ罪を逃れるために苦闘することになる」[113]のです。人間の知と意思とは、理想に振り向けられるかぎり、漠然と不正確に想像されたにすぎないものを目指しているのです。だが、その間にもずっと彼の内部で、単なる有機的な熟成の諸力がそれら自体のあらかじめ定められている結果に向かって動いていて、彼の意識の緊張状態が舞台裏で無意識的な同類を解き放ち、それらはそれ相応に配置換えに向かって活動するのです。より深いこれらの諸力がこぞってお膳立てする再配置は、まったくまぎれなく確定的なものであり、彼が意識的に思いつき、決定するものとは決定的に違っています。彼の意図的な努力によって、正しい方向から曲げられる場合、その結果として(いわば、忘れたことばをあまりに必死になって思い出そうとする場合、詰まってしまうのと同じように)この再配置はじっさいに邪魔されるのです。
[113] Starbuck, p. 64.
スターバックは、個人的な意思を働かせるのは、相も変わらず不完全な自我が最重視される世界で生きているということであるというとき、ことの根源に触れているようです。逆に潜在意識的な諸力が主導する世界では、行動の指揮にあたるものは、潜在的なin posse〔ラテン語〕高位の自我であるというのがより確かであるようです。外側からたどたどしく漠然と求められるのではなく、そのとき、それ自体が組織化する中心であるのです。では、人間はどうしなければいけないのか? 「リラックスしなければならない」とスターバックはいいます――「つまり、その人自身のなかに湧きでてくるより大きな力が義をなすのを頼りとし、それが開始した働きをそれ自体の流儀で完成させるがまま委ねなければならない……この観点からすれば、明け渡しという行為は、人の自我を新しい生命に捧げることであり、それを新しい可能性の中心となし、以前には客観的に眺められていたその真実を内側から生きることである」[114]
[114] Starbuck, p. 115.
「人間の苦境は神の好機」とは、自己放棄が必要という、この事実を指す神学的な言い方ですが、これを生理学の用語でいえば、「人事を尽くし、後は神経系に任せる」ということになるでしょうか。両方のいいかたとも、同じ事実を認めています。[115]
[115] Starbuck,
p. 113.
これをわたしたち独自の象徴主義の用語でいいますと――個人的なエネルギーの新しい中心がまさしく開花間近になるまで潜在意識に潜伏している場合、わたしたちにいえることばは、「手を出すな」だけであり、それは手助けなしに噴出しなければなりません!
わたしたちはあいまいで抽象的な心理学用語を用いてきました。ですが、どのようなことばで表現するにしても、表現された転機とは、わたしたちの意識的な自我を、どのようなものであれ、現実のわたしたちよりも理念的であり、わたしたちの罪をあがなってくれる諸力の慈悲に委ねることなのですし、信仰生活が精神的なものであって、外面的な働きや儀式や礼典とは関係ないことなので、自己放棄が信仰生活の決定的な転換点であるとみなされてきた、また常にそうみなされるべきである理由は、みなさんにはおわかりです。本質におけるキリスト教信仰の発展のすべては、この自己放棄という転機がますます重要視されてきたことに他ならないということができるでしょう。カトリックの教義からルターの宗教改革へ、そしてカルヴァン主義へ、それからウェスリー主義〔メソジスト〕へ、そしてこれから厳密な意味でのキリスト教を全面的に離れて、まぎれない“自由主義運動”や先験的観念論へと、精神療法の類いであるかどうかにかかわりなく、中世の神秘主義、静寂主義者、敬虔主義者、クエーカーをも取り込んで、個人が孤立して、教義一式や贖罪装置を必要としないまま経験する、直接的な霊的救済という概念に向かう発展の諸段階をたどることができます。
これまでのところ、心理学と宗教とはこのように申し分なく一致しており、両者とも、意識的な個人の外部にあって、その人の生にあがないをもたらす力の存在を認めています。それにしても、心理学はこれらの力を「潜在意識」と定義し、その効果を「潜伏」や「大脳作用」に帰するものとしており、それらが個人のパーソナリティを超えるものではないことをほのめかしています。この点で心理学はキリスト教神学とは異なっており、後者は、それらの力とは神の直接・超自然的な作用であると謳います。ここでわたしはみなさんに提案しますが、この相違点の最終的な決着をまだ考えないでいて、しばらく問題を棚上げしておきましょう――探究を続けていくうちに、外見上の不一致のいくぶんかは始末がつくかもしれません。
では、いましばらく自己放棄の心理学に戻ってみましょう。
罪と困窮と欠陥に閉じこめられ、意識の崖ふちに追い詰められて生きているため、慰めようもない人間を見かけて、万事順調だ、くよくよするな、不平不満をいうな、不安を手放すのだと単純に諭すとすれば、その人はみなさんのことをとんでもない唐変木だと思うでしょう。その人の唯一確実な意識によれば、その人の万事が不順なのであり、みなさんのいう前向き思考は、ただただ血の通わない嘘っぱちを鵜呑みにしろといっているように聞こえるだけです。“信じる意欲”をそこまで引き伸ばすわけにはいきません。信念の兆しがあれば、みずからがその信念にもっと忠実になることはできますが、事態は反対であるとわたしたちの認識が明確に告げている場合、根も葉もないままに信念をでっちあげることはできません。その場合、わたしたちに提示されるよりましなこころは、わたしたちのもつ唯一のこころを完全に否認するという形で実現するのですが、わたしたちは完全な否認を積極的に望むことができません。
怒り、不安、恐れ、絶望、その他の望ましくない感情を解消する道筋は二つあるだけです。ひとつは逆の感情が爆発的に湧きあがる場合であり、もうひとつは苦闘のためのあまりにも消耗し、休まなくてはならない場合――膝を屈し、諦め、もはやどうでもかまわないと思う場合です。脳の感情中枢が機能を停止して、わたしたちが一時的な無感動におちいるのです。ところで、この一時的な疲労困憊状態が回心の転機となるのは稀でないことを示す証拠文献があります。病んだ魂の自己中心的な不安が戸口を固めているかぎり、信仰心の開放的な確信に出る幕はありません。だが、一瞬だけでも不安が消え去れば、確信がその機会に乗じて、ひとたび地歩を確保してしまえば、それを保持します。カーライル〔Thomas Carlyle (1795-1881) スコットランド生まれの評論家・思想家・歴史家〕のトイフェルスドレック〔作品『衣服哲学』に登場するドイツ人哲学教授〕は、“無関心中枢”を経由して不滅のNoから不滅のYesへと移りました。
回心プロセスのこの様相を示す好例をあげてみましょう。あの真の聖者、デイヴィッド・ブレナード〔David_Brainerd (1718-47) 米人宣教師〕は、彼自身の転機を次のようなことばで描写しています――
「ある朝、いつものようにわたしが人気のない場所を歩いているとき、自分自身の解放や救済を達成したり、獲得したりするための工夫や計画がすべてまったくの無駄であるとにわかに思い知った。自分が完全に途方にくれていると気づき、わたしはすっかり行き詰ってしまった。わたしが自分自身を助けたり救ったりするためにできることは永久になにもない、わたしが永遠に向けてなすことのできた請願はすべてなしてしまったと気づいた。利己心がわたしの祈りの動機であり、神の栄光をいささかなりとも敬って祈ったことは一度もないと気づいたので、わたしの請願も空しかった。わたしの祈りと神の恩寵には必然的なつながりがない、わたしが祈ったとしても、神にはわたしに恩寵を賜るいわれはいささかもないとわたしは気づいた。わたしの祈りには、手で水をかくほどの功徳もありがたみもなかった。断食したり、祈ったり、その他いろいろと、わたしは神の前に功徳を積んでいると思っていたし、時には神の栄光に思いを定めているとまったくほんとうに考えていたが、その実、本気だったことは一度もなく、自分自身の幸福だけを狙っていたのだ。神のためになにもしたことがなかったので、わたしの偽善と猿まねのゆえに、破滅を除いて、神に要求できることはなにもないと悟った。わたしの配慮したものは私利私欲に他ならなかったと明白にわかったとき、わたしの礼拝のお勤めにしても、自己崇拝に他ならず、ぞっとするような神の冒涜であったので、下劣な猿まね、うその連続であることが歴然とした。
「わたしの記憶では、わたしのこのこころの状態は、金曜日の朝から次の安息日(一七三九年七月十二日)の夕べまで続いたのであり、そのとき、わたしはふたたびあの同じ人気のない場所を歩いていた。その場で、沈鬱な状態のまま、わたしは祈ってみようとしていた。だが、祈りや他のお勤めにいそしむこころに欠けていると気づいた。わたしのかつての気づかい、礼拝、宗教感情は失せていた。わたしは神の霊がすっかりわたしを離れたと考えた。それでも嘆き悲しんではいなかった。それでも、天国や地上にわたしを幸福にできるものはなにもないかのように悲しんではいた。このようにして――とても愚かで無意味であると考えてはいたが――祈ろうとして、半時間近くすごした。すると、わたしが密生した木立のなかを歩いていると、わたしの魂に関する理解に対して、言語を絶した輝きがひらめいた。それは外界の輝きでも想像上の発光体でもなく、それまでもったことはなく、他に少しでも似たものもない、わたしの神に対する新しい内的な理解または考えかただった。わたしは、父であれ、子であれ、聖霊であれ、三位一体のうちのどのペルソナ〔人格的存在〕についても格別な理解をえていなかったが、それは神の栄光であるように思えた。そのような神、そのような荘厳な神を見て、わたしの魂はいいしれぬ喜びに打ち震えた。彼は永遠に万物の上なる神であるはずと考え、わたしは内心で喜び、満足した。わたしの魂は神の尊厳に魅惑され喜悦していたので、少なくとも、わたし自身の救済を考えず、わたし自身というような被造物がいるという内省もしないという程度までわたしは彼のうちに没入してしまっていた。夕闇が迫るころまで、この内心の喜び、平安、驚きの状態が、これとわかる中断もなしに続いた。次いで、わたしは自分の見たものを考え、検討し、その晩ずっと、こころの甘美な落ち着きを感じた。わたしは自分自身が新世界にいると感じ、わたしの周辺のすべてがこれまでの常態とは違ったようすを見せていた。この度、これほどの無限の知恵、適切性、荘厳さを伴った形で救済がわたしに開示されたので、他の形の救済が考えられるだろうかとわたしは思った。わたし自身の作為を捨てなかったのが、以前から、このすてきで祝福された、すぐれた道に従っていなかったのが驚きだった。わたし自身の礼拝式の勤めや、かつてわたしが目論んでいたなんらかの他の方法で救われていたとすれば、この度、わたしの魂全体が救いを拒んでいただろう。全世界が、完全にキリストの義によるこの救いの道を見ず、従わないのがわたしには不思議だった」[116]
[116] Edward’s and Dwight’s Life of Brainerd, New Haven , 1822, pp. 45-47, abridged.
記録のうち、かつて習癖になっていた不安な感情の枯渇のくだりをわたしはイタリックにしておきました。報告のうち多くの割合のものが、たぶん大部分のものにおいて、書き手は低い感情の衰退と高い感情の到来とが同時に起こるかのように語っています[117]が、それでもまたしばしば高いものが低いものを能動的に追い出すかのように語っています。やがてわたしたちが見るように、これは非常に多くの例において疑いなくほんとうのことです。それにしても、両方の条件――ある感情の潜在意識的な成熟と他の感情の衰退――とが同時に重なって、結果を算出することに疑いないということが多いようです。
[117] 現象の全体を平衡状態の変動として描写すれば、新しい精神エネルギーが人格の中枢に向かう動きと古いものが周縁部に向かう後退(あるいは、ある対象が意識閾の上へ浮上することと別のものが下へ沈下すること)とは個別の事象を叙述する二つの方法であるにすぎないといえるかもしれない。疑いなく、これが絶対的な真実である場合が多く、スターバックスが、「自己放棄」と「新しい決意」とは、一見してあれほど違った経験であるように思えても、「じっさいには、同じことである。自己放棄は古い自我の側から変化を見たものであり、決意は新しいものの側から変化を見ている」Op. cit., p. 160といったとき、彼は的をえている。
ネトルトン〔Asahel_Nettleton (1783-1844)アメリカの宗教家〕派の回心者、T・W・Bは、罪意識の激発に襲われ、終日なにも食べず、夕刻にまったく絶望しきって自室に閉じこもり、「いつまで、主よ、いつまで?」と大声でわめいておりました。彼はこういいます――「これやこれと似たようなことばを数回繰り返したあと、わたしは無感覚状態に陥ったようだった。われに返ったとき、わたしは跪いて、自分のためでなく、他者のために祈っていた。わたしは、神の意思への屈服を感じ、神の目によかれと思われるはずのごとく、わたしのためになしたまえと願っていた。わたしの関心事は他者への関心事のなかにすべて消えてしまったようだった」[118]
[118] A. A. Bonar:
Nettleton and his Labors, Edinburgh , 1854, p.261.
「わたしは、『どうなったのだ? わたしは聖霊を悲しみのあまりに去らせたに違いない。わたしは罪の自覚をすっかり失った。わたしには、わが魂に対する関心が微塵もない。聖霊がわたしを捨て去ったということに違いない』とみずからにいった。わたしは、『なぜだ? わたしに生涯でこれほど自分の救済について心がけることから遠ざかったことはない』と考えた……わたしは、わが罪の自覚を呼び戻そうと、骨折って運んでいた罪の重荷をふたたび取り戻そうとしていた。わたしは空しく自分を心配させようとしていた。わたしはとても平静であり平穏だったので、それについて、聖霊を悲しみのあまりに去らせたのではないだろうかと、心配しようとしてみたのである」[119]
[119] Charles G. Finney:
Memoirs written by Himself, 1876, pp. 17, 18.
だが、なんの疑いの余地もなく、当人の感受能力の枯渇とはまったく無関係に、あるいは前段階の深刻な感情がまったくなしに、相当のエネルギー段階に到達した高度の状態が、突然の洪水のように、あらゆる障壁を打ち破り、押し寄せてくるような人たちがいます。これこそ、最も印象的で記憶に残る事例であり、恩寵の概念が格別に貼りつけられている瞬間的な回心の事例です。わたしはすでにその一つ――ブラッドリー氏の事例――を詳細に紹介しました。だが、他の事例と、この主題に関するわたしのコメントについては、次回の講義のために残しておいたほうがよいでしょう。
© Toshio Inoue
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