2012年4月9日月曜日

台頭する第二のスーパーパワーの美しい表情

(本稿も、前の投稿「レベッカ・ソルニット、希望を語る」と同じく、わたしのアーカイブスから発掘して、再録したもの)



ジェームズ・F・ムーア James F. Moore
インターネットと社会のためのバークマン・センター
Berkman Center for Internet & Society
http://cyber.law.harvard.edu/
原文:The Second Superpower Rears its Beautiful Head
初出:2003年3月31日

アメリカ政府が、持てる力を発揮して、世界でますます好戦的に振る舞っている今、多くの人々がアメリカの行動を抑制しうる『第二のスーパーパワー』の登場を待ち望んでいる。実際、地球市民の利益を代表し、長期的視野に立った福利を語り、民主的決定過程への広範な参画を促すスーパーパワーを望む人は多い。そのような第二のスーパーパワーは世界のどこに存在するのだろうか? こうした役割は、時に欧州連合が、国際連合を始め、国際法に基づく機構と協調しつつ求めてはいるが、どの国家も、あるいは国家グループも担えていない。ヨーロッパ諸国の力を結集しても、現在のアメリカの力に辛うじて匹敵しうるのみなのである。
第二のスーパーパワーが台頭しつつあるが、それはいわゆる国家ではなく、地球市民運動に示される『人々の意志』で構成される、国際舞台の新しい形のプレーヤーなのだ。世界規模の平和キャンペーンは、この第二のスーパーパワーの美しい、だが震えている顔であるが、その運動母体は社会開発、環境、保健衛生、人権など広範な課題に関心を抱く何百万もの人々で構成されている。この運動は、地球社会全体を自らの関心対象として意識し、我らはひとつであると基本的なレベルで認識している市民活動家たちの、驚くほどに敏捷で、逞しい集合体である。彼らは、世界の63億の民の要求と夢に配慮する意志を持った、特定の国家に限定されない人々である。良心の囚人たちのために手紙を書く、アムネスティ・インターナショナルのメンバーたち、イラク戦争に反対するE-mail行動に参加する何百万ものアメリカの人々を考えてみよう。あるいは、『国境なき医師団』に献身する医師たちを考えてみよう。
この地球規模の運動のおそらく最も興味深い特徴は、時に非常に目立つ指導者も現れるが、それが実際には目に見える指導者たちに指揮されているのではなく、後述するように、何百万もの参加者たちによる集団的で緊急な行動によって方向づけされていることである。さまざまな調査によれば、アメリカでは、人口のほぼ10%にあたる少なくとも3000万人がこの運動の参加者として自認している。ヨーロッパでのこの比率は疑いなくもっと高くなるだろう。アジア、南アメリカ、アフリカ、インドでは、地球共同体メンバーたちの人口比率はこれよりもずっと低くなるが、インターネットの普及に伴って、急速に増大しつつある。これらの数字に重要な意味を持たせたのは、サイバースペースによって可能になったメンバーの相互接続関係である。この集合体は美しい心を持つ。迅速な対処行動を得意とする、政治活動家グループである『ムーブオンMoveon.org』を例に挙げれば、200万を超える会員のEmailリストを保有している。2002年には、アメリカ上院議員候補者たちの選挙資金として、わずか数日の間に70万ドルを超える資金を集めた。ムーブオンはメディアにおける平和意見広告のために何千ドルもの資金を集め、地域放送局のうちで偏向しているものと自立しているものとを選別することにより、マスメディアの公明性を守ろうとしている報道活動家たちの世界規模のネットワークを構築している。
情報を伝達し、意見を表明するための新しい手段が次々に開発されている。スラッシュ・ドットSlashdotなど、さまざまな報道サイトが、おびただしい数のウェブ共同体メンバーを双方向性情報紹介・評価システムで繋ぎ、上質の意見交換の場を提供している。今や、携帯電話を使ったテキスト送信は、大衆抗議行動のさなかに、何千ものデモ参加者たちへ情報を伝達するための手段になっている。インスタント・メッセージは、ごく小さな回線容量を使用するだけで、時空を超えた親密な帰属感を提供してくれるので、発展途上地域では最も普及した情報接続手段のひとつになりつつある。現今のようにブログ熱が高揚すれば、ブロガーたちが自らの識見を日常的に書き込むことによって、世界の出来事についてリアルタイムの対話が可能になるので、人々と公開情報の繋がりのあり方を変えつつある。メタ()ブログ・サイトは何千ものブログを横断的に繋ぎ、評判を呼ぶリンクを識別し、緊急性のあるニュースを書き留め、第二のスーパーパワーの世界意識を瞬時に要約して提示する。
インターネットなどの双方向性メディアは世界共同体全体にますます深く浸透し、地球全域に瞬時に繋がる、個人的対話と情報交換の手段を提供する。何百万もの主体が発信するテキスト、ブログ、インスタント・メッセージ、Eメールの持つ集合的な力は測り知れない。相互結合ネットワークを形成する、何百万ものニューロンから構成される意識にも似て、社会運動は驚くほど迅速で、時に不可思議な共同体意識と行動とを生み出す能力を持つ。
従って、新時代のスーパーパワーは、アメリカ政治の参与型デモクラシーとは異なった『創発型デモクラシー』を提示する。アメリカでの参政権は、主として、稀にしか機会のない投票行動として行使されるだけだが、第二のスーパーパワーへは、多様なウェブ行動に参加さえすれば、いつでも継続して参画できる。第一のスーパーパワーにおける協議は少数の選良と官僚に独占されているが、第二のスーパーパワーにおける協議は、自ら状況を判断し、他者と交信し、共同行動への参加の是非と方法を決定する個々人によってなされる。さらに言えば、第一のスーパーパワーにおける民主主義への参画は、大多数の市民にとって、遠い世界の出来事であるが、第二のスーパーパワーにおける創発型民主主義は、構成員相互が触発し、触発されることにより、知恵を創造し、行動を起こす共同体作業として活性化する。
どのように第二のスーパーパワーは行動を起こすのだろうか? 行動は トップからではなく、底辺から起こる。第一のスーパーパワーの強さは、中央集権的な収税であり、例えば、対イラク戦争の初日だけで1200発の巡航ミサイルを撃ちこんで、12億ドルを浪費する能力なのだ。対照的に、その同じ開戦日に、何百もの小さな活動家グループを動員して、アメリカ中の市街地中心部を占拠できるのが、第二のスーパーパワーの強さなのだ。世界中で何百万もの市民たちがそれぞれの街で結集するのも、その強さである。 第一のスーパーパワーの象徴は鷲であり、これは天上から支配して、鼠などの小動物を捕食する肉食猛禽である。第二のスーパーパワーに最も相応しい象徴はたぶん蟻の社会であろう。蟻は底辺から指導する。飛翔する鷲を目撃すれば、わたしは畏怖の念に襲われるが、蟻がキッチンに侵入すれば、わたしの注目を集める。
蟻の行動にも似た、第二のスーパーパワーのメンバーたちによる絶え間ない分散的な行動が、いつかは主導権を握ると、筆者は信じる。集会、投票、ピケ、不正告発、企業選別といった形でなされる分散的な大衆行動が、これから将来の社会のあり方を方向づける決定的な影響力を発揮する。それこそは、爆撃などの威圧手段が持つ、破壊的で一時的な効果を凌駕する影響力であると、筆者は主張したい。
連邦憲法に規定され、長年の審議、議決、前例照会といった過程を辿る、第一のスーパーパワーの意思決定はかなり形式的である。第一のスーパーパワーの現実政治は、学校で習う公民教育の内容からは程遠く、ほんの数例を列挙すれば、石油メジャー、産軍複合体、アグロビジネス、製薬業界など、資金力のある特別な利害関係者によるロビー活動と選挙献金とによってもっぱら動かされている。多くの場合、現実の政策決定は気前よく金を出すプレーヤーの意向に沿うことになる。ところが、アメリカの政治システムでは、環境、貧困撲滅、第三世界開発、女性の権利、人権、万人のための医療など、大多数の市民にとって、普遍的、長期的な価値である政策目標を追求するのは難しい。対照的に、これらは、第二のスーパーパワーがまさしく注目を集中する課題なのである。
第二のスーパーパワーにおける意志決定過程は、文化的にも、技術的にも、急激に進化していて、その現在の姿を理解するのは困難だし、その未来を予見するのは不可能である。しかし、言えることもいくつかある。共同体における行動の迅速さは、とりわけ政権システムのそれに比べると、驚嘆に値する。インターネットは、従来型の新聞・雑誌、放送メディアと並び立って、ある種の『メディア空間』を創り出し、地球規模の対話を可能にしている。発想が地球規模メディア空間で生まれているのだ。中に耳目を集めるものがあると、広く伝播する。一面のダンサーたちの群に、ダンス音楽のビートが波のように伝わる有様にも似て、情報は、一定のパターンを描いて、共同体にあまねく伝わる。共同体の中に、これらのパターンを読み取る者が現れ、その波を新たに書き記す。 すると、パターンが増幅されると同時に、注目の話題についての集団反応を増長し、 新しいタイプの意思決定が生まれる。『アクション・エージェント(行動仲介者)』とでも呼ぶべき、種々雑多な人種が、まるで共同体全体を俯瞰するかのようにして待機し、所与の社会運動を特定の世界規模行動に変換するメカニズムを駆使している。例えば、ダイレクト・メールやインターネットを用いて、ファンド仲介人が大量広告に訴えるとすると、時宜を得ていさえしていれば、資金を非常に素早く調達できる。見返りとして、この資金は緊急課題に呼応した活動を支えるために使うことができる。
このプロセスが欠陥と弱点を免れているわけではない。例を挙げれば、先入見と歪曲が疑われるマスメディアだが、その主たる役割は現実の状況の報道であり、代替的な情報源もあるにしても、第二のスーパーパワーのメンバーに届く戦争ニュースの多くはCNN、フォックス・テレビ、ニューヨーク・タイムスが伝えるものである。この巨大頭脳の特質と限界の研究は始まったばかりであり、従来型のデモクラシーほどには、その長所と短所が判っていない。たぶん、統治概念でこの研究を規定するのは間違っているだろう。情報伝達手段が進化を続け、共同体が思考と感覚を分かち合う経路である配線が不断に組み替えられているので、今、わたしたちが目撃しているのは、むしろ、ある種の実験神経学で規定する現象であろう。第二のスーパーパワーを研究する政治学者に提示されている興味深い課題が、ウェブ主体の情報伝達が持つ双方向性という特質によって、共同体の指向性、ならびに特定利害からの自由がどの程度まで強化されるか、そして、テクノロジーによって、これらの傾向が意識的に助長され得るかであろう。
このプロセスで最も肝心なのは、個人の不可欠な役割である。第二のスーパーパワーの共有化された集合的な頭脳は、多数の個人の頭脳の集合体であり、あなたの頭脳があり、わたしの頭脳があって、わたしたちは共同で運動を創り出している。従来型のデモクラシーにおいては、わたしたちの頭脳には大して重要ではない。意味があるのは、大物たちの頭脳であり、彼らを動かし、働きかける者たちの頭脳である。第二のスーパーパワーにおける創発型デモクラシーでは、個々の頭脳が大きな意味を持つ。   
例えば、誰もが発想を発信できるし、誰もがウェブに書き込み、Eメールを送り、リストを立ち上げるとができる。すべての発想が第二のスーパーパワーの巨大頭脳の関心を捉え
るわけではないが、大ヒットする発想も、元はと言えば、個人から発信されたものである。双方向性原理で動く第二のスーパーパワーにおいては、大多数の者が提案を発信し、ヒットする機会を持っている。
違いの根はもっと深い。従来型のデモクラシーでは、良識のあり方もトップ・ダウン方式で決まる。第一のスーパーパワーの忠実で受け身である構成員の考え方は、「大統領は、彼の発言以上のものを知っているはずだ」といったものである。この類のデモクラシーは、教育と情報とが共に希少な資源であった18世紀に成立した。今日、世界のより多くの地域で、民人は十分に教育され、情報に接している。従って、彼らは自らで思いを紡ぐことを好む。上意下達型の意思決定は現代人の好みではない。
21世紀に台頭しつつある第二のスーパーパワーは、教育を受け、情報に親しむメンバーに依拠している。第二のスーパーパワーの共同体では、各個人が自らの意思決定を担う。わたしたちは可能な限りのデータ、生の事実、直接体験を追求したうえで、自らの意見を構築する。昨今の『内幕物番組』熱はこの欲望を突いている。視聴者は、誰か他人が書いた筋書を俳優が演じているのを眺めるよりも、同類の人間を観察し、『ストーリーの内実』を自分で決定するほうが好きなのだ。政治の舞台でも同じである。個人的な参画こそが、第二のスーパーパワーの魅力なのだ。
さて、読者諸氏の多くは、この論考は夢物語ではないのかと訝られるであろう。云われるような第二のスーパーパワーに、目覚しい成功例なんてあるのだろうかと、読者は問うだろう。何と言っても、ジョージ・ブッシュはイラク戦争遂行の権限を一手に握っているのであり、世界規模の抗議行動と言っても、結局、ブッシュの決定を多少は遅らせるに過ぎないのではないか? 第二のスーパーパワーなんて、どこにある?
現状では、第二のスーパーパワーは第一のスーパーパワーに拮抗していないことが、その答えである。とは言うものの、状況はわたしたちの認識を超えて明るいものであるのかもしれない。最も重要な要素が国際機関と国際法の成立であり、これこそは第二のスーパーパワーが同じ思いの諸国家と出会って、アメリカと対峙する場を提供している。 地雷禁止に向けた国際的な努力を思い出してみよう。地雷は安価で致死性の兵器であり、農地を死の原野にすることができるので、農耕集団に対して用いられることが多く、文字どおりに飢餓の種を蒔く。1990年代に、ジョディ・ウィリアムス、ボビー・ミュラーたちが組織したNGO連合が、地雷問題を国際的な議事課題の最重要項目に設定し、使用禁止条約締結を推進した。この功績により、参加したNGOは1997年ノーベル平和賞を受賞した。これまでのところ、アメリカは条約に署名することを拒んできたので、この問題で国際的に極めて孤立しているが、近い将来には、議会と大統領が署名に同意する望みも残されている。
地球気候変動に関する京都会議では、世界資源研究所のナンシー・キートが率いるNGO連合が、発展途上諸国と共同して、アメリカとその同盟者である石油メジャーの利害に対抗した。WTOの分野でも、第二のスーパーパワーが1999年のシアトル会議を中断に追いこんだのは有名であるし、後に貧しい諸国の要求に焦点を絞った『開発ラウンド』特別会合を否応なく開催する一助になった。現在、このラウンドは進行中であり、  アメリカを始めとする諸国は、第二のスーパーパワーの提起の転覆を狙っているが、これまでのところ、膠着状態に持っていくのがせいぜいのところである。
さらに言えば、ジョージ・ブッシュはイラク戦争に突入することができたが、その過程で国際法を無視し、国連と決裂せざるを得なかった。ブッシュが国際制度システムに留まっていたならば、彼の企図は挫折していたと思われる。フランスとドイツも、追い風になった強硬な世論、すなわち第二のスーパーパワーの活動がなければ、ブッシュを思いとどまらせようと試みることもできなかったはずだ。
ブッシュ政権が、数多くの場面で、国際法システムを無視する政策を採用しているのは、今や、承知の事実である。アメリカが手を引くことにより、政権は国際システムを致命的に損ない、二国間交渉を通して、アメリカが主人としてルールを定める新しい時代を招来してしまったと論じる者がいる。結果として、第二のスーパーパワーは第一のスーパーパワーと実効的に対抗する場を喪失したと説く向きもある。筆者の意見では、これは悲観論に過ぎる評価である。ただし、第二のスーパーパワーに与する者としては、この批判を真摯に受け止め、国際機関をあくまでも支持し、過ちの是正に奮闘しなければならない。
国際法と国際機構は舞台から退場するのではない。それらを求め、必要とする人々は余りにも多い。第一に、世界の個々人が地球規模に目覚め、国際機構への関心を高めている。世界大に拡大したメディア、ツーリズム、人の流れなど、すべての事象があいまって、出入国管理から人権まで、あらゆる側面について、不断の努力の大切さに市民たちは気づきつつある。例えば、アメリカ国民の大多数は大統領に対して、開戦前の最後の最後まで、国連と協調のうえでイラク問題に対処することを望んでいたことは特筆に価する。第二に、企業社会が地球規模の法秩序を望んでいる。企業の絶対多数、およびほぼすべての国民経済にとって、今や、世界貿易が主体であり、貿易は多国間にまたがる機構に管理されたルールを必要としている。第三に、大多数の諸国が世界規模の法体系を望んでいる。特にヨーロッパ諸国は、戦争を危惧し、アメリカ流の一対一のパワーゲームから一歩抜け出して、ポスト国民国家世界を強く希求している。ヨーロッパ諸国は膨大な国力を結集して、国際システムの強化に絶え間なく務めている。
国際機構が直面している最大課題が、頑固なアメリカ政府に対して、意志を強制執行する手段がほとんど見当たらないことである。そして、この点にこそ、第二のスーパーパワーが解決策の一端を担える可能性がある。執行には多面の次元がある。アメリカが国際機構を回避し、あるいはないがしろにしようとすれば、第二のスーパーパワーは、デモや公衆教育キャンペーン手段を用いて、攻撃し、暴露することができる。第二のスーパーパワーは、世界中の政治家たちに圧力をかけて、できる限りの方策を用いて、アメリカ政府に対抗する決意を固めさせることができる。第二のスーパーパワーは、また、アメリカの政治家を標的にすることができるし、政権の国際機構切り捨て政策を支持する候補者を落選させることができる。
第二のスーパーパワーの長期戦略として、必ずしも国家機構を通して働きかけなくてもよいように、直接の声を国際機構に届けなければならない。これは、実践としては、市民、NGO、そして『市民社会』の声を意味する。例えば、世界資源研究所のアクセス・イニシアチブ(主導権運動)は、世界銀行などの国際機関による環境政策に対して、市民団体が影響力を持てるようになるために働いている。国家連合であるG8の『デジタル化機会特別委員会』では、市民団体が公的な役割を担っているし、国連『情報通信技術作業部会』でもそうである。
全般的に見て、第二のスーパーパワーにはどのような展望が開いているのであろうか? 第二のスーパーパワーは、インターネットを結合組織として、頭脳を整備強化し、国際法システムを他者と協働するための出会いの場として、その潜在力を現わし始めている。だが、やるべきことは多い。どうすれば、第二のスーパーパワーは不断に力を獲得できるだろうか? また、同じく大事なことだが、どうしたら、第二のスーパーパワーの頭脳を強化育成し、その知恵と善意を最大限に発揮させ得るだろうか? 未来は、言い古された言葉だが、わたしたちの手中にある。わたしたちは、第二のスーパーパワーそのものが強く育つのを助けるために結集しなければならない。
第一に、わたしたちが第二のスーパーパワーのメンバーとして参画している『心理作用』を意識し、個々人の状況理解と集団行動を格段に効率化させる方策を探求しなければならない。これは、もちろん、マスメディアに異議申立てを行い、改善を促し、より双方向性であり、歪みの少ない代替メディアを支持することを意味する。だが、もっと大きな野心を語れば、わたしたちはある種のメタ()訓練を開発し、わたしたちの共同体のオーガニゼーション(有機組織体)心理学を展開し、ウェブが切り開いた、人間中心主義の地球規模の政治・通信プロセスの特質を解明し、不断に改善していかなければならない。
第二に、第二のスーパーパワーの未来は、皮肉なことに、第一のスーパーパワーに部分的であれ規定されている社会的自由に多いに依拠している。第二のスーパーパワーが根を下ろし、育つためには、出版、集会、言論といった従来からの自由が必要だった。実に、インターネットを構築したのもアメリカ政府だったし、理論的には、政府はインターネットにおける自由の規制に踏み込むこともできた。だから、社会の自由、とりわけインターネットの自由に周到な注意を払う必要がある。アクセスを制限し、サイバースペースにおけるプライバシーと結社の自由を規制しようとする、ウェブ検閲の動きが数多く進行している。ウェブ検閲と言えば、一般的には中国とかサウジアラビアといった国々を連想するが、アメリカとヨーロッパでも、厳しいウェブ管理手法が開発されている。第一のスーパーパワーの官僚たちは、テロ防止を名目にして、規制を推進しているが、それは同時に、第二のスーパーパワーの核心である、開かれた、双方向性の通信を妨げるものである。世界のどこでも、開かれたウェブ、開かれたサイバースペースを主張しなければならない。オープン・スペースこそが、第二のスーパーパワーが生きていくのに欠かせない媒体なのだ。
第三に、第二のスーパーパワーが活動できる舞台を用意するには、どのように国際機構を支えれば最善であるか、注意深く検討しなければならない。おそらく、わたしたちは世界銀行のような機構をあまりにも頻繁に攻撃してきたが、正しい条件の下では、そうした機構は第一のスーパーパワーに対処するうえでの共闘者になれるのである。国際機構は深いところからもっと透明になり、一般公衆に開かれ、特定利害関係から自由になり、しかも、わたしたちの見解が表明されるための確固とした場を用意できるだけの力を保持しなければならない。
最後に、わたしたちは、わたしたち自身に、そしてわたしたちの共同体に働きかけなければならない。わたしたちは、第二のスーパーパワーの集合的知恵はわたしたち個々人の知恵に根差していることを知りつつ、隣人たちと対話していくであろう。わたしたち自身のために、後世の世代のために、わたしたちが創造する世界について、日々、わたしたちは個人的に選択しているのだと、わたしたちは銘記しなければならない。違いが戦争で解消する世界を創造する必要はない。破壊、退屈、悲劇に満ちた世界で生きていく必要はない。わたしたちは平和が満ちる世界を創造するだろう。
© 2003 James F. Moore
翻訳: © 2003 Toshio Inoue
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