突発的な回心の事例――突発性が必須条件なのか?――否、回心は心理学的特異性によって決まる――実証された超周縁的、または潜在的意識――「自動作用」――瞬時の回心は当人の活動的な潜在意識自我の保持に原因があるようだ――回心の価値はその経過にあるのではなく、果実にある――瞬時の回心の場合に果実が優れているということはない――コー教授の見解――結果としての聖別――当講座の心理学的説明は神の直接存在を排除しない――ハイアーパワーによる支配の感じ――情緒的な「信仰状態」の知的信念に対する関係――リューバによる引用――信仰状態の特徴=真実の感覚、世界が改まる――感覚の自動作用と運動器官の自動作用――回心の永続性
今回の講義で、回心の主題を終わりにしなければなりませんので、まず、あの目を見張るような瞬間的な事例について考察しますと、その最も名高い例が聖パウロの回心であり、こういう事例では、しばしばとてつもない情緒の興奮または感覚の動揺のさなか、古い生きかたと新しい生きかたの完全な分離が一瞬のうちに成立します。このタイプの回心は、それがプロテスタント神学で担ってきた役割のゆえに、宗教体験の重要な側面であり、そのようなわけで、わたしたちとしても、これを念入りに研究しないわけにはいきません。
全般的な説明に移る前に、二、三の実例をあげておいたほうがよいでしょう。まず、具体的な例を知っておかねばなりません。アガシー教授〔Louis Agassiz (1807-73)博物学者〕が常に言っていたとおり、前もって個別例を知り、身に付けていなければ、一般概念に進むことはできないからです。では、わたしとしては、われらが友人、ヘンリー・アリン〔Henry Allen (1748-84)神学者〕の事例に戻り、彼の分裂した哀れなこころが永久に統合された日、一七七五年三月二六日の報告を引用しましょう――
「日没ごろ、わが惨憺たる、ボロボロで落ちぶれた境遇を嘆きつつ野原をさまよい、今にもわが重荷の下に崩れ落ちようとしていたとき、自分はだれも陥ったことのない未曾有の悲惨な事態にあると考えた。わたしは家に戻り、戸口に着き、ちょうど敷居をまたごうとしたとき、力強いが小さくて静かな声に似た、次のような印象がわたしに生じた。おまえは、求め、祈り、改め、いそしみ、読み、聞き、瞑想してきたが、おまえの救いのためになんになったのか? おまえが最初に始めたときに比べて、回心にいくらかでも近づいたか? 最初に求めはじめたときに比べて、天に召され、あるいは神の公平な裁きの場に出頭する準備がおまえにいくらかでも整っているか?
「わたしは、当初より一歩でも近づいたと考えられるどころか、以前と変わらず罪を宣告され、暴露され、悲惨であるといわざるをえない、この身にまつわる確信に追いこまれた。おお主よ、わたしは途方に暮れ、自分で算段した道や方途はことごとくわたしの役に立たず、これからも失敗するでしょうから、おお主よ、あなたが新しい道を見つけてくださらなければ、わたしはなにも知らず、決して救われることはないでしょう、とわたしはこころのうちに叫んだ。おお主よ、ご慈悲を! おお主よ、ご慈悲を!
「わたしが家のなかに入って座るまで、このような開示がつづいた。座ったあと、水におぼれ、沈むしかないと諦めた男さながら混乱し、苦悶して、急に椅子の向きをぐるりと変えると、椅子のひとつに古い聖書の分冊が転がっているのが目にとまったので、大急ぎで手に取った。なんの予断もなく開くと、詩篇第三八章に目を向けることになったが、それは、わたしが神の言葉を理解した最初のできごととなった。それはわたしの魂の全体を刺し貫くかのような力でわたしを虜にしたので、まるで神がわたしのなかで、わたしとともに、わたしのために祈っているかのようだった。そのとき、わたしの父が家族を祈りに加わるように呼び集めた。わたしは加わったが、父が祈りでいっていることには構わずに、詩篇の言葉で祈りつづけた。おお、わたしを助けてください、わたしを助けてください、とわたしは叫んだ。魂の救い主、わたしを救ってください。さもなければ、わたしは永遠に見捨てられます。御心であれば、あなたの血の一滴でわたしの罪を贖い、怒りの神の憤激をなだめることがおできになれます。わたしがすべてを神に捧げ、神の御心にわたしを委ね、神が御心のままにわたしを支配することを願った、その瞬間、贖罪の愛が聖句の連祷とともに、わたしの魂全体が愛とともに溶けてしまうかのような力をもって、わたしの魂を貫通し、罪の重荷と宣告は消え去り、暗闇は追い払われ、わたしのこころは謙虚になり、感謝で満たされ、ほんの数分前に山のような死の重圧にうめき、救いを求めて見知らぬ神に叫んでいたわたしの魂は、いまや不滅の愛に満たされ、信仰の翼で天空高く羽ばたき、死と暗闇の連鎖から逃れ、わが主、わが神、あなたはわたしの岩、わたしの砦、わたしの守りの盾、わたしの高塔、わたしの命、わたしの喜び、わたしの現在、わたしの永遠の運命、と叫んでいた。見上げて、違った風に見えたが、わたしはあの同じ光を見たと思った(以前に一度だけでなく、彼はまばゆく輝く光を主観的に見たことがあった)。その光を見るやいなや、神の約束により、計画がわたしに開示され、わたしは、じゅうぶんです、じゅうぶんです、おお、祝福された神よ!と叫ばざるをえなかった。回心の働き、変革、その明示は、もはや、わたしが見ている光や、これまでに見たなにものよりも疑問の余地がなかった。
「わたしがすっかり喜んでいるさなか、わたしの魂が自由に定められてから三〇分たたないうちに、神はわたしに聖職者の仕事を示され、福音を説くようにと命じられた。わたしはこう叫んだ――アーメン、主よ、わたしは行きます、遣わしてください、遣わしてください。わたしはその夜のあらかたを法悦のエクスタシーに包まれてすごし、惜しみなく限りない恩寵のゆえに『日の老いたる者』〔ダニエル書7-9、神のこと〕を称え、崇めていた。わたしはこれほど長く歓喜に包まれ、天国にいる心地がしていたので、わたしの本性が睡眠を求めているように思われ、しばらくのあいだ、目を閉じていようと思った。すると、悪魔が踏み込んできて、わたしが眠れば、すべてを失い、朝に目覚めたとき、すべては幻想であり、錯覚だったということになるとわたしに告げた。わたしはすぐさま、おお、主なる神よ、わたしが騙されているなら、瞞着を解いてください、と叫んだ。
「そして、数分のあいだ、わたしは目を閉じていると、睡眠でリフレッシュしたようだった。目覚めたときの最初の問いかけは、わたしの神さま、どこにおられます?というものだった。そして、一瞬のうちにわたしの魂は、神のうちに、神とともに目覚め、永久につづく愛の腕に抱かれているようだった。日の出のころ、わたしは、神がわたしになしたもうたことを両親に語り、神の限りない恩寵の奇跡を言明するために、喜びとともに起床した。前夜に神がわたしの魂に印象づけた御言葉を両親に示すために、わたしは聖書を手に取った。だが、聖書を開いてみると、それはわたしにとってすっかり新しいものになっていた。
「わたしは、キリストの義のために役立ちたい、福音を説きたいととても熱望したので、一時もじっとしておられず、出かけていって、贖罪の愛の驚異を説かねばならぬと思えた。わたしは、世俗の快楽の味わい、世俗の交わりをすっかり忘れ、それらを断つことができた」[120]
[120] Life and Journals, Boston , 1806, pp. 31-40, 要約。
若いアリン氏は、いささかの遅滞もなく、聖書を読むほかに机上の学問もなく、彼自身の経験のほかに教えるものもなく、キリスト教聖職者となり、その後の彼の人生は、その禁欲と一途な気持ちから、最も献身的な聖者たちの一生に比肩しうると評されるにふさわしいものとなりました。彼はたゆまぬ努力のうちに幸福ではありましたが、最も無邪気な世俗の喜びといえども、その味わいを取り戻すことはありませんでした。バニヤンやトルストイのように、魂に欝の焼き印による永遠の刻印を受けた人びとに彼を分類しなければなりません。彼の贖罪は、この単なる自然界のものではなく、別の宇宙への参入であり、彼にとっての生は、悲哀と忍耐の試練であるままでした。後年、彼の日記に次のように記されているのが、目にとまります――「十二日の水曜日、わたしは婚礼で説教し、それによって、肉の浮かれ騒ぎを排除する手段たることの幸せをえた」
次に紹介する事例は、リューバ教授〔James Henry Leuba (1867-1946)米国の心理学者〕の文通相手のもので、すでに引用した『アメリカ心理学ジャーナル〔American Journal
of Psycholgy〕』第六巻所収論文に印刷されています。ご本人は、オックスフォードの学卒で聖職者の子息ですが、彼の物語は、万人に周知のものとされているガードナー大佐〔*〕の典型的な事例と多くの点で似通っています。では、いくらか要約したものをどうぞ――
「わたしがオックスフォードを去ったときからわたしの回心までのあいだ、八年間も父と同居していたが、父の教会の敷居をまたいだことがなく、わたしに入用の金は報道界で稼ぎ、わたしと同席する気のあるだれとでも大酒盛りをして、その金を飲み尽くしていた。このようにわたしは暮らし、時には一週間も飲みつづけ、あげくにすさまじい悔いを感じて、まる一月、一滴たりとも手を触れなかった。
「この期間ずっと、わたしが齢三三歳になるまで、宗教的見地によって改心をする願いをもったことがなかった。だが、わたしの心の痛みのすべては、耐えがたい大酒盛りのあとによく感じていた、なんらかのすさまじい自責の念のせいであり、わたし――優秀な才能と学識に恵まれた男――の人生をこのようなやりかたで浪費する愚行のあとの遺憾の思いの形を取った激しい悔恨のせいだった。このすさまじい悔恨がわたしを一夜にして白髪まじりにし、わたしが悔恨に見舞われる度ごとに、翌朝には目に見えて白髪が増えていた。このようにしてわたしがこうむった苦しみは言語を絶していた。それは、最も恐ろしく燃え盛る責め苦の地獄の業火だった。『今回』を乗り越えることができたら、悔い改めますとしばしばわたしは誓った。ああ、三日ばかりもすれば、わたしは完全に回復し、これまでと同じく幸せだった。この調子で何年もすごしていたが、わたしは犀のような体格であり、いつも回復し、わたしが一人で飲んでいるかぎり、わたしと同じほど人生を楽しめる人はいなかった。
「七月のある暑い日(一八八六年七月十三日)のちょうど午後三時、わたしは父の牧師館の自分の寝室で回心した。わたしは申し分なく健康であり、一か月近く飲んでいなかった。わたしは魂の悩みをまったく抱えていなかった。じっさい、その日、神はわたしの思いのなかにいなかった。若いご婦人である友人がドラモンド教授の『霊界における自然法』を送ってよこし、ただ文学作品としてだけの同書の書評をわたしに依頼していた。わたしは批評の才に鼻を高くし、わたしに対する新しい友人の敬意を高めたいと願って、その本を徹底的に研究したうえで、わたしの考えを彼女のために書こうと思って、静粛を求め、本をわたしの寝室に持ちこんだのである。神がわたしに面と向かって会ったのは、その場であり、わたしはこの会合を決して忘れないだろう。『御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません』〔ヨハネの手紙一5-12〕。わたしは多くの機会にこれを読んでいたが、今回は歴然とした違いがあった。今回、わたしは神の現存のうちにあり、わたしの注意力はこの聖句に完全に“接合”され、これらの言葉がほんとうに包み込んでいるものをじゅうぶんに熟考するまでは、あの本を読み進めることを許されてはいなかった。その後になって初めて読み進めることを許されたが、その間ずっと、わたしには見えなかったが、わたしの寝室に別の存在がいると感じていた。静寂はとても霊妙であり、わたしは至高の幸福を感じていた。わたしは永遠存在に触れたことがなかった、このことが一瞬のうちにいささかも疑問の余地なくわたしに示された。その時に死ぬと、わたしは必然的に失われ、破滅する。わたしは救われているといまわたしが知るごとく、その時、わたしはそのことを知った。神の霊はいうにいえない愛のうちにそのことを示した。それに恐ろしさはなかった。わたしはわが身に降る神の愛をとても強力に感じたので、わが身の愚行のせいですべてを失ったという強大な悲哀のみがわたしを蝕んでいた。では、わたしはなにをしようとしていたのか? わたしになにができたのか? わたしは後悔すらしなかった。神はわたしに後悔することを求めなかった。『わたしは破滅している』というのが、わたしの感じていたすべてであり、神はわたしを愛していたが、このことで助けることはできなかった。全能者の側に落ち度はなかった。わたしはいつもこの上なく幸福だった。わたしは父の前にいる幼児であるように感じていた。わたしは悪さをしたが、父はわたしを叱らず、驚くほどこの上なくわたしを愛していた。いまだにわたしの運命は封印されていた。わたしは確実に失われていたのであり、生まれながらの勇敢な気質のおかげで、そのせいで気落ちもしていなかったが、過去に対する深い悲哀が、自分の失ったものに対する悔いとないまぜになって、わたしの上にのしかかり、すべては終わったと考えて、わたしの内奥で魂が震えた。すると、とてもやさしく、とても愛情深く、とても間違いなく、脱出の道がわたしにゆっくりと開かれた。結局、それがなんだったのか?古い、古い物語がまたもや、新しい形で語られた。『ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの〔主イエス・キリストの〕名のほか、人間には与えられていないのです』〔使徒言行録4-12〕 わたしにはことばが語られなかった。わたしの魂は霊のうちにわたしの救い主を見たようであり、その時から今まで、もはや九年近く、主イエス・キリストと父なる神とが、それぞれ別々に、また両者ともに考えられるかぎりに完璧な愛をもって、わたしのはたらきかけたことにわたしは一瞬たりとも疑ったことはなく、あの当時、わたしはとてもびっくりするような回心に大喜びしたので、二四時間以内に村中に知れわたることになった。
「だが、困った時はさらにやってくるのだった。わたしの回心の翌日、わたしは刈り取りに手を貸すために牧草地に出かけ、飲酒を控えるか、節酒を心がけるかすると神に約束していなかったので飲みすぎ、酔っぱらって帰宅した。わたしの気の毒な妹はこころを引き裂かれた。わたしは恥じ入って、ただちにわたしの寝室へ引っ込んだが、妹は涙の雨を降らせながらついてきた。あなたは回心したのに、アッという間に堕落したのよ、と彼女はいうのである。だが、しこたま飲んではいたが(もっとも、泥酔してはいなかったので)、わたしのうちに始まった神の働きが無駄にならないことはわかっていた。真昼ごろ、わたしは跪き、二〇年来で初めて神の御前に祈りを捧げた。許しは乞わなかった。また脱線するのが確実なので、よくないと感じたのである。はて、わたしはなにをやったのか? わたしは、わたしの個人性が破壊され、神はわたしからすべてを奪いたもうと、この上なく固く信じて、わが身を神に委ね、そのつもりになっていた。そのような放棄のうちに、信仰生活の秘密があった。その刻限から、わたしにとって、一杯の酒は恐怖の的ではなくなった。それに手を出さず、ほしいと思わなかった。同じことがパイプ煙草にも起こった。わたしは十二歳のときから病みつきの喫煙者だったが、喫煙欲が失せ、二度と戻らなかった。世間に知られたすべての罪についても、それぞれの場合の解消は、恒久的であり、完璧だった、回心からこのかた、神がサタンをわたしに近づく道筋から締め出したようであり、わたしには誘惑するものがなかった。サタンは、他の面ではフリーハンドをふるえただろうが、肉の罪となるとだめだった。わたしが自分自身の生活における所有権をすべて神に委ねて以来、神は千の方法でわたしを導き、真に放棄した生活の賜物を享受していない人びとにとって、ほとんど信じられないような方法で、わたしの道を開いてくださった」
われらがオックスフォード卒業生について、これぐらいにしておきますが、彼の事例を見て、回心の果実のひとつとして、古い嗜好が完全に捨てられていることにみなさんはお気づきでしょう。
わたしが知っている突発的な回心の記録のうち、最も不思議なものが、自由思想のフランスのユダヤ人、マリー=アルフォンス・ラティスボンヌ〔Marie-Alphonse Ratisbonne(1814-84)イエズス会司教・宣教師〕が、ローマで一八四二年にカトリック信仰に回心したさいのものです。数か月後に書かれた、聖職にある友人に宛てた書簡に、回心者はその事情をワクワクするような筆致で説明しています[121]。誘因となる事情は取るに足りないものであるようでした。彼に兄がいて、その人は回心し、カトリックの司祭になっていました。彼自身は信仰をもたず、背信の兄に対する、また坊主憎けりゃ“袈裟”憎しとばかり司祭服全般に対する反感を募らせていました。二九歳のときにローマに現れた彼は、フランス人紳士と知り合いになりました。紳士は彼を宗旨替えさせようとしましたが、二、三回の会話ではうまくいかず、せいぜい(冗談半分で)彼の首に宗教をモチーフにしたメダルをかけ、聖母の短い祈りのプリントを受け取らせ、読ませることができただけでした。ラティスボンヌは、会話での自分の役割をお手軽な、ひやかし気分のものだったといっています。だが彼は、何日間か祈りのことばをこころから消すことができず、転機の前の晩にキリストの架けられていない黒い十字架が示される心象のうちにある種の悪夢を見たと書き留めています。それでもやはり、翌日の正午まで、彼は精神が自由であり、取るに足りない会話にふけっていました。では、彼自身のことばに語らせましょう――
[121] 引用の出所は、the Biografia del sig. M. A. Ratisbonne, Ferrara , 1843所収のイタリア語訳書簡。これをわたしに教えてくださったローマのモンセニョル〔高位聖職者の尊称〕D・オコンネルに感謝しなければならない。原文を要約。
[121] My
quotations are made from an Italian translation of this letter in the Biografia
del sig. M. A. Ratisbonne, Ferrara, 1843, which I have to thank Monsignore D.
O’Connell of Rome for bringing to my notice. I abridge the original.
「この時点でだれかが『アルフォンス、十五分もすれば、君はイエス・キリストを、わたしの神、救い主と崇めているだろう。つましい教会で地面に顔をつけ、ひれ伏しているだろう。司祭の足元で君の胸を殴っているだろう。カトリックの信仰に君の生涯を捧げる覚悟ができて、洗礼を受ける準備のために、イエズス会の共同生活集団のなかで謝肉祭をすごしているだろう。君は世界とその華美と快楽とを捨てるだろう。君の富、君の希望、必要とされれば、君の婚約者を捨てるだろう。君の家族の情愛、君の友人らの敬意、ユダヤの民に寄せる君の愛着を捨てるだろう。キリストに従い、死のときまで彼の十字架を負うことの他、君はなんの願いももたないだろう』とほざいて、わたしを誘っていたとすれば――いっておくが、預言者がわたしのところへやってきて、このような預言を告げたなら、その彼以上に狂っているのは、ただ一人のみであるとわたしは判断したはずだ――そのひとりとは、だれであれ、このように無分別なたわごとが実現する可能性を信じかねない人である。それなのに、目下のところ、そのたわごとが、わたしの唯一の知恵、わたしのたったひとつの幸福なのだ。
「カフェから出てきたとき、わたしはムッシュー・B(改宗を誘う友人)の馬車に出会った。彼は馬車を停め、わたしをドライブに招待したが、その前に聖アンドレア・デッレ・フラッテ教会の礼拝のお勤めにちょっと顔を出すので、数分のあいだ、待っていてくれるようにと告げた。馬車のなかで待つかわりに、わたしは自分でも教会を見にいった。聖アンドレアの教会は、みすぼらしくて狭く、空っぽだった。きっと、そこにはわたししかいなかったはずだ。美術品にしても、わたしの目を惹くようなものはなかった。所在なげに内部を見廻したが、なんの感慨も覚えなかった。もの思いにふけっていたとき、わたしの前を真っ黒な犬がちょこまか走ったり転がったりしていたのを憶えているだけである。一瞬のうちに、犬はいなくなり、教会が消えてしまった。もはや、なにも見えなくなった……いや、もっと正確に言うと、おお、神さま、わたしはひとつのものだけを見ていた。
「神さま、それをどう話せようか? いや、だめだ! ことばで言い尽くせないことを、人間のことばで言い表せない。どれほど高尚な表現であっても、いかなる説明も、言葉に表せない真実に対する単なる冒涜になりかねない。
「ムッシュー・Bがわたしの意識を呼び戻したとき、わたしは忘我の状態で、地面にひれ伏し、涙にまみれていた。彼はわたしを質問責めにしたが、わたしは答えられなかった。だが、ようやくのことでわたしは胸のメダルを手に取り、それに刻印された恩寵に輝く聖母の像に全霊をこめて接吻した。おお、実にそれは彼女だった! それは実に彼女だった! (彼が見たものは、聖母のヴィジョンだった)
「わたしは、自分がどこにいるのかわからなかった。自分がアルフォンスなのか、他のだれなのか、わからなかった。自分が変わったことだけを感じ、自分自身が別のわたしになったことを信じた。わたしは自分自身のなかにわたし自身を探し、わたし自身を見つけなかった。わたしの魂の奥底で最大級の燃えるような喜びが爆発するのを感じた。わたしは口を利けなかった。起こったことを打ち明けるつもりもなかった。だが、わたしの内部に崇高で神聖なものを感じ、そのため、わたしは司祭に会わせてほしいと願った。わたしは司祭のもとへ連れてゆかれた。司祭から明確な指示を与えられ、わたしはその場でひとりになり、跪き、いまだに胸を震わせながら、最善を尽くして話した。わたしは、自分が知識と信仰をえた真理について、わたし自身に説明できなかった。わたしにいえるのは、わたしの目から目隠しが瞬時に落ちたことだけであり、それも一枚の目隠しだけでなく、わたしの成長期を何重にも包んでいた目隠しの全部が落ちたのである。燃える太陽の光線のもとでシャーベットや氷が溶けるようにして、一枚、また一枚と、急速に消えてしまったのだ。
「わたしは、さながら墓穴から出るように、暗黒空間から出てきた。そしてわたしは生きて、完璧に生きていた。だが、あの深淵の底で、わたしは自分が無限の慈しみによって救いだされた悲惨さの極限を見たので、泣いた。わたしの非道の光景に身震いし、驚異によって、また感謝によって、茫然とし、陶然とし、圧倒された。わたしは宗教書を開いたこともなければ、聖書を一頁たりとも読んだこともなく、現在の教理は今日のユダヤ人に否定されるか、忘れられるかしていて、それについてわたしはほとんど考えたことがなく、そのことばを知っていたかどうかさえおぼつかないので、どのようにしてわたしがこの新しい洞察に到達したのか、読者はわたしに質問するかもしれない。では、どのようにしてわたしはそれに関するこの理解に達したのか? 次のことの他、わたしには答えようがない。あの教会に入るとき、わたしはまったくの闇のなかにいた。そこから出てくるとき、わたしは満ちあふれる光を見た。深い睡眠に喩えるか、それとも生まれつき目が閉じた人の目が突然に開いて、日光を見るという比喩を用いるかしなければ、わたしはこの変化をうまく説明できない。彼は見ているが、彼が浴びている光、驚異の念を覚えさせる対象を見るための手段である光を定義することはできない。わたしたちに物理的な光を説明することができないのに、どうして真理そのものである光を説明できるだろうか? 信仰教義に関して一文字にも通じていないまま、このときわたしは直感的にその意味と精神とを感受したといっても、わたしは誠実さの範囲を逸脱していないと思う。見たというより、わたしはそれら隠されたものごとを感じたのだ。それらがわたしのうちに生みだした説明のつかない効果によって、わたしは感じたのである。すべて、わたしの内なる心のなかで起こったのであり、それらの印象は思想よりも速やかにわたしの魂を揺さぶり、転回させ、いわば、別の方向へと、別の目的へと、別の道へと向けたのである。わたしは口下手である。だが、神さま、ハートだけが理解できる情緒を貧弱で不毛なことばに閉じこめることを望まれるのでしょうか?」
わたしとしては、ほとんど際限なく事例を積み重ねることもできますが、突然の回心が体験者にとって、どれほど真実で、明確で、忘れられないできごとであるか、みなさんにわかっていただくには以上でじゅうぶんだと思います。体験者の目には、回心の絶頂期を通じ、自分が受け身の目撃者または対象者であり、上方から自分に施されるびっくりするような処置を見ているように映っています。これには非常に多くの証拠があって、疑いの余地はありません。神学は、この事実を選びと恩寵の教義に結びつけ、これらの劇的な瞬間には、わたしたちの人生の別の転機に起こることとは違って、神の霊が格別に奇跡的な形でわたしたちとともにあると結論づけています。それが信じるには、まったく新しい性質がわたしたちに吹きこまれ、わたしたちは神の本質そのものの関与者となります。
回心は瞬時に起こるはずであるとされているのは、この考え方にもとづくようであり、モラヴィア教会のプロテスタントたちが最初にこの論理的帰結を会得したようです。ほどなくメソジスト〔一七二九年にウェスレーらが起こした敬虔主義運動〕教徒たちが、教義でなくとも、実質的にその先例にならい、ジョン・ウェスレー〔John Wesley (1703-91) 英国の神学者、メソジスト教会の創始者〕は、死の少し前に次のように書いています――
「われわれの共同体のメンバーで体験において明確に突出しているものは、ロンドンだけでも六五二名おり、それぞれの証言に対し、わたしには疑う理由がない。彼らの全員が(一人の例外もなく)罪からの解放は瞬時に起こったと明言した。つまり、変化は一瞬のうちになされたのである。彼らのうちの半数、あるいは三分の一、あるいは二〇分の一が、変化が彼らのうちで段階的になされたと明言していたなら、彼らに関しては、わたしはこれを信じたはずであり、一部は段階的に聖別され、一部は瞬時に聖別されたと考えたはずである。だが、これほど長い期間、わたしはこのように話す人物をひとりも見なかったので、聖別は、常にとはいわなくとも、一般的に瞬間的な御業であると信じるほかない」[122]
[122] Tyerman’s Life of Wesley, i. 463.
その一方、プロテスタントのもっと一般的な諸教派は、瞬間的な回心をそれほど重要視しませんでした。それらの教派にとって、カトリック教会にとってと同じく、自己に対する絶望と放棄の深刻な危機とそれに続く救済を体験しなくても、救済されるためには、キリストの血と聖餐、個人の通常の宗教上の務めでじゅうぶんであると実質的に考えられています。対照的に、メソジスト派にとって、この種の危機がないかぎり、救済は提示されているだけであり、有効に感受されたわけでなく、そのかぎりではキリストの犠牲は未完成なのです。この点で確かにメソジストは、健全なこころには従っていなくとも、全般的により深遠な霊的本能に従っています。メソジストが代表的で模範としての価値があると認めている個別例は、ドラマとして興味深いだけでなく、心理学的にもっと完璧です。
英国とアメリカで全面的に展開した信仰復興運動では、この考えかたが、いうなれば体系的・定型的な手順となっています。一度生まれ型の聖者たちが存在するということ、聖性が発達するのに激変によらず段階的であってもよいという確かな事実にもかかわらず、救済の仕組みには、ただの生まれながらの善良さもかかわっているはずだが、その多くが明らかに漏れている(といってもよいはず)にもかかわらず、宗教復興運動では、それ独自のタイプの宗教体験のみが完璧でありうるとみなしてきました。みなさんはまず、もっともな絶望と苦しみの十字架に釘付けされなければならず、そのうえで、アッという間に奇跡的にも解放されるのです。
自分自身でそのような体験を味わった人たちが、それが自然ななりゆきというよりも、むしろ奇跡であるという感慨を抱くのは当然です。声がしばしば聞こえ、光が見え、あるいは幻影が目撃されます。無意識運動現象が起こります。自分の意思を放棄したあと、常に自分を超えた力が外部から押し寄せ、憑依〔取り付くこと〕するかのように感じます。しかも、回春、安全、潔白、真実の感覚が、不思議であり、喜ばしいので、根源的に新しくしっかりした本性を得たという確信を保証してくれます。
「回心とは、聖性の継ぎ当てをすることではなく、真の回心者の場合、聖性はその力、本質、日課に織り込まれている。偽りのないクリスチャンは、礎石から笠石にいたるまで、まったく新しい建造物なのだ。彼は、新しい人間、新しい被造物である」と書いています。
「神の霊の効験であるそれらの恵み深い影響は――悔い改めない人間が経験することとはまったく違って――全面的に超自然のものである。それらは、自然のままの適性や信条の改善、または組み合わせの産物などではない。というのも、それらは、自然のものや、自然のままの人間が程度や環境に応じて経験するあらゆることとは違っているだけでなく、本質的にも異なっており、特質としてもっと優れているからである。
「それゆえ、慈悲深い愛情のうちに、(同じ)聖者たちが聖別される前に経験したどんなこととも特質や種別においてまったく異なる新しい知覚と感覚も(また)存在するということになる……神の麗しさに関して聖者たちが抱く概念は、またそのうちに聖者たちが経験するあの類いの喜びは、自然人〔堕落した自然性を有する人間〕が持ちうる、あるいは適正な判断を抱きうるなにものともまったく違っている」
そして、これほどの華麗な変身に先立つ必須条件として、絶望がなければならないことはエドワーズの別の文に示されています。彼はこういいます――
「神がわたしたちを罪の状態と永遠の災難に向かう傾向から開放なさる前に、かなりの程度の罪意識をわたしたちに賜るのは、理不尽なことではありえず、それから救い出すことによって、わたしたちが救済のありがたみを知り、感じ、神がわたしたちのために喜んでなさることに感謝できるようにするためなのだ。救済される人たちが極端に異なった二通りの精神状態――まず罪を宣告された状態、次に罪を許された至福の状態――に順次に置かれ、また人間たちの救済において、神が彼らを合理的で知性的な被造物として扱っているので、異なった二通りの精神状態において、救済される人たちが自分の本質を意識するようにされるということは、この知恵に一致するようである。最初の段階で、罪を宣告された状態を、その後、解放と喜びの状態を意識すべきなのだ」
わたしたちの目的である、これらの変化に対する教義上の解釈を知るのに、これだけ引用しておけばじゅうぶんでしょう。熱気にあふれた集会の男女に変化を生じさせるのに、暗示や模倣がどのように効いているにしても、少なくともそうした変化は、無数にある借り物ではない独自の体験の個別な事例に数えられるのです。わたしたちが、どのようなものであれ宗教的な関心を抜きにして、純粋に臨床記録の観点から心の軌跡を記述しているとしても、人間の最も不思議な特異性として、突発的で完全な回心をきたす傾向があることを書き記さなければならないでしょう。
では、わたしたち自身は次の設問をどう考えるべきなのでしょう? それほど際立った飛躍のないこころの変哲のなさに神が現存するように、瞬時の回心は神が現存する奇跡なのだろうか? 見たところ、改心した人びとであっても、二つの部類があり、その一方は、ほんとうにキリストの特質を身に付け、他方は、単にそう見えるだけであろうか? あるいは反対に、これら際立って瞬間的な事例であっても、改心の現象全体が厳密に自然の作用であって、もちろん果実は神聖ではあっても、一方はより神聖であり、他方はそれほどでなく、高い低いはともかく、人間の内面生活の他の過程に比べて、その単なる因果関係と力学作用において、神聖であるとかどうとかはいえないのだろうか?
この質問に答える前に、さらにいくつか心理学の見解に耳を傾けていただくようにお願いしなければなりません。前回の講義で、人間の内部にある個人エネルギーの中心の移動および新たな情動の危機の点火について解説しました。この現象を、一部分は思考と意思の明確に意識的な過程の結果であるが、同時に大部分は人生経験によって積み上げられた動機の潜在意識的な潜伏と熟成の結果であるとして説明しました。成熟すると、結果が卵からかえる、またはパッと開花するのです。いまわたしは、この開花の過程が進行する潜在意識の領域について、いくぶんあいまいでない説明をしなければなりません。ただ時間が限られていますので、はしょらなければならないのが残念です。
「意識場」という表現は、ちかごろ心理学の本で流行りはじめたばかりです。つい最近まで、精神生活の一番目立つ単位は個別の「観念」であり、これが明確に定められたものとされていました。だが、いまのところ心理学者は、第一に、実際的な単位は精神状態の総体、意識の波の全体、あるいは、任意の時点における思考に浮かぶ対象の場であると認め、第二に、この波、この場をいささかでも明確に概説することは不可能であるとみなす傾向があります。
わたしたちのこころの場が順次に展開すると、それぞれの段階にそれぞれの関心の中心があり、その周辺部では、わたしたちの注意力がどんどん薄くなっていく対象が限界ぎりぎりまでぼんやりと褪せてゆき、ついにはその形も定かでなくなります。ある場は狭く、ある場は広い。ふつうの場合、広い場を持つとき、多数の真実を一度に見渡せ、しばしばそれらの関係をかいま見ると、それを見るというより見抜き、その一瞥が、もっと遠くの対象領域へと、じっさいに感受するというより、感受しそうであるように思える領域へと場を超えていくので、わたしたちは大いに喜びます。別のとき、眠気や病気、疲れがある場合、わたしたちの場はほとんど点にまで狭くなり、それに応じて、わたしたちは抑圧と萎縮を覚えるのです。
この場の広さの問題についていえば、人それぞれに気質的な違いがあります。組織力の大天才は、きまって広大な精神的視野を備えた人間であり、未来の行動計画の全容が即座にパッパッと描き出され、閃きの力がはるか先の確かな方向へと射出されます。凡人の場合、ある課題に対して、このような上等の包括的考えかたを持ち合わせていません。凡人はよろめき歩き、例によって、まごまごと道を手探りし、しばしば完全に立ち止まってしまいます。ある種の病的な状態の場合、意識は単なるちらつきになり、過去の記憶も未来への思いもなく、現在は、なんらかの単純な感情や身体の感覚になります。
この「場」概念が思い起こさせる重要な事実に、意識周縁部の不確定性というのがあります。周縁部に入っているものごとは、はっきり気づかれることはありませんが。それでもそこに存在するのであり、わたしたちの行動を導くのにも、次にわたしたちの注意が動く方向を決めるのにも一役買っています。それは「磁場」のような形でわたしたちの周囲にあり、その内部で、意識の現在の局面が次の局面に移るにつれ、わたしたちのエネルギーの中心がコンパスの指針のように動きます。わたしたちの過去に蓄積した記憶の総量がこの周縁部のかなたに漂っていて、ちょっとした機会に、内部に戻ってこようとしています。わたしたちの経験的な自我を構成する剰余力、衝動、知識の総体が絶えず周縁部を超えて広がります。わたしたちの意識生活のいかなる時点においても、現実のものと潜在的であるにすぎないものとのあいだに、非常にぼやけた境界を引くことができるだけなので、ある特定の心的要素について、わたしたちが意識しているかどうかをいうのは困難です。
通常の心理学は、周縁部の輪郭をたどることは困難であると十全に認めていますが、それにもかかわらず、第一に、ある人が現に持っているすべての意識は、焦点にあっても周縁にあっても、注視されていてもいなくても、周縁部の輪郭がぼやけ、定かにするのが不可能であるとしても、その瞬間の“場”にあるということ、第二に、完全に周縁外である領域とは、まったく存在しないものであり、あらゆる意味で意識についての事実ではありえないものであることを当然としています。
この論点にたどりついたいま、前回の講義で潜在意識生活についてお話しした内容を思い出していただくよう、みなさんにお願いしなければなりません。みなさんも思い出されるでしょうが、初めてこれらの現象を強調した人たちは、いまわたしたちが知っているようには事実を知っていませんでした。いま、わたしの第一の務めは、このような発言でわたしがなにをいおうとしたのか、みなさんに説明することです。
わたしが心理学の研究者になって以来、この科学でなされた最も重要な前進は、一八八六年に初めてなされた発見であり、少なくともある種の被験者の場合、通例の中心と周縁からなる通常の場を持つ意識だけでなく、それに加えて、記憶、思考、感覚の組み合わせという形の付加部分が存在するのであり、それは周縁外、元来の意識のまったく外部にあるが、ある種の意識という事実として分類されなければならず、取り違えようのない兆候によってその存在が明かされるというものであると、わたしは考えないわけにはいきません。この発見は、心理学が達成した他の前進とは違って、人間性の構成に関して、まったく思いもよらない特異性を明らかにしましたので、わたしはこれを最も重要な前進であるというのです。心理学の達成した他のどのような前進も、このような資格を標榜することはできません。
とりわけこの場を超えて、あるいはマイアーズ氏〔Charles Samuel Myers (1873-1946)英国の心理学者〕のいうサブリミナル〔識閾下〕に存在する意識の発見は、宗教的な伝記に見られる多くの現象に光を投げかけます。この場で、このような意識を事実認定するための証拠について、当然、この場で説明するのは不可能ですが、これがわたしの言及しなければならない理由です。これは最近の多くの本で説明されてもいますし、ビネー〔Alfred Binet(1857-1911)フランスの心理学者〕の『人格の変容』Alterations of Personality[123]は推奨に値するものに数えられるでしょう。
[123] 国際科学シリーズの一冊。
いまのところ、実証に供された人材はいまのところかなり限られていて、少なくとも一部は心を病み、異常に催眠術の暗示にかかりやすかったり、ヒステリーの患者だったりしています。しかし、わたしたちの生の基本的なメカニズムは一定不変であると考えられ、一部の人間たちに顕著な程度で真実であると示されていることは、おそらくすべての人間にある程度で真実なのであり、少数の者には、抜群に高い程度で真実になります。
この種のウルトラ周縁部の活動が強度に発達した場合の最も重要な帰結は、その人の通常の意識の場がそこからの侵入を受けやすくなり、そのとき、本人はその源を推し測ることができず、そのため、その侵入は、彼にとって、説明のつかない行動衝動や行動抑止、脅迫的な観念、あるいはことによると視覚や聴覚の幻覚の形になります。衝動が自動スピーチや書記の方向をとることもあり、その場合、ことばを発していながらも、本人自身はその意味を理解していません。マイアーズ氏は、この現象を概括して、知覚的なものも運動的なものも、感情的なものも知性的なものも、心のサブリミナルな部分に発するエネルギーの通常意識内への“噴出”に起因する作用の総体をオートマティズム(自動作用)と名づけました。
オートマティズムの最も単純な例は、いわゆる催眠後暗示の現象です。適度に暗示の影響を受けやすい催眠術の被験者に、催眠から覚めたあとに指示された行為をするように命令しておきます――ふつうの行為でも異常な行為でも、違いはありません。合図されたり、告げられていた刻限がきたりすると、被験者は律儀にその行為をします。だが、そうしながらも、彼には暗示を受けた記憶がなく、その行為が常軌を逸したものである場合、常にその行動に対して間に合わせの口実をでっちあげます。覚醒してから一定の時間がたつと、幻影を見たり、声を聞いたりするという暗示を与えておくことさえできます。時間がくると、幻影が見えたり、声が聞こえたりしますが、被験者の側にはその出所の心当たりがありません。ビネー、ジャネット、ブロイアー〔Josef Breuer(1842-1925)オーストリアの医師〕、フロイト、メーソン、プリンス、その他によるヒステリー患者のサブリミナル意識に対する驚くべき探求のおかげで、地下の生命体系の全容が、苦痛な類いの記憶が寄生的な存在となり、元来の意識の場の外側に埋め込まれ、内側へ侵入しては、幻覚症状、苦痛、痙攣、感覚および動作の麻痺、その他、心身のヒステリー疾患のありとあらゆる症状を伴う形のものとして明らかになりました。これら潜在意識的な記憶を暗示によって改変または消去しますと、ただちに患者はよくなります。マイアーズ氏の言葉を借りれば、患者の症状は自動作用だったのです。これらの臨床記録を初めて読めば、まるでおとぎ話みたいですが、その正確さを疑うのは不可能です。一度これら初期の観察者らが道を開くと、どこでも同じような観察がなされてきました。わたしがいったように、そうした観察はわたしたちの天性に新しい光を投げかけているのです。
また、それらはさらなる必然的な一歩を踏むとわたしには思えます。既知のものから類推することによって未知のものを解釈すれば、これから先、オートマティズム現象に出くわすたびごとに、それが動作衝動であれ、強迫観念であれ、わけのわからない気まぐれであれ、妄想であれ、幻覚症状であれ、なによりもまず、心のサブリミナル領域の場の外側で練られた観念が、通常の意識の場へと暴発したのであるかどうか探求すべきであるとわたしには思えます。したがって、わたしたちは被験者の潜在意識的な生に根源を探すべきなのです。催眠術の事例では、わたしたち自身が暗示によって原因を創作しますので、じかにそれを知っています。ヒステリーの症例では、いくつかの巧妙な方法によって、患者のサブリミナル領域から根源をあぶりださなければならず、その方法について、みなさんは本で調べなければなりません。その他の病理学的な事例、たとえば精神異常の妄想、あるいは精神病の強迫観念の場合、その根源はまだ探求されなければなりませんが、類推すれば、それもまたサブリミナル領域にあるはずであり、わたしたちの方法の改善によって、なんとかなると思われます。論理的に仮定しうるメカニズムがあります――しかし、仮説はおびただしい作業量の研究プログラムによって検証されなければならず、この道程において、人間の宗教体験はその役割を担うはずです。[124]
[124] ここで読者のみなさんにご承知おきいただきたいのだが、わたしは前回の講義で、経験が豊かになるにつれて潜在意識に蓄積する動機の“潜伏”のみを論拠としたが、できるだけ一般に認められた原則の説明を採用するという方法に従っていた。サブリミナル領域とは、それがなんであれ、とにかくいま心理学者たちが存在を認めているひとつの場所であり、そこに知覚できる経験の痕跡が(自覚のあるなしはともかく、記録されて)蓄積し、それが通常の心理学または論理の法則にもとづいて加工され、その結果、ついには“緊張”の限界に達して、ときには噴出にも似た形で意識へと進入する。したがって、他には説明のできない侵襲性の意識変化を、サブリミナル記憶の緊張が爆発点に達した結果であると解釈するのは、“科学的”である。だが、誠実を旨として打ち明けなければならないが、長期にわたり潜在意識に潜伏していたと実証するのが困難な、なんらかの結果が意識のなかへと噴出することがときにある。第三講で、見えないものの存在の知覚を解明するために用いた事例のいくつかが、この類いだった(本書の五九、六〇、六一、六六頁を参照のこと)。神秘主義を主題にして論じるさい、この種類の他の体験も見ることになる。ブラドリー氏の事例やM・ラティスボンヌの事例、おそらくはガードナー大佐の事例や聖パウロの事例は、このように簡単な方法で安易に説明するわけにはいかないであろう。この場合、結果は、単なる神経の動乱、癲癇症状に似た「発散障害」に起因するものとしなければならないだろう。あるいは、上記の後者二例のように、有益で道理にかなっている場合、なんらかの神秘論または神学の仮説に帰してもよいだろう。読者のみなさんに、この主題が実に複雑であることを理解していただくために、わたしはこの注釈を作成する。だが、当面、わたしはできるだけ“科学的”な見解を維持することにする。今後の講義において、議論が煮詰まるにつれ、この見解があらゆる事実の説明として完全に有効であるかどうかの問題を考えることにする。潜在意識における潜伏は事実の多くを説明するのであり、それには疑問の余地がない。
かくして、わたしたちの特定の主題、瞬時の回心に戻ります。みなさんは、アリン、ブラドリー、ブレナード、それに午後三時に回心したオックスフォードの学士を憶えておられるでしょう。同じようなできごとはたっぷりあり、光り輝く幻影が伴うことも伴わないこともありますが、すべてが驚きの至福と自分を超えた力の支配による作用の感覚を伴います。問題から本人の将来の霊的生活にとっての価値をすべて除外して、もっぱら心理学的な側面のみを取る上げることとしますと、それらのできごとに見られる特異性の非常に多くのものが、回心以外の場合に見受けられるものを思い起こさせますので、わたしたちはそれらをオートマティズムと同列に分類したくなり、突然の回心と段階的な回心の違いをもたらすものは、一方は神の奇跡が現れたおかげ、他方はそれほど神聖ではない、なんらかの理由のせいというわけではなく、むしろ単純な心理学的な特性、すなわち、突発的な恩寵を賜るものは、精神作用が展開しうる広大なサブリミナル領域を保持する例の被験者のひとりであり、そこから侵襲性の経験がやってきて、元来の意識の平衡状態を不意に覆すという事実のせいではないかと思いたくなる誘惑にかられます。
わたしには、メソジスト教徒がこのような見方に反対する理由がわかりません。どうか、ふりかえって、わたしの第一回目の講義でみなさんを誘おうとした結論のひとつを思い出していただきたい。ものごとの価値はその起源で決まるという考えにわたしがいかに反対したか、みなさんはお忘れでないでしょう。わたしたちの霊的判断、とわたしは言ったのですが、人間のできごとや状態の意義と価値に関するわたしたちの意見は、経験をもとにした根拠のみにもとづいて決められなければなりません。回心状態の生命の果実がよいものであれば、それが飾り気のない心理学の一片であっても、わたしたちはそれを理想とし、敬うべきなのです。よくなければ、超自然的な存在が気を吹き込んでいたとしても、さっさと片をつけるべきです。
はて、これら果実とは、どのようなものでしょう? 歴史に輝かしい名を残す傑出した聖者たちの部類は別にして、普通人の“聖者たち”、小売商売の教会員たち、信仰復興運動によるものであれ、メソジストの自発的な修業課程によるものであれ、恩寵を賜った若者たちや中年たちのことだけを考えてみれば、全身これ超自然といった被造物にふさわしい輝きが彼らからひらめいていないし、彼らをそのような恵みを経験したことのない人たちから聖別してもいないということにみなさんは同意なさるでしょう。突然、回心した人がそれなりに、エドワーズがいう[125]ように、地のままの人間とはまったく種別の異なる存在であり、キリストの本性をおのずから分かち持っているというのが本当なら、なにか立派な分別標識がきっと付いているはずであり、この種族の最低の標本にさえ、特有の輝きが付与されていて、だれも見逃すことができないはずであり、そのとおりであれば、その人が単なる地のままの人間のうちの最高に才能に恵まれた人よりも優秀であると証しするはずです。だが、周知のことながら、そのような輝きはありません。種族としての回心者は、普通人と区別がつきません。普通人がその生みだす果実において普通人にまさる場合もあります。教義神学を知らない人が、目の前の人間の二群を対象に“偶発的なふるまい”の連日観察をおこなったとしても、聖性が人間の本質と異なっているように二群の本性が異なっていると推論することはできないでしょう。
[125] どこかでエドワーズはこういっている――「わたしはあえていうが、ひとりの魂の回心における神の御業は、その根源とその獲得、またその恩恵、目的、その永遠性を総合して勘案すれば、物質宇宙全体の創造よりも荘厳な神の御業である」
突発的な回心の非自然的な性格の信者たちは、すべての本物の回心者に特有の間違えようのない分別標識は存在しないことを、実質的に認めなければならなくなりました。幻聴や幻視、突如として示された聖句の意味の強烈な印象、変化の転機に伴う感情の溶解や情緒の動揺といった超常的なできごとは、自然現象としても起こりえますし、もっと悪い場合、悪魔に仕組まれることだってありえます。第二の誕生に対する真の霊の証し〔ローマ人への手紙8-16〕は、純真な神の子どもの気持ち、いつまでも忍耐強い心、自我を消し去った愛のうちに見つかるでしょう。そして、認めなければなりませんが、これは危機を通り抜けない人びとのうちにも見つかりますし、文句なしにキリスト教の外部でさえ見つかることがあります。
ジョナサン・エドワーズは、著書『宗教的感情論』Treatise on Religious Affectionsにおいて、超自然的な息吹を吹き込まれた状態をみごとなほどに豊かで精細に描写しておりますが、その全体を通して、程度が抜群に高くても、おそらくは自然の善であるにすぎないものから間違いようもなく分かつような確定的な痕跡、標識はなにひとつとしてありません。じっさい、この本は意図せずに、人間の美点の序列には途切れがなく、いつどこでも、自然は連続的な違いを見せており、発生と再生とは程度の問題であるという命題を補強する主張を提供しているのですが、それにしても、これほど明解な議論は他に読むことができないでしょう。
人間が途切れによって実体性のある二種類の部類に分断されているのではないとどのように否定するにしても、わたしたちとしては、回心を得た当人にとって、回心の事実がもつ途方もない重みに対して目を閉ざしていてはなりません。個々の人間の生には、可能性の上限と下限が設定されています。洪水がまさに頭の高さを超えてしまえば、水かさが無制限に増しても、たいした問題になりません。わたしたちが自分の上限に達し、自分自身の最高のエネルギー中枢のうちに生きるとき、だれか他人の中枢が自分のそれに比べてどれほど高かろうが、わたしたちは自分が救済されたといえるのです。取るに足りない人間の救済は、当人にとっては常にすばらしい救済であり、なによりも大事な事実なのであり、わたしたちとしては、通常の福音主義の果実が見劣りするように思えるとき、このことに思いをいたすべきでしょう。貧しい恩寵が心を動かすことがはなからなかったとしたら、彼ら精神の地虫やみみず、クランプたちやスティギンズたち〔*〕の人生はどれほど理想に乏しかったか、だれが知るでしょう?[126]
〔crump=爆弾、耳障りな音。Stiggins=チャールズ・ディケンズの小説『ピクウィック・クラブ』の登場人物、偽善者〕
[126] エマソンは、「行いに威厳、潔さ、薔薇のような楽しさのある魂を見るとき、わたしたちは、そのようなことがありえ、現にあることを神に感謝しなければならず、不機嫌な顔を天使に向けて、クランプは彼の持ち前の悪鬼たちすべてに向かってブウブウ文句を言っているので、こっちの方がいいやつだ、などといってはならない」と書いている。実にそのとおり。それでもクランプは、内心の軋轢と第二の誕生のおかげで、本当にいいやつのクランプになれるかもしれない。そして、われらが“高潔”な人物は、哀れなクランプよりいつも本当にすぐれているにしても、上品さと快活、いつもの紳士面を装っているが、その実、彼特有の魔性であるものを悔恨するだけの、クランプ並みの度量がなければ、自分でもなれたはずの水準にはるかにおよばないことになる。
霊的な優劣の等級にもとづいて、人間を大ざっぱにクラス分けすれば、どの等級のクラスにも、生まれながらの人間と速成・晩成両方の回心者がいるとわたしは信じます。だから、再生に向かう変化のもたらす様態は全般的な霊的意義をもたず、ただ心理学的意義のみをもっています。わたしたちはすでにスターバックの念入りな統計研究が回心を通常の霊的成長と同じものとしがちであることを見ました。別のアメリカ人心理学者、ジョージ・A・コー教授〔George A. Coe (1862-1951)〕は、彼が知っている七七名の回心者および元回心希望者の事例を分析しました[127]が、その結果は、突然の回心が活動的なサブリミナル自我の保有に関連しているという見解を鮮やかに確証するものでした。彼は、被験者の催眠感受性および、入眠時幻覚、異常衝動、回心前後の宗教夢などの自動作用を診察し、「際立った」変容を遂げた回心者の場合、これらの自動作用が比較的にずっと多く現れることを突き止めました。この「際立った」変容とは、必ずしも突発的なものではなく、いかに速い成長であっても、成長過程とははっきりと違っていると回心者本人に思えるものと定義されています[128]。信仰復興運動における回心希望者は、みなさんご存知のとおり、しばしば失望します。彼らは、格別なことを体験しないのです。コー教授の七七名の被験者のうち、何人かはこの部類の人たちであり、催眠術で調べてみると、この人たちのほとんど全員が、教授の「自発的」と名づけた下位部類に属していて、これは、顕著な変容を遂げた被験者のほとんどが属する「受動的」下位部類とは違って、自己暗示に富んでいることが判明しました。不可能という自己暗示のために、これらの人たちに環境がおよぼす影響が阻害されたのであり、もっと「受動的」な被験者の場合、求める効果が容易にもたらされるというのが教授の推論です。これらの領域では、切れ味の鋭い識別は困難であり、コー教授のデータは限られています。しかし、彼の手法は慎重であり、その結果は予測と合致します。また、それらの結果は、全体として教授の実質的な結論を支持しているようです。すなわち、回心を促す影響に被験者をさらすと、一、鋭敏な情緒感受性、二、自動作用の傾向、三、受動型の暗示感受性という三つの要因があいまって、突然の回心、際立った種類の変容が生じる、この結果を予言しても安全でしょう。
[127]著書The Spiritual Life, New York, 1900
[128]上掲書p. 112
[128]上掲書p. 112
この気質起源は、突然の回心が起こったときにその意義を損なうでしょうか。まったくそんなことはありません。コー教授が次のようにいうとおりです――
「宗教的価値の最終的な検証は、心理学的なもの、つまりどのようにそれが起こったかという問いで説明できるものではなく、倫理的なもの、つまりそれがなにを達成したかという問いのみで規定できるものである」[129]
[129] 上掲書p. 144
わたしたちの探求をさらに進めると、達成されるものは全面的に新しいレベル、とても勇壮なレベルの生命力であり、不可能が可能になり、新しいエネルギーや持久力が示されることがわかってきます。性格が変わり、当人の心理学的な特徴によって、その変貌に特異な形態がもたらされるかどうかはともかく、その人は新たに生まれるのです。「聖別」が、この結果を表す専門用語です。まもなくこの例がみなさんに示されるでしょう。今回の講義では、変化のときそのものを満たす確信と平安について、さらにいくつか所見を述べておかねばなりません。
だが、その点に進む前に、サブリミナル活動による突発性に関するわたしの説明が誤解されないように、もう一言。もし被験者にそのような潜在意識活動の傾向がなかったり、意識の場が周縁部の固い皮で覆われていて外部からの侵入に抵抗したりする場合、回心が起こるとしても、段階的なものであるはずであり、新しい習性への単純な成長に似たものになるはずである、とわたしは本気で信じています。だから、発達した潜在意識自我の保持、および漏れやすかったり透しやすかったりする周縁部の保持が、被験者に即発的な形で回心が起こるための必須条件conditio sine qua nonなのです。みなさんが正統派のクリスチャンであるとして、現象がサブリミナル自我に関連しているとすると、神の直接介在という考えかたを全面的に排除することにならないかと心理学者であるわたしに問うとしますと、わたしは心理学者として、どうして廃除してしまうことに必然的になるのかわからないと率直にいわねばなりません。サブリミナルなものの低次元の顕現は、実のところ、被験者個人の資質の範囲内に収まってしまいます。その人の日常的な感覚素材は考えもなしに取り入れられ、潜在意識的に記憶され、組み合わされるものですから、当人のいつもの自動作用の説明になるでしょう。だが、わたしたちの元来の完全に目覚めた意識が、わたしたちの感覚を物質である事物の感触に対して開け放つのとまったく同じように、わたしたちに直接接触できる高次元の霊的媒体が存在するとするならば、その存在がそうするための心理学的な条件は、わたしたちが潜在意識領域を保持していることかもしれず、その領域だけがその存在への接近を可能にしているはずということが論理的に考えられるということになります。目覚めているときの生活はガヤガヤとうるさいものですから、扉が閉められていて、夢見るサブリミナルの時間だけ、半開きになったり開放されたりしているのかもしれません。
だから、回心におけるとても本質的な特質である外部からの支配という知覚は、いずれにしてもいくつかの場合では、正統派が解釈するのと同じように解釈できるでしょう。すなわち、有限の個人を超える力は、当人がいわゆるサブリミナルな人間試料であるという条件のもとで、その人に印象を与えるのです。だが、いずれの場合でも、これらの力の価値はその効果によって決められなければならないでしょうし、それらが超越しているという事実それ自体だけでは、それが邪悪ではなく神々しい力であると推測する根拠にはなりません。
実を言えば、ずっと後の講義までこの話題をみなさんの胸中に残しておくのも一法であり、そのときにもう一度、これら抜け落ちた話しの脈絡を拾い集めて、もっと確定的な結論に達することを望みたいものです。わたしたちの研究の現段階では、潜在意識自我という概念を、高次元の侵入という観念をすべて排除するために掲げているべきではありません。わたしたちに影響を与えるハイアーパワーが存在するなら、ただサブリミナル領域の扉を通じてのみ、わたしたちに届くことでしょう。(p. 506以下参照のこと)
では、回心体験が始まるとただちに満ちてくる感覚に話しを移しましょう。まず一番に注目すべきことは、まさしく高次元の支配の感じです。これは、いつもというわけではないのですが、非常に多くの場合に存在します。わたしたちはすでにアリン、ブラドリー、ブレナード、その他の事例を見ています。このような高次元の支配力が必要なことについて、フランスの著名なプロテスタント、アドルフ・モノ〔Adolphe Monod(1802・56)〕が彼自身の回心の転機について書いた短い文でうまく表現しています。彼の青年時代、一八二七年夏、ナポリでのできごとです。
「わたしの悲しみは限りなく、すっかりわたしを虜にし、まったく取るに足りない外面的な行為から最奥の秘められた思いまで、わたしの生活を満たし、わたしの感覚、わたしの判断、わたしの幸福を根源から腐らしていた。わたしの理性とわたしの意思とは、それら自体が病んでいるのであり、これらによってこの不調に歯止めをかけようと期待するのは、目の見えない人が、一方の目をやはり見えない他方の目の助けで治すふりをするのと同じような行為であると知ったのは、そういう時だった。そのときのわたしには、なんらかの外部からの影響力のほか、なんの手立てもなかった。わたしは精霊の約束を思い出した。そして、わたしは必要に迫られて、福音書の明確なことばがわたしに思い知らせることができなかったことを学び、わたしの魂の要求に応えるという唯一の意味において、この約束を生まれて初めて信じ、すなわち、わたしに思想を与えることも、それをわたしから奪うこともでき、まことに自然界の主であるとともに、わたしの主である神によってわたしに働きかけられた真実の外部からの超自然的な作用を信じた。さらに、ありとあらゆる自分の長所や強みを手放し、わたしの個人的な才能を投げ捨て、わたしがどうしようもなく不幸であるほかには神の慈悲にすがる資格はないと認め、わたしは家に戻って、膝を屈し、生涯でこれまでないほど祈った。その日以来、わたしの新しい内面生活が始まった。欝が消え去ったわけではないが、痛みはなくなった。希望がわたしのハートに宿り、いったん軌道に乗れば、わたしが学んで身を任せるようになったイエス・キリストの神は、少しずつ残りのことをしてくださった」
[130] W・モノー著la Vie中の引用およびAdolphe Monod: I,. Souvenirs de sa Vie, 1885, p. 433所収の書簡から構成。
プロテスタントの神学がこのような体験で示される精神の構造とみごとに一致することは、みなさんに改めて思い出していただく必要もないでしょう。欝が極端になれば、意識的な自我は、まったくなにもできなくなります。自我は完全に破産し、資本はなく、なにをやっても無駄に終わります。このような主観の病から救われるのは、無償の賜物にほかならず、キリストの成就した犠牲による恩寵は、そのような賜物なのです。
ルターはこう言います――
「神は、慎ましい人びと、不孝な人びと、虐げられた人びと、絶望した人びと、無に等しくされた人びとの神なのだ。神の力は、目の見えない人に視力を、心破れた人に癒しを与え、罪びとを許し、深く絶望し呪われたものを救う。さて、人間固有の正しさを言い立てる、あの有害で致命的な考えかたは、人間を罪あるもの、不浄で悲惨、呪われたものとせず、正しく神聖なものとするものであり、神がご自身の自然で適正な御業をなさるのを許さない。したがって、神は大槌(つまり、律法)を手に取り、猛獣をそのはかない自信とともに打ち砕いてなきものにし、わが身の悲惨さによって、自分は寄る辺なく呪われたものであると気づかせる。だが、ここに困難があり、人が恐怖を覚え、打ちのめされると、起き上がって、『いまわたしは踏みにじられ、たっぷりと苦しんだ。いまこそ、恩寵のときだ。いまこそ、キリストの声を聞くときだ』ということがほとんどできなくなる。人間の心の愚かしさはとても根強く、自分の道義心の満足のためにもっと多くの律法をみずからに求める。人間は、『わたしが生き永らえるなら、生きかたを改めよう。わたしはこうしよう、ああしよう』という。だが、ここで、汝がまったく反対のことをしないなら、モーセを彼の律法ごとに遠ざけなければ、これらの恐怖とこの苦悩のうちにあって、汝の罪のために死んだキリストにすがらなければ、救済は期待できない。汝の僧服、汝の坊主頭、汝の純潔、汝の服従、汝の貧乏、汝の働き、汝の業績だって? これらすべてなんになる? モーセの律法がなんの役に立つ? 浅ましく唾棄すべき罪人であるわたしが、働きや業績によって神の御子を愛することができるようになり、彼のもとに来るとすれば、わたしのためにわが身を差し出した彼は、なんのためにそうする必要があったのか? 浅ましく唾棄すべき罪人であるわたしが、ほかの代償で贖罪されるとすれば、なんのために神の御子はわが身を与えなければならなかったのか? ほかに代償がなかったので、羊や牡牛、金や銀ではなく、彼はひたすら完全に“わたしのため”に、いっておくが、浅ましく唾棄すべき罪人である“わたしのため”にさえ、神ご自身を捧げられたのだ。だから、いまわたしは慰めを得て、これをわたし自身にあてはめる。この方法であてはめることこそが、信仰の本当の強さであり、力なのだ。なぜなら、彼は義の人びとを義とするためでなく、不義の人びとを義とし、不義の人びとを神の子とするために死んだからだ」[131]
[131] 「新約聖書『ガラテヤ人への手紙』3-19、2-20注釈」。要約。
つまり、みなさんがほんとうに失われれば失われるほど、キリストの犠牲が救った、まさにその人間であるのです。わたしが思うに、カトリックの神学には、ルターの個人的経験から出た、病んだ魂向けのこのメッセージほどに率直なものはなにもありません。プロテスタント全員が病んだ魂というわけでもないですが、ルターが、人間の美点という肥溜めとか、自分が義であるという不浄な水溜りと好んで呼び習わしたものは、もちろん彼らの信条の前面に出ました。それにしても、ルターのキリスト信仰観がわたしたち人間の精神構造の深部にうまくあてはまることは、それが新しく鮮烈な思潮だったこと、燎原の火のように伝播したことがよく示しています。
キリストが誠実に御業をなしたという信念は、ルターの言う信仰の一部ですが、これはあくまでも知識として考えられた事実にもとづく信仰です。だが、これはルターの信仰の一部にすぎず、他の部分ははるかに生き生きしています。この他の部分というものは知的なものではなく、即時的で直感的なもの、つまり、わたし、あるがままのこの個人としてのわたしは、祈りなどしなくとも、いま永遠に救われているという確信です。[132]
[132] 回心のなかには、これら両方の歩みがはっきり識別できるものがある。次にその一例を示してみよう――
「福音派の論文を読んでいたとき、ほどなくわたしは『キリストの完成された御業』という表現に心打たれた。わたしは『なぜ、著者はこういうことばを使うのだろう? なぜ、“贖罪の御業”といわないのだろう?』と自問した。すると、このことば『成し遂げられた』〔ヨハネによる福音書19-30〕がわたしの心に浮かんだ。『成し遂げられたのは、なんだろう?』と自問すると、瞬時にわたしの心が『罪の完全な贖い。全面的な成就が与えられた。負債は身代わりによって支払われた。キリストはわれわれの罪のために死にたもうた。われわれの罪だけでなく、すべての人間の罪のためだ。では、すべての御業が完成し、すべての負債が支払われたのなら、わたしに残されたやるべきことはなんだろう?』と応えた。次の瞬間、聖霊によって光がわたしの心を貫かされ、膝を屈して、この救い主とその愛を受け入れ、永遠に神を称えることのほか、なにもやることはないという喜ばしい確信が与えられた』ハドソン・テイラー〔James Hudson Taylor 戴德生 (1832-1905) 英国人、プロテスタントの中国伝道師〕自伝。原本が入手できないので、シャランによる仏訳(ジュネーブ、日付不詳)からの重訳。
「福音派の論文を読んでいたとき、ほどなくわたしは『キリストの完成された御業』という表現に心打たれた。わたしは『なぜ、著者はこういうことばを使うのだろう? なぜ、“贖罪の御業”といわないのだろう?』と自問した。すると、このことば『成し遂げられた』〔ヨハネによる福音書19-30〕がわたしの心に浮かんだ。『成し遂げられたのは、なんだろう?』と自問すると、瞬時にわたしの心が『罪の完全な贖い。全面的な成就が与えられた。負債は身代わりによって支払われた。キリストはわれわれの罪のために死にたもうた。われわれの罪だけでなく、すべての人間の罪のためだ。では、すべての御業が完成し、すべての負債が支払われたのなら、わたしに残されたやるべきことはなんだろう?』と応えた。次の瞬間、聖霊によって光がわたしの心を貫かされ、膝を屈して、この救い主とその愛を受け入れ、永遠に神を称えることのほか、なにもやることはないという喜ばしい確信が与えられた』ハドソン・テイラー〔James Hudson Taylor 戴德生 (1832-1905) 英国人、プロテスタントの中国伝道師〕自伝。原本が入手できないので、シャランによる仏訳(ジュネーブ、日付不詳)からの重訳。
リューバ教授は、キリストの御業に対する概念的な信条は、効験あらたかで〔回心の〕先触れになることも多いが、実に副次的であり非本質的であって、「喜ばしい確信」はこの概念とはまったく別の経路を通じても得られると主張しますが、これは疑いなく正しいことです。喜ばしい確信そのもの、すべてよしという安心、これを教授は最優秀par excellenceの信仰と名づけたのです。教授はこう書いています――
「人を狭く限定されたエゴに閉じ込める疎外感が底を突くとき、その人は自分が『全宇宙と一体である』ことを発見する。その人は普遍的な生命のなかで生きる。その人と人類、その人と自然、その人と神とは一体である。精神の調和の達成につづく、あの自信、信頼、万物との調和の状況は、信仰状態である。信仰状態が到来した暁に、さまざまな教義的な信念はたちまち、確信の性格をまとい、新たな真実性を得て、信仰の対象となる。この確信の根拠は分別ではないので、とやかくいうのは筋違いである。だが、このような確信は信仰状態のささいな派生物であるにすぎないので、信仰状態の主要な実用価値が、ある特定の神学概念に真実性の標識を刻印する力にあると思うのは大間違いである[133]。それどころか、その価値はひとえにそれが相争うさまざまな欲求を一つの方向に束ねる生物としての成長、すなわち新しい情緒の状態と新しい反応、もっと大きく、もっと気高く、もっとキリストに近づく活動となって顕現する成長、これと密接に相互関連する霊的実在であるという事実に宿っている。すると、宗教信条における特定の確信の根拠は情緒体験ということになる。信仰の対象は馬鹿げたものであることさえ考えられる。感情の流れは信仰対象を浮かべてたゆたい、それに揺るぎない確信をまとわせる。情緒体験が驚くべきものであればあるほど説明しがたいものになるようであり、それを実証されえない物思いの運び手とするのがたやすくなる」[134]
[133] トルストイの事例は、これらの言葉のよい注釈となる。彼の回心には、ほとんど神学は関係なかった。彼の信仰状態は、生命はその精神的意義において無限であるという意識の回復にあった。
[134] American Journal of
Psychology, vii. 345-347記事の要約。
この情緒体験は、あいまいさを避けるために、信仰状態というより、確信の状態と呼ばれるべきだとわたしは考えるのですが、これを自分の身で体験しないことには、その強烈さを理解するのはたぶん難しいにしても、その特性はたやすく列挙できます。
その中核となるものは、外的な条件が同じままであっても、あらゆる心配ごとの消失、結局のところ万事よしという感覚、平安、調和、実存の意欲です。キリスト教徒の場合、神の“恩寵”、“義認〔信仰によって罪が赦されること〕”、“救済”が事実にもとづく信念になるのがふつうです。だが、これがまったくなく、それでいて――みなさんはオックスフォード学士の事例を思い出すでしょうが――情緒面の平安がまったく同じであるということもありえますし、個人的な救済が後になってからの結果であるだけなのに対して、こちらの方は多くのものに与えられます。意欲、黙認、賛美の熱情は、この精神状態の真っ赤に燃えた中核になっています。
二つ目の特性は、以前には知らなかった真実を受け取ったという感覚です。リューバ教授が言うように、生きることの神秘が明らかになります。しばしば、否、普通には、解答は多かれ少なかれ言葉で言い表せません。だが、こうしたどちらかといえば知的な現象は、神秘主義を扱うようになるまで残しておきましょう。
確信状態の三つ目の特色は、しばしば世界が客観的に変化したように見えることです。「新しい姿、万物に美」、これは、わたしがあげたいくつかの関連事例[135]をみなさんも思い出すでしょうが、欝病患者が体験する別種の新しさ、世界の外観のおぞましい非現実感と得体の知れなさとはまったくの正反対です。この内面と外界とが、清らかで美しい、新しい姿をまとったという感覚は、回心記録の最も一般的な項目のひとつです。だから、ジョナサン・エドワーズはみずからのことを次のように叙述しています――
[135] 本書p. 150参照のこと。
「このあと、神にまつわるものごとに関するわたしの感覚が次第に強くなり、ますます生き生きとして、あの精神的な甘美さを帯びてきた。あらゆるものの外観が一変した。いわば、ほとんどすべてのもののうちに、穏やかで心地よい味わい、あるいは神の栄光の現われが宿っているようだった。神のすばらしさ、神の叡智、神の清らかさと愛が、月、太陽、星に、雲と青空に、草、花、樹木に、水と自然全体に、ありとあらゆるものに表されているようであり、わたしの心を大いに癒してくれたものである。
「自然の作品のなかで、雷鳴と稲妻ほどにわたしにとって楽しいものは稀である。もともと、これほど恐ろしいものはなかったのに。かつて、わたしは雷鳴を異常に怖がり、雷雨が勢いづくのを見ると、恐怖に襲われていたものだ。だが、いまは反対にわたしは大喜びだ」[136]
[136] Dwight: Life of Edwards, New York , 1830, p. 61、要約。
「わたしは主に向かって、『あなたは“求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる” 〔マタイによる福音書7-7〕とおっしゃいました。わたしには、そのように信じる信仰があります』と言った。瞬時にして、主がわたしをあまりにも幸せな気持ちにさせたので、どう感じたか、わたしはことばで表せない。わたしは喜びの叫び声をあげた。わたしはこころを尽くして神を賛美した……これは、一九七三年十一月のことだったと思うが、月の何日だったかはわからない。人びと、野原、牛、樹木、すべてがわたしに新しく見えた、このことをわたしは憶えている。わたしは、まるで新しい世界の新しい人間のようだった。わたしは主を称えることで時間の大半をすごした」[137]
[137] W. F. Bourne: The King’s Son, a Memoir of Billy Bray, London,
Hamilton, Adams & Co., 1887, p. 9.
スターバックとリューバのお二人とも、引用文を用いて、この新生感覚を明らかにしています。スターバックの草稿集から引いた二つの例を取り上げてみましょう。一つは、女性のもので、こういっています――
「わたしはキャンプ集会に連れてゆかれ、母と信仰仲間たちがわたしの回心を願い、祈っておりました。わたしの情緒の本性は奥底まで揺さぶられました。悪行を懺悔し、罪からの救済を神に訴えているうちに、周囲のことをすっかり忘れてしまいました。慈悲をお願いしているうちに、赦しとわたしの本性の生まれ変わりとを鮮明に悟りました。わたしは跪いた姿勢から身を起こし、『古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた』〔コリントの信徒への手紙二5-17〕と叫びました。それは、まるで別の宇宙に入るかのよう、存在の新たな状態でした。自然のあらゆるものが輝いて、わたしの霊の眼が澄みきったので、宇宙の森羅万象に美を見、森は天の歌声で満ちていました。わたしの魂は神の愛のうちに歓喜し、わたしはすべての人とわたしの喜びを分かち合いたいと願いました」
次の事例は男性のものです――
「どのようにして野営地に戻ったのか、わからなかったが、わたしはよろめきながらA師の神聖天幕に辿り着いていた――が、求道者でいっぱいであり、うめいていたり、笑っていたり、わめいていたり、なかはすさまじい騒音で満ちていたので、テントから十フィート離れた樫の大樹のそばにあるベンチの傍らに突っ伏して祈ろうとしたが、神に呼びかける度ごとに、人の手のようなものがわたしを絞め殺そうとしたのだ。わたしの周辺にだれか人がいるかどうかはわからなかった。助けてもらわないことには、間違いなく死んでしまうと思ったが、祈る度に喉に見えない手を感じ、息が詰まった。最後になにものかが『贖罪に賭けるのだ。そうしなければ、死んでしまうぞ』といった。そこでわたしは死力を尽くして神に慈悲を求めたが、喉の締め付けと窒息は相変わらずであり、息が詰まって死んでしまうとしても、慈悲を求める祈りを最後までやめるものかと決心したところ、そのとき、同じ見えない手を喉に感じながら、地面に仰向けに倒れこんだことまでを覚えている。どれほど長くそこに倒れていたのか、なにが起こっていたのかわからない。わたしの家族はだれもいなかった。意識を回復したとき、わたしの周りに人びとが集まり、神を賛美していた。天国そのものが開き、光明と栄光の束を降り注いでいるようだった。一瞬だけのことにとどまらず、昼も夜も光明と栄光の氾濫がわたしを貫いて流れるようであり、そして、おお、どれほどわたしは一変したことか、すべては一新していた。わたしの馬、わたしの豚、そしてすべての人すらもが変わっていた」
この男性の場合、自動作用の特質が現れていますが、これは、エドワーズやウェスリー、ホィットフィールドの時代に福音伝道の常套手段とされて以来、信仰復興集会の場で対象者が暗示に弱い場合、びっくりするような特徴になってきました。当初、これは、聖霊の側の“力”の半ば奇跡的な証拠であると考えられていました。だが、これに関して異論が沸きあがり、たちまち大論争になりました。エドワーズは、著書the Revival of Religion in
New England〔『ニューイングランドにおける宗教復興に関する考察』〕において、批判者らに対抗し、これを擁護しなければなりませんでした。また、福音主義諸派のなかでさえ、その価値はかねてから論争の的になってきました[138]。自動作用に本質的な霊的意義は疑いなくありませんし、それが現れた場合、回心者にとってその回心が記憶に残りやすいということがあっても、それを見せた人が、それほどすさまじい付随作用を伴わないで心の変化を遂げた人よりも信仰を長く保ったり、よき果実を多く結んだりすると実証されたことはありません。概して、無意識、痙攣、幻視、意図しない発声、息切れは、当人のもつサブリミナル〔識閾下〕領域が大きいことに原因があり、これには神経の不安定な状態がかかわっています。本人が起こったことに対して事後にこのような見解を抱くことも多いのです。
[138] Consult William B. Sprague: Lectures on Revivals of Religion, New York , 1832. 長文の付録に、大人数の聖職者らの見解が紹介されているので、これを参照のこと。
たとえば、スターバックの文通相手のひとりは、次のように書いています――
「わたしには、回心として知られる体験があります。それに関して、わたしは次のように説明します。当人は興奮を破局点にまで高め、同時に、動悸の昂進など、身体的な現われに抵抗するのですが、突然、そうした状態が全身を支配するがまま任せます。開放感は大したすばらしいものであり、感動の愉快な効果が最高度に体験されるのです」
感覚にまつわる自動作用の一形態で、しばしば現れるため、たぶん格別な注目に値するものがあります。つまり、幻覚または擬似幻覚の発光現象、心理学の用語で言えば、フォティズム〔音など他種の刺激による視覚効果〕というのがそれです。聖パウロの目をくらました天からの光〔使徒言行録9-3〕は、この類いの現象だったようです。コンスタンティヌス〔古代ローマ皇帝(在位306-337)〕が天空に見た十字架もそうです。前述、最後から二番目の引用には、光明と栄光の氾濫と書かれています。ヘンリー・アリンは光について述べておりますが、それが外部的なものかどうか、彼には確信がないようです。ガードナー大佐はまばゆい光を見ました。フィニー学長〔*〕はこう書いています――
「突然、神の栄光が、不可思議といってもいいような形でわたしと周囲を照らしだした……完全に言語を絶した光がわたしの魂のなかを照らし、わたしを地面に押し倒しそうだった……この光は、四方八方を照らす太陽の輝きのようだった。直視するには、あまりにも強烈だった……そのときわたしは、ダマスカスへ向かう途上にあったパウロを倒したあの光について、じっさいの体験により、なにほどかわかったと思った」[139]
[139] Memoirs, p. 34
このようなフォティズムの報告はまったく稀どころの話しではないのです。次にスターバックの集めたものからもう一つ引用しますが、この報告では、光は明らかに外部に現れていました――
「わたしは二週間ばかり行ったり行かなかったりですが、連日開催の信仰復興集会に参加しました。何回か祭壇に招かれ、その度ごとに印象が深まって、ついにわたしは、これをやり遂げなくてはならない、さもなければ、身の破滅だと意を決しました。回心の実現は非常に鮮明であり、まるで一トンの重荷がわたしの心から取り除かれたかのようでした。不思議な光が部屋全体を照らしているようでした(暗かったからです)。意識に至高の喜びを感じ、そのために長いあいだ、わたしは『栄光、神にあれ』〔ルカによる福音書2-14〕と唱えつづけていました。死ぬまで神の子どもであること、そしてわたしの後生大事な野望、富と社会的立場を手放すことを決意しました。わたしの以前からの生活習慣がいくらか成長の邪魔になりましたが、そうした習い癖を意図的に克服するように努め、一年もすれば、わたしの本性はすっかり変わりました。つまり、わたしの宿願は別の道理のものになったのです」
スターバックの事例集から、輝く光の要素をもつものをもうひとつ紹介しましょう――
「わたしは二三年まえにはっきりと回心させられ、あるいはむしろ更正させられていました。当時、わたしの再生における体験は鮮明かつ霊的であり、わたしが後戻りすることはありませんでした。だがわたしは、一八九三年三月十五日の午前十一時ごろ、完全な聖別を体験しました。この体験に独特なできごとが伴っていましたが、これはまったく思いがけないものでした。わたしは自宅で静かに座って、聖神降臨祭讃美歌集の中からいくつか選んで歌っていました。突然、なにかわたしのなかへ浸透してくるものがあり、わたしの存在全体を膨張させているようでした――そのような感覚は、それまでまったく体験したことがないものでした。この体験が始まったとき、わたしは広大で照明の行き届いた室内を引き回されているようでした。目に見えない案内者と一緒に歩き、見てまわっていたとき、『彼らはここにいない。行ってしまった』という、明確な思いがわたしの心に刻みこまれました。その考えが心中ではっきりした形になったとたん、わたしはわたし自身の魂を検分しているという印象を聖霊がわたしに伝えました。そのとき、わたしの全生涯で初めて、わたしがすべての罪から清められ、神の満ちるままに満たされたことを知りました」
リューバはピーク氏という人の次のような事例を引用しておりますが、その発光感覚は、メキシコ人がメスカルと呼ぶ酩酊性のサボテンの芽が引き起こす色鮮やかな幻覚体験を思いおこさせます――
「朝、わたしが野良仕事に出かけたとき、神の栄光が目に見える神のあらゆる被造物に現れていました。わたしたちはオート麦を刈り取っていたのですが、麦の茎や穂のすべてが、いうならば、ある種の虹の輝きをまとっているような、あるいは輝いているような、またこういう表現をするなら、神の栄光で荘厳されているように見えました」[140]
[140] これらの知覚上のフォティズムは、たとえば、次のようなブレナードの叙述に見られる、新たな霊的覚醒の感覚の明らかに比喩表現にすぎないものに区別なくつながっている――「深い木立を歩いていたとき、言語を絶する栄光がわたしの魂に掲示されたように思えた。外面的な明るさがあったというのではない。そういうものは見なかったからである。第三天国の光体やその類いを空想したのでもない。それは、わたしが神に関してもった新しい内面的な理解だった」
スターバックの手稿集からとった次のような事例にある、暗闇を明るくするというのも、たぶん比喩表現であろう――
「ある日曜日の夜、働いていた農場に戻ったら、わたしの能力、その他のすべてもろとも自分を神に捧げ、神によって、神のために使ってもらおうと決意しました……雨が降り、道はぬかるんでいましたが、この願望がとても強くなって、わたしは道路端で膝を突き、それをすっかり神に告げましたが、終われば、立ち上がって歩き続けようと考えていました。信仰によって回心はしていましたが、いまだにまったく疑いなく救われていたので〔原文のママ〕、わたしの祈りに対する特別な返事のようなものは、わたしの頭に浮かびませんでした。はて、わたしの記憶では、祈っていたとき、わたしの両手を神に差し伸べ、神がわたしを神の道具として使い、納得のいく経験させてくださりさえすれば、この両手は神のために働き、わたしの両足は神のために歩き、わたしの舌は神のために話すべきですとかなんとかいっていました――すると、突然、夜の闇が明るくなったようでした――わたしは、神がわたしの祈りを聞き取り、返事したと感じ、悟り、知りました。深い喜びがわたしに訪れました。わたしは神に愛された人びとの内輪の集いに受け入れられたと感じました」
次の事例においても、閃光は比喩表現です――
「夕べの礼拝の直後、祈祷会が開かれました。牧師は、わたしが彼の説教に感動したと信じていました(外れ――彼は退屈でした)。彼はやってきて、わたしの肩に手を置き、『あなたはあなたの心を神に捧げたいと思いませんか?』といいました。わたしは肯定的な返事をしました。すると彼は、『前列の席にお越しください』といいました。彼らはわたしとともに歌い、祈り、話しをしました。わたしはただ不可解な惨めさを感じていただけでした。彼らは、わたしが“平安を得る”ことができないのは、わたしにすべてを神に委ねる意思がないからだと断言しました。二時間ばかりたって、牧師は家に帰りましょうといいました。ベッドに入るとき、いつものとおり、わたしは祈りました。そのとき、深い悲しみのなかで、ただ『主よ、わたしはできるだけのことをしました。すべてのことをあなたに委ねます』とだけいいました。閃光のように即刻、わたしに深い平安が訪れました。わたしは起き上がり、両親の寝室へ行き、『とてもすばらしく幸福な感じだわ』と告げました。わたしはこれを回心のときだと心得ています。それは、わたしが神による受け入れと恵みを確信したときでした。わたしの生活に関するかぎり、当座の変化はほとんどありませんでした」
回心の転機に見受けられるすべての要素のうち、最も典型的なものは幸福の絶頂感であり、最後にこの話しをしましょう。これまですでにいくつか、その話しを読みあげましたが、あと二例を付け加えておきましょう。フィニー学長のものは非常に生き生きしていますので、次に長文のまま読んでみます――
「わたしの感情がすべて満ちあふれ、流れ出すように思えた。わたしのこころのことばは、『わたしの魂のすべてを神に注ぎたい』というものだった。わたしの魂があまりにも高まったので、わたしは祈るために、表の執務室の裏部屋に駆けこんだ。室内に火も明かりもなかった。それにもかかわらず、わたしには申し分なく明るいように思われた。中に入り、後ろ手でドアを閉めると、あたかも自分が主イエス・キリストと面と向かって会っているかのように思えた。これは完全に精神状態の産物であるとそのとき思いもしなかったし、後になってもしばらくはそうだった。それどころか、だれか他の人を見ているように、彼を見ているとわたしには思えた。彼はなにもいわなかったが、わたしが彼の足元に身を投げださざるを得ないような風情でわたしを見詰めた。その後、わたしはこれをこの上なく注目に値する精神状態であるとみなしてきた。彼がわたしの前に立ち、わたしが彼の足元に身を投げ出し、わたしの魂を彼に注いでいるのが、わたしには現実であると思えたからである。わたしは子どものように声を出して泣き、息が詰まったような話しぶりで告白を果たした。わたしの涙で彼の足を洗っているかのようにわたしには思えた。それなのに、わたしが思い出すかぎり、わたしが彼に触れていたというはっきりした印象が残っていない。わたしがこのような状態にあった時間はかなり長かったはずだが、あまりにも面会にこころを奪われていたので、わたしのいったことをなにも思い出せない。だが、わたしのこころが落ち着くと、すぐに会見を打ち切り、表の執務室に戻ったところ、自分で起こした大きな丸太の火がほとんど燃え尽きていたことはわかっている。それはともかく、振り向いて、火のかたわらに腰掛けようとしたとき、わたしは聖霊の力強い洗礼を授かった。そのようなことを予期などしていなかったし、そのようなことがあるかもしれないとこころに思ったこともなく、世界のだれかがそのようなことをいうのを聞いたことがあるという記憶もなかったが、精霊がわたしの体と魂を貫くかのように思える形でわたしに降臨したのである。わたしは印象を感じることができたが、それはまるで、貫通し、わたしを貫く電気の波のようだった。じっさい、それは流動性の愛の波また波となって届いたように思えた。というのも、他には表現のしようがなかったからだ。それは神の息吹そのもののように思えた。巨大な翼のように、それがわたしを扇いでいたようだったことを思い出すことができる。
「わたしのこころに流れこみ広がったすばらしい愛をことばでは表せない。わたしは喜びと愛のために声を出して泣いた。わたしにはわからないが、ことばにならないわたしのこころの声の噴出を文字どおりにがなりたてていたのだというべきである。このような波、波、波が次から次へとわたしを襲い、ついにわたしは『この波がわたしを襲いつづけるなら、わたしは死んでしまう』と叫んだのを思い出す。わたしは『主よ、わたしはもう耐えられえません』といったが、それでも死の恐怖はなかった。
「この洗礼がわたしのうえに巻き上がり、わたしを貫通する、この状態がどれほど長く続いたのか、わたしは知らない。だが、わたしの聖歌隊――わたしがリーダーを務めていたもの――のあるメンバーがわたしに会うために執務室に来たとき、夜遅かったことはわかっている。彼は教会の信徒だった。彼は大泣き状態のわたしに気づき、『フィニー先生、どこか具合が悪いのですか?』と聞いた。いっとき、わたしは彼に返答できなかった。すると彼は、『痛みがあるのですか?』と聞いた。わたしは最善を尽くして自分を取り戻し、『いや、生きていられないほど幸せなのだ』と応えた」
つい先ほど、ビリー・ブレイの記録を引用しましたが、彼の回心後の感じについての、次のような彼自身の短い説明を紹介するのが、わたしにできる最善のことでしょう――
「わたしは主を称えるしかない。通りを歩くとき、片方の足を上げると、それは『称えよ』といっているようだ。もう片方をあげると、『アーメン』といっているようだ。歩いているあいだずっと、この調子でつづくのだ」[141]
[141]注として、もう少し記録を付け加えておこう――
「ある朝、深い苦しみにとらわれ、一瞬一瞬、地獄に落ちるのだと恐れおののき、本気で慈悲を求めて叫ばずにはいられなくなると、主がわたしの救済に乗り出し、わたしの魂を罪の重荷と自責の念から救ってくださった。頭からつま先まで、わたしの全身が震え、魂は甘美な平安に包まれていた。そのときに感じた喜びは、言語を絶していた。幸福感は三日間つづき、そのあいだ、わたしはその感じをだれにも話さなかった」Autobiography of Dan Young, edited by W. P. Strickland , New York , 1860.
「瞬時に、神は神を信頼する人の面倒をみたもうという考えがわたしの念頭に湧きあがり、一時間ばかり世界全体が透明になって、天国が澄みわたったので、わたしは踊りあがって、叫び、笑いはじめた」 リューバによるH・W・ビーチャ―〔Henry Ward Beecher (1813-87)米国の牧師;奴隷制度廃止運動の指導者〕のことば。
「わたしの悲しみの涙は喜びに変わり、そこに横たわって、体験した魂のみが理解する喜びの絶頂のうちに神を称えました」――「わたしがどのように感じたか、表現できません。暗い地下牢にいたのに、太陽の光のなかへと引き揚げられたかのようでした。わたしは叫び、歌って、わたしを愛し、罪を洗い流した神を称えました。涙があふれ、わたしの店の仲間に見られたくなかったので、秘密の場所に隠れることを余儀なくされましたが、それでも秘密にしておけませんでした」――「わたしはむせび泣くほどの喜びを体験しました」――「わたしの顔がモーセの顔のように輝いているはずだと感じました。気持ち全体がウキウキしていました。それまで経験したなかで、最大の喜びでした」――「わたしは泣いたと思えば、笑っていました。わたしは空中を歩いているように軽やかでした。体験したいと期待していた以上に大きな平安と幸福を得たように感じました」スターバックの文通相手。
今回の講義を終える前に、これら突然の回心の一時性または恒久性の問題に関して一言。みなさんのなかには、転落や逆戻りの例がどっさりあることを知っていて、こうした例を問題の全体を解釈するための類推母集団に仕立て上げ、たいそうな“ヒステリー”だな、と哀れみの笑顔を向けて片付けてしまう向きもきっとおられることでしょう。宗教的だけでなく、心理学的にもこれは浅はかな了見です。関心を払うべき要点は、人格が高レベルのものに転換する期間の長い短いではなく、その性格と質にあるのであり、この見方はこれを見失っています。人間はあらゆるレベルから転落します――これを知るのに、統計は必要ありません。たとえば、愛が解消不能のものでないことは周知の事実ですが、それでも、心変わりしてもしなくても、愛は、それが継続するあいだ、新たな高揚と理想の到来を啓示します。期間がどうであろうとも、こうした啓示が男たちや女たちに対して愛の意義を築きあげるのです。これは、回心体験でも同じです。つまり、たとえ短期間のものであっても、この体験が人間の霊的能力の最高水準を示すのであり、これがその重要性を構成しています――この重要性は、持続性によって増すにしても、逆戻りによって縮小するものではありません。実を言えば、回心のめぼしい事例のすべては、たとえばわたしの引用した事例のすべては、永続的なものでした。癲癇様の発作を強く思わせるために、最も疑わしかったものは、M・ラティスボンヌの事例でした。それでも、ラティスボンヌの後半生全体が、あの数分のあいだに形作られたとわたしは聞いています。彼は結婚の計画を断念して、聖職者となり、エルサレムに移り住んで、その地にユダヤ人の回心のための修道女伝道団を設立し、回心という特殊事情で得た世評を利己的な目的で用いることはありませんでした――その回心にしても、生涯、涙なしに語ることは稀でした。つまり、わたしの記憶が正しければ、八〇歳台後半で亡くなるまで、彼は模範的な教会の子としてすごしました。
回心の持続期間について、わたしの知っている唯一の統計は、ミス・ジョンストンがスターバック教授のために集めたものです。その統計の対象はわずかに一〇〇名であり、その全員が福音主義教会の信徒であり、過半数がメソジストでした。当人たち自身の告白によれば、ほぼすべての者、女性の九三パーセント、男性の七七パーセントがある種の逆戻りを経験しています。スターバックは、この揺り戻しをもっと詳しく検討し、回心が固めた信仰からの再転落事例は六パーセントにすぎず、逆戻りを嘆いているにしても、たいがいは熱い思いの揺らぎにすぎないことを明らかにしました。一〇〇事例のうち、六事例のみが信仰の変化を伝えているだけです。スターバックの結論は、回心の効果を、「人生に向き合う態度の変革」をもたらし、「感情は揺れ動くにしても、それはかなり堅実であり、永続するものである……言い換えれば、回心を体験した人は、ひとたび信仰生活の足場を固めると、本人の宗教的熱狂がどれほど冷めようとも、みずからを信仰と調和しているとみなす傾向がある」[142]としています。
[142] Psychology of Religion, pp. 360, 357.
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